聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
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77点ぐらい。良かった。
緊張感が続いて引き込まれて観てたけど、少ーしだけダレた167分。
体感的には、そこまで長さは感じなかったけど。
終わったあと調べて分かったのが、実際の事件がベースになっていること。
2022年イランにて、マフサ・アミニさんがヒジャブの付け方が悪いと逮捕されたあと死亡し、イラン政府へのデモに発展、このデモは海外にまで広がった。
全然、知らなかったです。
実際のデモの映像やマフサ・アミニさん本人の写真も使われてます。
イラン政府とデモ隊の衝突は、韓国の光州事件や中国の天安門事件を思い出しました。
監督はイラン政府を批判したとして実刑判決を受け、他国へ亡命し、カンヌ国際映画祭では12分間に及ぶスタンディングオベーションを受けたらしい。
評価は厳しめで、75~80点の間で77点ぐらい、星だと3.5~4の間で3.5で。
もう1回観ようかな…
政治的映画とみるかサスペンス映画とみるか。
衝撃作
信仰と国家への忠誠を重んじる父、家族の絆を重んじる母、正しさを追い求める姉妹を通して、イランの政治体制に対する批判を克明に描いた良作ではあった。
イラン政府の目に余る政治体制の独裁っぷりには驚嘆と怒りを感じた。あんな暴力がまかり通って良いはずがないし、それに準ずる父の仕事も全くもって褒められたものじゃない。神への信仰から善悪の区別がつかず、次第に過激になっていく父の行動に、政教一致の怖さが表されていて感心させられた。
妹の行動は流石に訳がわからないし、父が憤怒する気持ちも理解できる。本人曰く、母が常に父に従わされているという構図を覆すことが動機だとしていた。これは、父をイラン政府、母を国民に置き換えて、国民を暴力で(父は母に対して暴力を振るっていないが)支配する政府からその手段を取り上げることを比喩として示したかったんだと感じた。それを踏まえて考えると、どうしても個人の間でのやり取りに置き換えてしまっては不自然だと思う。父は銃を、母を従わせるための手段としては使っていないし、銃を隠したところで何の問題も解決しない。それどころか、銃の紛失によって立場が危ぶまれる父が怒るのも無理ない。その後の父の行動はどう考えても擁護できたものじゃないが、自身の行動のせいで母や姉が酷い目にあっていることを妹はもっと自覚したほうがいいと思った。
身近な場所からの権威主義の崩壊
預言者『ムハンマド』が、
その下で啓示を受けたと伝えられていることから、
イスラム教では、無花果は聖なる木とされているらしい。
とは言え、本作の冒頭で示される一節は、
聖なる無花果の種が発芽し、
主となる木を巻き込んで成長
やがては主木を滅すというもの。
これはなんの寓意を示しているのだろうか。
2022年9月にクルド人女性の『マフサ・アミニ』が
へジャブの着け方を理由にテヘランで道徳警察に逮捕され、
まもなく勾留施設で意識不明に陥り、
三日後に病院で死亡した事件がコトの発端。
その後、イラン全土で、主に女性による
大規模な反政府デモが発生。
彼女たちはスカーフに火をつけて抗議の意を示した。
この一連の抗議と政府による弾圧の映像は
SNSにアップされ拡散、
本作でも使われている。
そこに映っているのは、
市民に対し散弾銃を水平射する治安部隊。
たとえ暴徒相手でも、
同胞に銃口を向けるのは躊躇いがあるものではないか。
それを何の迷いも無く行うことに戦慄を覚える。
テヘランで妻娘と暮らす『イマン』は長年の貢献が認められ
裁判所の調査官へ昇進。
給与も増え官舎も与えられ、
ゆくゆくは判事への昇格も見えて来た。
その一方、官に属することで
市民からは怨嗟の目を向けられ、
いつ報復を受けてもおかしくはない。
護身用にと支給された拳銃が、
ある日家の中で消えてしまう。
家探しをしても見つからず、
彼は妻と二人の娘に疑いの目を向ける。
貞淑な妻は二十年以上も献身的に夫に尽くしている。
一方の娘たちは女性が抑圧される国の情勢を不満に思っている。
三人とも、銃の行方は知らないと頑なに否定する。
そんな中、『イマン』の個人情報がネット上にアップされたことで、
彼は家族ともども身を隠す決断をするのだが、
次第に精神的に追い詰められていく。
〔シャイニング(1980年)〕を思わせる
「狂気に囚われた夫/父親」の構図がここでも現出する。
霊に取り憑かれた訳でもないに、
家族に対しての執拗な行為は
傍目でも異常な上に、目的すら判然としない。
やがて悲劇的な結末を迎えるも、
これは最小単位である家族に仮託し、
国の行く末を描いて見せたのではないか。
身内に刃を向けることの
普遍的な帰結を提示したものと受け取る。
三時間近い長尺も、序破急の流れが巧みで
冗長さは感じない。
制作上の制約もあろう、
登場人物も過少、
舞台となる場所も少ないことが
却って濃密な空気を生み、
観ていて息苦しくなるほど。
銃が消えた理由付けは
やや弱い気もするが、
この国に住まう女性の代弁としては成立する。
三界に家無しの状態を目の当たりにし、
国家とは宗教とはを
改めて考えずにはいられない。
抑圧
家族で何しとんの!?
