ガール・ウィズ・ニードルのレビュー・感想・評価
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闇を照らす、モノクロの凄み
本作がカラーであれば、流れる血は赤く、乳は白く滲んだかもしれない。けれども、モノクロームの世界ではどちらもどす黒く、不穏だ。冒頭から、これは最後まで正視し通せないかもとたじろいだが、いつの間にか、まばたきが惜しいくらいに惹きつけられていた。
住まいも仕事もままならないとはいえ、なりふり構わぬカロリーネの言動は、ちょっと共感しづらい。猛然と周りに牙をむき、感情をほとばしらせる。彼女の転機の可能性は、幾つかあった。しかし、彼女は、誰かと生きる道を踏み出さない。その人を幸せにできない、その人とは幸せになれないと割り切り、自分の幸せを貪欲に追い求める。そんな彼女の孤独、崖っぷちゆえの力強さを目の当たりにするうちに、少しずつ、彼女への見方が変わっていった。
あれよあれよと境地に陥った彼女に差し伸べられた手は、救いどころか、更なる地獄巡りに彼女を引きずり込む。カロリーネが流れ着いた、いわくつきの砂糖菓子店。ゆるいゆえに抜け出せない、絡みつく共同体のさまは、川上未映子の「黄色い家」に、どこか重なる気がした。
カロリーネをすくい上げるかに思えた、女主人・ダウマのキャラクターが、とにかく不可解で目が離せない。てきぱきと指示を出し、迷える女たちに「あなたは正しい」とささやき君臨する。その一方で、意外な脆さ、人間臭さを併せ持つ。ラストの不遜な立ち姿と、懸命な抵抗が印象に残った。
ダウマの寵愛を争うかのように、密かに火花を散らすカロリーネとダウマの娘。裏稼業を続けるため、「あること」を毎日欠かさぬよう命じられる。主人に認められるための、互いに望まぬ共同作業だ。それは画的もグロテスクで、本来の意味合いとは程遠い。ダウマが一手に引き受けてきた汚れ仕事の恐ろしさを、彼女たちは日々の作業で少しずつ体得したのではないか。愛情を求めるほどにすれ違う、ねじれた関係の行く末に、思わず息を呑んだ。
周りを蹴落とし続けたカロリーネの新た選択は、到底罪滅ぼしにはなり得ない。けれども、誰かに引き上げられ、救われることから訣別し、彼女はようやく一歩を踏み出した。くすんだモロクロームの世界に、わずかな光と温かみが宿ったと、心から信じたい結末だった。
実際の事件に基づくが、創作された主人公により衝撃と余韻が増した
第1次世界大戦直後のデンマークで実際に起きた犯罪に基づき、時代と地域はそのままに、モノクロの映像で当時の雰囲気を再現している。スウェーデン出身のマグヌス・フォン・ホーン監督はこの事件がデンマーク以外ではあまり知られていないことから、事件を起こした人物ではなく、意図せず大変な状況に巻き込まれていく創作された女性カロリーネを主人公に据えた。その工夫により、観客もカロリーネの目を通じておそるべき事実を知り衝撃を受けることになる。また彼女に感情移入することで、自分や身近な人が似たような状況に置かれたらどうするだろうかと、答えの出ない問いを鑑賞後も抱え続けるのではないか。
本作はあまり予備知識を仕入れずに鑑賞したほうがいいだろう。とはいえ、貧困、望まぬ妊娠や出産、第1次大戦後(1919年頃)の社会状況などがテーマに関わっていることくらいは、観るかどうかを判断する基準として知っていても問題ない。影響がよく指摘されているミヒャエル・ハネケ監督の映画の中では、題材はやや異なるが「愛、アムール」に近いものを感じた。
映画の内容には直接関係しないが、プレス向け資料に早稲田大学名誉教授の村井誠人氏が寄せた解説の中で、望まれない新生児の誕生後、頭頂の頭蓋骨が閉じる前の柔らかい部分「(大)泉門」に針を刺す間引き(口減らし)の方法があったと書かれていて、これも衝撃だった。気になってネット検索したところ、英文の学術論文がいくつか見つかった。「Sewing needles in the brain: infanticide attempts or accidental insertion?」と題された論文によると、大泉門を通して脳に縫い針を刺す行為は、科学文献では40例が報告され、トルコとイランで多く、北欧や東欧などでも確認されたという。また、脳内に針が残ったまま成人することもまれにあり、同論文では82歳のイタリア人女性、また1970年に掲載された別の論文(Attempted infanticide by insertion of sewing needles through fontanels)では、32歳男性と31歳女性からそれぞれ脳内の針が見つかったという。
