「娘よりも母親の姿に抑圧の根深さを感じる」聖なるイチジクの種 タランティン・クエンティーノさんの映画レビュー(感想・評価)
娘よりも母親の姿に抑圧の根深さを感じる
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この映画の中で、母ナジメはずっと揺れている。
絶対的な家父長制のシステムの中で夫に服従する妻としての自分、娘の身を案じつつ娘の気持ちに寄り添いたいと思っている母親としての自分。その間でずっと揺れ動いている。
娘が自由を欲しがる気持ちを本当は理解しているが、自由を求める代償がいかに大きいものなのか身を持って知っているためにその気持ちに蓋をして、娘たちに旧来の生き方を勧めている。そしてそれは他ならぬ自分に言い聞かせるためでもある。これはある種の諦めであり、徹底した現実主義でもある。
抑圧下でそのシステムに迎合して生きようとするのは自然な防衛反応であり、決して悪いことではない。しかし、そのような人ばかりではいつまで経ってもそのシステムが変わらないのも事実である。
いつかはイチジクの木のように、古いシステムを絞め殺さなければいけない日がやってくる。しかしその代償はほとんどの場合、市民の血である。
イチジクの種が果実を生み出すための犠牲はあまりにも大きい。
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