ジガルタンダ・ダブルXのレビュー・感想・評価
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まさかの反骨エンタメに変貌
前作の『ジガルタンダ』を未見のまま鑑賞。あらすじを読むだけだとちょっと前作がどんなテイストだったのか想像できないのだが、単体の作品として楽しませてもらった。
インド映画はいくつものジャンルが絡み合い、ストーリーも二転三転していくことが多く、これも例に漏れず、後半になってまったく違う映画であるかのごとき変身っぷりを見せる。だったら前半の悪党っぷりと整合性取れるのかとか、あの8ミリカメラで音とかどうやって録ってんの?とか、まあ細かいことはいろいろあるけれど、怒涛のエモーションとメッセージで持っていかれて感動すらしてしまう力技は、隙はあってもいい映画の証拠だなと思うと同時に、このアプローチを流用すればプロパガンダ的に感情の操作もできてしまいそうな怖さもある。まあ、映画とは本来怖いものだと折に触れて思い出させてくれることはありがたいが。
とはいえ『シビル・ウォー アメリカ最後の日』ともスピリット的なものが共通していて、ルックは古いが、今日にも通じるメッセージが胸に刺さる。娯楽の根幹に反骨であることに好感を持たずにはいられない。「純度の低い正論は響きません」というセリフが朝ドラ「虎に翼」に出てきたけれど、(多少雑でも)純度の高い正論をぶつけてくる映画だと思う。
想像を超える展開と結末、長いけど
あまりの長さ、濃密さ、複雑さで、前半はちょっとおいていかれそうになりました。しかも、前作よりも個人的に苦手なインド映画ダンスが前半満載で、危うく寝落ちしそうになったし・・・質も上がっていたし、予算も潤沢になったんだろうなぁ。
映画製作というアイテムが前作からの流れで、あとの設定とか物語は完全に独立していた印象でした。まぁ最後は色々と繋がりとか次とかあったりしたんですがねー。
作品タイトルからしても、しっかりと笑かそうとしている作品だなぁというのは理解できるんですが、イーストウッドなんかもそうだったし─・・・でも、この作品はかなりシリアスな雰囲気も感じられるし、仕舞いには感涙しそうになったし、良くも悪くもダブルX感が出ていたという印象です。
それでもやっぱ若干違和感を覚える展開なんかはあるんですが、あのメインを見たらそんなのねぇ、っていう─。
XXX・・・楽しみですが、コンパクトにして欲しいなぁという望み薄の─。
ギャングの親分がある事を切っ掛けに心が変化して行く感じのインド映画。 本年度ベスト級。
全体的に自分好みの作品って感じじゃ無かったけどラスト30分位からの予想もしなかった展開が良かった!
警察官のキルバイ。
冤罪で殺人犯となり警察官に復帰する為、ギャングの親分のシーザを暗殺する事になってしまう展開。
キルバイは映画監督に扮しシーザの映画を作ろうと近づき暗殺を企てるストーリー。
キルバイがカメラを回しながらシーザの映像を撮るんだけど、なかなか暗殺しない(笑)
そんな中、ある組織が森に住む住人達に危機が訪れシーザの心に変化が生まれる展開が良かった。
クリント・イーストウッドの西部劇も登場。
イーストウッドの映画の中でのあるシーンが印象に残る。
ラストはシーサの男気ある行動が悲しいけどキルバイが作り上げた作品が劇場で公開され、シーサの無念が晴れた感じが良かった!
キルバイが映画を撮る時、照明も音声の人もおらずキルバイが一台のカメラだけで撮影してたけど、映画になったら複数のカメラで撮ったシーンが登場。
他にもカメラマンがいたのか?
気になります( ´∀`)
豪華絢爛だけがボリウッド映画では無い。
民族解放を銃の力では無く映像の力で戦う物語。社会派ボリウッド作なので終盤はかなり重い。何処の民においてもイーストウッドは永遠のヒーローであることには同感。
ジャンル盛り盛りのインドエンターテインメント!
