劇場公開日 2024年9月6日

「【追記しました】河合優実さんの方向性がわかる一本」ナミビアの砂漠 HiraHiraHirappaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5【追記しました】河合優実さんの方向性がわかる一本

2024年9月9日
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鑑賞方法:映画館

笑える

namibiasuomi
<ナミビアとスオミは同じテーマだ!>
 河合優実主演の「ナミビアの砂漠」を見たあと、三谷幸喜の「スオミの話をしよう」を見ました。
 映画のテイストや仕上がりは、全く違う作品なのですが、扱うテーマとして共通項を見たような気がしました。
それは、男性が女性に求める勝手な思い込みと、それに対する女性の生きづらさと孤独の表現。
 5人の旦那が言うスオミが、総て違うタイプに思えるのは、それぞれの男がスオミに求めているモノが違うだけの話で、スオミがそれぞれの望むタイプの女になろうと努力していただけの事。対してナミビアの砂漠のカナは、スオミほど相手の男性の好みに合わせようとはしないが、男性がカナに投影している女性像と、それを求める「男の優しさ・思いやり」というものに対し、どうしても反抗したり逃げ出したりしてしまう、そういう女性なのではないか。もっとも、スオミは結局、狂言誘拐を起こして5人全員に対し本当の自分を見せると同時に総ての価値観をひっくり返して見せるので、どちらの女性も、男に対する反抗を表現していたという意味で、同じと言えるか。
 いずれにせよ、三谷幸喜はそれをコメディとエンターテイメントで表現した一方、山本瑤子はカナにフォーカスし、深くえぐるように微妙な感情のゆらぎと激しい感情表現を通して見せた。テーマは同じであっても、表現がこうも違うというのが面白い。
 どちらも、複数の男性側とスオミ/カナそれぞれと「コミュニケーションのズレ」が起きており、そのズレを面白おかしく表現した三谷幸喜と、そのズレを激しく反抗で表現した山本瑤子監督の違いはあるものの、テーマは非常に似ているなと思いました。両方を見て、より両方の内容の理解が深まった気が致します。
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 ラッキーにもジャパンプレミアもTOHO日本橋の舞台挨拶のどちらにも参加する事ができ、二回上映を見させていただきました。
 年間100本(過去の作品が多い)ほど映画を観ているのですが、いつもストーリーを追いかけ、伏線に気を付け、結末を考えながら見るクセがついてしまっています。この「ナミビアの砂漠」も最初、そのようにして観ていたけれども、それだと一向に映画の輪郭(何を形づくるのか)が見えて来ない。一回目を見終えて、どうやらストーリーを追うのではなく、カナという女性の心の機微を追いかけて観る映画なのだとわかる。これは、プレミア時の質問に、スタンダードサイズにした理由に「観客にカナだけを見て欲しかった」と述べた意味がこれなのかもしれない。
 はたして、二回目の鑑賞では、カナのこころの動きを推し測るように、「今なにを思ったか?」「この表情は、どういう感情か?」そういう機微を観察するように見て行くと、なるほどメチャクチャ面白い。三回目を見たら、さらに面白いかもしれない。
 カナの彼氏は二人とも、話す言葉は真実であり、まじめに誠実に対応しようとしているのだが、一方、カナの発する言葉は、ことごとく真実を伝えていない。このギャップあるコミュニケーションのズレというか、本当は噛み合ってないやり取りを、観客である我々とカナだけが知って見ているのだ。
 かくして、最後に、分かれた彼氏が残した、冷凍のハンバーグを二人で食べながら見合うその部屋は、それまでとは左右が反転した(といってもフィルムを反転させたのではなく、反転した間取りに、反転配置して撮っている)部屋だというところに、この映画のエッセンスが顕れているのかもしれないと思った。
 いずれにせよ、この映画は河合優実の高い実力があって成り立つ事のできる、非常に難しい成立の仕方をしているように思う。 若い人をベタ褒めすると、天狗になって失敗する事があるので、控え目に言うのを常としているが、河合優実さんはどんなに控え目に表現しても、天才としか言いようがない。 そう思うのは、彼女を初めて見た手嶌葵のMusic Video「ただいま」を何十回も繰り返し見ていたのに、この女優さんが、PLAN75やある男の、その女優らと同じ人だと気づかなかった。「ふてほど」の純子を見てても、全くそれぞれと結びつかなかった。 それらが全部ひとりの人だと知った驚きよ。その後「サマーフィルムに~」「少女は卒業しない」、Gregoryのミニフィルム、NHKの「家族だから~」にしても、見る河合優実が全部違った人に見えて仕方がない。 そのすごさは、例えば他にも演技力のある俳優さんは、昔も今も数多くいるけれども、例えば二階堂ふみも凄い女優さんだけど、いずれの役も「二階堂ふみ」の範疇に留まる。大竹しのぶは大御所で凄い女優だけど、どうやっても「大竹しのぶ」でしかない。
 この先の心配は、ただひとつ。 役づくりに没頭するあまり、役が憑依して彼女自身の本当を見失わないかだけが心配。尤も、演技は事前に十分に計算して仕込んで本番に臨んでいるという話だから、それならそういう心配もないかな。
 これほど売れると、様々なオファーが来ると思うけど、いちファンとしては、いろいろ演る時期はあってもいいけど、最終的には自分の表現したい「なにものか」を追求して、映画に新しい境地を切り拓いていってもらえればと願います。

HiraHiraHirappa
Yujikoさんのコメント
2024年9月12日

「見る河合優実が全部違った人に見えて仕方がない」に共感しかありません。作品ごとに顔が違う。顔のかたちさえ違って見える。

Yujiko
Hirappa2号さんのコメント
2024年9月11日

最後、部屋が反転していたことに触れているレビューがひとつもないかと思ったら、やっとありました!
あのシーンこそがクライマックスだったのに。

Hirappa2号