ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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親の財で生き
現実を見据えたシビアさ
ストリップダンサーがロシア人の御曹司と恋に落ちるシンデレラ・ストーリーと思いきや、さにあらず。相手の男イヴァンは裕福な両親に甘やかされた放蕩息子で、この交際は破綻の危機を迎えていく。
アノーラとイヴァンが親密になっていく序盤から小気味いいリズムで進み飽きさせない。ただ、世間知らずなお坊ちゃんイヴァンが余りにも軽薄過ぎて、この交際が上手くいかないことは火を見るよりも明らか。アノーラの想いとは裏腹に、厳しい現実が彼女の前に立ちふさがることになる。
身分の差によって引き裂かれるメロドラマというお馴染みのストーリーだが、本作はヒロイン=ストリップダンサーという設定にしたところがミソだと思う。そこには、昨今のアメリカ映画の潮流とも言える、女性に対する性的搾取という問題が垣間見える。
例えば、昨年観た「哀れなるものたち」は、エマ・ストーンが娼婦に身を落とし、そこから自らの人生を見出していく物語だった。あるいは、「プロミシング・ヤング・ウーマン」はキャリー・マリガンが下衆なナンパ男に報復していくという物語だった。実話の映画化「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」や「スキャンダル」という作品もあった。
これらに共通するのは、性的に虐げられてきた女性が男根主義社会に反撃をくらわすというジェンダー平等の提言である。
本作のアノーラもセックスワーカーであり、男性客に性的な奉仕をして生活をしている。そういう意味では、一連の作品に共通するヒロイン像と言える。ただ、本作がこれまでの作品と違うのはその描き方である。
これまでなら自分を虐げてきた周囲を見返すような反撃が描かれていただろう。しかし、本作は極めて現実主義的でシビアな展開に終始するのだ。
確かにアノーラはイヴァンの両親が差し向けたお目付け役に反抗して見せるが、所詮は非力な女性である。腕力では男たちに到底かなわず、彼等の前では屈するしかない。特に中盤、彼等に軟禁されるシーンは印象に残る。彼女は大声で「レイプ!」と連呼する。しかし、その声は屈強な男たちによってかき消されてしまう。
本作を観ると、先の作品が全てファンタジーのように思えてしまう。
昔に比べたら確かに女性の地位は向上したと言えるだろう。しかし、現実にはまだアノーラのように身体的、社会的に力の弱い女性がいるということを、この映画は語っているような気がする。昨今の潮流を考えると、こうした厳しい現実を提示して見せた所は本作の大きなトピックではないだろうか。
製作、監督、脚本、編集はインディーズ界の雄ショーン・ベイカー。一貫して社会の下層に生きる人々を描いてきた俊英である。
持ち前の軽妙な演出は前半のラスベガスの豪遊シーンや、中盤のドタバタ騒動劇で発揮されている。シリアスとコメディが入り混じるバランス感覚も絶妙で、とりわけラストシーンは秀逸だと思った。
キャストでは、何と言ってもアノーラを演じたマイキー・マディソンの圧倒的なパフォーマンスに痺れた。フィルモグラフィーを見ると「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にチョイ役で出演していたらしいが、まったく覚えておらず。今回改めその魅力を確認した次第である。
劇中では非常にパワフルで快活なのだが、時折見せる憂いに満ちた眼差しが印象に残る。セックスとゲームしか頭にないイヴァンを見る目に彼女の不安が透けて見える。彼女自身、この関係が長く続かないと、心のどこかで予感していたのではないだろうか。
また、イヴァンのお目付け役の一人イゴールを演じたユーリー・ボリソフは、本作で最も好感を持てた俳優である。彼は「コンパートメントNo.6」でも似たようなキャラを演じており、そちらでも好印象だった。
“希望”ではないが“絶望”でもない
今年はNHKBSで第97回アカデミー賞が放送されていたので録画してからざっと眺めたら、本作が作品、監督、主演女優、脚本、編集の5部門も受賞していたので、早速近所のシネコンに見に行きました。
まず久々にアカデミー賞を見ましたが(流して見ただけですが…)、昔と雰囲気が変わっていて時代の流れを感じました。
一番驚いたのはBLACKPINKのリサが出ていた事でしょうかね(笑)
まあ何にしろ昔の華やかなお祭り騒ぎ感がノミネート作品の地味さからかあまり感じられませんでしたね。
とにかく(まだどの作品も見ていないのであくまでもイメージですが)“アメリカ人万歳”的な感覚はほぼ無くなりつつあり、ノミネート作品も他の海外国際映画祭の様な作品が並び、エンタテイメントよりもアート寄りの作品が多くなっていたように感じられました。
で、本作も見終えて深さは感じられましたが、今までのアカデミー賞向きでは無い様な気もしました。これも時の流れなのでしょうね。
