シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
全785件中、761~780件目を表示
Apocalypse Nowなう
戦場の不条理を目撃しながらの地獄めぐり。
エモい音楽使いとスローモーション。
さながら、2時間以内の「現代の地獄の黙示録」といった印象。
後半の最新兵器が使われるワシントンDC市街地戦が90〜00年台に量産されたの近未来SFアクション映画の様で、人類はあのディストピアの目前まで来ているのかとゾッとさせられた。
色々とアメリカの地理に詳しいともっと楽しめたのであろうと思われるシーンがいくつか。
兵隊たちがフリーのカメラマンが戦場(作戦)の最前線についていくことに寛容すぎたり物凄いリアリティとは言えないが、映画のキャラクターみたいな人が大統領になったりする時代だから、これくらいが本当にリアルなのかもしれん。
“ありえるかもしれない未来”
この映画の設定としては、レッドステート(共和党支持者が多い州)のテキサスとブルーステート(民主党支持者が多い州)のカリフォルニアが手を組んで、大統領に反旗をひるがえすという驚くべき設定となっている。
保守派、リベラル派、右とか左とかでは無く、第三の敵として民衆が権威主義的な大統領・政府に立ち向かう(この設定は共和対民主の戦い、それとどちらかに支持されている大統領と言う現実的なイメージを外す仕組み)。
陥落寸前のワシントンD.Cだが、そんな中で長きに渡って意見を述べていない大統領にジャーナリスト・チームがインタビューにいくと言うロード・ムービー。
分断は世界中に広がっている。
我々は驚くべき情報空間の中で生きていて、そんな中で我々は一体誰と戦っているのか?
分断で注意しなければならないのは、黒か白かの二項対立では無い。
大切なのは中間のグラデーションの部分だ。
今迄以上に、お互いをより良く知ろうとする努力が大切だと思う。
昨今ジャーナリズム環境が大きく変化していて、アメリカでも70年代の様な肌骨溢れるジャーナリズムが(機関・大資本に)去勢されてしまった様に感じるが、「人間にとって医者が必要であるのと同じように、政治を暴走させないためにもジャーナリストは必要だ」
とガーランドも言っている。
心臓に毛が生えている人には 良いかも。(-_-;)
リアリティー強い戦いシーンは戦慄!
リアル版『翔んで埼玉』か(知らんけど)
飛び切りの胸糞悪さを貴方にも😈
タイトルを変えた方が良いのでは?
「war photographer」戦場カメラマン、の話だよw
「Civil War」は設定の添え物で意味がないw
A24制作の「war photographer」という映画です。
このタイトルで観たなら評価は変わる。
最後の言葉。。
全米で大ヒット中?との触れ込みがあったので、見てきました。❔❓(・_・?)って感じです。
近未来の米国で内戦が起きて、西軍がワシントンD.C.まで進攻して最後には大統領がホワイトハウスで射殺されます。それを従軍カメラマンが最期まで撮り続けると言うストーリーですが、なぜ内線が起きたのか、なぜ戦場カメラマン目線なのか理解できないまま終わりました。
今年は大統領選があるので、このような映画が作られたのかも知れませんが、荒唐無稽な設定とストーリーで個人的にはイマイチな感想でした。
命よりも大事な権力、主義、矜持、そして承認欲求の物語
2024.10.4 字幕 イオンシネマ京都桂川
2024年のアメリカ映画(109分、PG12)
内戦状態のアメリカにて、ジャーナリストの視点で戦争を追う様子を描いたロードムービー
監督&脚本はアレックス・ガーランド
物語の舞台は、近未来のアメリカ・ニューヨーク
戦争写真家として活躍しているリー・スミス(キルスティン・ダンスト)とロイター通信の記者ジョエル(ヴィグネル・モウラ)は、14ヶ月間報道の前に姿を現さない大統領(ニック・オファーマン)にインタビューをしたいと考えていた
二人の師匠的存在のサミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)は「死にに行くようなものだ」と反対するものの、そんな言葉で彼らが思いとどまるはずもなかった
結局のところ、サミーが折れて一緒に向かうことになったのだが、そこにリーに憧れているジェシー(ケイリー・スピーニー)が同乗することになった
リーは戦場を知らない素人カメラマンを連れていくことに反対だったが、とりあえずワシントンの手前までの同行を許可することになった
