雨の中の慾情のレビュー・感想・評価
全106件中、61~80件目を表示
久しぶりに腹の立つ作品を観た
予告編は良かった。タイトルどおりのエロス感たっぷりで、かつ昭和らしい情緒も感じられる。 ひと言で言えば、“大人の映画”を見せてくれそうな予感が有った。 が、しかし・・・ 期待は裏切られた。 【物語】 舞台は戦前・戦中の台湾。 貧しい町・北町に住む売れない漫画家の義男(成田凌)は、アパートの大家・尾弥次(竹中直人)から彼が最近知り合ったという女の引っ越しの手伝いを頼まれる。 家賃を滞納している義男は断ることも出来ず、自称小説家の伊守(森田剛)と共に女の家に向かう。 女は福子(中村映里子)といい、離婚したために引っ越すのだと言う。義男は忽ち福子に魅了される。しかし、先に彼女の気を引いたのは伊守だった。やがて義男は伊守が企画する北町のPR誌を手伝うようになるが、仲間の一人が預かった金を持ち逃げしたため、金を払った発注者たちに追われた伊守と福子が彼の家に転がり込んでくる。 【感想】 冒頭を観て嫌な予感がした。 映画においてオープニングは作品の良し悪しを推し量る上でとても有効なバロメーターだ。オープニングは良かったが中味は大したこと無い作品もたまにはあるが、オープニングがダメだけど、中味は良かった作品には出合った覚えが無い。 今にして思えば、あのオープニングシーンは作品全体を表していた。 いきなりのエロなのだが、情緒もへったくれも無い。「なんだ、これ?」の世界。 それは、主人公義男の夢だったというオチなので、ストーリー的にはダメなわけではないが、「オープニングにあんなシーンを持って来るセンスはどうなの?」という話だ。 前半はまだいい、まともだ。 しかし、終盤になって来ると訳の分からない場面展開になって来る。 突飛、奇天烈な編集をして、 「どうだ、お前に分るか?」 と言っている監督の顔(顔なんてしらんけど)が浮かんでしまったが、 「俺には全く分からない」 と堂々と答えたい。 終盤になって、この作品は監督が脚本も書いているに違いないと思ってエンドロールに注目していると案の定、監督が脚本も書いていた。脚本と監督が別の人間だったら、どちらかがブレーキを掛けただろうと思うのだ。 つまり、俺に言わせればあの展開・編集は監督の暴走としか思えない。 良かったことと言えば、ヒロイン中村映里子の裸体が綺麗だったことくらい。
原作は知らないが・・・・
日中戦争?に参加した傷痍軍人の夢を映像化したようだ。およそ9割方が夢のシーンのため、現実味のない、とりとめのないエピソードがパッチワークの様に入れ込み展開されていく。出てくる人物は本人以外は複数の人格を持ち姿形は同じのため、何となくオムニバスのようにも感じた。あと+15指定のため、ところどころボカシが入る。これはいただけない。洋画は既に+18でボカシなしの映画を上映しているのだから邦画もそうすべきだろう。そもそも東京国際映画祭にボカシのある作品を出品したのだろうか?海外の映画人に笑わられるんじゃないでしょうか?また風景や舞台設定が同じで単調な印象でだんだん飽きてきて眠気に何度も襲われた。片山慎三ではなく荒井晴彦に撮らせた方が個人的には良かったと思ってしまった。
滅茶苦茶な展開ですが俯瞰でそれらを味わっていただければ
昔の邦画のようなタイトル「雨の中の慾情」が画面一杯に出、のっけからタイトルそのまんまの土砂降りのなかでの欲情をモノクロで描き出す。日活ロマンポルノの雰囲気を湛え、雷が鳴ってるから金具は危ないと言って、女を次々と裸にしてゆく。何故か訳もなく女はそれに従い全裸になってグチャグチャの田圃を全裸男と走り回り、男が前のめりに倒れた跡には奇妙な「穴」が田圃に残っているなんて、笑ってしまう。でバックから・・って、ドロドロのベタベタのオンパレードが始まる。 欲情でなく慾情って、調べたらほぼ同じ意味なんですが、ある対象物を欲しがるこころだけでなく、何かをかなり強く欲する心理状態だとか。要するに貪欲に求める意思が強いってわけ、何をって、ほぼ性愛をでしょうね。ですから雨の中でも土砂降りの最中でも、そして戦争の最中でも「慾」しいのが本作です。