余談を長々と申し訳ない。もし本作の鑑賞後に興味を持った方が調べる手がかりになればと思い、書き残しておく。
静謐さと恐ろしさの狭間で
静謐なモノクローム映像の中、人間のグロテスクな側面が剥き出しにされていく。1910年代にデンマークで実際に起こった事件に着想を得たストーリーだが、すべての発端はやはり第一次大戦なのだろう。戦争さえなければ、誰もがこんなに追い詰められ、社会が蜂の巣をつつくように混沌化することもなかったはず。前半ではギリギリの状況を生きる主人公がさらなる苦難へと突き落とされ、中盤以降は、彼女に唯一救いの手を差し伸べた中年女性とのミステリアスな交流劇が描かれる。眼前に広がる町並みはまるで複雑な心理を象徴する迷宮だ。工場門が定刻通りに女性従業員を吐き出す様はリュミエールの代表作のよう。その上、そびえ立つ建物が不気味な影を落とし、道が曲がりくねる光景には、ドイツ表現主義の影響すら感じさせる。直視するのも恐ろしい歪み、傷跡、所業。なのにまるで催眠術でも掛けられたかのように、スクリーンへ引きつけられ続ける2時間である。
Gothic Film Noir
Girl with the Needle is more audiovisual eye candy than an engaging story. Think a techno music video shot as David Lynch's Elephant Man with the fine black and white compositions of Poland's Ida. Obviously there is some Von Trier influence in there. The pieces don't add to a whole but I may have only thought so because I am not a parent. Who would want to deliver kids into this dark world?
「今作一番の発見」
なかなかの良作
抉るような絶望
スケキヨが一番正常なのか
ホラーらしいと言う予備知識だけで鑑賞
怪物の様に奇妙に歪んだ恐ろしい顔が不協和音と共に延々と流れ続けるオープニング
なるほど、これは確実にホラーがはじまるオープニング
ドイツの撤退で戦争が終わって乾杯!
と言う場面から察するに時代は世界大戦直後
戦争未亡人が家賃を払えず無情にも追い出される
新しい家に幽霊がいるのか?
などとホラーを期待しながら物語が進んでいく
白黒で描かれる独特の画角の美しい映像
不協和音の入り混じる音楽
しかし最後まで幽霊は出てこないまま終わった
だけど確かにこれはまごうことなき100%のホラー
モンスターは人間
戦争が引き起こす貧困
貧困極まりない社会が人間を狂気の行動に追い詰める
金持ちの貴族が自社の社員の平民の未亡人をはらませたのに、冷酷に首にする場面などレミゼが始まるかと思いましたよ
人間の中に潜む怪物性があらわにされる本作
まさかの実話ベースの物語だとは驚愕です
戦争帰りのスケキヨ3倍増しの見た目怪物な旦那さんが一番正常な精神を保って日々を生きている皮肉
名作で怪作
SING SINGに続く2025年のベスト10に入れたいの洋画でした
どこまでが真実か知りたくなります
実話ベースという衝撃
なかなかショッキングな内容、しかも実話ベース。
全編モノクロで描かれる第一次世界大戦後のデンマークを舞台にした物語は、モノクロじゃないと直視出来ないであろう苦しく救いがないものでした。
とにかくずっと気味が悪く、不快で居心地が悪い。(褒めてます)色々描かれていないこともあるので、まだ理解しきれていません。
ダウマのしたことは私利私欲や薬の影響が大きいとは思うにけれど、裁判での言葉を100%否定することもできない。だって自分から子どもを手放したことは事実で…。多くの人が見たくない現実から目を逸らすことでしか生きていけない環境だったのだと思うと、胸が痛いです。
一筋の希望を感じる…気もするけど、いやそんなことはないよなというラスト。
気分はとても落ち込みました…。苦笑
