「本当に「お母さんが一緒」だったと思う。」お母さんが一緒 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
本当に「お母さんが一緒」だったと思う。
「お母さんが一緒」とは言いつつも、その題名とは裏腹に、三姉妹中心に物語は進み、劇中に「お母さん」は、ほとんど登場しません(悪路で脱輪してしまった宿の送迎のワゴン車の車内でのシルエットが、ちょっと映るだけ)。
夫の生前は、夫婦仲があまり良くなかったようで、三姉妹とも母親を反面教師にしているようなフシもあり、また長女vs次女・三女のバトルが半端なく、母の誕生日祝いの温泉旅行とはいえ、観ているこちらも「一触即発の緊張関係」にハラハラ、ドキドキ。
そこへ、三女が余計な「サプライズ」を持ち込むので、上記の長女vs次女・三女の緊張関係に、更に余計な火種が加わるという未曾有の危険な展開でもありましたけれども。
しかし、それでも「最後の一線」を越えることなく、いつの間にか論点がすり替わって、何時とはなしに別の話題に変わって行けるのは、やはり血のつながった姉妹同士のこと故なのでしょう。
その意味では、「お母さんが一緒」という本作のタイトルは、「お母さんと同行して温泉旅行をしている」という物理的な意味と、「三姉妹ともお母さんが同じ」というメンタル面=心の持ち様という意味とのダブルミーニングになっていたのかも知れません。
(それ故、本作のタイトルが「お母さんと一緒」ではなく「お母さんが一緒」とされているのには、理由があったとも思っています)
そんなことから、ホームドラマとしては、なかなかの良作に仕上がっていたとも、評論子は思います。
(追記)
遠慮なくケンカができるのも、肉親だからのことでしょう。
他人様が相手のときのように顔色を窺って攻撃防禦に忖度を加える必要もない。遠慮会釈なく「ことばの爆弾」を投げ込んでもいい。
しかし、局面が展開したら、それまでの攻防は何の未練もなく打ち捨てて、また新たな局面での攻防に専念する―。
そういう意味では、争っていることが大事で、争っていることの中身は、そんなに大事ではないのかも知れません。
評論子の息子・娘も、中学から高校くらいにかけては、寄ると触るとケンカをしていましたけれども。
社会に出てみると「おっ、こいつら案外と仲がいいのか?」と思えることがあるのも、その実は、何かネタを見つけては(定期的に?)一戦交えることで、お互いの関係性を確認していたのかも知れないと、今になっては思い直したりもしています。
肉親って、「いいもの」「ありがたいもの」だとも、評論子は改めて思いました。
(第30回函館港イルミナシオン映画祭@北海道函館市にて鑑賞)
talkieさん
まことに!
お母さん【が】一緒なだけの「バラバラの」「別人格の」温泉旅行でしたね(笑)
フォーリブスが結成される時、ジャニーさんが
「3人編成では2対1の仲間外れが出来る」
「だからたとえグループ内でケンカしても、2対2で仲間がいるようにしてあげよう」と4人組にしたのだそうです。
でもジャニーズはバラバラに解体。
本作も3人+1人でバラバラ戦争でした。
面白かったですね!
トミーさん、いつもいいね&コメントありがとうございます。
私も三女の婚約者の肚がすわっていたのは結婚の経験があり、知恵がついていたからだと思います。
女同士の熾烈なバトル(女性レビュアーの皆さん、ごめんなさい。でも客観的な事象の指摘で、セクハラとかの他意はありません)に対しては、局外中立を守る(スイス並みの永世中立を堅持し、たとえ婚約者であっても三女の肩も持たない)というのは、被害を受けることを最小限に抑えるための生活の知恵であったことと思います。
もし、彼に結婚の経験がなかったとすれば、婚約者だからというだけで三女の肩を持ってしまい、その結果、長女・次女から壊滅的被害を受けてしまったことは必定と思いました。
共感ありがとうございます。
正直、あの姉妹バトルを間近で見せられるとげんなり・・だと思いますが、三女の婚約者はなんか肚が据わってるようでした。コブ付きってのも開き直る要因だったのかも。