とりあえず本作の感想ですが、まず物語に登場する誰一人にも感情移入はおろか、親近感のわく人物像を全く配置させない事から現代性を感じてしまう。
主人公は性産業を生業にしている女性がであり、後はロシア系の財閥とその御曹司とそれに使える神父やら用心棒やら取り巻き達。
なので、前半部の欧米映画によくある超リッチな豪邸のパーティーやら自堕落で享楽的な(店内などの室内シーンばかりの)映像には生理的に見ているのが本当にしんどかったのですが、後半からの屋外に出てからが急に面白くなり出しました。
これは私の推測ですが、本作の主人公の名前のアニーは、ひょっとしたらミュージカル『アニー』からの、真逆のパロディでありメッセージなのかも知れないという気がしました。
本作はある種の“恋愛映画”でもある訳ですが、『プリティ・ウーマン』(娼婦と金持ち)や『アニー』(孤児と金持ち)の様なシンデレラストーリーやアメリカンドリームでもなく、決してハッピーエンドでもなく、職業や生い立ち(環境)からくる気質の美化も見せない。
ただあるのは人間の身勝手さと欲望と自堕落さであり、それを生々しいまでに描きながらも、時折見せるアニーの冷めた眼差しであったり、後半から出てくるある人物の持って生まれた様な(優しさなのか?)紳士性であったり、そうしたディテールの積み重ねがあのラストシーンへと繋がり、決して“希望”ではないが“絶望”でもないという現在(現実)性を感じさせてくれる作品でした。
バイオレンスではない暴力
2024年。ショーン・ベイカー監督。ニューヨークで夜の性産業に従事する女性は、ロシアからやってきた若い客に見初められて自宅に招かれると、とんでもない豪邸に住んでいることがわかる。一週間の専属契約の後でプロポーズされるが、やがてその男の親に雇われた男たちがやってきて、、、という話。
「そこに愛はあるのか」という恋愛映画の永遠の主題が、あからさまな性と金の問題として描かれる。筋だけ追えば「主人公が疑いながらも得ていると思っていた愛らしきものが最初から幻だったことがわかる悲劇」ということになる。最初からある性的な格差(男と女)と資本力的な格差(富豪と夜の女)は愛の力では超えられなかった(この愛の疑わしさは当初からわかっているのだが)、ということだ。
しかしこれは喜劇でもある。男の親から派遣されてくるこわもての男たちは銃を持ってないし、人を殴らない。この映画で人を殴るのは主人公をはじめとする女性たちだけだ。悲劇をもたらす力であるはずの富豪一族、特に母親も最後の最後で主人公の女性に痛快にやられている。こわいおにーちゃんたちが女性をめぐってあたふたし、鼻を骨折してゲロをはく様子や、権威的な母親がやり返されて痛いしっぺ返しを食らう様子は単純に笑える。力の転倒の喜劇。悲劇と喜劇が上手にブレンドされた映画はたいてい面白いから、この映画も面白いのは当然だ。
それでもやはり、これは「暴力」の映画だ。こわもての男たちのうちのバイオレンス担当の男は、主人公の女性に「底辺に生きる者同士の連帯」のようなものを示し続けている。その男を忌み嫌っていた女性は最後に男のまごころに触れたおもいになった時、性的な行為で感謝を示すことしかできない(これが新たな愛の認識だと純粋なラブストーリーになるところう。この作品においては、あくまでも男の思いは共感的同情的なものであり、女性の思いは感謝だろう)。女性には性的に搾取される貧しい人間の行動規範が身についてしまっているのだ。これが人間に振るわれる最悪の暴力でなくてなんなのか。最後の涙は身につまされる。
罵倒は本質を現す
つまらなくはないが面白くもない
第97回アカデミー賞では作品賞や監督賞、主演女優賞など5部門を受賞。
ストリップダンサーのロシア系アメリカ人アノーラがロシア人の御曹司イヴァンと知り合い期間限定の付き合いを契約しラスベガスで衝動的にノリで結婚。その後のイヴァンのボディーガードや両親を巻き込んでの結婚を破棄させるまでのドタバタ劇です。
ストーリー自体はコメディ要素もありますが、R18+ですので演技が妙にリアルで生々しい。
冷徹なイメージのロシア人達の慌てぶりをアメリカ映画としてエネルギッシュに描いているのですが問題はこの主人公二人の行動に全く共感できずラストも微妙でなんとも言えず。
印象には残りますがアカデミー賞の作品賞受賞が個人的には疑問でした。
おススメ度は普通のやや下です。
パルムドールとは一体何だったのか・・・
アカデミー賞受賞&R18という異色の組み合わせに期待したのですが・・
前半はラリってて、後半はしんみり。
久々納得のアカデミー賞
ラブラブ映画と思いきや全編ぶっ飛び映画
R18映画は苦手で観に行くの嫌でしたが
オスカー5部門取れば観に行くしかないでしょう
観た感じ前半はまぁ過激なシーンあったけど
全体的違和感なかった
ストーリーも脚本良かったので分かりやすく
観れました
出演者皆ぶっ飛び演技で主演女優賞取った
女優さんの体当たり演技良かった
映画の中で落ち着いていたボディーガードの
男性良かったのに賞取れなかったのに断念
ですね
最後の終わり方から無音のエンドロール
大好きです
アカデミー賞とは?
