「常に冷静さを忘れないこと」マミー 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
常に冷静さを忘れないこと
1998年7月に起こった和歌山毒物カレー事件の検証をしたドキュメンタリーでした。地元の夏祭りで出されたカレーを食べた人たちがヒ素中毒を起こし、4人の方が亡くなったのをはじめ、多くの方が中毒になった衝撃的な事件であり、恐らく40代以上の人の多くは、今でも鮮明に記憶しているのではないかと思います。特にカレーに毒を入れたとして逮捕され、その後死刑判決が確定した林眞須美死刑囚は、連日のようにテレビや新聞、週刊誌に取り上げられました。彼女が世間の耳目を集めたのは、4人の方が亡くなり、何十人もがヒ素中毒になるという事件そのものの重大性もさることながら、自宅に取材で押し掛けた報道陣にホースで水を掛けた映像が非常に印象的だったことや、夫をはじめ複数の周囲の人にヒ素を飲ませ、保険金を詐取していたことが報道されたことが大いに影響していると思われます。
で、26年の時を経てこの事件を振り返り、裁判記録を検証したのが本作だった訳ですが、実に衝撃的な内容で、驚いてしまいました。まずは死刑判決が出た根拠となる証拠に、かなり重大な疑義が複数あるということ。
一つ目の疑義は、目撃証言がかなり曖昧で、当初隣家の1階部分から林眞須美死刑囚がカレーの鍋の蓋を開けた姿を目撃したという証言が、途中から2階から目撃したことに変わっていたこと。しかもカレーの鍋はヒ素が入っていたものと入っていないものの2つあったものの、蓋を開けていたのは毒が入っていない方の鍋だったというのだから、これが証拠として採用されること自体極めて不自然と思われました。
二つ目の疑義は、ヒ素の鑑定について。ヒ素はその産地により様々な成分が混入しているそうですが、犯行に使われたヒ素が、林家に保管されていた農薬用のヒ素と一致したという鑑定が、実は全く科学的ではないのではないかという専門家の証言が出て来ました。”SPring-8”という当時最先端の大型機器を用いて分析したヒ素でしたが、一つには産地が同じだったとしても、その類いのヒ素は汎用品であり、唯一無二のものではないとのことで、傍証になら使えるかも知れませんが、決定的な証拠として採用するには弱いのではないかと感じられました。
また、決定的に疑問なのが、死刑判決まで出た裁判でありながら、結局犯行動機が解明されなかったことも実に奇妙な点。林眞須美死刑囚の夫である林健治氏が主導して、保険金詐欺を働いていたことは、本作中でも健治氏自身が話をしていました。保険金詐欺は当然犯罪ではありますが、それがカレーにヒ素を入れる動機にはなり得ません。何せ亡くなった方に保険を掛けている訳ではないのですから。
以上、改めて本作を通じてこの歴史に残るほどの重大事件及びその裁判を振り返ってみると、林眞須美死刑囚は実は冤罪なのではないか、少なくとも裁判手続きとして、極めて問題があるのではないかと感じたところです。
全体の流れとしては、「正義の行方」と軌を一にする部分が多く、衝撃的な事件発生と、その後のセンセーショナルな報道、最新の”科学的鑑定”(「正義の行方」の時はDNA鑑定でした)による”決定的証拠”の存在など、驚くほどに両者には共通項がありました。
この2作品から得られるものがあるとすれば、センセーショナルな報道や言説を鵜呑みにせず、一定程度の理性を持って物事を見つめる冷静さを常に持つべきだろうということでしょうか。いずれにしても、非常に興味深い作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。