ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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0.8g
ニューヨークのストリッパーとロシアから来た実業家の御曹司が結婚したら、ダンナの親が大激怒して結婚を無効にしようとする話。
ロシア語が判るアニーが良客ヴァーニャの接客をし、ホントは禁止のアメリカバンザイなサービスをしたら、プライベートでお呼ばれする関係になって巻き起こっていくストーリー。
パパの金を散財しまくり、約束のパーティーが終わり、あらすじ紹介に記されている1週間の約束からの結婚、となかなかテンポ良くみせてくれたけれど、ガルニク&イゴール登場から親父降臨までの一つ一つの行がまー長いこと。
話しの内容はコテコテな分わかりやすいし、みんななかなかないかれっぷりだし、どう収束させるのかと期待も膨らみ面白いんだけどね。
そして今度はおまけの一夜の長いこと(*_*)
それが長いせいで、まあこんな落とし方なんだろうなと言うのが読めてしまうし、結果それほど意外性はないしそれ以外のものもないし。
もうちょっとスッキリみせてくれるとか、ヴァーニャのもう1リアクションとかあったらねという感じ。
ヤバいのはママだったのは個人的には良かったかな。
【”ストリッパーが、夢みて何が悪い!”今作はショーン・ベイカー監督ならではの、社会格差、職業差別を浮き彫りにするドタバタコメディ劇であり、ラストシーンは心に沁みる作品なのである。】
■ニューヨークでストリップダンサーとして働くアノーラ(マイキー・マディソン)はロシアの大富豪のボンボン、イヴァン(マイク・エーデルシュティン)に気に入られ、彼がアメリカに遊びに来ている一週間の間、恋人契約をし、更に盛り上がった二人はラスベガスに行き、結婚式を挙げる。
だが、その事を知ったイヴァンの監視役のアルメニア人司祭のトロス(カレン・カラグリン)は、怒り狂ったイヴァンの両親がロシアから来る前に、用心棒のイゴール(ユーリー・ボリソフ)とガーニック(ヴァチェ・トヴマシアン)を連れ、二人の結婚を無効にしようとするのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、アノーラが働くストリップ店での”ウヒー!エッチー!!”というシーンが描かれ、大変に宜しい。序でに、アノーラとイヴァンが恋人契約をした後に、ヤリまくる姿も大変に宜しい。(痛いから、石を投げないで下さい!)
それにしても、ショーン・ベイカー監督は「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」の可愛いムーニーや、そのお母さんハーレイを演じた鮮やかな紫色の刺青を入れたブリア・ヴィネイトなど、ほぼ素人さんを起用するのが上手い監督である。
今作で、アノーラを演じたマイキー・マディソンも、ほぼ無名の女優さんであったが、この作品での身体を張った演技は素晴らしい。
そして、この序盤での彼女の”イヴァンに気に入られようと頑張る姿”が、後半に効いてくるのである。
・愚かしきボンボン、イヴァンは、用心棒のイゴールとガーニックが、両親保有の豪華な家に来た途端に、アノーラを連れずに慌てて一人でほぼパンツ一枚で逃げ出すのである。
そして、アノーラは二人に対して、部屋の中の装飾品を投げつけ激しく抵抗するも、イゴールに捕まってしまう。だが、この時にイゴールとガーニックは、自分達は散々に痛めつけられながらも、アノーラを傷つけたりしないのである。電話線で手は縛るけれど。このシーンはとても可笑しい。だが、特にイゴールはアノーラを後ろから抱きかかえつつ、そのまま動かないのである。この姿がラストシーンに連動しているのである。
・その後、到着したトロスも含めた4人はイヴァンを探しまわる。個人的には”あんな、甘えたバカ息子は、撃ち殺してしまえ!”と思いながら鑑賞したのだが、イヴァンは捕まり、到着した両親に”バカ息子!”と罵られながら、プライベート・ジェットでラスベガスに行き、”結婚は無かったこと”にして貰うのである。
その際に、イヴァンはアノーラに対し詫びの言葉を一切掛けずにロシアに帰ろうとするのである。”アメリカなんて、来るんじゃなかった。”と言って。
だが、その時にずっと無口だったイゴールは初めてイヴァンに対し”アンタは謝るべきだ。”とボソリと喋るのである。このシーンはちょっと沁みたなあ。イゴールはずっと、アノーラの身の上を黙って聞いていたからである。
