「おん年86歳にして未だ青春まっ只中にいる稀代の映画バカ フランシス•フォード•コッポラが未来に残す渾身のメッセージ」メガロポリス Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
おん年86歳にして未だ青春まっ只中にいる稀代の映画バカ フランシス•フォード•コッポラが未来に残す渾身のメッセージ
エンドロールが終わって腰を浮かせかけたとき、近くの席にいた70代半ばぐらいの恐らく夫婦連れの二人組の男性のほうが奥様とおぼしき女性に言った言葉が耳に入ってきました。「コッポラもこんな映画を作ってるようじゃ、もうダメだな」(女性のほうはそれに頷きもせず、聞き流してるだけの感じでしたが)。それを聞いて、まだラストシーンで流した涙が乾ききっていなかった私は心の中で悪態をついたのでした。「こら、爺ィ、わかったような口をきくんじゃねぇ」
人間、年取ってくると、したり顔でわかったような口をききたくなるものです(と、自戒の念を込めて日頃の言動を反省しております)。でも、コッポラはこの物語を語るにあたってわかったような口をきくことなどいっさいありません。老人特有の分別臭さなど微塵も見せずに、未来を、夢を、理想を熱く語ります。このあたりが、比較して申し訳ないのですが、同じくアメリカについて語りながらも、したり顔でわかったような口をきいてる風の『シビル•ウォー アメリカ最後の日』とは大きく異なるところです。この『メガロポリス』のほうに作り手側の志の高さをより強く感じます。
物語はニューヨークをモデルにしたと思われる近未来都市 ニューローマ(英語の発音に近いカタカナ表記はニューロウムなんでしょうけど)を舞台に展開します。主人公はメガロンという新素材を開発したことによりノーベル賞を獲った天才建築家のカエサル•カティリナ(演: アダム•ドライバー)。この名前は古代ローマ史上の人物ふたりの名前の組み合わせですね。他にもキケロやらクラッススやら、古代ローマゆかりの人名が出てきます。私も以前は公共貸本屋(またの名を図書館という)を利用して塩野七生のローマ人の物語なんぞを読んだこともあったのですが、通しで読んだわけでもなし、何よりも忘却の彼方でローマ史なんてあやふやそのものです。この物語のストーリーを理解するのにローマ史の知識はあったほうがいいかと訊かれたら、まああったほうがいいかもしれないけど、どっちでもいいんじゃないという答えになると思います。そもそもこの物語が史実に沿って進むわけではないし、これを観た西洋人のなかでも古代ローマの歴史にとことん詳しい人などほんの一握りでしようから。
でも、やっぱり、前半部分のストーリー展開はわかりにくいです。出来の悪いバットマン映画でゴッサム•シティの偉いさんたちが権力争いをしてるみたいな図なのですが、コッポラ監督がいろいろなシーンを挿入してきてさらにわかりづらくさせています(それでも評価は下げませんが)。まあでもこのあたりの擬古典調の絵作りには妙に心惹かれるものがありました(特に結婚式のアトラクションのあたり)。
次に、ストーリー展開にはあってもなくてもまったく影響のなかったカエサルの特殊能力について。カエサルが気合いを込めて「時よ、止まれ!」っていうと本当にこの世界の時が止まってしまって、ゆびをぱちんと鳴らすと元にもどって世界が動き出すという…… その昔、スーパージェッターという漫画で、30世紀の未来から時の流れをこえてやってきた少年がいて、彼はタイム•ストッパーという道具を使い……長くなるので以下略
このカエサルの特殊能力ですが、よく考えてみるとなかなか奥が深いです。コッポラは映画という形式で表現活動をしているわけですが、この映画や演劇、音楽、文学などの「時間芸術」では時間をコントロールしています。例えば、約2時間の長篇映画で百年にわたる物語を表現することもあれば、一晩の出来事を表現することもあります。これに対して、絵画、彫刻、建築などの「空間芸術」では静的な状態で空間を使って表現します(絵画や写真の場合は二次元ですが)。例えに写真を使うとわかりやすいと思いますが、移ろいゆく時間の一瞬を切り取って表現しています。そう、空間芸術の芸術家は時を止めることができるのです。カエサルは建築家です。物語の中の彼の時を止める能力は芸術活動のメタファーだと思います。ということで、このカエサルの特殊能力はコッポラの芸術家としての矜持と芸術の可能性は無限にあるのだよということを伝えたかったのではないかと思った次第です。
それにしてもコッポラさん、伝えたい思いが溢れてるみたいで交通整理ができてない感じでストーリーが大渋滞しておりました(それでも評価は下げませんが)。
そして、未来に残したいメッセージ。みんな、この宇宙船地球号に乗り合わせた仲間なんだから、分断を乗り越えて対話して手を携えて未来に向かって前進してゆこうよ、みたいな感じで、まるで青春まっ只中の高校生が世界平和デーとか世界環境デーとかに寄せた作文で書くような内容で、コッポラのおっさんよう、お前さん、いったい幾つなんだよ、と涙が止まらなくなりました。やれ、コスパだの、タイパだの、何かと効率やら、要領やらがハバをきかせる このご時世に、悠々自適の生活をしていてもおかしくない、功なり名をとげた感じのある ご老人(失礼!)が自分には伝えたいことがある、表現したいことがあると、私財を投げ打って新たな作品を世に問う…… そこに、永遠の映画少年にして正真正銘の稀代の映画バカの姿を見た思いがしました。