主人公が2人いるパターンは、RRRもそうでしたけれど、
本作はRRRとは違うキャラ設定でしたね。
警官採用された小心者のキルバイと
クリント・イースト・ウッドをこよなく愛するギャングのシーザー。
シーザーがイーストウッド好きということから、シーザーの映画を撮る監督として
近づくキルバイ(名前もレイ・ダース監督という、ふざけています(笑))という
この前半も、シーザーにバレないかでハラハラしまして、
且つ歌も踊りもあって、もうこれだけでお腹いっぱいな感じでした。
後半は舞台もジャンルもガラッと変わって、シーザーの故郷へ。
キルバイが映画ではなく実際にシーザーを倒せるよう脚本を編み上げて
撮影に挑みつつ、シーザーが本当に神格化していく過程で、
キルバイもシーザーの見方が変わるし、関係性もより親密になっていくところが
すごく良かったです。
ゾウ🐘も象徴的につかわれている気がしましたね。森の神様的な位置付けで。
後半60分は「あ、そうなるのか」ということが次々と起こっていき、
もう目が離せず食い入るように観ました。
特にラストは自分自身にカタルシスが訪れ、大満足の3時間でした。
いやぁ〜、面白いです。
宮崎では全国に遅れて今週末からの上映でしたが、リクエストして良かったです。
宮崎キネマ館さんに感謝!!
象の恩返しと政治の腐敗は続くよ〰️インドでも
ラストのXXXの意味
2024年劇場鑑賞306本目。
政治の利権争いに巻き込まれた、無実の罪で投獄されていた警察官がジガルダンダ極悪連合(頭悪すぎる名前)の幹部の一人を期日内に暗殺しろと命じられ、クリント・イーストウッド好きの幹部を映画撮影だと騙してうまいことやろうとする話。
あらすじだけ聞くとコメディかもしれないと思うかもしれませんが、警察、ジガルダンダ極悪連合、密猟者が甲乙つけがたいクソ野郎どもで笑いの介在する余地はないです。ただ、クソランキングははっきり確定します。
インド映画らしく一応収まるところに収まるんですが、それまでの非道のせいで結末のカタルシスが超えられない・・・。
最後の最後すごくいやなところで終わってXXXって出るんですが、これそもそも続編(前作とのつながりは薄いらしいですが)でダブルエックスというタイトルになっているので、ようは続きありますよ、ということなんですね。いや頼むから一本で完結しろよインド映画!今途中になってるインド映画5本くらいあるぞ!
『ジガルタンダ』の前日譚
『ジガルタンダ』の続編って事ですが、時間軸はコッチの方が先で、
『ジガルタンダ・ダブルX』→『ジガルタンダ』の順です。
『ジガルタンダ』の続きと思い、最初の30~40分ぐらいは、前作こんな人いた?いなかったよな?と、つながりを悩みに悩み、集中できなかった(笑)
これから観る方は、前日譚と思って観てもらえば混乱せずに楽しめます。
『ジガルタンダ』を観てなくても特に困らないけど、観ておいた方が最後なるほど!と熱くなれます。
観てないと気付かずに終わっちゃいます。
この映画を観て、また『ジガルタンダ』が観たくなりました。
僕は、コッチの方が好きです。
かなりアツイ話だったけど、少し話が分かりずらかったかな…
でも、良かったです♪
圧巻のエネルギー量!今年ベスト級!
新宿ピカデリーで鑑賞。
平日午後の時間だが、8割以上席が埋まってて驚いた。
とにかくラーガバー・ローレンス演じるシーザーの魅力が圧倒的。
序盤、夕陽のガンマンのコスプレでスクリーン?から登場するシーザーで爆笑!