「愛のコリーダ」のようですね。 巷、有名なつげ義春の原作を基にですが、正直彼の漫画は読んでいません、私。その独特の不条理はこれまでの映画化作品で知り得たのみ。「無能の人」「ゲンセンカン主人」などで論理より感性優先の空気感だけは把握しているつもり。ですが、本作程に「義男」ワールドを拡張し自由にイメージが展開する映像化作品は初めてです。当然に訳が分かりませんが、ストーリーなんてどうでもよろしい。陽の当たる安アパートの棟から左にカメラがパンしたら、怪しきピンクのライトが灯いた戦時中の慰安婦の館になるなんて、クレイジーですが凄いじゃないですか。古典的映画のカール・テオドア・ドライヤーや「第七の封」や「沈黙」の頃のイングマール・ベルイマンすら思い出させる、理解の追いつかない不安が快感に転ずる心地よさを味わってしまいました。 アングルの名画「グランド・オダリスク」よろしく大きな尻を向けた全裸の女がベッドに横たわる。台湾人である福子である。映画は義男の妄想の中で活きる日本人の福子に義男自身が振り回されるお話。義男は咄嗟に鉛筆でデッサン画を仕上げる、本作の全てはこの画に収斂する。福子が主人との関係を問われ「尻の穴を舐め合う仲」と答える程に激しい性愛の世界。時は、あの青いクルマの雰囲気から1970年代か? しかし日中戦争の生々しさが唐突に侵入してくる。義男の劣情を刺激する男が2人登場する、伊守と尾弥次である。ほとんど受け身の義男を振り回すのが彼等の役割で、逆に言えば義男のイノセントを際立たせもする。 そんな男を成田凌が演ずる。痩せて華奢な成田にこの性愛が務まるのか?がポイントでしょうが、この被虐のスタンスがぴったし成田にはまっているではありませか。かねてこのモデルあがりでお調子者の都会っ子風情の役者が実は天才肌のパフォーマーって判ってから、そのギャップを面白がってましたがね。周防正行監督作「カツベン!」あたりからそう思ってまして、「窮鼠はチーズの夢を見る」での彼は演技を超えてその存在感だけで魅せてましたね。そんな成田だからこそ、この漠とした映像を通してイメージが繋がるのです。もし、鈴木亮平とかでしたらまるで違った作品になってしまうでしょう。暖簾に腕押しって言葉がありますね、鈴木亮平だったら真正面から受けてしまうが、成田凌はサラリとかわす、そんな違いが本作には必要でした。 そして全編台湾ロケの効果が凄い、戦闘シーンの激しさだけでなく、海岸線の浮遊感、豪華お城の威圧感、なにより広東語を交えたややこしさが、アジアを制圧した旧日本軍のカオスを呼び起こす。片言の日本語に含まれる疎外感が孤立を深めてゆく。 ただ、冒頭土砂降りの全裸の男女が滝で体を洗うロングショットですらボカシを入れなきゃならないの? ハリウッドの名優ウィレム・デフォーですら、エマ・ストーンはもちろん正面からの全裸を晒す時代ですのに。それを見せたいわけではサラサラなく、激しいFシーンとてあくまでも演技なんですから。却ってボカシは厭らしさが募ります。
地続きの記憶、夢。人間の思念をそのまま映像化するとこのようになる。
大変面白かった。 まず、つげ義春さんについての個人的な思い出から。1990年代のはじめ頃、私はあるメーカーで広告宣伝の制作をしていた。新聞広告で挿絵として漫画を一コマ使う企画があり最初は楳図かずおさんの絵を使ったところ、新聞社に掲載を拒否されてしまった。そこで代わりに代理店が見つけてきたのがつげさんだった。つげさんは、当時、体を壊しており漫画はもう描けないということだったが一コマだけの仕事なので無理を言って引き受けてもらった。ギャラも悪くなかったせいかつげさんにも喜んてもらい「無能の人」の単行本にサインをいただいた。つげさんのサインはかなり珍しいと後で聞いた覚えがある。 つげ義春の作品は昭和30年代終わりから50年代初めぐらいまでにほとんどが描かれており、つげにとっての「現代」というのはそのあたり昭和の中期を指す。この映画が台湾ロケを行ったのはもちろんその昭和感が欲しかったから。結果としてはむしろ戦前な感じ、無国籍感が漂う不思議な印象の作品となった。でもCGで作られた三丁目なんちゃらよりはるかに良い。 