■そして、イゴールがアノーラの、線路の直ぐ傍のボロアパートに、彼女の荷物一式を持って行くシーン。彼は彼女がイヴァンから貰った4カラットの結婚指輪を(そして、その後無理やり外されていた。)ポケットから出して彼女に渡すのである。
アノーラはそれまで悪態を付いていたが、その彼の行為を見てイゴールの上に騎乗位になる。そして、彼の胸に顔を埋めて、初めて激しく泣きじゃくるのである。お金持ちに成れず、富豪のロシア人達にいいようにされた悔しさと、イゴールの優しさが綯交ぜになり感情が爆発したのであろう。イゴールはそんな彼女を胸の上に乗せたまま、黙っているのである。イゴール、とても良い奴である。
そして、このラストシーンは、私は実に沁みたのである。
<今作は、ショーン・ベイカー監督ならではの、社会格差、職業差別を浮き彫りにするドタバタコメディ劇であり、ラストシーンは心に沁みる作品なのである。>
登場人物がちょっとポンコツなのに、現実的な終わり方には違和感を感じました
登場人物がちょっとポンコツな人ばかりです。特に、出来の悪い息子を見張ってる人たちが、とてもロシアの大物から指示を受けてるような凄腕には見えないです。
出来の悪い息子が引き起こした騒動だけでもドタバタ感が酷いのに、その人たちを絡めることで、さらに映画全体(ただし前半のみ)がドタバタ劇化します。彼らの役目は、逃走した息子を探し出すだけ。彼らのポンコツぶりがストーリーに活きてこないです。そのくせ、最後まで、徹底的にポンコツぶりを見せてくれるのかと思えば、エンディングは、極めて現実的でした。
お笑い劇でなくてもいいし、無理なハッピーエンドである必要はないけれど、あのポンコツな人たちを絡めることで、息子の所業の酷さを増そうとしているような演出には、ちょっと違和感を感じました。
脳が支配されるほどのラストシーン
第97回アカデミー賞において、「作品賞最有力候補」の呼び声が高い本作。公開初日のTOHOシネマズシャンテは思ったほどの混雑とはならず、ほどほどの客入りです。なお、R18+のレイティングを踏まえますと「過激」と言うほどではないものの、性描写や言葉遣いについて不快さを感じる方はやはりご注意が必要です。或いは見方を変えると、この作品が「作品賞最有力候補」と言うのがにわかに信じられない気もするのですが、個人的にはかなり好きな作品でした。
序盤はまずアノーラ(マイキー・マディソン)とイヴァン(マーク・エイデルシュテイン)の出会いから二人の関係の急接近、そしてまさかの結婚まで発展する展開。セックスワーカーという仕事柄、間違った言動が一瞬で自らの身を亡ぼすことを解っているからこそ、しっかり見極めて判断をするアニー(アノーラの通称)。スーパーリッチで、子供のまま大きくなったようなイヴァンと彼の取り巻き達の「浮世離れ」に戸惑いつつも、決して浮かれることはなく、常に相手の本心や出方に細心の注意を払っています。
ところが中盤、イヴァンの母親(ロシア在住)の耳に「息子に女の影」の話が伝わり、それまではラブラブだった二人の周辺は一転きな臭い雰囲気に。母親の差し金で急遽捜査するように命じられたトロス(カレン・カラグリアン)は、早速イヴァンが暮らす家へガルニク(ヴァチェ・トヴマシアン)とイゴール(ユーリー・ボリソフ)を派遣します。ところが話は決着を見るどころか一層こじれておかしな展開に。母が米国に向かっていることを聞かされたイヴァンは逃走し、アニーだけでも取り押さえてイヴァンに戻るよう促そうとしますが、当然いろいろ納得がいかないアニー。そこからはアニーの「全身全霊の抵抗」に翻弄される男たちの構造が可笑しく、劇場は笑い声が絶えません。
「負けを認めたらそれが最後」と本能的に解っているアニーは決して引き下がることをしませんが、当然勝ち目がないと判れば無理を通さず最善を探る思慮深さも持ち合わせています。終盤以降の展開は伏せますが、最後まで自分を貫き通すアニーは凛々しく、特にラストシーンは思わず涙が込み上げてくるのを抑えるのが必死。帰路も繰り返しシーンが甦って思い出され、しばらくは「脳が支配されている」と感じるほどアニーを想ってしまいました。
やっぱり私、ショーン・ベイカー好きだなぁ。作品賞は判らないけど、監督賞は必ず獲ってほしい!
主演女優もいいけどロシア人若手2名も良かった
やや期待外れ。気の良い娼婦は結局、何も手に入れられないっていうことになっちゃいませんか?