ただのコメディ映画なのか?と思いきや、どのアクションシーンも圧倒的な熱量で撮られて、ダンス、アクション(殺し)に、次第に引き込まれた。
後半、シーザー帰郷後に村人が一眼となって奴を倒すシーンは七人の侍的な展開で胸熱。
シーザーの子供が生まれた時、(これ絶対フラグやん!)ああここで終わってくれーと内心思わずにいられなかった。
その後の展開、、、、どう感想をもっていいやらまだ整理出来ないが、映画館でこんなに感情を揺さぶられたのも久しぶり(いや、初めて!?)
とにかく凄いものを観てしまった。
上映館が少ないのが非常に勿体ないので、是非拡大上映してほしい!
映画のもう一つの大切な機能
冒頭からは、「ああ、またぶっ殺し・血しぶきのインド映画か」と気持ちがやや萎えかけたのですが、物語は意外な方向へ爆走を始めます。悪逆非道な土地のギャングの親分の暗殺を命じられた刑事が彼に接近したところ、その親分の映画好きに思わず巻き込まれて行くお話です。
インドの片田舎でクリント・イーストウッドを崇拝した映画館があるなんて、それだけで魅力的で是非行ってみたくなるではないですか。そして、「いや、それでいいの」とツッコミを入れようとすると、そんなのドンドン無視してぶっ飛ばして行くスピード感に翻弄されます。
また、「映画を撮る映画」という形式から想像される「映画」とは「ストーリー映画」ですが、本作では、「現実を記録し世界に後世に広く伝える」という映画のもう一つの大切な機能に収斂していくのも素敵です。
映画好きの気持ちを色々詰め込んでギュッと五目おにぎりにした様な作品でした。
インド映画ってこんなに面白いのかと改めてたまげた!(笑)
過去にも何本かインド映画を観ましたが、確かにインド映画ってめちゃくちゃ熱量が高くて、感動しまくりのものが多かったです。ただしその割には、ストーリーは結構さっぱりと忘れています(笑)。つまり盛り上がりすぎて、忘れてしまうという弊害?があるのかもしれません。この作品は、シリーズ2作目だということですが、ラストに3作目の予告のようなシーンがあったのでぜひまた観てみたいと思いました。作品は冒頭からはかなりハイペースでダイジェスト版を観ているようでした。ですので理解できないところもありました。それが最後には全部回収されますから、その醍醐味をぜひ味わって欲しいと思います。ギャングのボスと意気地なしの主人公(映画を制作すると言ってそのギャングに近づいた)が、どんどん成長していく姿は秀逸です。柱となるのは権力者たちが、部族や象たちを殲滅するという構図です。その権力者たちの悪を白日の下に晒していくという痛快ものと言えるかもしれません。キャッチフレーズにあるように、映画という芸術を通して権力悪を痛烈に叩きのめすのです。インドは植民地であった時代から常に権力に脅かされてきたという歴史があるがゆえ、爆発的な正義の反抗心があります(ガンジーの抵抗運動を彷彿とさせる展開もあります)。それから本当のラスボスがわかった時のドンでん返しにはビックリ!結局そのラスボスは自らの地位の獲得のために森と部族と象を殺したのです。映画のクレジットでは動物を殺してはいないとはいえ、可愛い象が殺されるシーンは残酷でとても悲しかったです。
追記 釈迦の生まれた国だからこそ、インドに対する親しみは半端ない私でした。
映画の力で巨悪を倒せ! 熱い映画愛を信じているのが素晴らしい。
1970年代のインド南部タミル地方。
新人警察官が、ギャングのボスを暗殺するために映画監督になりすます。
映画の力で巨悪を倒せ!
熱い映画愛を信じているのが素晴らしい。
マカロニウエスタン!
クリント・イーストウッド!
意外な展開に驚き!
これは掘り出し物でした!