サミーの助言にて、ピッツバーグからウエストバージニア経由でワシントンに向かうことになった彼らだったが、国内は大統領率いる「正規軍」、テキサスとカリフォルニア主導の「西部勢力(WF)」、独立政府を企てる「分離派」、フロリダを中心とした「フロリダ同盟」などが入り乱れている状況だった
誰がどこの所属かわからず、州によって分断されていて、かつ差別主義者が好き放題したり、部外者を排除する集落などもある
また、内戦とは距離を置く田舎などもあって、彼らの道中は、かつてのアメリカの面影が消えたものになっていた
映画は、ジャーナリストが内戦の実情を見ていくというもので、リーが人間に戻り、ジェシーが戦争写真家になっていく様子を描いていく
これまでに何度も死線を潜ってきたリーが、サミーの死によって生き方を変える様子が描かれ、一線を超えたジェシーは自らの命よりもファインダーの中の世界にのめり込んでいってしまう
かつてのリーはジェシー同様に怖いもの無し状態だったが、近しい人の死によって現実に引き戻されていて、それが最前線で起こっている、という内容になっていた
主要キャストはそこまで多くないが、どこの所属かわからない兵士がたくさん登場する
彼らも「相手が撃ってくるから迎撃している」という感じで、同じ軍服同士の戦いになってしまうと、距離を置く以外に生き残る術はないように感じる
彼らはジャーナリストだから最前線に赴くものの、その場所に向かう格好とは思えない姿で突入したりするので、後半はほぼファンタジーに近い
ラストでは「サブ邦題で完全ネタバレシーン」を観ることになるが、あの邦題を考えた人はバカなんじゃないかと心底思ってしまった
いずれにせよ、いつものアメリカマンセー戦争映画を期待しているとダメな内容で、重機はほとんど登場しない
銃撃戦の迫力はあるが、それ以上に差別主義者(ジェシー・プレモンス)の「本当のアメリカゲーム」の方が緊張感が凄いので、その辺りを楽しむ映画なのかなと思った
トランプ政権が誕生しそうなところで、このようなネタをぶち込んでくるところに、アメリカの映画に対する姿勢が見えてくるのだが、このような映画は日本では作られるはずもないので、その懐の深さには感嘆する次第である
今のところ映画ですよね?
政府軍VS西部同盟みたいなところなんだろうけど、DC以外は誰が何のためにどの位置で戦っているのか???戦争なんてそんなもんなんだろう。
ラストのカメラマンのシーンは新旧交代を分かりやすく表してるように感じました。
ホワイトハウス襲撃シーンは米議事堂侵入を思い起こし、映画だけど本当にそうなりそう。
スリル
弱肉強食
分断や内戦の興奮を画いてるのではない、目の前で撃ち合いを見る興奮を画いているのだ。
記者の先輩や友人が死んだ時は恐怖し怒り悲しむのに赤の他人が死んでもニヤニヤしながら酒を飲む。
なぜ映画を見てるか分かるか?現実の生活でリスク回避してる行動選択をしてるからだ。まぁ映画監督の職業をするのは大胆な行動だけど。スリルを感じたいのには理由がある、黙っていつか来る死を何もしないでただ待つのは嫌だからだ。その囁かな抵抗が「スリル」だろう。
人間は(というか生き物は)生まれた瞬間に死に向かって時間が流れる、生きてるだけでスリルしかないがそれを忘れてるのか考えたくないのか、自分の身が安全な人はその事を忘れる。
ゾクゾクするだろ?生きてるから。人を撃った後ににっこり笑顔ではいチーズ。撃たれても目的のために放置、途中で陽気な音楽を挟む監督も、ポップコーン食べながらニヤニヤして観てる我々も本質は同じだね、滑稽で野蛮で蟻やヤギと何も変わらない、弱肉強食だよ。
ジャーナリストって何?ジャーナリストって何がしたいの?。
身動きが取れないまま火に焼かれるのも銃で撃たれるのも怖いし嫌だよ。
最後の方しか内戦の戦いないやん。
俺は車を真っ直ぐ前に走らせながらふと時々思い浮かぶシーンがある、映画ノーカントリーで犯人が後半真横から赤の他人にぶつけられるシーンだ。そういう意味では、日本に生まれたのも、いま生きているのも、運だろう。
なぜ30年賃金が上がらないか分かりますか?旧GHQに占領されているからです(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
なぜ他の先進国と比べて平和か分かりますか?GHQが自由と銃を奪ったからです
……
…しびれるわ〜あ〜
アメリカが内戦を起こして、最終的に大統領を殺害してクーデター成功のイメージ。アメリカ白人の不満が爆発。「どの種類のアメリカ人だ?」のフレーズ大好き。
美しい米国で地獄の黙示録