なんとも恐ろしい映画…
オープニングで、苦痛にゆがんだような複数の顔を重ねて見せる映像からして、怖い。
全編モノクロで、光と影を巧みに扱った映像表現の見事さと、時に神経を逆撫でする前衛的な音楽と効果音が相まって、本当に…怖い映画だ。
舞台は、第一次世界大戦の終戦直前から戦後にかけてのデンマークの首都コペンハーゲン。
歴史・地理オンチの私の知識では、デンマークは中立を堅持したので戦場にはならなかったはずで、確かに描かれている風景に戦火の跡はない。
だが、当時は一部の地方がドイツ領となっていたのでその地方の男たちはドイツ軍に従軍させられて戦闘に加わったようだ。
「戦争に行きたかったが…」と縫製工場の社長が言う場面があるから、恐らく中立として自国を防衛するための前線への出兵はあったのだろう。
そんなことよりも、戦争による景気の極端な悪化が物資不足と貧困を招いていて、首都にも生活困窮者があふれていたという描写が衝撃的だ。第二次世界大戦直後の東京のように焼け野原になっているわけではないから、余計にショッキングだ。
重篤な貧困状態の都市で実際に起きた忌まわしい事件に着想を得たらしいこの映画は、事件以前に主人公の境遇を丁寧に描いていて、見せつけられる極貧生活こそ身の毛がよだつ有り様だ。
ニードル(縫製用の針のことだと思う)を持つ女=カロリーネには夫がいるのだが、戦争に行ったまま行方不明となっていた。
夫の死が確定されていないから寡婦としての補助も受けられず、縫製工場でわずかばかりの賃金を得ているが、家賃も払えず強制退去させられる。
そんな彼女にも幸運が訪れるのだが、もうその段階で悲劇が待っているだろうと誰もが勘ぐるところだ。
果たして、さらなるどん底に彼女は突き落とされることになり、まだまだ映画の序盤なのにかなり厳しい。
カロリーネの夫が見るも哀れな姿で帰国すると、モノクロの画面も助けてゴシック・ホラーの様相を呈してくる。
カロリーネがやっと入居できた安普請のアパートの床で眠る夫の様子は、モンスター映画の匂いがする。
しかし、この夫は決してモンスターではなく、戦争被害者なのだ。
ずっと昔、バスタブで子宮に自ら針金を刺して堕胎する場面が何かの映画にあった気がする。(『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』ではなく、70年代の映画…)
カロリーネがニードルを隠し持って公衆浴場に入る場面でそれを思い出して身震いした。
その浴場で砂糖菓子店の女店主ダウマとその娘にカロリーネは出会うのだ。
カロリーネを演じたヴィクトーリア・カーメン・ソネと、ダウマを演じたトリーネ・デュアホルムの2人の女優が凄いとしか言いようがない。
カロリーネは、そのあまりにヤツレた様が時に老女のようにさえ見える。
目を見開いたままだったり、口をあんぐり開けたままだったりと、時に常軌を逸した表情を見せるヴィクトーリア・カーメン・ソネは、事件に至る前から見事なまでに不気味なのだ。
ダウマはといえば、正体が知れない恐ろしさを秘めていて、しかし包容力のある良母のようでもある。
トリーネ・デュアホルムの体当たりの演技は凄みさえある。
今も昔も、望まない妊娠は女性を心身ともに傷つける。
あの時代だと避妊具も発達していなかっただろうし、そもそも避妊の意識が薄かったかもしれない。カロリーネも妊娠してもいいと思っていた訳ではないだろうから。
だが、今日の糧にも困窮している状況で、望まれない子を産んだ母親たちは生きるために重い決断をせざるを得ないのだ。
この状況が一番恐ろしい。
はたしてこれは、昔話のファンタジーと解釈してよいのだろうか。
時と場所は大きく違い、社会的背景が全く異なっていようと、望まぬ妊娠に苦しんでいる女性はいるし、望まれないままに産まれてくる赤ん坊もいるのだ。
この映画の時代よりもはるかに成熟したはずの現代、妊娠・出産が女性のリスクでありつづける社会は異常なのではないかと感じる。
余談…
劇中、エーテルを水(か酒)に薄めて飲む場面がある。このエーテルでカロリーネとダウマはハイになる。
この当時は麻酔薬として使われていたのかもしれないが、容易に入手できたのだろうか。
Life can be beautiful
悪夢のような映画、ラストとキャッチコピーに異論アリ
女性の苦悩のひとつは、望まない妊娠だと思う
否、最大の苦悩と言ってもいい
