ヴァタ 箱あるいは体のレビュー・感想・評価
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「箱あるいは体」とは
「ヴァタ」とはマダガスカル語で「箱」あるいは「体」を指すらしい。
日本人監督がマダガスカルでマダガスカルのキャスト&スタッフで映画を撮るという非常に珍しい映画。30名近いクルー&キャストの中で、日本人スタッフは監督を含むたったの4人。撮影中もクルーが失踪したり寄生虫にたかられたり、山賊の襲撃があったりなど、制作過程だけで1本のドキュメンタリー映画として成り立ちそうなほど波瀾万丈だったようだ(詳しくはパンフレット参照)
6年前に出稼ぎ先の村で亡くなったタンテリの姉ニリナの骨を持ち帰って埋葬するため、まだローティーンのタンテリの付き添いに、楽器が上手いスルとザカ(この二人はチャラ男ポジション?)、さらに2人だけでは頼りないと司祭が道になれている離れ小屋の親父を案内につけてくれる。
サミーが骨を持ち帰るのに慣れていると言うことはそれだけ身内を弔った経験があると言うことだ。サミーが普段口少なくどこか虚空を見つめるようにぼうっとしているのも家族を失ったとあれば頷ける。
目的の村への道は徒歩で2~3日と、現代日本では考えられないほど手間がかかる。現地で埋葬しちゃダメなのかと思ってしまいそうだが、故郷の村にきちんと埋葬することで死者は「祖先」になれるという教えに基づくらしい。埋葬によってさまよっている死者の魂が安らかになるという死生観はどこか日本人にも通じるところがあるかもしれない。
たどり着いた村で姉を実の家族のように懐かしんで話し、家畜を捌いたごちそうで旅人4人をもてなす村人達。最後に会ったのが数年前なのでタンテリたちにとっては顔も忘れかけていたニリナが、その村で確かに生きていたことが実感できる。使者を弔うのは生者のためにも必要な儀式なのだと改めて思う。
帰りの旅路で、スルが謎の3つの影に遭遇。どうやら影は一行についてきているようだ。その後一行は離れ小屋の親父のかつての音楽仲間であり、ヴァイオリンのような楽器が上手いタバコ売りのレマニンジと出会う。彼は目的があって長い旅を続けていたらしい。レマニンジの旅の理由を聞いて3人は3つの影の正体を知ることになる・・・。
現地キャストは演技のプロではないため演技は荒削りだが、それぞれ実際のミュージシャンやダンサーであるので役作りに嘘がなく、ラストの長い演奏とダンスのシーンは圧巻である。
楽器は箱で記憶が詰まっている。使者の魂ともその箱を通じて出会えるという考えが素敵だ。
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