IMAX先行上映で観賞しました。
全然、楽しい気分にならないロードムービーです。
既に有る程度、内戦で社会が機能していないニューヨークから話が始まります。
このため、今がいつで、内戦がいつから始まって、誰が何のため戦っているか分かりません。
この前提で、ジャーナリストが紛争の中心地を目指します。
この間に、いろんな『停泊地』にたどり着き、メインキャストそれぞれのゴールを迎えます。ゴールの情報がよく分からないことも含めて、地獄の黙示録に似ていると思いました。
道中は断続的に戦闘が続いているわけですが、7月頃の『アメリカ流れ者』での情報ではメインキャストはいつどこで発砲されるとか知らされていないらしく、基本てきに緊張を強いられ、音が鳴れば本当に驚いているようです。
戦争映画は戦闘員が付き物ですが、ジャーナリストの旅なので反撃することはありません。これっぽっちも、スカッとする所はないのです。
本国での興業成績が良かったのは、議事堂襲撃事件もあり、銃社会であることから、現実味があるからだと思われます。一方、福田村事件やマイスモールランドを見た上で、都知事や川口市でのことを考えると、我が国でも決して他人事ではないと思いました。内戦なので、核兵器を落とす様な話にはならず、小火器中心のだから一層感じます。
観賞時の心境としては、非戦闘員の映画だと『娘は戦場で生まれた』『マリウポリの20日間』に近いのですが、映画でよく見ていたり、実際に旅行したことがある米国が舞台だと、恐怖がより強くなります。
キルスティン・ダンストは、スパイダーマンのときは『?』と思っていましたが、ドラマ版『ファーゴ』シーズン2から本作へと、素敵な中年女性になっています。
スティーヴン・ヘンダーソンは顔を見るだけで癒やされます。
『エイリアン:ロムルス』に引き続きケイリー・スピーニーはいいですね。だんだん、顔が締まってきます。
あくまでも、A24作品なので万人向けのアクション大作の訳がありませんが、今年見ておく劇作品でしょう。特に、米国大統領前、我が国の総選挙前に。
他人事ではない
戦争の狂気は相手がどこの誰であろうと
狂気であり続けるんだなぁ。
アメリカ国内を二分する内戦が勃発、政府軍劣勢の中で2人のジャーナリストが大統領に直接インタビューするためにワシントンDCに向かう。
現地へ向かうための準備を進める中、クルーの一人である女性カメラマンのリーは、駆け出しのカメラマンのジェシーに出会い、彼女も同行したいと言う。
反対するリーをよそに、ジェシーはリーの相棒ジョエルに話をつけて同行することになる。
彼らにアドバイザー役のサミーを加えた4人のジャーナリストは、カリフォルニア、テキサス両州を中心とした同盟WFの最前線基地のあるシャーロットビルを目指して車を走らせる。
内戦に至った背景やそれぞれの勢力の有利不利は劇中の台詞の中から読み取る必要があるけど、それにしてもよくわからない。何故二分するに至ったのか、何故WF勢力がこれほどの軍力を持っているのか、諸外国の介入はあるのか無いのか、などなどほぼ解説くさいもなは無し。
でも、それは段々必要がない、意味を成さないものであることが理解できる。
そんな事はどうでもいい。今、目の前で国が二つに分かれて同じ国籍をもった者同士が戦闘を続けている。
その理不尽さ、無意味さに裏付けなど必要ないし意味を成さない。
ベテランカメラマンのリーは的確に状況を見、判断して時に慎重に、時に勇猛に進んで決定的な瞬間をフィルムに収める。
リーに憧れるジェシーは、その戦場のリアリティに圧倒されながらリーの一挙手一投足に学んでいく。
そしてクライマックスでのリーとジェシーの突入は、経験し尽くしたリーとまさに経験中のジェシーのコントラストを残酷に、鮮明に表現していく。
実際にあった戦争を描くとついつい実際のエピソードを追いかけるような形になるし、遠未来戦争にはリアリティが無い。
まさかのアメリカ国内の内戦という、そんなことあるかよ、と言いたいけど実は言い切れない微妙かつ絶妙なテーマを、いかにもありそうなエピソードを絡つつ、相手がどこの誰であろうと、戦争は人の心を壊していくものなのだと訴えかけてくる手法は斬新かつショッキングだ。
アメリカ国内ではさぞ居心地の悪い映画だっただろうことが想像できる。
出演者の中ではリー役のギルステン・ダンストの存在感が圧巻。ベテランらしい落ち着きと冷徹さを持ちつつ、駆け出しのジェシーに対する母親のような可愛さと心配をない混ぜにしたような感情、更には戦争に対する複雑な感情を殺しながらの取材などとても難しい感情が自然に表現されていて圧倒された。