席から立ち上がった私は潤んだ目元をぬぐい、先ほど見知らぬ紳士に心の中とはいえ悪態をついたことを反省し、出口に向かう廊下の途中で振り返ってちらっとスクリーンのほうを見て「今日はどうもありがとうございました」と心の中でつぶやいて家路についたのでした。
Freddie3vさん
コメントありがとうございます。フォローまでしてくださって恐縮です。私からもフォローさせてもらいますので気長によろしくお願いします。
そうですね時を止めたのは良かったんですけど、時を止めることとユートピア建設の物語にあまり繋がりが見出せなかったので、そこで抱いたワクワク感が昇華されなかったのがモヤモヤしましたね。
もっと単純にワンカット毎に細切れに反射神経で楽しめばいいんだよって事なら、ストーリーの見せ方はもっと難解にした方がこちらも物語を追うのを諦めてワンカット毎に楽しもうって割り切れたと思うんですよね。
ただそれは総評の話で、シーン毎なら良いところ沢山ありましたよね。古めかしい摩天楼の様子も良かったし、彫像がうな垂れて崩れるシーンや冒頭の都市計画を巡って市長と舌戦を繰り広げるシーン、あとやっぱり披露宴のシーンは良かったですよね。バックステージでトリップしているシーンが妙にアナログの手作り感に溢れているのと併せて良かったです。
スラムで光り輝く花屋は、その後奥さんを見舞うシーンも含めて実際に存在するのか?それともアダム・ドライバーの妄想を視覚化した物なのか?は未だに良く分かりませんけど…。鑑賞から時間が経って記憶が曖昧になって来たので一層分からなくなってきました)
と、言われて思い返してみれば確かにそういう所にコッポラ監督の良さや可愛らしさは感じました。写真とか見ても実際可愛いですし。
Freddie3vさん
あんな内容のレビューに共感くださりありがとうございます。
私はコッポラ監督の溢れ出る伝えたい思いを受け止めきれませんでしたが、Freddie3vさんのレビューには大変共感いたしました。(Freddie3vさんのレビューは交通整理がちゃんとされているからというのもあるのですが…)
また本作において時を止めることの意味もレビューを拝読して得心しました。ありがとうございます。
あんな内容のレビューを投稿した身ではあるのですが、それでもコッポラ監督の採算や合理性度外視の映画バカぶりにある種の感動を覚えたのも事実ですし何ならもっといって欲しい気持ちもあります。
それにこの映画界の一大イベントである本作をこれまた採算度外視?で日本公開の実現にこぎつけてくれた配給会社さんの姿勢にも感謝と感動の念を抱いております。映画バカ万歳!です。
「こういう志が高貴で内容がどことなく喜劇的、興行面、世評が悲劇的というのは香ばしい香りがします」
と、どこかで目にした、、、
なんか、わかるような気がします!!
もうれつ的に
ブレランの影響で、「AIにも愛があるかも?」って錯覚してしまうかもしれないです。でもAIが監督だと、監督の苦しみや思想がないので、そもそも興味が出ないかもしれないです。
映画や演劇、音楽、文学などの「時間芸術」では時間をコントロールしています。例えば、約2時間の長篇映画で百年にわたる物語を表現することもあれば、一晩の出来事を表現することもあります。これに対して、絵画、彫刻、建築などの「空間芸術」では静的な状態で空間を使って表現します(絵画や写真の場合は二次元ですが)。例えに写真を使うとわかりやすいと思いますが、移ろいゆく時間の一瞬を切り取って表現しています。そう、空間芸術の芸術家は時を止めることができるのです。カエサルは建築家です。物語の中の彼の時を止める能力は芸術活動のメタファーだと思います。ということで、このカエサルの特殊能力はコッポラの芸術家としての矜持と芸術の可能性は無限にあるのだよということを伝えたかったのではないかと思った次第です。
上記は、すごく共感できました!!
まるで青春まっ只中の高校生が世界平和デーとか世界環境デーとかに寄せた作文で書くような内容で、コッポラのおっさんよう、お前さん、いったい幾つなんだよ、と涙が止まらなくなりました。やれ、コスパだの、タイパだの、何かと効率やら、要領やらがハバをきかせる このご時世に、悠々自適の生活をしていてもおかしくない、功なり名をとげた感じのある ご老人(失礼!)が自分には伝えたいことがある、表現したいことがあると、私財を投げ打って新たな作品を世に問う…… そこに、永遠の映画少年にして正真正銘の稀代の映画バカの姿を見た思いがしました。
上記部分が特にすきでした
男性がおっしゃるような言葉ですね、最初のところ。映画館でも動物園でも、男性が女性に(えらそうに)何か言う、それは本当に大きなっお世話です。男性は1人で映画館に行け、女性はとっくに一人で映画館に行ってますから!