我来たり、我見たり、我勝利せりのレビュー・感想・評価
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最悪な遊び。
欺瞞に満ち満ちたこの世界に改めてゾッとする
倫理(学)なんていらない、買うほどあるんだから
シナリオ的にはちょっとピンチを作った方が、盛り上がるようにも思ったのですが、そこはあくまで軽く、乾いた感じで、あくまで淡々とでした。
終盤の水中出産が、天罰が下る最後のポイントかなとやや身構えたんですが、まあ予定通り何事もなく完封勝利しました。
それにしても娘の方が怖い❗️頭は悪くないし、洞察力もありそう。それに少なくともあの執事とは仲が良かったですからねえ。
絵空事でも、突拍子もないフィクションでもなく、これから起こりうる、いえもう現実に起こっている現代の寓話なのです。
「やっちゃった、核のボタン押しちゃった」
やりきれない思いがした。
いくら自己増殖を旨とする資本主義の本質を突いているとはいえ、創造的破壊はともかくとして、狙撃や殺戮が、クラシック音楽を背景に語られることを許したままでよいのだろうか。独裁者の考えが、優秀な官僚たちに支えられ、大衆への前例のないプロパガンダによって広まり、大量の殺戮を許してしまった第三帝国と同じではないか。あの時も、背景にはクラシック音楽が流されていたが。
これまでも、同じ事態が語られる映画はあったが、少なくとも、第三帝国を扱った最近の映画では、ゲッベルスは事態を把握していて、自分でも責任を取った。また、映画化された「バンゼー会議」の結末としてのユダヤ人の大量虐殺は、世界に隈なく知られるところである。
それなのに、この映画では、いくら陳腐化を免れているとはいえ、何も起こらず、それどころか、能で使われる「謡」が、まるで神主の祈祷の時のように出てきて、天まで届けとでも言わんばかりだった。
我来たり、我見たり、我勝利せり(映画の記憶2025/6/15)
エレガントな大富豪の優雅なる冷酷
えー、私ことアモン•マイナートはバッテリーの開発•製造•販売をやってる会社のオーナー兼CEOです。最近、ウチは次世代バッテリーの開発に成功してお陰様で株価も上がり、このたび、欧州一というバッテリー工場を立ち上げる運びとなりました。いつの間にやら、政界にも顔がきくようになりましてね。仕事は楽しいし、家族は私の宝ですわ。私、最近はやりの多様性って言うんですか、それにも配慮して、アフリカ系、アジア系、それぞれ一人ずつの養女を育てています。実の娘はもう13歳になりました。最近、その娘が私の趣味に興味を持ち始めましてね。え、どんな趣味かって? 狩猟を少々……
と(ドイツ語で)語る大富豪のアモン•マイナート氏の狩猟の標的はなんと人間。明るく美しい風景を背景に人が淡々と狩られてゆきます。彼の邸宅や街の様子は清潔感があふれ、未来都市か、パラレル•ワールド下の別世界の都市のようです。そして、さすが音楽の都ウィーンを首都に擁するオーストリアの作品、締めにヨハン•シュトラウスのワルツなんぞが流れてきて、はて、今日はいったい何を見たのだろうか、という気分になります。そんな感じのブラックユーモアあふれる不条理ホラー、私はそんなに嫌いじゃないです。これでもか、これでもかと迫ってくる『サブスタンス』なんかより、現代社会の怖さみたいなものを極端な形にして淡々としかも美しく見せてくれる こっちのほうが好みです。こういうの、日本でリメイクしてくれないかな。邦画のイメージを変える画期的な一作になると思うのですが。でも、韓国に先を越されそう……
Labeling
個性爆発なタイトルと上級国民の殺戮というところに惹かれての鑑賞。
序盤からいきなり衝撃的な持っていき方をしたのでかなり期待値が上がったんですが、その後の展開の盛り上がりのなさ、観たいと思っていたものとのズレが半端じゃなくイマイチ乗り切れなかったです。
突然どこからともなく撃たれるというスリルの表現は良かったですし、シチュエーション的に有り得んやろというところも使用人が優秀だからなんとかなるという強引な感じも憎めない良さがありました。