体制側についた家族の苦悩であるなら、サスペンス入れずそれを中心で描けばよかったのに。
●友達じゃなくて、娘がはっきりと反体制側についていた方がわかりやすかったと思う。
家族のためにやっていることが父の苦悩になり、犯罪者となった娘をそれでも守りたい…など?
●銃は雑音でしかない。そもそもなんで銃を盗んだかもいまいちわからない。
そんな親子で銃を突きつけ合うようなことか?変なサスペンスが始まったあたりで
うんざり…。
●実際のスマホ画像を半端に挿入するくらいなら、前編ドキュメンタリーでいい。すごくダサく感じる。
ドラマの方法論を間違ったと思う。
タイトルなし(ネタバレ)
前半の社会派の展開から後半一転してカーチェイスからの『シャイニング』的展開になるのは驚いた。監督はキューブリック好きだとみた。前半パートがちょっと長く感じたが今思うと後半への振りだったんだろうな。
途中出てくる男女2人組が以前あおり運転で話題になった人達みたいで笑いそうになってしまった。
25-026
父親
が悪いみたいになってるけど、そうなんでしょうか?確かに子供や母親を監禁したりするのは行き過ぎだけど、判事を目指して邁進して、管理が悪かったとは言え貸与された銃を隠せれて、あれだけ困っているのに出さない娘もどうかと思う。世相や時代もあるでしょうけど、親子でキチンと話せればこんな問題も起こらなかったかも。もちろん死ぬことも。
体制の崩壊と価値観の転換。その先に何があるのか?
『聖なるイチジクの種』は、国家の抑圧と家族内の権力構造を重ねながら、価値観が揺らぐ瞬間 を映し出した映画だった。
前半は、イスラム神権政治のもとで立ち上がる若者たち。特に女性たちがヒジャブを脱ぎ捨て、自由を求める姿が印象的だった。
後半は、国家の縮図としての家族。家父長制の中で権威を持っていた父が、もはやその役割を果たせなくなっていく様子 が描かれる。
「国家 vs 国民」「父 vs 家族」—— 同じ構造が二重に繰り返され、崩壊へと向かう。
主人公のイマン(父)は、自分の信じていた正義が崩れ、家族にも見放される中で、
「それでも自分は正しかったのだ」と信じ込むしかなくなる。
この心理描写が痛々しく、抑圧する側もまたシステムの犠牲者であることを突きつけられた。
そして女性たちは、古い価値観の束縛から抜け出していく。
この映画は単なる政治批判ではなく、価値観が大きくシフトする時代の変化を映した作品 だったと思う。
「正義とは何か?」「自由とは何か?」
この問いを観客に突きつけながら、映画は静かに、しかし確実に未来への種を蒔いていた。
あちこちに巡らす思いが止まらなくなる作品
2023年4月16日に鑑賞した『聖地には蜘蛛が巣を張る』ぶりのイランを舞台にした映画。前作はデンマーク映画、そして本作はドイツ/フランス映画として公開されたが、イラン映画とならないところにイランの抱える問題が見え隠れするのだが、両方とも良質なクライム・サスペンスだ。
2022年9月にヒジャーブ(ヴェール)のかぶり方が不適切だとして、マフサ・アミニさんが逮捕され、拘束中に死亡したことを受けて各地で抗議運動(「女性·命·自由」運動)が起きたことが、本作制作のキッカケだそうだが、デモ抗議の場面で聞こえてくるセリフに(政権打倒ではなく)「神権政治打倒!」というシュプレヒコールを聞きながら、神権政治というものは、神による権威を笠に着て人間による批判を封じるメカニズムなのだなと改めて感じた。
神の名のもとに人々が弾圧され、殺される社会で、人々は疑心暗鬼になり、家族の絆でさえ壊れていく。実際の市民が撮影したのであろうスマホの動画が多用されることで弾圧の様子が生々しく描かれる。
家父長制の権威を守りたい側とそれを切り崩したい側の対立という国家全体の問題を一つの家族の中に集約させることで、より「自分ごと」として捉えやすくなっている。
だから、我々もそれを対岸の火事だとおっとりと構えている訳にはいかない。
かつて存在していた「隣組」という相互監視制度が、現在ではSNSによる相互監視制度(一般市民の〈自発的な〉行動によって)が築かれてはいないか?同調圧力によって為政者の思う方向に流されてはいないか?そもそも家父長制をこの国の伝統だと主張し続けている集団が大きな力を持っているのではないのか?
