「数学者の映画はけっこう多い。 そして小道具が光る。 万年筆、 黒板、 ハンケチ、 ピンクの錠剤。」ビューティフル・マインド きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
数学者の映画はけっこう多い。 そして小道具が光る。 万年筆、 黒板、 ハンケチ、 ピンクの錠剤。
偉大なるプロフェッサーに対して
愛用の万年筆を、周囲の学者たちが次々と献呈して並べる習慣。
あの行為は恐らく
「あなたの偉業の前には私はもう書くべき物がありません」、
「降参です、シャッポを脱がせて頂きます」。
そういう意味なのだろう。
値が付けられない逸品のモンブランやペリカン。記念のためのウォーターマンなども有ったろうに、手に馴染んだかけがえのない万年筆。それを惜しげも無く持ち寄って献呈してしまう驚きのシーン。
学究に対する最大級の敬意を表す、興味深い光景だった。
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ジョン・ナッシュ。
一人の数学科の学生の、入学と、そして“巨大な前口上有り”の挫折の物語。
しかし、この映画でいくつも戸惑ってしまったのは僕のほうだ。
このオドオドしてるジョン・ナッシュくん。
役者、ラッセル・クロウは、「グラディエーター」においてあの粗暴の限りを尽くすモンスター・マッチョになってから、
【その翌年に】青瓢箪のこの若者=「ジョン・ナッシュ」に変身している!この事。この驚き。
つまり、
若きジョン・ナッシュ役を演ったラッセル・クロウが、後年に年齢を加えて暴れ役のオヤジに挑戦したのかと思いきや・・
これは時間軸が逆だったのでした!
グラディエーターが、その翌年に病弱で小心者の、若き数学者=ジョン・ナッシュに成った逆転劇。
このゲーム理論には、もはやおいらはついていけませんね。
役者さん、変幻自在なのです。凄いです。
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「私は『数』を信じています」
これは授賞式でのナッシュのスピーチでした。
理数系が からっきしダメで、不得手な僕としては
この映画は、まったくの異世界の物語。
自然界の事象や、人の感情のゆらぎ、そして社会の動向やハトの給餌行動まで、
それらを数値で説明して解を出し、過去と未来まで、予測までをやってのける。
そればかりか、美術や、音楽や、文学の傾向までも、数値と(これも数学者が開発した) AI プログラムがその構造をバラしてしまう世界。
ゆえに「数学脳GIFTED」たちへの、僕の、ないものねだりのリスペクトと憧れの思いは、
同時に抱いてもしまう懐疑と生理的拒絶感も相含めて、ホント突き抜けてしまうものです。
じつは昔、
僕はハーバード大学の門前の小僧でした。
ケンブリッジの駅前、
ハーバードの正門のすぐ前に3ヶ月滞在していて、ハーバードの構内は勿論ぶらついたし、MITにもダンスパーティーに潜り込んだことはあるんですけど、
あの2つの大学は「フィールズ賞」も「ノーベル賞」もザクザクと獲っています。
でも小生、ちっともオツムは賢くなりませんでした。学研都市のあのVibesには あやかれませんでした。
ボストン美術館では「会員証」を作ってもらった時、受け付けのおばちゃまからウインクされて「ハーバードの学生ってことにしておくからねっ♡」と言われたんですが。
おバカですが、自慢してもいいですかね?