貧富の差というところを誇大表現として描いているのは分かるんですが、どうにもやりすぎな狩りの描写だったり、認知のズレだったりにのめり込めず、正直それらに対する庶民からのカウンターも多少欲しかったんですがそこんとこも無くてただただ消化不良になってしまっていたのも残念でした。
めっちゃ金持ちだからなんでも許される、警察や政治家なんかも丸め込んでしまえばOK、疑いをかけられたら塗り替えてしまえばいい、クソみたいな考えの連発で楽しむことはできませんでした。
娘が使用人を殺してしまった時なんか今作の悪い部分がバーっと出てしまったようにしか思えず、娘は余裕な表情をしながら使用人を撃ち殺しますし、それで捕まっても13歳だから刑事責任は問えないといって釈放されますし、それに対して父親が慌てふためいており、自分がやったんやで!という完全な虚偽発言をやってており、それはそれで別件で捕まらないの?となってしまったりとなんかご都合がまかり通っているなと思って冷めてしまいました。
クズすぎる父親以上にクズな娘にはそれはそれは大層な殺意を抱きました。
反則にしても犯罪をしてみても自分を肯定する意見しか述べないし、家族やその周りの人物への認知もどこか解釈違いですし、ラストシーンなんかもうクソアマすぎてスクリーンに向かってライフルぶっ放したいくらいには不快オブ不快でした。
だからといって今作の彼女の魅力的な部分にはなっていない気もしたので早いところ痛い目に遭って欲しいです。
全体的にシュールさの目立つ作品が故に高鳴りそうなところでグッと抑えつけられるの繰り返しで盛り上がれず、妙にダラダラ進むのもあって86分の作品とは思えないくらい長く感じてしまいました。
あと致命的なのは音楽で、既存の楽曲に何故か合いの手を入れているんですがこれが強烈に不快でした。
妙に鼻につくというか、不協和音というか、どういう意図を持ってこれを埋め込んだのかがさっぱり分からないです。
無いとは思いますが、続編があるのならばこの一家や関係者たちを残されたものたちがギッタギタにして血祭りにあげるものが見たいので誰かクラファンしてください。
そうじゃないとあの娘を許せないんです(怒)
鑑賞日 6/11
鑑賞時間 14:50〜16:20
黒澤っぽい
シュール 胸クソ A24っぽい
モノローグが悪意無き非道と鬼畜に満ちていて印象的
最初から最後まで気分が悪くなる映画でしたが、面白かったです。
度々入ってくる主人公のモノローグが、悪意無き非道と鬼畜に満ちていて、とても印象的。
醜悪な近未来が描かれているようではあるけれど、まるで現実の世界のパラレルワールドのようにも見える。
19世紀の古風な貴族の生活にも思える主人公一家の生活の優雅さと、残虐な殺戮の対比が凄まじいです。
ハイ、分かって観に行ったけど 今年一番の胸糞映画頂きましたー。 世...
モーツァルト、ピケティ、ポルシェ、弾倉
残虐な内容なのに、思い出すのは明るい景色
雨の降る中、朝一番の上映回を鑑賞。
明るい景色(暖かな陽射しと緑の森、真っ白な邸宅)が印象に残る映画でした。
そのため今日は晴れだったと錯覚するくらいです。
でも、この映画は金持ちが殺人を楽しむ残虐な物語です。
被害者を延々と痛めつける描写が続く映画「ファニーゲーム」とは異なり、
狙撃殺人の描写は淡泊で、突然銃声がして被害者があっさり倒れるだけでした。
殺人者であるはずの主人公が、銃を撃つシーンも構えるシーンもありません。
射殺した直後も、主人公は普段通りの様子で、その場を通りかかるだけのように去っていき、被害者には何の興味も無い様で一瞥もくれません。
被害者の様子も淡泊で、カメラが寄っても苦悶の表情や大量の出血等、悲惨さを感じさせる描写がほぼありません。
それらの淡泊な描写のせいか、本来は胸糞悪い行為にもあまり衝撃を感じず、物語も常に穏やかな陽光の中で進んでいき、家族を思いやる主人公や幼い養女達の楽し気な笑顔のせいで、観終わった後に思い出してもなぜか明るく優雅なイメージが強く残っています。
終盤、私の予想を超えた展開に、これまでの殺人描写の淡泊さは、このためだったか!