賞を取るとか考えずになんだか気になっていたので見に行ったのだけど、正直さほど心に響かなかったかなぁ。
ロシアのパリピバカ息子と、なんとか毎日生活してるセックスワーカー?とのジェットコースターラブコメ?
セックスシーンがセンセーショナルではあったけど、そういう映像がなかったら、まぁありきたりなストーリーで注目されることはなかったのではないかな。
ギリギリまでバカ息子を信じたアノーラは、本当の最後まで涙を見せず、イゴールとのカーセックスの時に号泣して、私もついつられてほろりときた。
イゴールの優しさは情なのか、それを受け取って余計に辛くなったのか…。
アカデミー賞ってこういう作品が取るものなのか…という印象だった。
イゴールいい奴
シンデレラストーリーの夢と残酷な現実
めちゃくちゃ面白かったです!
アカデミー賞作品賞受賞ということで身構えていましたが、そんなことはお構いなしと言う位突き抜けて面白く、それでいて泣かせられると、そういう人間ドラマでした。
男女の出会い、突き抜けて明るくエロいラブロマンス、から抱腹絶倒のブラックコメディ、そしてあの展開からのエンディング。
ジョブ
ラブ
セックス
コメディ
シリアス
社会批判
全部入ってました。
こんなにオープンにエロくて、思いっきりブラックコメディーな作品が、アカデミー作品賞を受賞する。
近年アカデミー賞の方向性が大きく変わったのかというのをまざまざと思い知らされました。
そして、ショーン、ベイカー監督ならではの、男女の出会いと引きこもごも、そしてもつれてのその先。
その独特の映画の描き方、着地点。
どれも、一級品と言って間違いないでしょう。
全作レッドロケットと構造は似ています。
男女逆転してるだけと言えばそうなんですが。賛否解釈割れそうなラストのビターさ、社会批評的側面はアカデミー受賞に一役買ったのではないかと思います。
いろいろ述べましたが、とにかく1本の映画としてめちゃくちゃ面白いので、ぜひぜひ多くの人に見に行ってほしいと、そう思いました。
人間の醜さと差別にまみれた世の中の汚さ
現代版『プリティウーマン』的な美しいシンデレラストーリーではなかった。
描くテーマの一つに「セックスワーカー(性産業)の女性の生き方」があったので、本番アリのストリッパー・アローラを主人公に据え、前半は露骨な性交シーン&様々なR18+描写が続く。
大富豪の息子は本当にクソガキで、アローラの気持ちをもてあそぶ。
前半はそいつがバカやってるシーンがずっと続き、単調で眠気を誘発するシーンもあった。
クソガキとその両親、トロスたち監視役の男たちは、アローラを人間として見ていない。
セックスワーカーという職業差別を筆頭に、人種差別、性差別の限りを尽くして、お上品な階級とは思えない下品な振る舞いと命令口調で彼女を追い詰めていく。
しかし、登場人物の中で唯一まともなことを言っているのはアローラだけ。
教育を受けてないから語彙が少なく、使う言葉(セリフ)はスラング&侮蔑語ばかりながら、思いは純粋。
金や身分ではなく、本当の愛を求めていて、お目付け役たちに拘束された当初は、手に入れた愛を守るために動いているのがわかる。
しかし、その愛が幻で、男が真のクズでガキと知ってからは、アローラは自らの尊厳を守るために動いていく。
訪れるのは悲劇。
そして見張りの男が示した好意に、アノーラが示す感謝の仕方がまた切ない。
観客としては、安易な共感はできないものの、どんどんアローラへ好感を抱いていく。
とはいえその好感の正体が、「同情とか上から目線なものではないのか」と逡巡せざるをえないので、観ている人間の心根が試される踏み絵のような存在と気づく。
終わってみれば人間賛歌ではなく、人間の醜さと差別にまみれた世の中の汚さを徹底的に見せつけるという内容でした。
これにアカデミー賞を与えるとは、アメリカが病んでるのではないかと心配になりました。