相棒のジョエルや師匠のサミーも普段は軽口を叩きながら、命のやり取りをしそうな時の冷静かつ慎重な判断や果敢な行動に、その道のプロとしての矜持を感じさせられた。
ジェシーはもうその成長が…リーならずとも誇らしくなる。
若干ジャーナリズムを美化というか正義と捉えすぎているきらいはあるものの、余計なものを排除したまさに戦場を擬似体験できる秀作。
アメリカ人ならショックで3日間ぐらい寝込みそうだけど、日本人なら冷静に鑑賞できるはず。
万人には勧められない覚悟のいる作品、だけど観た方がいいと言いたい作品。
見慣れた日常風景のすぐ先にある「戦闘の光景」
内戦下のアメリカ合衆国。戦場カメラマンらが1台の車で首都ワシントンD.C.を目ざすという物語は、ロードムービーにありがちな一種の単調さをもって進むが、ここでふと思い浮かべたのが、河川哨戒艇で目的地を目ざす『地獄の黙示録』だった。
まず、ノンクレジット出演のジェシー・プレモンス扮する「赤メガネ男」が劇中随一の強烈なインパクトを放ち、まるで『地獄の黙示録』のキルゴア中佐のようだ。プレモンスの発する不穏な「問い」は関東大震災時の「十五円五十銭」を連想させるが、「正解」が全く読めないうえ、妙にリアルでもある。
またこの映画には、平時ならあり得ない「異質な光景」が、ごく当たり前のように次から次へと出てくる。
たとえば、高層ビル群の谷間を通勤者の自転車と武装車両が並走する“日常の一コマ”だとか、西部開拓史のように揚々と私刑執行する民兵、自らの所属すらあやふやなまま謎の狙撃者と対峙し続ける兵士たち、あるいは内戦なぞどこ吹く風のショップ店員、とかだ。
これら一連の光景が、かつて『地獄の黙示録』で見たシーン——ジャングル奥地に出現した狂乱のプレイメイト慰問ショー、フランス人入植者らの優雅な会食、闇夜の密林に向けて機銃乱射する米兵たちなどと、いつしかダブって見えてくるのだ。
さらに、火の粉舞い散る夜の森に車を走らせるシーンの美しさは、『地獄の黙示録』で機銃掃射のはぜた閃光が闇夜に映えるシーンにも相通ずる。
音楽面にもそれはうっすらと感じ取れる。
本作のサントラは、既存曲のヒップホップ、カントリー、ヘビメタ、エレクトロニック・ロックとオリジナルスコアのインスト曲から構成されているが、ラストに流れる「Dream Baby Dream」は、その声質や憑かれたような歌い回しにドアーズの「The End」の面影がちらついていないか。
また、議会議事堂を携帯式対戦車ミサイルで攻撃するシーンに流れるインスト曲も、どこか「The End」のイントロ部分みたいだ。
一方で、この映画が『地獄の黙示録』と決定的に違うところは、本作の主人公たちがジャーナリストであって、合法的殺人が認められた軍人ではないことだ。彼らは、いかなる状況下でも一方に与することなく冷徹に事実取材の姿勢を貫く。その使命感において国際赤十字や国境なき医師団などと立場を同じくすることが、本作から見てとれる。
主人公たちはストーリー上、「老賢者」「導師」「次代継承者」とでもいえそうな一種の師弟関係を形成し、機銃掃射の真っ只中へ身を投じてゆく——あたかもヨーダ、オビ=ワン、ルークのように。そんな彼らがたどる道筋は、鬱蒼とした熱帯雨林を蛇行する河川ではなく、市街戦が勃発する都市部や比較的ひらけた郊外を走る自動車道だ。
ここには、カーツ大佐のようなカリスマも存在せず、熱に浮かされたような物語のうねり、異郷の密林で展開される哲学的思索もない。ただあるのは、見慣れた日常生活と地続きの「戦闘状態」であり、それこそが本作イチバンの見どころなのかもしれない。
有事の「戦闘状態」とは、決して平時と無縁の非日常などではなく、今この瞬間の延長上にある。そこには精神麻痺した人間がゾロゾロ湧いてきて、理不尽で予測不能な暴力が日常茶飯事となる。そんな「見たくない、知ろうとしないリアル」を、映画は冷ややかに突きつけてくる。
補足:
1)音響面の優れた劇場——ドルビーシネマ、ドルビーアトモス、IMAXなどで鑑賞されることを強くオススメしたい。
2)今さらだが、ミズーリ州のニックネームが「the Show me State」というのは、本作で初めて知った。同州が舞台となった映画というと、『スリー・ビルボード』『ジェシー・ジェームズの暗殺』『ミズーリ・ブレイク』『アウトロー』など、ぱっと思いつくのだが…。いずれにせよ不用意に射殺されないために、この際しっかり覚えておこう(苦笑)。
3)戊辰戦争の時代に戦場カメラマンがいたら、どんな写真を遺しただろう…。
全785件中、761~780件目を表示