この映画に関してはセックスワーカーへの差別的な発言がチラチラ漏れ聞こえてきて嫌な感じはしていた。(ストリップダンサーが主役の映画が何でカンヌのパルムドールを取るのかとか、セックスシーンだらけで作品自体のクオリティが低いとか)そのあたりについては主役のアノーラを演じるマイキー・マディソンの突き抜けた演技でかなりぶっ飛ばしてくれている。彼女は可愛く、そしてたくましくもあって、アノーラの造形については全く文句はない。
でも相手役のイヴァン(役者は可愛らしい)のクズ息子ぶりやそのロシア人両親(特に母親)の非道は本当にお約束通りであってハッピーエンドでもなく、アノーラが一矢報いるといった展開にもならないところが哀しい。気の良い娼婦は割を食うっていうことになってませんか。「べらぼう」みたいだよね。だから全体の筋としてはあんまり共感できなかった。最後のシーンについても納得しかねる。何故彼女が泣かなくてはいけないの?
シーンとして面白かったのは2箇所あって、最初はアノーラがイヴァンの家に出張してきてセックスする前にみせるストリップダンスのシーン(短いチェックのスカートをはいてる)。これは立派な芸です。
もう一つは皆さんも同様だと思うが、イヴァンの両親の手下3人組を相手に、イヴァンの家のリビングでアノーラがみせる大立ち回りのシーン。実にメストラのような暴れ方でこれは凄いです。(撮影に数日を要したとのこと)
この2つのシーン以外はちょっと期待外れだったかな。
(補足)
ご存知の通りアカデミー賞の作品賞と監督賞まで取りました。主演女優賞はまあ当然かなとは思っていましたが。
少々、グダグダな部分もあったけど、これがこの監督の味というところで、業界内愛されているんだなという印象です。
パルムドールとオスカー両方とったのは「パラサイト」以来でほとんど事例がないハズ。凄いね。
それはそうとこの映画、トランプ大統領が観たらどんな感想をもつのかな?上映禁止の大統領令にサインしたりして。
幸せになりたい人達
監督は味方なの?嗤うだけ?
セックスワーカーの映画公開をこんなに心待ちしたのは『プリティ・ウーマン』以来である。
(娼婦のシンデレラストーリーで王子様がリチャード・ギア。
いくら映画だからってブッ壊れてんじゃん、と憤っていたが、それをファンタジーにもするのもハリウッド。
その御伽話にひれ伏した。)
でも「ANORA アノーラ」にリチャード・ギアはいない。
脚本監督は底辺の味方・ショーン・ベイカーである。
とことんブチ壊して勝利の愛に変えて欲しい。
その一心で花粉で痒く涙を流す目を庇いながら劇場へ。
そうだね、ショーン・ベイカー。
貴方はいつも味方のふりをしてハッピーエンディングでは結ばない。
人は変わらない、変われない。それを描きたいだけ。
愛という言葉の意味も人それぞれ。
男は女にハメるのが愛。
男は女に金くれるのが愛。
それが愛じゃないなら、愛ってなんなの〜
ってアノーラちゃんは叫ぶのでしょうね。
ね?言っても駄目でしょ、ってショーン・ベイカーさんは苦笑いしているようですね。
アノーラちゃん、Fuckの言葉ぱかり。
いっそのことFuckちゃんに改名すればいいのに。
とすら思うほど頭が空っぽで同情した。
日本でも『超〜』『マジ?マジマジマジマジ?』『ヤバ』しか語彙能力ない空っぽチャンが多いが、こうやって映画で観ても危機感を通り越して救いようがないことを知る。
新宿の夜の街でもアノーラFuckちゃんレベルの女性と何人もすれ違う。
よくいるセックスワーカー。
幸せになって欲しい、と思うが彼女たちの幸せ(エッチ・スケベ・金)と僕のいう幸せは意味が違うのだ。
そう、何を言ってもムダなのである。
王道ストーリーとは違う面白さ
アノーラが行き着いた場所
瞬間的な感情が詰まった哀愁コメディ
派手な演出でかなり引き込まれたし、面白くも、ちょっとほろ苦─非常に魅力的な作品だと思います。
絵的な執拗はまぁまぁ、音響なかなか、・・・と漠然としていて、しかも勝手なイメージでしかないのですが、それほど凄い質とは・・・
演出とか演技とかで魅せられたような気がします。
全て、一時の出来事や勘定の連なりといった印象で、その分、瞬間的に楽しい作品でした。ただ、最後はちょっとそれとは違う感じだったかなーと。
どうしてオスカーということが気になるし、故にこの作品もいち早く観賞したんですけど、質は間違いなくブルータリストで、面白さは断然アノーラと思いましたが、まぁまだまだ見ていない作品だらけなので、この2作だけで比較するのは早計とは思うのですが、下馬評が高いのでとりあえず─
クッタクタ〜
意気投合した相手とのシンデレラストーリーのように電撃的な結婚をしたアノーラ。
二人はかなり初めの方から所々雲行きが怪しいのだけど、恋は盲目…というかチャンスに盲目すぎた!