映画監督になるのではない、映画を作った者が映画監督なのだ
面白かった。インド映画は基本3時間でお得!(関西人のサガか…)。通常の物語りに加えてダンスミュージカルパートが入るのが尺が伸びる所以だとは思うが今作の主役シーザーを演じたラーガバー・ローレンスはそもそもがダンス振付師だったそうでパパイヤ鈴木にもよく似ていてギャングの親分なのだがそのキレッキレのダンスと圧倒的な腕力、戦闘能力の高さで「俺様の映画を撮れ!」というストーリーを違和感なく受け入れてしまう。RRRを彷彿とさせる政府権力と原住民の対立構造がベースなのだが時代は70年代で日本でもまさに「私にも写せる」家庭用8㎜が大流行した頃のインド南部のタミル地方を舞台にクリント・イーストウッドのマカロニウエスタンオマージュと映画愛が絶妙にからむ私ら世代の映画なのだ。「ペンは剣よりも強し」のペンを8mmカメラに持ち替え音も何故かちゃんと録れている「シュート」アクションが絶妙。日本で公開されるインド映画に間違いはないことを改めて実感した。
映画愛!!が、てんこ盛り!!
月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好き。
なので専門的過ぎないライトな紹介を書いてます。
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気が弱いながら正義感は強いキルバイはひょんなことから
殺人犯に仕立て上げられ、無罪になりたければ
町の極悪人シーザーを暗殺せよ!と
これまた結構な極悪人の警察署長に言い渡される。
シーザーは映画が好きで、
特にクリント・イーストウッドのマカロニウエスタンが好きで、
そのワンシーンを模して気に入らない相手を処刑すると言う
とんでも無い男だった。
キルバイはインドで高明な映画監督の弟子だと偽って
シーザーに近付くのだが〜〜〜
全体の三分の二まではインド映画らしく荒唐無稽、傍若無人
よくもそこまでやるか!!みたいな場面が続くのだけど
最後の三分の一は、あ〜〜〜〜〜〜
インド映画がすごい事は先年の「RRR」を引き合いに出すまでもなく、
超娯楽作品の中に社会問題、それも特大の社会問題を
これでもかとぶち込んでくる。
派手で、楽しいだけじゃないインド映画の底力と志の高さ!
さらには映画大国らしく映画愛に溢れた今作のメッセージを
ぜひ味わって欲しいワ〜〜〜〜
映画は世界を変えられる!!(号泣)
絶対劇場で!!
「肉体一つで」
人が映画に選ばれるとき ヤーヤーヤーと音がする
映画作りをテーマにした映画として傑出した作りである。
イーストウッド専用劇場を作ってしまうほど映画好きのマフィア、シーザーのもとに新人警察官キルバイが映画監督の「レイ先生」を名乗って潜り込み、シーザーの暗殺を狙う。
シーザー達「ジガルタンダ極悪連合」陣営は、州首相選挙をめぐって悪徳警察署長の陣営と対立しており、キルバイは冤罪からの釈放を条件にこの暗殺を請け負うのである。
しかしシーザーは強い。マンモス強い。また裏切りものに容赦しない。前半はシーザーに正体がバレるかバレないか、逃げれば獄中に逆戻りのサスペンスとなっている。
そこで、キルバイ(レイ先生)は勝負に出て、お前もゴッドファーザーのように弱者を助けなければならないと、ならずものがはびこる故郷の森に誘い出すのだ。
そこで象の密猟を行う、怪物的ヒールと西部劇ルックのシーザーが戦い、それをキルバイが撮るというフィルムの戦いが描かれる。
これがクライマックスのように思われるが、物語は初期に提示された政治/選挙の腐敗によって、別の方向に導かれてゆく。これまで撮ってきたフィルムが意味を与えられ「映画」の役割が浮上する。
これは映画を撮るという行為によって小心なキルバイが自らの視点を社会に問う映画監督に変身する話である。
ちなみに、キルバイが持つ(映画業界の友人から借りる)カメラはCanonの「Auto Zoom 518 Super 8」。音声同録はなく、1ロールに録画できるのは3分ほどだが、フィクションなので気にしてはいけない。
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