聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
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家父長制の成れの果て
イランで暮らす一組の家族に起きた、ある事件。それは社会背景だったり、父の昇進だったり、これまでの家族生活の積み重ねだったり、信仰であったり。様々な要因が絡み合っての結末だったのかな…辛い。
日本でも少し前まで当たり前だった“父親が絶対”という家族の価値観。本作の母親は、画面に映っている間、ずっと働いているのが強烈に印象に残っています。朝から晩まで家事をして、子どもの世話をして、旦那さんの帰りを待ってから寝る。特に感謝もされず、当たり前のこととして受け取られる。個人的にはこの母親に一番感情移入が出来たと同時に、胸が苦しくなりました。
一方で娘2人は、とにかくもう…いい加減にしてくれ…とずっと思っていた…。特にお姉ちゃん…。
物凄い覚悟をもって制作された本作、色々考えさせられると同時に、イランの現状や文化を知る機会になりました。
熱い思いが込められた映画
イランのある抗議行動とその弾圧を背景に崩壊していく家族を追った物語
音楽を使わずじっくり見せていくスタイルだから途中ウトウトしたけど、挿入される実際の映像には震え上がった
クライマックスはハラハラして最後はね・・・笑
撮影直後に亡命した監督の熱い思いが込められた映画
絞め殺しの木
私は好きな髪型や髪色にして、好きな色に爪を塗る自由を生まれたときからもっている。髪を布で隠すことを強要されたこともないし、髪を隠さなかったからといって殺される恐怖を味わったこともない。
映画の中でうつしだされる、作りものではないスマホ動画をみるのはとてもつらかったが、同時に、彼女たちのリアルな痛みを生まれたときから自由をもつ私は真に理解することなどできないのだろうな、とも思った。
高校生のとき、カラオケで「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」と屈託なく歌えていたことがどれだけ贅沢だったか。
一見おとうさんの機嫌をとることだけに終始しているおかあさんが、平和で円満な家庭の維持にどれだけ腐心していたか、それを思うととてもやるせない。
映画の冒頭で、イチジクは他の木に巻きついて養分を吸い上げる宿木みたいな説明があったので、少し検索してみたら『絞め殺しの木』とでてきて、ちょっと暗澹たる気持ちになりました。
神とはなんぞや?
たかがヒジャブで命を落とす無念が今も
イランの政権から目を付けられ、それこそ命懸けで映画制作を続けるモハマド・ラスロフ監督が本作で取り上げるのは、たかか布切れ一枚で、家庭がズタズタに切り裂かれる現実を寓意的に描く。イスラムでは必須の要求で当たり前かもしれませんが、本作のセリフにも「ヒジャブ着けないだけであり得ない・・・」のセリフが登場するから、私の感覚も違ってはいない。
直接的には2022年9月19日のニュースに基づく。イランの首都テヘランで、マサ・アミニさん(22)は13日、頭髪を覆うスカーフを適切に着けていなかったとして道徳警察に逮捕された。目撃者によると、アミニさんは警察車両の中で殴られ、その後、意識不明に陥り、アミニさんは16日に亡くなった。この事件がきっかけで、実際に抗議行動が起きるも、徹底的に弾圧される。まさにこの抗議の模様の実際映像が本作にも挿入される。頭を撃ち抜かれた死体がそのまま画面に登場する衝撃。マサさんの面影もそのまま映し出される。
この悲劇が本作の中で取り入れられ、テレビ映像も当時のものをそのまま使い、登場人物が不安にかられる描写がポイント。道徳警察による検挙を受けて、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための国家の下働きをするのが公僕が本作の主役。禿げ頭なれど実直で、昇進も順当で大理石をふんだんに使用したコンドミニアムに何不自由なく住む。絵にかいたような妻と2人の美しい娘の4人の家庭が舞台となる。現状の暮らしを維持するためには国民の反感をかう政権に寄り添うしかない。当然に彼の仕事柄、活動家達から個人攻撃の対象となってしまう。これが本作のシチュエーション。その上で、役所から護身用の銃を貸与されるも、それが忽然となくなって・・さあ大変ってお話。