いや、そもそも恋でも愛でなかったんだろうね。
富豪の両親が息子の結婚を許さないところからゴタゴタが始まるが、アノーラの毅然とした態度は救いで時々スカッとしながら耐えるストレスフルな中盤。
みんなが振り回されてクタクタになっていく様子が凄すぎて誰視点なのか私も夢中でクッタクタ。
いつの間にか座席にななめにだらんともたれかかって観ていたのも久々な没入感だけど、そんなとき冷静な視線がひとつ、アノーラの内面をまっすぐとらえはじめているのに気づく!
これまでと同じようでいてちょっと違うアノーラがみえたラストは彼女の複雑な思いも伝わってきてちょっと切なくもある。
このあとの彼女ならきっと人生をやりなおせるよと励ましたい気持ちもあったな。
そして…魅力的なアノーラを演じる彼女、ふりきっていて本当に素晴らしい。
でもこれお年頃の家族と一緒に観に来なくて正解だった 😅
修正済み
超おもろっ‼️
夢見る少女"アニー"から"アノーラ"へ
「フロリダ・プロジェクト真夏の魔法」、「レッドロケット」に引き続き本作も社会の間・悪に生きる人々にスポットをあてながらもどんな人も優しく救い上げる人間讃歌でした!
ジャンルとしてはスクリューボールコメディという1930年代~40年代ハリウッドで流行った、次から次へと色んなことが起こっていくコメディで、本作もドキュメンタリー風に色んなことが行き当たりばったり的に起こっていきます。
特に物語がアクセル全開で動き出す中盤のイヴァン邸の怒涛の25分間のシーンは何と11日間もかけて撮影が行われたそうで、しかもカメラレンズも昼と夜とパーティシーンと何種類も使い分けられているこだわりのシーンだそうです。本当に劇場もドッカンドッカンウケていました。
「フロリダ・プロジェクト」、「レッドロケット」では物語の背景を説明する大きな要素としでロケ地がありました(ショーン・ベイカー日くロケ地も主役)。
このロケ地でカメラの背景として存在する大きな世界。まさに資本主義社会を代表とするようなディズニーワールドや大工場がありその片隅に生きる小さなコミュニティという構図がありました。
しかし本作は、主人公アニー自らその"大きな世界"大富豪の世界に飛び込んでいきます。ロシアの富豪のドラ息子の自宅や(ショーン・ベイカー監督がGoogleで探し当てた本当に昔ロシアの富豪が住んでいた大豪邸!!Mil Basin mansionで検索してみてください)、ラスベガス、コニーアイランドと舞台が移っていきます。
ショーン・ベイカー監督作は彼の奥さんであるサマンサ・クアンさんと「フロリダ・プロジェクト」から本作まで共同制作しており、彼女が俳優でありコメディアンでもあることもかなり影響していると思います。
カンヌ国際映画祭のアノーラを演じたマイキー・マディソンさんのインタビューでは、セックスシーンを撮る際に実際にどう動いて欲しいかショーン・ベイカー監督とサマンサ・クアンさんが自分達で実演して見せたというのが驚きでした笑
ラストでイヴァンのパパがアノーラの凄まじさに思わず笑ってしまうくらい、本当に憎めない、愛すべきおバカ達が沢山出てくる。試写会で宇多丸さんがおっしゃっていた落詰の登場人物みたいだと言っていたのが私はすごくピッタリだと思いました。
桂米朝さんの「落語とは現世肯定の芸や」、「落語とは実に 人生の一大百科時点である」という言葉を思い出しました。
ショーン・ベイカー監督作の登場人物には人生を感じることが出来る。
本作が感動的なのは、アメリカのブロードウェイミュージカル「アニー」の主人公のように夢見る少女が、現実の女性「アノーラ」として肯定される話だったからだと思う。
ショーン・ベイカー監督作に共通して大きな世界と影に生きる人々は決して交わらない。本作でもやはりそこには大きな壁があった。アニーはあちら側の世界に行くことは許されない。
劇中、彼女は自分のことをアニーと呼ぶように言う。しかし「アノーラ」は素敵な名前だという男に出会う。そしてラスト。
ショーン・ベイカー監督はラストの意図・解釈に対して敢えて明言をしないようにしている。
"アニー"から”アノーラへ。
アノーラの人生がやっと始まる。そんなラストに私は感じた。大傑作。カンヌ国際映画祭パルムドールは納得。
アカデミー賞も是非獲って欲しい!
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