妊娠は不可逆的なものだし
男性は一時の快楽で終わるものだが、女性は身籠れば十月十日不自由を強いられる
身体は醜くなり、髪は抜け、歯もボロボロになった挙句、出産という命懸けのイベントが待ち構える
その後、果てしない時間がかかる育児という災いを抱えるのである
望まない婚外での妊娠+貧困という、最大の災厄に遭遇したカロリーネ
間借りした最低の部屋の家賃を稼ぐためにも、身重の身体でキツイ肉体労働をせざるを得ない
そこに、WWIで顔面を酷く損傷した夫の帰還
(NHKの映像の世紀でも、負傷した兵士の顔貌のケアがこの時期から始まったと紹介されてましたが、正にそれに該当)
夫の不遇な存在を暗喩する、顔を覆うマスクから漏れる不快な呼吸音が彼の登場から鳴り響き、不幸の上塗り感を増す
(夫のまともな顔面は美男子にも見えるので、カロリーネが面食いならば、こんな夫は想定外なはず…)
陰鬱なスタイルの映像で、普通のシーンもホラーに見えるような独特の雰囲気に満ちた映画、終わらない悪夢のよう
とはいえどストーリー展開は早く、惹き込まれる
ラストもあの展開は納得できないというレビューもあるが、ダウマとシスターフッド的関係にもあったので、ダウマの心残り(イリーネ)を受け止めるカロリーネという筋でも良いとも思えるが、一方でこのラストはいかにも現代的な感覚の、観客に媚びた都合の良いオチとも思える自分もいる
(対面した二人が抱き合う姿が、お涙頂戴にも見える)
この当時の孤児院の環境の劣悪さは言うまでもないが、極貧状態の主人公がそんなお花畑的な発想をするのかという疑問も…
確かにラストに異論がありますね
また予告編は「その街では、よく人が消える」というフレーズで終えますが、これはストーリーから外れてませんか?(どなたかもレビューしてました)
実際の連続殺人事件をモチーフに、という解説だったのですが、確かに連続殺人ではあるけれど、少し違う気がします
女性の貧困というテーマは嫌いではないので、結果的には良しとしますが
幸せになれなそうな気配
残酷な生と儚い死の狭間
第一次世界大戦後デンマーク。縫製工場で働くカロリーネ。貧困にあえぐ彼女は、借家を追い出され、恋人に裏切られ、妊娠の中、絶望の淵にいた。そんな折、表向きは砂糖菓子店、裏は育児放棄された赤ん坊の養子縁組の仲介をしている女ダウマと出会う。カロリーネはダウマの仕事を手伝うにつれ、彼女の恐ろしい真実を知ってしまうのだった。
モノクロ画とディストーション音は、残酷な生と儚い死の狭間を観客に想起させる。現代の価値観で測られない残酷さがテーマで、救いがない。仏教でいうところの「無間地獄」だ。詳細は避けるが、当時の市井の人々の語られぬ真実とその語られぬ社会の綻びを誰が縫うのか、そして背負ってしまった「夜叉」を誰が救えるのか、観客に問いかける。
救いと言えるかわからないが、主人公カロリーネは善人ではない。おそらく当時の価値観でも結構な「ガタピシ」さんだと思う。おかげで感情移入が出来ず良かったかもしれない。
映画としての完成度は非常の高いと思いますが、テーマが重く、残念ながら鑑賞後のスッキリ感はありません。幕が下りた後の劇場からの「持ち帰り割引ポップコーン」のCMに救われる、そんな一本でした。
モノクロが美しかった
戦争で夫を失った女たちの正しい選択とは?
本題に入る前に本作を見て思い出した
「火垂るの墓」のあるシーンについて触れたい。
両親を亡くした清田と節子は親戚の家で
世話になるのだが、
二人はそこの家庭の子供と食事の内容が
まるで違うというあからさまな差別を受ける。
では、この食事を出した叔母は責められるべきか?
きっとこの叔母は戦前は優しい人物だった筈だ。
だが戦争が彼女を変えた。
十分な食料があればこんなことはせずに済んだ。
大人になってから本作を見返すと
清田と節子を追い詰めた彼女もまた
戦争の被害者であることが分かる。
銃弾が飛び交う戦場を描かずして
生み出された反戦映画の傑作。
「火垂るの墓」がそう賞賛される理由が
僅か数分の食事シーンからも垣間見える。
本作「ガールウィズニードル」は
モノクロによるグロテスクな作風で
残酷な描写ばかりが話題になりがちだが
その奥にはこのような高尚な演出により
人間そのものを描き出すアプローチが見えてくる。
続きはnoteにて
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