と妙に納得しましたが、結局タイトル通りに金と権力を持った悪人が勝利する結末なので、モヤモヤしたまま劇場を後にしました。
予想するストーリーを全て裏切る展開・今回・超難解(トホホ)
「ポク・ポク・ポク」木魚を叩くみたいな音や「フッフーン♪」みたいなコーラスが聞こえるとシーンが切り替わる。
そうか、演劇の舞台のように、音を合図に暗転・明転するのだな!と、それはそれでテンポよく観られたのだが、大臣が登場し、会社の吸収合併あたりから頭の中に「?」マークが行列を作り始め、ポッカーンと半開きの口のままエンディングを迎えてしまった。
この感覚はやはり舞台鑑賞後のあれだ。しかも制作側の高尚な発想に自分の理解力が追い付かない時の奴だ。
という訳で、敗北感満載で、しょんぼりとスクリーンを後にしたのでした。
それにしても動機の無い狩り(殺人)や、その売り上げ分の利益を得るためにどれほど苦労しなければいけないかを想像できないで行う万引きなどには全く理解できず、そんな上級民でもなければおべっか遣いにもならず平々凡々と暮らしてきた自分を褒めたくなりました。
話しは作品から逸れますが、上映中(予告編上映中も)ずぅっとメモを片手に、熱心に何かを書き込みながら鑑賞している方を初めて目にしました。
映画への向き合い方って様々なんだなぁと改めて感じました。
絵空事ではない
❶相性:下。
❷時代:
現代。
❸舞台:
オーストリア。
❹要旨:
①物語は13歳の娘パウラのナレーションで、タイトルの3つのパートに区分して進行する。
「Veni:我来たり」
「Vidi:我見たり」
「Vici:我勝利せり」
②主人公は、パウラの父アモン・マイナート。起業家とし成功し、巨万の富を築いた。最近でも、ヨーロッパ最大のバッテリー工場が完成して、政府高官他のセレブがお祝いに駆けつけている。広大な敷地の大豪邸で、家族や使用人と共に幸福で充実した人生を送っている。
③アモンの趣味は「人間狩り」。獣を撃つように、サイクリストや若いカップルたちを、猟銃で射殺していく。死体は執事が処理する。事件は連続狙撃事件としてマスコミを賑わすが、捜査は進展しない。目撃者が名乗り出ても無視される。理由は、莫大な財力を持つアモンが政治家たちを支配下に置いているためである。敏腕弁護士の妻ヴィクトリアは、事件を合法的に処理していく。
④パウラは次第に父親の感化を受け、自分も「人間狩り」を楽しむようになる。
⑤もやは、アモン一家に歯向かうものはいない。
❺まとめ
①この種の反社会的な映画は、全く肌に合わない。強い嫌悪感を持って観ているうちに気が付いた。本作は反面教師なのだと。
②アメリカのトランプ大統領のように現実にもこれに近い状況がある。本作は絵空事ではないのだ。
③莫大な財力を持つと、政治家を支配下に置き、更には、自身が国家権力者になろうとする。
④富める者はますます富み、 貧しき者はますます貧しくなる構図である。
⑤本作はそんな世界にしないようにするための警鐘と思う。
❻トリビア:Veni Vidi Vici
①「Veni Vidi Vici」(ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー)とは、ラテン語で、「来た、見た、勝った」という意味(Wikipedia)。
②ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、紀元前47年のゼラの戦い(カエサル率いる共和政ローマ軍とファルナケス2世率いるポントス王国との戦い)の勝利を報告する際に使ったとされる言葉で、その簡潔さから広く知られている。
③この言葉を初めて知ったのが、『クレオパトラ(1963)』(監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ。出演:エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、レックス・ハリソン)。
上映時間 192分、製作費4400万ドル(現貨換算で3億ドル以上)、製作期間4年の超大作だが、空前の製作費を回収出来ず製作会社の20世紀フォックスを経営危機的状況に陥れた。
④映画雑誌「映画の友」(編集長:淀川長治)に、この作品のこぼれ話として記載されていた。記憶力が貧弱な小生だが、この記憶は今でも鮮明だ。
25-072
どう観たらよいものか
どこの国でも突き抜けた大富豪は、何をしても許されてしまう。
登場人物ほぼ全員すごく気持ち悪い。マイナート自身は善悪の判断がついた上での所業だけど、妻が心底気持ち悪い。出血した時ちょっとザマァと思ったけどチッ。
パウラはすでにマイナートを凌駕するモンスターだなぁ。
せめて何かひとつだけでもバチが当たればよかったけど、どんなに頑張っても無駄ですよといわんばかりの、まったくスッキリしない胸糞映画。
まあ最近のニュース見れば、まあそんなもんだよねって感じ。
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