娼婦は相手とキスをしない
上方落語の味わいが江戸落語の湿っぽさに取って代わられる瞬間
本年度アカデミー賞で作品賞、監督賞など5冠に輝いた『ANORA アノーラ』。ここで過去のショーン・ベイカー監督作を振り返っておくと、大抵セックスワーカーが主人公として登場する。多くの場合、彼/彼女たちはうだつが上がらず、社会の底辺で貧困にあえぎながら場当たり的に暮らしている。そしてかなり自己チューで口約束は平気で破ったりする一方、ロクデナシに入れ込み関係を断てないでいる。ときにはケチな悪事に手を染めたり、深く考えもせずヤバい橋を渡ったりもする。
自分の周囲にこんな人たちがいたら相当迷惑だろう(笑)。だが「善とか悪とか単純に割り切れない、それこそが人間なんだ」といわんばかりに生きざまの多様性を認め、そのいい加減さも含めて丸ごと「人間味」として肯定するのが、ベイカー監督の一貫した姿勢であり、こちらの心に深く刺さってくる点でもある。
最新作でもその根っこの部分は変わらない。さらにテクニカルな面でも、直近2作と同じく個性的な手ブレ描写も交えたフィルム撮影を敢行して、アート系インディペンデント映画の肌触りを保っている。
そのかたわら、過去作とはちょっと様子が異なるのが、人物設定とラストのオチだ。話の大筋自体はこれまでの変奏曲ともいえるのだが、今回いくつかの「新たな試み」が取り入れられているように思える。
それは、まず第一に主人公を若いながらもプロのセックスワーカーとしてそこそこ稼げている設定にしたこと。第二に、結婚相手のロクデナシ男を何一つ不自由ない御曹司という設定にしたこと。第三に、ラストでほろりとさせるような二段オチを設けて余情たっぷりに描いてみせたこと。この3つだ。
これらの狙いは、うがった見方をすれば、マイナー映画を脱してより広範な大衆性を獲得すること、とも言えそうだ。事実、本作は日本でも若い女性から圧倒的支持を得ているようにみえる。
この3つの「新たな試み」についてもう少し詳しくみていきたい。まず一つ目の「ある程度稼ぎのある主人公という設定にしたこと」について、本作は主人公のアノーラを「賢くて抜け目なく、したたかに生きるプロフェッショナル」として描いている。その様をオープニングから一気に見せつけられ、ストリップには高度なテクニックやスキルに加えて適性と忍耐力が必須なんだと否応なしに納得させられる。
このアノーラに扮したマイキー・マディソンは、小松菜奈を崩したような顔立ちというか、一度見たら忘れがたいファニーフェイスだ。その宮本信子みたいな容貌に妙に惹きつけられる。これがエマ・ストーンだったら美形すぎてダメだろう(…と引合いに出したが、実はエマ・ストーンもじっくり眺めると「典型的な美形」というわけでもない)。
そのマディソンが体現する「自立した女性の生きざま」には清々しさや小気味好さすら覚えるほどだが、一方でこれは諸刃の剣でもある。自らのカラダを武器に稼ぎまくるアノーラは「客とは恋愛しない、お金にならない恋など願い下げ」といわんばかりのタフな人間だからだ。そんな彼女が、ベイカー監督の過去作の女性キャラと同様、ロクデナシに夢中になるとは思えない。キモチの半分は財産目当てだとしても、アルメニア人のボンボンにまんまと騙されるだろうか。
ここでの監督の演出は一つの見どころとなる。本作で「新たな試み」の二つ目として挙げた「大金持ちの御曹司が結婚相手という設定にしたこと」にもつながるのだが、カネこそ全てと信じるバカ息子を、一歩間違えれば庶民感覚を逆なでしかねない「王子様/クソキャラ」として描かず、いつもの監督作に出てくるような「人間味溢れる憎めないキャラ」として描いてみせたのだ。