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数学者の映画は、思い出してみると、洋画邦画と、けっこう多いのです。
そしてそのどれもが、ほぼ例外無く、変わり者の数学オタクが、勉強仲間や、妻や、家政婦や、親友たちの大きなサポートを受けている物語です。彼らGIFTEDはサポート介助を受けている。
どこか助けを受けなければ生きていけないような生まれつきや生い立ちが=つまり、大きな人間的欠陥も相持ったパーソナリティが、彼らにはあるのかも知れません。
夫ナッシュを支え続けたジェニファー・コネリー嬢は、この映画での共演が縁となり、結婚しています。
ただし残念ながらですね、ラッセル・クロウとではなくラッセル・クロウの同室になっていた金髪のハーマンくんと結婚したのです。涙
グラディエーターになって怒り心頭。暴れるのもよく分かりますよ。
で、この映画、
戸惑いの第2点。
ほとんどの時間が、どこまでが病気による幻聴や幻覚なのか、途中で分からなくなって、見ている僕も苦しくなる。
誰が本当なのか、何が事実だったのか、ここは何処なのか、分からなくて混乱のるつぼに落ちる。そしてこちらまでがこんなにガックリと気持ちが落ち込んでしまう。
どうやらナッシュは「統合失調症」なのだと、劇中わかりはじめてからは、映画の冒頭まで、いま観てきた物語をさかのぼって、全ての積み上げられた筋書きとエピソードが信じられなくなり、映画鑑賞の一切が瓦解してしまいます。
「2時間観てきたこの全てが、夢で、幻想で、幻覚だったのだ」という衝撃。虚脱感。
では僅かにでも残っている「本物」は、この映画には有ったのだろうか・・
でも、妻アリシアの存在だけは確かに残っていてくれて救われました。
「これだけは確かなのよ」と自分と夫の胸に手を当てる。体にしっかりとふれる。手当てをする。体温を伝える。
ジェニファー・コネリーはアカデミー助演女優賞。
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「失聴者の映画」が、昨今いくつも作られていて、聞こえない世界に想いをいたす体験が与えられている僕たち。
今作品では「統合失調症」のひとつのケースを (おそらく本人の著述から) 我々に披瀝して、見せてくれたのだと思います。ありがたいです。
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さいごに、
天才たち。数学の世界に遊ぶこの本人たちは、狂喜しながら趣味のオタクで(失礼!)数学をやっているに過ぎなくても、
彼らのその発想と成果は、手ぐすね引いて後ろで待機しているエコノミックモンスターと国家防衛戦略に取り込まれていくのは、とても悲しいことではあります。
プリンストンのアインシュタインやオッペンハイマーが用いて駆使した神器=プロメテウスの火は、他ならぬ「数学」だった。
二次関数の、山なりのグラフ形状は、戦時の砲弾の軌跡を計算するために編まれた。
お掃除ロボットやファミレスの配膳ロボットだって、軍事兵器からの民間転用なのだと知ってしまうと気が滅入る。そして
我々をいつも掛け値無しに感動させてくれていたあのスペース・シャトル計画も、実は打ち上げ回数のほとんどは最高度の軍事機密で、世界には公開されていないのですから。
実在の人物、ジョン・ナッシュ氏が、これ以上苦しめられずにいて欲しい。微笑んでいてほしいと、泣けて仕方なかったラストでした。
彼はナイーブ過ぎます。
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付記
自身のプロフィールで「右の目ではスクリーンを、左の目では人生を」と標榜している僕としては、自分の事も、忘れてはいけない歴史として、この映画を観たからには、落とさずに記しておかなければならない。
仕事への度を超えた没入と失敗。自身の資質の弱さから燃え尽きてしまった僕のことを、通院〜回復まで、ずっと支えてくれた我が妻の事。
ナッシュのように演壇から「ありがとう」は言えなかったけれど、申し訳無さと、感謝は言葉に尽くせない。
あの人に万年筆を捧げたいのは僕のほうです。
先程の小生のコメントでお詫びが一点ございます。
後段の部分で敬愛するきりんさんの人生につきまして、人様に“挫折”なんて言葉を使用してしまい、大変申し訳なく思っております。
ここは、きりんさんの表現から私も前段で使わせて頂きました“燃え尽き”に変更させて下さい。
語学力に劣る者の失態とお許し頂けましたら幸いです。
きりんさんには、豊かな御経験を踏まえてのレビューを通じて、いつもたくさんのことを教えて頂いており、本当にありがとうございます。
御病気等の苦難があったようではありますが、きりんさんが何にどう燃え尽きてしまわれたのかの詳細は分かりませんものの、少なくとも平々凡々にしか生きることの出来なかった私にとってのきりんさんは、その挫折を超えたかのような貴重な人生論を学ばせて頂ける尊敬すべき方です。
今後とも、この“映画.com”上でのお付き合いのほど宜しくお願いいたします。