台湾ロケはこの映画に太平洋戦争時の兵士と、従軍慰安婦のプロットが組み込まれる契機となったらしい。 つげは1937年生まれなので従軍経験はない。師匠にあたる水木しげるの経験や作品が色濃く影響していることは確かだが(兵士である義男は片腕を失う)ここは台湾をはじめとするアジアの土地の記憶が流入していると思われる。 主人公たちが「北」から「南」へ行くところは現代朝鮮のようだし、森田剛演ずる伊守が南で住む宮殿は満洲国を反映しているようだ。なかなか複雑な構造なのである。 だからそれら土地や戦争の記憶と、「現代」に生きる漫画家義男(言うまでもなくつげ義春の分身)の記憶が二重写しになりながら映画は進む。ここには前後関係はない。そして上下関係もない。プロレビューの筆者が「戦争で死にゆく兵士が見た夢」と断じていたが私はその解釈は採らない。人間の記憶は、社会の記憶とも混ざり合いながら、夢も現実も含めて地続きとなったものだから。この映画はその様相をリアルに見せているのである。 主体は義男であるところは間違いがなく、これは義男がミューズである福子を追い求める話でもある。なんともロマンティックである。そこはつげ義春らしくないといえばそうだけど。
癖が強いのじゃ!
途中何見せられてるんだろ?って思うんだけど、 妄想、夢、現実を行ったり来たりでノーランに近いものはあるのかな?と 静かなシーンから突然パンチの効いた描写が来るから絵力が強く感じて脳内で焼き付け起こしてます! セックスシーンが生々しく中村映里子の妖艶さには魅入ってしまいました♪ 全員演技は素晴らしかったんですが森田剛の演技良いですね!!!見てる私がニヤニヤしてしまった。 最後までは「今このシーンは妄想?夢?」って思いながら見てるけどラストのシーンで状況理解すると簡単なお話だったりするんですよね! 好き嫌い分かれる作品だと思います! 私は好きだ🫶
鼻糞かと思った
つげ義春の本は昔買った記憶がある。孤高の漫画家つげ義春の作品の映画化は20年前の竹中直人の監督作品以前にもたくさんあるらしいし、つげ義春の夢日記の幻想の世界を【岬の兄妹】の監督がうまく表現出来たかは正直なところ私にはよくわからない。しかし、台湾をロケ地にしたのはよかった。「あぁ、台湾なんだなぁ」と思ったのは【1秒先の彼女】で見覚えのある台南の水辺の風景だった。エンドロールでの「台湾ユニット」で確認するまでもなく。
戦時中の満州や戦後の闇市、まるで迎賓館のような南町の豪邸は日本国内だけをロケ地にしてはとても無理であったであろうし、セットを作ったのでは金がかかり過ぎる。
つげ義春は戦争経験者ではない。義男が左手右足を失うシーンは南方ではなく満州の設定なのだが、どうしても水木しげるがタブるし、福子がバーの女給だったり、慰安所のピーだったり、子供の脳漿を注射器で吸い取るシーンでの看護婦だったり、インモーのお守りなんかのクダリは【兵隊ヤクザ】シリーズの小山明子(大島渚夫人)を思い出していた。齢がバレるね。
たぶん、成田凌お目当ての若い女性ファンやV6の森田剛のファンは福子に自己投影することで、つげ義春の繊細でエッチな幻想奇譚の共犯者となり、イケたかもしれないと思うとなんだがとても悔しい。しかも1000円で。12月1日の映画の日にTOHOシネマズ池袋の14:30からF列で鑑賞。空席を挟んで隣には若い女優さんか?と思うような白いウールのブランケットを膝掛けにした落ち着いた雰囲気の美人さんがすでにご着席。はっきり申し上げて、夢か現か映画の内容以上にドキドキしてしまった。微かな笑い声や喘ぎ声が隣から時々聞こえたような気がした。
惜しげもなく晒される中村映里子のスレンダーボディ。勃ってるに違いないニプルズ。冒頭の女優さんもいい脱ぎっぷりだったが、冒頭からコメディタッチのAVを見せられたようで、その先がツラかった。
森田剛がいうように、成田凌はほんとにイイ顔してた。まぁ、いつもどうりなんだけど。
森田剛が投げたのは大きい鼻糞かと思ったらつけボクロだった。
つげ義春の亡くなった奥さんは紅テントの女優さんだったらしい。最後の方で茶色のトノサマバッタのCG。飛蝗。旧日本軍を揶揄したものなのか?唐組のことか?