イランの政治をウィキから引用すると、憲法では同時にイスラム教シーア派を国教と定め、キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教の市民は被選挙権などを一部制限される二級市民として、バハイ教徒・無神論者などは、国内での生活自体を認められていない。政治と宗教が相いれない原則をつくづく思い知る。女性に対する制約もまた、私達の理解を超えた理不尽の域。本作は、それらを糾弾するのではなく、国家の仕組みを一家4人の関係性に落とし込んで描き、世界に知ってもらうのが役割。
急進的な思想に染まる2人の娘を非難しつつも、母として2人を包み込む包容力で理不尽をのみ込む母親が素晴らしい。法律だ宗教だの前に根源的な産みの母が最優先なのは、当然。父親の仕事は政権に近いため娘達にも何をしいてるのか秘密って凄さ。そうこうするうちに抗議デモに参加した娘の友人が血まみれとなって家に運び込まれ、国家の縮図が家庭にすっぽりとハメられる。国家の為はひいては神のために、紛失した銃をモチーフにして、妻及び娘を疑い出した段階から、温厚な父親が秘密警察さながらの恐怖政治に一変する。
緩やかな前半と比し、後半は別の映画化と思うようにトーンが異なってゆく。疑心暗鬼が何を産むのか、サスペンス色が増し、周囲の何気ない日常の視線が一挙に監視に見えてしまう不幸。カーチェイスをしてまで監視を逃れ、ついには家族内で銃を向け合う狂気にまで突き進む。母親の有り様との対比が強烈で、ジレンマの極致のままクライマックスへ突入してしまう。言うまでもなく実に不毛なまま絶望的地獄絵図となる。
もとより父親の苦悩は判るものの、娘を監禁までするのね。肝心の次女の心理が今一つ不明確なのが玉に傷、よけいに父親をエスカレートさせてしまっているとしか思えない。これまでいい暮らしが出来たのも誰のお陰と思っているのか? と世の父親の嘆きが聞こえてくる。
宗教は違えど、情報収集にテレビよりインターネットってところが痛く沁みます。ビデオカメラに封印された仲睦ましい一家の笑顔の映像が、悲劇を強調してしまう。どこからどう見ても人間の道を外れた現実をイチジクの種に例え、テヘラン市内を隠しカメラでロケーションの心意気を讃えるべきでしょう。アフガニスタンではもっと酷い状況とか。国際世論に訴えるしか術がない事を、理解したいものです。冬はともかく、クソ暑い日本の夏でもイスラムの女性は頭をすっぽりと覆っていらっしゃるのを見かける昨今。変えたい人々が多ければそれを受け入れ改革する柔軟性が試されている。
イランの女性問題のドキュメンタリーで前半は実話
上手い
イチジクの種を撒こう‼️
イチジクの種はワガママ、嘘、ジコチュー、独断、偏見といった鳥の糞に包まれて運ばれ、他の木にまとわりつくように大地に根を張る‼️判事に昇格した主人公は、報復の危険から身を守るための拳銃を支給される。ところがある日、その拳銃が消えてしまう。本人はもちろん妻、長女、次女を巻き込んでの疑惑合戦へ・・・‼️イランで行われる反政府デモを絡めて物語は進行‼️拳銃が見つからないとクビになり、懲役刑の恐れもあることから、主人公は苛立ち、ついには郷里への里帰りと見せかけ、妻、長女、次女を監禁し、自白させようとする‼️長女の友人がデモで負傷し、その友人に関わりたくない妻、友人を助けてくれない父や母に不満を募らせる長女、拳銃を探す過程で家族全員を疑わざるをえない主人公‼️中盤まではその心理戦みたいな描写が見事で、郷里での終盤では、自分たちを撮影しようとするカップルとカーチェイスしたり、キレた主人公が家族を追い回すホラー映画みたいになって、その緊迫したスリリングな演出はヒジョーに素晴らしいと思います‼️ただ、結局銃を盗んだのは次女で、主人公の家庭内における独裁者的な振る舞いに我慢できなかったみたいな動機らしいんですが、主人公の暴君ぶりを印象づける描写も無いため、イマイチしっくりこない‼️私的には家族のために一生懸命働いてる良き父親に見えたんですが‼️一日300人もの容疑者を扱い、疲労困憊となり、挙句に拳銃がなくなって失職と懲役の危機‼️誰だって気が狂いますよ‼️次女ももうチョットやり方があったはず‼️結局、ラストで父親を殺したことになってるんですから‼️私的には一人で家計を支え、家族のために身を粉にして働いてる父親を尊重すべきだと思う‼️それさえも凌駕するような父親の家族へのヒドい描写があったら話は別ですが‼️
