「河合優実の存在感だけが心に残る」ナミビアの砂漠 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
河合優実の存在感だけが心に残る
一人の女性の日常が延々と映し出される序盤の展開からは、一体何の話なのかがさっぱり分からない。
彼女は、同居している男性とは別の男性とも付き合っているのだが、花束を持って酔いつぶれて帰ってきた彼女にピルを飲ませているところを見ると、同居している男性は、彼女が浮気していることを容認しているのだろうか?
しかも、出張先で風俗に行ったことを、自ら彼女に告白して謝罪するなど、この男性、人が良すぎるのか、間が抜けているのかよく分からない。
と、映画が始まってしばらく経ったこの時点で、ようやくタイトルが表示されるのだが、後になって考えると、ここまでの長いプロローグは、別に必要なかったのではないかとも思えてしまった。
ここから、彼女は同居していた男性と別れて、浮気相手だった男性との同居を始めるのだが、別れた理由が彼の告白なら、まさに「正直者が馬鹿を見る」展開だし、浮気相手が「別れてほしい」と言っていたのはどういうことだったのだろうと、釈然としない気持ちになる。
やがて、仕事に打ち込みたい彼と、かまってもらいたい彼女という、いかにも有りがちな理由から喧嘩になって、階段から転がり落ちた彼女が車椅子生活になったり、彼の荷物の中から胎児のエコー画像を見つけた彼女が、彼に詰め寄って暴力を振るいだしたりと、2人の仲は険悪になっていくのだが、ここに至っても、なかなか何の話なのかが見えてこない。
そうこうしているうちに、彼女が「躁うつ」やら「双極性障害」やらを患っていることが分かり、カウンセリングを受けるようになるのだが、ようやく、ここで、この映画は、心を病まずにはいられない現代の若者の「生きづらさ」を描いているのかもしれないということに気付いてくる。
ただし、それからも、彼女が、ランニングマシンで走りながら、喧嘩している自分たちをモニターしていたり、森の中で焚き火をしながら、隣人の女性から、パンダアリやらウミネコやらの話を聞いたりと、夢なのか現実なのかが分からないようなエピソードが続いて、狐につままれたような気分になる。
タイトルになっている「ナミビアの砂漠」のライブ映像が何を意味しているのかも分からずじまいで、結局、最後まで、何の話なのかを理解することができなかった。
いかにも意味ありげなヒントだけを提示しておいて、答えの方は勝手に考えてくださいというスタンスの映画は、やはり、どうしても好きになれない。