つげ義春ご本人がまだご存命だったとは。滝田ゆうは若くして亡くなったのに。
つげ義春。齢93だそうだ。
ぜひご本人から映画の感想を聞いてみたいものである。
これから貴方を埋める穴を掘ります‼️❓きゃー‼️❓
つげ義春の作品をハイブリッドした、なにものでも無い作品、軍人の死ぬ間際の走馬灯の夢でした、で、加工したらなんでもできる、褒めるも貶しも出来ない、夢だから、史実に無い民間人虐殺、子供の脳液侵奪、意味のない性交、無味乾燥した会話劇、夢だから批判も出来ない、雨の中で性交して、車に轢かれて、あゝ何を感じれば良いのだろう、退屈はしませんでした、性交はハードコアのようでした、ただ、こんな映画がロードショウされる現代は平和だ、良い世の中を感じてほのぼのとした、ありがとうございました😊😭
【つげ義春の同名漫画を冒頭に描き、その後幾つかの短編を絡ませて制作したエロティックラブストーリーが、次々に場面転換するシュールな作品。嗚呼、クラクラするよ・・。】
ー 非常に、クラクラする作品である。 今作は、つげ義春の幾つかの短編・・「夏の思い出」「隣の女」「池袋百点会」(私が分かったのは、これ位です・・。)を絡ませて描いているようである。ー ■売れない漫画家の義男(成田凌)は、大屋(竹中直人)から引っ越しを頼まれる。自称小説家の伊守(森田剛)と三人で向かった家で、喫茶ランボオの義男が想いを寄せる福子(中村映里子)と会う。 後日、伊守と福子が義男の家に乗り込んできて、夜イキナリSEXを始める・・。 ◆感想<Caution!内容に触れています。> ・冒頭の”雨の中の慾情”シーンから始まり、その後、どうすんのかなあと思っていたら、次々に繰り返される場面転換により、ハッキリ言って何が何だか分からない。 ・イキナリ、戦争シーンが出てきたり、伊守が小説のネタを探しに居なくなったと思ったら、隣町の大富豪の入り婿だったり、嗚呼、クラクラするよ。 ・そして、随所で汗っかきの福子と義男はセックスするのである。多分、義男の妄想であろう。義男が福子の事が好きなのは序盤に描かれるし、漫画でもそういう短編があるよね。 <つげ義春の漫画独特のシュールレアリズムを取り込んだ幻想耽美な世界観は、ナカナカであるが、かなーり難解であり、且つ、つげ義春の漫画が好きでないと、結構キツインジャないかなあ、と思った作品。 けれども、お客さんは私の居住区としては中入り位の3割の入りであったし、途中退出人も居なかったな。皆さん、出演者の誰かのファンか、つげ義春のファンかな。 あの、繰り返される戦争のシーンや、子供のつむじから注射で液を取り出すシーンや、それを海から来た二人の外国人が買うシーンなんかは、「ねじ式」を代表とするシュールな世界観は出せていたんじゃないかな。じゃーね。>
地上波放送完全NG作品📺❌
オープニングが脳内で描いてる漫画のシーンの映像化スタートって中々イカれてますね🦑⤴️
そもそも脳内妄想の世界線が二つと現実の話が一つあってなんの説明も無くバラバラに進行するからノーラン作品よりは簡単だけど わかりづらい部類ではあります🤓
あと悪夢感と湿度感がパネエっすね👌
最後に究極のあらすじ解説すると🤓戦争行って売春宿行った事あってその売春婦が少し好きになって死ぬ間際の走馬灯の映像化👋
しかし森田&成田は演技凄いですねしかし(あの女優さんも凄いのよな) あとこの作品シネコンで見たけどそもそもミニシアターでやるやつですから🤬(このキャストだからって大手の映画館でやるような作品ではないでしょ)👽