映画で他国の内情を知る。
レバノンの実状を知る映画でした。
娘の反抗心、怖いです。
家族で裕福な良い生活を続けるか、女性の人権活動をして撃たれるか。
父親の職務を避難する方法は難しい。
猟犬の罪
家の中で消えた護身用の銃を巡り疑心暗鬼する家庭内サスペンススリラー。
映画の切り口は、体制派の猟犬のような仕事から脱却できそうな父とその家族の「家庭内」に焦点を当てているのが面白い。テヘランの情勢が緊迫するにつれ、家族内の不協和音が大きくなっていくのも観る者に伝わった。
そして、クライマックスに至る背景を存分に描けている点に評価したい。詳細は控えるが、家族が外部問題に対応する事で追い込まれていく描写が一つ一つ丁寧だ。更にこの映画を観れば遠いテヘランの状況はあんな感じだったのかと想像できた。
キーツールとしてスマホが大活躍だ。テヘランの若者においても、宗教的社会規範よりも家長の威厳よりも、SNSで流れてくる情報の方が真実のようだ。まさに御時世である。
ナイーブな話題ですが、映画としての切り口語り口はちゃんとエンタメ作品として成り立っているので、「聖なるイチジクの種」という監督の主旨をじっくり考えるも良し、純粋に、猟犬の罪を背負う父とその家族の疑心暗鬼サスペンススリラーとしてみるも良しだと思います。
聖なるイチジクの種(映画の記憶2025/2/21)
イランの社会変革を感じる作品。平和な日本だと考えられない世界線。たしかに保守的なイスラム世界だと上映厳しいw
キリスト圏や仏教圏だと意味不明な家族感だったりするから人によっては理解に苦しむ場面が多いかも。あとイランの暴動映像が多用されてて人によっては目を背けたくなるかも。
監督がこの作品きっかけでイラン政府から有罪喰らって、執行前に亡命したのも頷けるストーリー。
まぁ古い物はいずれ新しくなるわけだから未来の若者を抑えつける政治は良くないとも思う。少なくとも自分は若者に未来を見せられるおじさんでいたいw
若者から教わることも多いからね。爺になっても若者と会話できる人間になっていたい。
(個人的評価6点/10点中)
壊れ行く家族、壊れ行く国家
79年に起きたイラン革命により西洋文化を排除し厳格なイスラム国家となったイランは国民にイスラムの教えを徹底した。その象徴的なものが女性の髪を覆うヒジャブの着用だ。
すべての女性がヒジャブを着用することでイスラム支配が及んでいることを視覚的にアピールできる、すなわちヒジャブは国民すべてがイスラム支配を受け入れていることを内外にアピールできる便利な代物なのだ。だから政府は道徳警察を動員してまでヒジャブ着用を徹底した。その中で起きた不幸な事件、ヒジャブを正しく着用しなかったとして連行された女性が死亡する事件が起きたのだ。
今までも女性たちによるヒジャブ反対デモは小規模ながら起きてきたが、今回ばかりは国を揺るがすほどの大規模デモにまで発展する、不満を抱いていた女性だけではなく経済制裁で苦しむ国民をも巻き込んで。
79年の革命によって誕生した政権は皮肉にもその革命以来の大規模反政府運動に対して強権的に応じる。多くの拘束した市民をろくな審理もせずに見せしめに処刑した。またデモ制圧のために子供を含む多くの死傷者も出した。
あれから現在に至り革新派の大統領が就任しヒジャブ着用は以前ほど厳しく取り締まれることはなくなったが、いまだイランが政教一致の抑圧的神権政治であることに変わりはない。
もはやイランではZ世代を中心にイスラム教離れが進んでいる。留学に訪れた国々では厳格な宗教の教えなどなくてもその国の国民が幸せに暮らしている姿を目の当たりにしてイスラムへの懐疑心が生まれている。また何よりも若い世代は家父長制やら男尊女卑を内容とするコーランに拒否感を抱く。もはや西洋化は止められない、西洋化は自由平等を意味するからだ。イスラムによる強権的支配は長くは続かないだろう。