そして、難民は犯罪者だから祖国に追い返せと声高に叫ぶ人々がSNSの中にもいるが、ここで描かれているような事実があることが想像できているのだろうか?あんな目に遭いながら国に対して従順でいることが強いられていることを是とするのか?そんな国家に異を唱えるだけで犯罪者として扱われることが思いつかないのは、あまりに想像力が欠如していないか?
とにかくあちこちに巡らす思いが止まらなくなる作品だ。
イランの女性たちの悲痛な叫び
イランの首都テヘランで22歳の女性がヒジャブ(スカーフ)のかぶり方が適切でないとして風紀警察に拘束され、3日後に死亡した事件を導線にイラン(イスラム教を中心とした)社会への女性による抵抗を描いた作品である。
イランでは恐らくエリートの部類に入るであろう予審判事である主人公はイラン男性の象徴として描かれる。国に忠誠を誓い、体制を守るために意に沿わない判決にも同意することで家族を養い、社会的地位を獲得してきた体制側の人間である。
一方で夫を支え、家族の生活を守るために面倒なことには関わりたくないと願う妻はイラン女性の象徴でもある。
そんな家族の生活に、上記事件に対するデモで負傷した娘の友人が転がり込んだことで、家族の間に不穏な空気が流れ込む。
長女の体制批判に対し、主人公は「私たちが国を守っているお陰で、いい家に住めるし、金もある。何が不満なんだ」と自らの正当性を疑わない。
新世代(主に虐げられてきた女性)と旧世代の対立である。
そして起こる「拳銃紛失」事件。
この事件を通して、保身に走る主人公と反発を強める娘たちの対立の構図がより強烈の描かれ、最後まで暴力で問題を解決しようとする男性(主人公)に対して放たれる一発の弾丸は暴力による支配の終焉を願う製作陣及びイランの女性たちの悲痛な叫びなのだ。
呑気なファミリー
イランの司法の調査官となり、護身のために銃を所持するようになった男が、自宅で銃を紛失し家族がごたつく話。
2人の娘には仕事を明かさず20年当局に勤めてきた男が出世して、身辺に注意する必要が生じたことで娘たちに告げて始まっていくストーリー。
圧政への不満から抗議活動や暴動が頻発する中、SNS世代の娘たちも警察や軍の暴力が報道されないことに対する疑問を抱くようになっていくけれど…。
信仰や国柄の違いはあれど、国のあり方に妄信的な父親に、そんな父親に依存しまくりの母親に、そして自己主張は一人前の娘たちに…。
誰が盗んだ?が暫く続くけれど、銃を紛失するということの大きさが3人ともイマイチ理解できていないし、身バレに関しても、その時になってもちゃんとわかっているのか???
買って買って母ちゃんもさることながら、長女は21歳、次女も高校生ぐらいの設定よね?そして銃構えて何したいんだ?
宗教的背景とか政治的背景とか、そういうことを考えたら、この国でこの内容はなかなかのものなんだろうけれど、終盤の鬼ごっこがどうもしっくりこなくて、しかもそれが結構長くてもったいなかった。
イランの現実を皮肉ったコメディ?
我々が報道でしか知らないイランを内側から見ることができたのは新鮮で非常に興味深かった。
構成が良くできており、話が進むにつれ、特に拳銃がなくなってしまったことをきっかけに家族それぞれに対する見方が逆転してく。
そして家族がそのまま今のイランという国の縮図になっているところが面白い。
厳格で常に正しく信仰に忠実であろうとし、司法に携わる仕事をしている父親はいつしかデモ参加者を検討もせず罰するようになり、家族の間違った行動を正そうと我を失い制御不能となる。
夫や体制を盲目的に信じる保守派の代表のような「わかってない」母親は、子どもの友人を助けるために奔走し、夫が狂い出すと身を挺して子ども達を守ろうとする。
わがままな現代っ子の様に見えた娘たちは、報道規制されたテレビのニュースなどいっさい信じず、SNSのリアルな動画を見て自国の異常さやそれを当たり前の様に受け入れる両親を実は冷静に見ていた。
イラン出身の監督の目線はこの娘たちであり、多くの国民が祖国のため、または信仰のためと信じて疑わずに行っていることが、実はたくさんの人を傷つけ、不幸にしているという様を滑稽で皮肉たっぷりなコメディとして仕上げており(私にはそう見えました・・・)、かなり面白く観ることが出来た。
本当に尺が長過ぎて途中で飽きてしまうのだが、命懸けの撮影をした監督、役者、スタッフらに敬意を感じながらありがたく鑑賞させていただいた。
期待度◎鑑賞後の満足度⭐ 鑑賞後に受けた(鑑賞中もだけど)衝撃度のヤバさで云えば『旅芸人の記録』以来かも知れない。政治・体制・宗教・人間・家族をこんなにもクロスオーバーさせた映画も珍しい。
全113件中、81~100件目を表示