あと片山監督は全作品毎回内容が独特過ぎて好きだわ🌸 あと尺がもうちょい短くても良いわな⏳
映像が頭に焼き付け起こすくらい強烈な絵力🖼️💪
夢に影響されて凄い悪夢にうなされましたよ🤢💤
最後にタイトルがまんま過ぎて笑うわ🤣
面白くなくて長い
夢落ちが判明してから長すぎ。上映時間が2時間15分って知ってたから長いことは覚悟していたけどね。
ただのエロ映画かと思ってたら、負傷兵が慰安婦の夢を見てただけという流れになって物語に深み(?)を出してきたが、エロにしても泣かせるにしても中途半端。数々の変態要素(車にハネられた女のパンツの中を触る、女が野ションした跡を凝視する、など)が出てきたが、要らないわw タイトルにもある「雨」は、別に作中に雨要素無くても物語成立しそうやね。
批評が難しいが、少なくとも面白くはなかった。以上
台湾好きには良い映画
予告もよく見ないで出演者ど台湾の話ということで鑑賞しました。 台湾なのか満州なのかは分かりませんでしたが、アジアの町の雰囲気が味わえて良い。主役の3人も良いのでファンは見ると良い。 現実と夢の中?が分かりにくく、いったりきたりするので混乱します。途中から、「そういう事か」となるところはとても見ていて気持ちが良い。 ただ、やっぱり分かりにくいかな。 文学作品と思えば分かりやすいのかな。 旧日本軍の表現が怖い。 台湾の話なので台湾の人から見るとそうなのかと嫌になる。ただ、見終わってみると、日本人原作の日本人監督とのこと。なんか複雑。 ファンタジーというか、夢の中物語というかんじもするけど、切ないラブストーリーにも思える。 独特な雰囲気の複雑な映画でした。
淫夢と現実のなかで。
売れない漫画家の義男と、自称小説家の伊守と、引っ越しの手伝い先で出会い気になる存在となる伊守の女・福子の話。
悪徳商売がバレ、義男宅に世話になることになる伊守と福子だか、ある日、実は家庭があるからと言い伊守は福子を置いて義男宅から出ていき、義男、福子の2人の生活が始まるが…。
タイトル「雨の中の慾情」、冒頭の入り雨宿りする田んぼに囲まれたポツンとある屋根のあるバスの停留所と書けば分かりやすいだろうか(そんなイメージ)、雨に濡れ雨宿りする独りの女性に服に付いてる金具に雷落ちるかもですよと言って独りの女性をパンツ1枚まで脱がしその姿に欲情しちゃって…♡
もうその冒頭でバッチリ心掴まるてるのと同時に、この監督、脚本書いてるのはド変態野郎だなと思ってしまう私。終始漂うエロさと福子の艶っぽさで観れたってのが正直なところ、てか福子の艶っぽさがヤバかったね!(笑)
ストーリー進めば、この福子との行為、生活は夢?現実は戦時中?と現実軸がどっちなのかと解りにくさもあったものの。義男演じた成田凌の凌はホントに大丈夫?反応してない?てか反応してるよね!とそっちばかりが気になった(笑)
90分くらいが良かったかな
『火の華』が公開中止になってしまった。 12月公開の中で一番楽しみにしてたのになぁ、いつか観れるといいな。 『さがす』が面白かったから期待していたのだけど、うーん分からん。 最初のバス停のシーンからピンク映画のような雰囲気があって、色味とか無理くりそっちに持ち込む演出は、それはそれで嫌いではないし、ロケーションや美術なんかはむしろ好き。 伊守がいた頃は、何を見せられてるんだ?と思いつつも楽しんで観ていたけれど、前衛的すぎてついていけなくなり、途中から飽きちゃった。 なんだかんだで3時間くらいに感じてしまった。 製作費の問題もあるのかもだけど、この規模で上映する作品ではないような。
かなり難解、四重構造の世界線?