政府の公職に就くイマンの家庭は典型的なイランの家父長制の家庭だ。敬虔なムスリムである父親のイマン、夫である彼を支える妻は娘たちに父を敬うよう常に言い聞かせる。かつて日本のどこにでも見られた家庭の姿がそこにはあった。日本も戦前からの家父長制の名残が戦後しばらく続いた。
家長であるイマン自身が家父長制のイスラムの教えに縛られていることを象徴するシーンがある。浴室で妻が彼の整髪を行う、綺麗に整えられる彼の髭はムスリムの証でありイマンがイスラムの戒律に縛られていることを暗示している。そしてそれが彼を破滅へと導いていく。
イマンの昇進を機に家庭にも変化が訪れる。イマンは予審判事に昇格したとたん審理もまともに行われていない死刑執行の書類に署名を命じられる。出世と自分の信念とのはざまで苦悩するが、彼が昇格したのがまさに反政府デモが激化した時期であり政府による見せしめの処刑が次から次へとおこなわれた時期でもあった。彼は悩む暇もなく署名を強いられ罪悪感に苛まれるが次第にその感覚は麻痺して行った。
そんな最中、護身用に支給された拳銃が家から消えてしまう。どこかに置き忘れたのかどんなに探しても見つからない。出世どころではない実刑にあたる致命的ミスである。最初でこそ家族を疑うことを嫌った彼だが次第にその疑いの目を家族に向け始める。
彼には少なくとも二度の選択の機会があった。信念を曲げてでも死刑の署名をするかそれとも出世をあきらめるか、家族を信じて拳銃をなくしたことを報告して出世をあきらめるか。
拳銃が見つからずすべてを失うと恐れた彼に対して妻が言う、私たち家族がいるではないかと。このとき彼は家族を選ぶべきだった。しかし彼は出世を選んだ。出世はすなわち政府への服従を意味した。
拳銃を隠し持っていたのは次女だった。もしイマンが家族を選び家族の声に耳を傾けていたらこのようなことにはならなかっただろう。
護身用に渡された拳銃は力による抑圧、国家権力を象徴するものだ。それをイマンはうかつにも家庭に持ち込んでしまった。家庭に国家を持ち帰ってしまったのだ。
反政府デモに対して国家は言葉ではなく力で押さえ込もうとした、多くの市民を虐殺した。これが独裁国家の姿だ。その象徴である拳銃をイマンは家庭内に持ち込んだのだ。次女の行動は国家に対する抗議行動と同視できる。家庭に拳銃はいらない、私たち家族との会話を大切にしてほしいという彼女のサインだった。イマンが家族を思い何よりも家族を優先していたならその次女のサインに気づけたはずだった。しかし彼は家族よりも出世を選んだ、家族との会話よりも国家に従うことを選んだのだ。本来家族を幸せにするための出世の道、目的と手段が逆転していたのだ。
多くの死刑判決に加担したイマンも国家の犠牲者である。彼の篤い信仰心を利用して従わせようという国家体制の下では彼はがんじがらめにされて機密扱いの自分の仕事について娘たちに話すこともできない。自分のつらい立場を理解してもらうこともできないのだ。国家にどっぷり浸かってしまった彼を娘たちは国家と同じだと感じる。そんな父に昔の彼に戻ってほしいという思いから次女は拳銃を隠したとも考えられる。家族間の対話をも奪い家族を崩壊させた国家体制がなんとも罪深い。
家族を信じられなくなったイマンの暴走はもはや止められない。国家が市民を拷問するように彼は家族を監禁し拳銃の在りかを聞き出そうとする。
逃げ出した次女が姉や母を救出し追ってきた父に銃を向ける。暴発した弾丸が父の足元の床を打ち抜き父は生き埋めとなる。
そこは何千年もの歴史を持つイランの古の遺跡だった。古き戒律に縛られた父親が遺跡に埋もれて死に、未来を担うであろう娘たちと母親が生き残った。まさに古き宗教的戒律、家父長制からの解放を象徴する結末だった。
古き宗教的戒律に縛られた家庭は崩壊し女性たちは自由の身となった。古きイスラムの教えに縛り付けられている国民もいずれは解放される時が来るだろう。
聖なるイチジクの種、それは発芽すると根を他の木の根に絡みつかせて締め上げながら成長するという。国が力により国民を押さえつけるという考えに縛られたらその考えは国を覆いつくすだろう。国は独裁国家となりやがては崩壊する。家長がその権威により家族を縛り付けようという考えにとらわれてしまえばいずれ家庭は崩壊するように。
