「無理矢理ケリをつけるための誤った子育て」室井慎次 生き続ける者 アラ古希さんの映画レビュー(感想・評価)
無理矢理ケリをつけるための誤った子育て
「踊るプロジェクト」と称される二部構成の室井慎次を主人公にしたスピンオフ作品の後編である。青島との約束を果たせないまま定年を前に警察を退職して、郷里の秋田の田舎に隠遁生活を始めた室井は、犯罪被害者の救済の役に立ちたいと、タカとリクという2人の男児の里親として暮らしている。そこにかつて湾岸所を占拠した猟奇殺人犯・日向真奈美の娘だという少女・日向杏が現れて平穏が乱され始めるというのが前編の流れだった。
後半である本作では、前作の簡単な復習から始まるが、全く前作を見ていない人には不十分な復習であるので、やはり前作を見た人前提に作ってある。映画はどんな作品でも、それのみで完結しているのが理想であるというポリシーもあるが、その意味ではこの作品は全く独立作品としては成立していない。
前作でも感じたのだが、この映画の中の室井は、かつての踊るシリーズの室井とは結びつけるのが困難なほどキャラクターが変わってしまっている。いつも額に皺を寄せて顰めっ面をしていて無口だが、正義感だけは揺るぎないのが室井という男だったはずである。本作の室井は、特に里子の二人には人懐こくよく喋るし、顰めっ面もしていない。猟銃の管理は非常に厳しいはずだが、呆れるほど緩くて、おまけに犯罪行為に目を瞑っている。これのどこが室井なのかと面食らってしまう。
この映画でテーマになっているのは親子の愛情と信頼関係だと思うが、刑務所から出所したリクの父親との比較で親としての理想像を見せたいらしい。しかし、この映画で室井が行っている子育ては間違いだと個人的に思う。
子供は未熟なため、自分の周りしか見えず、その中から都合の良い情報だけを拾って行動する生き物である。大人に比べて視野は非常に狭く、倫理や社会的ルールを軽視しがちである。従って、子供が良くない行動を起こした場合には、親は叱らなければならないのだが、現在の世の中には「叱る」を「怒る」と勘違いしている大人が多い。子供が行った行動のどこが何故いけなかったのかを子供にも分かるように言葉で説明して、二度と繰り返さないように教えることが「叱る」であって、これは場合によっては長い時間を要する行為であって、簡単には済ませられず、また怒気を含まずに行うべきことである。
それを親が自分の腹の虫が治らないからと大声で怒鳴ったり、時には体罰に及ぶような行為は、「叱る」ではなくて「怒る」であって、子供はよく理解する余裕もなく、ただひたすら怒気をかわすためにわかったフリをするだけで、実際には何が悪かったのか全く理解できていないために同じことを繰り返してしまう。「叱る」はこどもの成長のために行う行為であるが、「怒る」は親が自分の腹の虫のためにやってるに過ぎない。短時間で済ませたい親の都合で行われるものに過ぎず、リクの父親が典型的なこれだった。
では室井はどうなのかというと、これまた叱ることなく抱擁するだけである。愛情を示す必要はあるが、叱っていないので、子供は何が悪かったのかを自分で探らなくてはならない羽目になる。子供を信用して自分で気付くまで待つという姿勢なのかも知れないが、そのために自分の資産を燃やされたり、他人を非行に走らせるようなことを言ったりするのを放ったらかしにするというのでは、とんでもない忍耐と経費を必要とすることになり、到底一般人にはできない話である。そもそも、里親として信頼を獲得する努力を室井は何もしていないようにしか見えない。
良くできたことは褒め、良くないことをした場合には叱る。この両方がきちんと揃っていて子供を育てられるはずである。この映画の中の室井の子育ては、まるで「右の頬を叩かれたら左も差し出せ」という宗教的な異様なものにしか見えないのである。こういう育て方ができなければ里親になれないとでも言いたいのであれば、成り手がいなくなってしまうはずである。
前作の冒頭で発生する死体遺棄事件の結末も唐突だったし、集落内での軋轢も簡単に解決してしまっていて拍子抜けである。タカの恋愛話は何のために必要だったのか?極め付けは、あれほど賢かった秋田犬が突然行方不明になるという強引な展開とその結果である。どうにも腑に落ちないものを感じてしまう。
柳葉敏郎は、「踊る」シリーズが始まって室井を演じ始めた頃、プロデューサーに降板を申し出たことがあったらしい。無口で顰めっ面だけしている役など何も難しくないので辞めさせて欲しいという主張だったそうである。プロデューサーや脚本家は、この申し出を重く受け止めて今回の室生像を作ったのであろうが、見る側から言わせて貰えばこれは室井ではない。強引なオチの付け方も何だかなである。
「踊る」のテーマ曲が結局一度も流れなかったのが違和感に拍車をかけた。最後に登場するあの人物も取って付けたようで、本編と何の関係もないのが痛々しかった。このオチの付け方に納得できない人は多いと思う。役者の希望したケリの付け方を視聴者に押し付けただけだったのではないのか?
(映像5+脚本1+役者3+音楽3+演出4)×4= 64 点。