「不登校児に学校へ行かなくてもいいとしか言わないような映画」ナミビアの砂漠 Kenny KAOさんの映画レビュー(感想・評価)
不登校児に学校へ行かなくてもいいとしか言わないような映画
主人公は無気力に刹那的に生きている、渋谷や新宿の繁華街に行けば24時間365日いつでも見つけられるような女だ。(劇中ではバカ〇〇〇と言われていた)。
彼女は、喫茶店で待ち合わせした友達に元クラスメートが自殺したと言われても誰かピンと来ないし、その友達の話も5分と経たずに興味がなくなる。
元気のない友達を気遣ったのかと思えばホストクラブに連れていき、それすらも浮気相手と会うまでの時間つぶし。深夜に浮気相手と別れると、同棲する彼氏の元にタクシーで帰る。
同棲する彼氏は酔いつぶれている主人公を健気に介抱したり、自炊して総菜を作り置きするなど、とても真面目なようだ。しかし、主人公は彼氏の手料理ではなく冷凍庫のアイスを食べる。人のやさしさを理解できない。
そんな彼氏を何も言わずに捨てて浮気相手と即同棲。案の定うまくいかず毎日取っ組み合いの喧嘩するうえ、新しい彼氏の夢も馬鹿にする。
何かのきっかけで受診した心療内科では、自分のことが知りたいと言って医師に病名をつけてもらおうとする。自分自身のことさえも誰かに決めてもらった病名で理解しようとする。
その後、紹介してもらった女性カウンセラーをアポなしで訪問し、プライベートな付き合いを求めて事務的に拒否され、傷つく。依存体質。
主人公は終盤で、「その気持ちわかるよって言われるの実は好きでしょ?」的なことを隣人の唐田えりに言われる。この映画が目指しているのはこの映画における唐田えり、つまり自分を無責任に肯定してくれる遠い存在なのかな、と思った。
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公式サイトを見た時は、何も考えてない女子大生がガンジス川に行くような映画と予想していた。そして、いい意味でそれを裏切って欲しいとも考えていた。
予想は裏切られた。約2時間強もの間、糞メンヘラの生態を見せられる。延々と精神の幼い共依存カップルの日常が流れ、主人公は成長どころか悪化していく。
自己愛が強いのに自分のやりたいことはない、そのくせそれを”他人から”認めて欲しい。くたばれ糞メンヘラと思いながら見た。
もし隣人が男だったなら、この主人公はクリエイター彼氏を捨て喜んで股を開くだろう。そして男漁りができなくなるまで同じことを繰り返し、最後は自殺もしくは理解ある彼君と子供を地獄への道連れにするだろう。
人生においてこんな時期があるのはわかる。しかし積極的に肯定するのは違う。自己責任という意味ではなく、自分の人生を幸せにできるのは自分だけだ。