「自分を愛せない悲劇」サブスタンス つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
自分を愛せない悲劇
これはルッキズム批判やアンチエイジング批判に留まるような映画じゃない。もちろん女VS女の物語でもない。「自己愛とは何か」その問いをシンプルかつ大胆にホラーへと昇華させた、類まれなる映画だ。
グロくて怖いし、グロさもバリエーション豊かなので万人には勧められない。「サブスタンス」観ながらハンバーガー食べられるくらいの図太さが必要。
主人公・エリザベスが求めているのは、「皆に愛される自分」である。若さも美しさも副次的なものでしかない。
その「愛されたい」に対して、エリザベス自身は自分をうまく愛せないでいる。それはサブスタンスによって若く美しい「スー」を手に入れてからも解決せず、むしろ悪化しているように見える。
スーでいる間は、望んだ通りにチヤホヤされているものの、エリザベスに戻れば同じ人間から悪態をつかれる。その経験のせいでエリザベスは引きこもってテレビを見るだけの1週間を過ごし、部屋は荒れ、暴飲暴食で自分を慰めながら同時に傷つけていく。
7日間は長い。嫌いな自分と向き合うだけの1週間ともなればなおさら。逆に、スーである1週間は短すぎて、エリザベスである時間の怠惰さを「無駄」に感じてしまう。忙し過ぎて自由に過ごせない歯がゆさが、孤独な時間を耐える自分を切り捨てようとする恐ろしさ。
ちょっとくらい、無駄な時間を有意義に使ったって良いじゃないか、とばかりにスーは7日間のリミットを超えてしまうが、代償となったのはエリザベスの肉体だった。これをきっかけに、スーとエリザベスがバランスを取り戻せれば良かったのだが、むしろエリザベスの自己否定は更に拗れる。
お世辞かもしれないが「君は今でも世界一可愛い女の子だ」と言ってくれたフレッドが、エリザベスがエリザベス自身として愛される最後のチャンスだった。
会う約束をとりつけ、いざ出掛けるという時に目に飛び込んでくるスーの看板。あれは「完璧な自分」だ。もっと完璧にならなきゃいけない。完璧じゃなかったら、きっとフレッドは愛してくれない。
その感覚はもはや呪いだ。
なぜ「もっと、もっと完璧に」と際限なく求めてしまうのか。唇に潤いを足し、萎んた胸元は隠し、チークを濃いめに…どんなに繕っていっても、50歳のエリザベスがスーの持っている美しさを再現するのは無理だ。大体、フレッドだって求めてないのに。
もし、フレッドに会いに行っていたら、エリザベス自身を受け入れてくれる存在に心が安らいだはずである。スーのように多数に絶賛されなくても良いじゃないか。自分を愛してくれる存在は、自分自身を愛するきっかけになるはずだった。
結局、エリザベスは自分を愛せず、完璧な自分であるスーへも憎悪を募らせ、そんな醜さの権化であるエリザベスの存在は、スーによって搾取される。
醜い自分など、外に出るべきではないから。
私が本当に恐ろしかったのは、モンスターと化す前のスーによるエリザベスへの過剰な暴力である。
自分自身への攻撃は他人への攻撃より苛烈だ。愛される自分、その存在を脅かし、足を引っ張り、闇が深くなるくらいなら光を消してしまおうとする自分を息絶えてもなお蹴り続けて、それでもやっぱりこれは自分だと思ったのか。
それでもやっぱり、光を浴びてもう一度輝きたいと願うエリザベスの執着は、当然スーも同じ。
サブスタンスを終わりにする為の投薬のせいなのか、本体であるエリザベスの肉体が再生不可能だからなのか、スーの肉体も崩壊し、スーは禁断の2回目のサブスタンスに全てを賭け、そして彼女はモンスターとなった。
正直、あれをモンスターと言っていいのかわからない。エリザベスよりもスーよりも、純粋にこれが自分自身なのだと自覚している分、「モンストロ・エリザ・スー」は自己を肯定しているように感じたからだ。
知ってはいたけれど、想像以上にホラーだった。ホラーテイストはあっても、もっと途中で自分を肯定するような方向に向かうんじゃないかと思っていたから、崩壊するまで主人公を追い込んでいくテイストに驚愕した。
多分デミ・ムーアのファンと思しきおじいちゃんを見かけたのだが、彼がどう思ってこの映画を観ているのか、そもそもこのホラー展開についていけているのか、ふとそんな事を鑑賞中に考えて不安になったくらい、容赦がない。
が、私個人としては色んなシーンが面白く、特に序盤にこの後の展開を示唆する様々な仕掛けが施してあるのが良い。
序盤は映像的にもかなり攻めていて、カメラの近さや咀嚼音・呼吸音の近さが、エリザベスと観客を接近させるように仕向けられているところも興味深い。
誰だって、自分自身に嫌いなところはある。その日の体調や気分によって、良いパフォーマンスが出来るかどうかもわからない。
「より良い自分になれ」という命題は、もちろん悪いことじゃない。が、「ダメな自分」とどう向き合うか、を教えてくれる人はあまりいない。
ダメである自分も、また自分なのだ。ダメな自分を切り離して、良いところだけの自分しか見せないようにしたとしても、結局自分自身はダメで嫌いな自分からは逃げられない。
ダメな自分の時間とは、より良い自分を生み出す為に必要不可欠なインターバル。それが「バランス」なのだということを忘れないようにしたい。
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