映画づくりの勇気と覚悟
モハマド・ラスロフ監督が母国イランで秘密裏に撮影し、国外脱出後に完成させた作品とのこと。前半のほとんどが屋内シーン、後半は人里離れた荒れ地というのも、そうした事情からなのだろう。
現状のイラン社会に対する親子世代の意識の違いが大きなテーマだが、その間に位置する母親が前半の主役に見える。体制維持のため本意でない使命に苦悩する父親の姿も描いているが、影は薄い。
ヒジャブを発端とした抗議活動の実際の投稿動画と合わせて、姉の友人の顔の傷口から散弾を取り出すシーンは、痛ましく、胸が締め付けられる。銃が紛失して、疑われた母親と姉妹が、父の友人(おそらくこれまで多くの無辜に嘘の証言をさせてきた)の尋問を受けるシーンも、リアルで恐ろしい。
と、ここまでは傑作の雰囲気なのだが、テヘランを離れてからの後半は、トーンが変わって、父親の家族に対する狂気めいた行動が、まるでホラー(シャイニング?)のように描かれる。イランという国家と父親をダブらせる意図は理解できるが、ちょっと醒めてしまった。
監督はイランを脱出できたが、出演者やスタッフは国内に留め置かれて、取り調べを受けたとのこと。体制に異議申し立てする映画づくりが、いかに勇気と覚悟がいるものか、思いを寄せつつ、それは決して他人事ではないとも考える。
マクガフィンとしての拳銃
2024年。モハマド・ラスロフ監督。イランでまじめに宗教裁判所勤務の公務員を務めて来た真面目な男性と妻、その娘二人。男性はようやく調査員に昇進して判事への道も見えてきたが、ちょうどそのころ、イスラム教の女性蔑視に抗議していた若い女性が死亡したことをめぐり、警察の暴行を疑う市民たちの抗議運動が過激化。男性は司法の場で抑圧的な体制に従って働かざるをえなくなり、そのツケが家族の不和へとつながっていき、、、という話。
イスラム教独裁体制であるイランにおいて、もっとも抑圧されているのが女性。この物語では良識的だった男性もまた抑圧側に徐々に魂を売っていく姿が痛々しいが、その被害を家庭内の女性たちがもろにあびていく。後半ではお約束どおり一番若い少女をはじめとした女性たちの反乱がおこっていくのだが。
そこで、拳銃。自宅で拳銃を紛失した男性は出世に響く失態と考え、マッチョな家父長としての「本性」をあらわにしていく。その意味では拳銃は決定的に重要な意味を持つ。しかし、最終的に発射される銃弾は意味をなさないので、拳銃がなくなったこと、または、拳銃を持ち歩いていること自体で画面にみなぎるハラハラドキドキの緊張感のためのアイテムだ。まさにヒッチコックが言うところ「マクガフィン」。
実際の事件を元にしており、抗議運動の様子などはスマホで撮られたらしい実際の映像も多数引用しているようだ。イランの人々に光が指すことを祈りたい。
終盤面白い
序盤から中盤の、お父さんが仕事で悩み、娘は友達がデモ活動して家でかくまい、お母さんが困るなどのドラマがあまり面白くない。拳銃がなくなるのも大変な問題だけど、解けないまま長々と続けられてもきつい。これで3時間近くはきついと思っていたが、テヘランを離れてからが途端に面白くなる。あおり運転とカーチェイスから小屋に行ってからのめちゃくちゃな展開に引き込まれる。
うちも娘がひどいいたずらっ子でスマホやリモコンなど大事なものを隠してこちらが慌てているのを見て大喜びしている。本当にやめて欲しい。
山小屋の周りの洞窟でのサスペンスは田中登監督の『女教師』のクライマックスのようで興奮した。
ただ序盤から中盤は本当にあんまり面白くないので短くしてほしい。
ヒジャブと拳銃の象徴性。
前半のヒジャブデモに伴う、家族に漂う不穏な空気感と、序盤に出てくる拳銃の悲劇が後半への繋ぎとなって一気に終盤に流れ込む展開。
前半はスマホで撮影された凄惨な動画の数々に緊張感ある展開。後半はテヘランからひとけの無い郊外にロケ場所が変わるあたりに諸般の事情が伺える。
イスラム法を下敷きに国や指導者と家長の相似関係を巧みに操りながらラストとデモ動画をセットにしたカタルシス。
気分としては映画2本分観た感じで、シナリオの旨さに感心してしまった。
銃
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