バカ息子は、極端な過保護のせいでこんな聞き分けのないお子ちゃまみたいな成人に育ってしまったのだろう。それでもツルツルに磨かれた大理石の床を無邪気に滑ったり、でんぐり返しでベッドイン(!)する仕草などはハッとするほどチャーミング。アノーラの心を武装解除させるのも無理ないと思えるほどだ(※この「無心のでんぐり返し」は、ロベール・ブレッソン監督の『白夜』で主人公が突然でんぐり返しをするシーンに迫る秀逸さだと思う)。
ただし……このあほぼんと主人公がママゴトみたいに体を重ねた末に結婚に至るまでの前半は少々長すぎて、さすがにダレてしまった。も少しチャッチャと要領よく描けなかったものか。
ここで、あほぼんから周囲の登場人物に目をやると、表向きアルメニア正教会司祭だが実は地元の“世話役”も、その手下で一見コワモテな二人組も、ひいては新興財閥オリガルヒのバカ親たちでさえも、各人愛すべきキャラとして分け隔てなく、監督の温かい視線が注がれていることが分かる。カネはあってもどこかトンチキな連中全員が、アノーラ一人にきりきり舞いさせられる様子は、観ていて思わずにやにやしてしまう。
では、本作における「新たな試み」の三つ目に挙げた「ラストシーンの思わずほろりとさせるような二段オチ」についてはうまくいっているか。ここで言う「二段オチ」とは、イゴールが差し出す“アレ”とそれに対するアノーラの一連の“リアクション”のことを指すが、ここは人によって感じ方が分かれるのではないか。個人的には最初のオチのところで止めておいた方が良かったように思う。
ライムスター宇多丸さんは本作について、ショーン・ベイカーが落語の「長屋もの」みたいな話を撮る名手であり、今回は「芝浜」のような人情系落語になっている、とコメントしている(※「アフター6ジャンクション2『ANORA アノーラ』コラボ試写会トークショー」での発言より)。ナルホドと得心しつつ、この宇多丸さんの見立てをもう一歩押し進めると、一番最後のアノーラの“リアクション”によって、それまでの「上方落語のからりとした味わい」が流れてしまい「江戸落語の湿っぽい人情噺」に取って代わった、と言えないだろうか。
江戸落語と違って、上方落語には「三枚起請」「らくだ」「算段の平兵衛」のように、善悪抜きで人間の小狡さや欲深さ、愚かさ、したたかさなどを乾いた笑いとともに味わう噺が幾つもある。その意味で本作全体はまさしく「上方落語」的なのだが、したたかに再起せんとするアノーラの予兆で話を終わらせず、彼女が脆さ弱さを覗かせるという「情」で落としたあたりがきわめて「江戸落語」的なのだ。
「おしつけがましい情てなもん、わてらの最もかなわんもんでっさかい」と言ったのは、たしか故・桂枝雀だったか。胸アツになる、湿っぽくなるのは観客に任せて、作品自体は最後の最後までクールに突っ張り抜いてほしかったな、と思ったのだった。
以上、宇多丸さんほか登壇「アフター6ジャンクション2」トークショー付きコラボ試写会にて鑑賞。
追記その1:
下世話な話で大変申し訳ないが、ショーン・ベイカー監督作品お約束の(?)ゲロッパ・シーンが今回も登場する。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』『レッド・ロケット』…と回を重ねるごとに量も増し増し(不適切発言ごめんなさい)。ここまできたら、ゲロッパ映画(?)の最高峰『スタンド・バイ・ミー』(ブルーベリーパイが…いや、重ねての不適切発言ごめん)に追いつけ追い越せ、と人知れず応援する今日この頃デス(ホントごめん!)。
追記その2:
この映画と似通った落語をあえて選ぶなら、上方落語の「たちぎれ線香」が挙げられるだろう。大金持ちの若旦那と芸者の悲恋もので、上方落語が限りなく江戸の人情噺に近づいた一席だが、それでも最後のオチは金銭がらみでキッチリ落とす。「あらゆる落語の中で屈指の大ネタ」と称される名作だ。
オスカー受賞が邪魔に思える、オスカーぽくない良作
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