冒頭からの世界線:義男が漫画家、伊守は小説家を志す
義男が兵隊:左手・右足を失っている、伊守は戦友
義男が兵隊:瀕死の状態
冒頭からの世界線:福子が日本人ではない世界
以上のような世界線から成立しているのかなと思いましたが、
何が虚で実なのかは、正直わかりませんでした。
漫画家の義男×艶っぽい福子、この下品になりすぎない客観的なエロさと
戦争の悲惨さ、壮絶さを目の当たりにする義男が兵隊の世界線の
絶妙な交わり具合というかごった煮具合というか、
頭の中がぐちゃぐちゃになりましたね。
原作は未読ですが、同じ内容なんですかね。ちょっぴり気になります。
映画の日の鑑賞でしたが、私を入れて観客6名でした。
興行収入は厳しい作品だろうなぁと思いましたね。
日中戦争。。夢 幻覚 妄想。。。
なんか ストーリーが 転々として 訳分からなくて。どこの国の話で 何が起こっているのか? 分からないまま 終わりましたけど。。戦争で 生きるか死ぬかの瀬戸際になると 人は 色々な事に 欲情に かられるんだろね。欲。。に 溺れると その代償がある。って言われますけど。。昭和初期の話だろうけど 今も 同じ事ですね。大きな欲は捨て 普通に生活 出来れば いいです。夢とか 幻覚とか妄想。。ほとんどは そんな感じの話だと思いますね。内容は かなり薄かったです。。
台湾ロケ大成功過ぎ…
片山監督は間違い無いなぁ。 夢か現実か?系映画は素直に面白かったと言えない作品が多いけど、つげ義春×片山監督&著名な製作陣×キャスト×台湾ロケにより…とても面白い映画に。この内容で飽きさせないの凄い。主人公義男の数奇な運命と世界観、見応えたっぷり。
一炊の夢の如し
『つげ義春』の短編〔雨の中の慾情〕と、 それ以外の幾つもの作品を取り込んで一本の映画に仕立てている。 基本『義男(成田凌)』と『福子(中村映里子)』の物語りも、 そこに友人で作家志望の『伊守(森田剛)』と 松葉杖をつく大家の『尾弥次(竹中直人)』が絡む。 『義男』は夢から覚めると、 見た記憶を基に売れない漫画を描く。 『尾弥次』はそんな彼にトラック運転のアルバイトをさせ、 『福子』と出会ったのも、行った先の家でのこと。 『伊守』は『福子』と懇ろになるが、 商売に失敗し、彼女を捨て街を出て行ってしまう。 彼らが住むのは、検問所で南北に分断された国。 「南」は富む一方、「北」は貧民が住む。 『尾弥次』はそこで子供を集めて脅かし、脳髄を吸い取る怪しげな商売をしているが、 その関係で「南」とも行き来でき、 三人は『伊守』を探すため、「南」の地を訪れる。 と、ここまでは、寓話的ではあるものの一貫性のある流れ。 が、以降は語り口が激変する。 今と未来と過去、夢と現を垣根無く往還し、 何が現実で何が妄想なのかも判然としない。 原作を複数取り込んだことが要因ではなく、 入れ子構造を意図的に狙ったよう。 ある時には『義男』は『福子』と子供を持ち、 幸せな家庭を築いている。 が、庭で遊んでいるハズの子供を探して振り返れば、 そこに片腕を失くした軍人の姿を見る。 次の瞬間『義男』は、片腕・片足を失くし、 股間をも傷つけられた傷病兵として 病院のベットに横たわる。 舞台はどうやら、第二次大戦中の 中国東北部の戦場に転移したよう。 そこでは『伊守』は『義男』を気遣う戦友。 『福子』は慰安所で働いている。 こうした時空の激しい変転を受け入れられるかが、 本作の評価のキモだろう。 頭で理解しようとすれば追いつかず、 あくまでも監督の仕掛けた激流に身をまかせるのが吉のよう。 目覚めてのち描かれる漫画は複数あり、 冒頭エピソードの文法からすれば、 直前の挿話は全て夢の中の出来事となる。 いや、本当にそうだろうか? 『義男』の語る物語りとして観て来たものの、 最後の場面を観た後では、それすらも懐疑的になる。 監督の『片山慎三』のフィルモグラフィーを確認すれば、 助監督時代の作品を含め過半を観ている計算。 しかし本作、過去作のいずれとも異なる作風で 「R15+」のレイティングを纏い、 『大林宣彦』があの世から舞い戻って来たのかと思った。
全106件中、61~80件目を表示