ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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ばかにするなとがんばるアノーラのキャラが最高! 自然と付き合わされる男連中が笑える
祝、まさかのアカデミー賞主要部門独占!そこまで良かったか?とも思いますが。
シンデレラストーリーのその先を描く。
まずは、セレブの若者連中のバカ騒ぎラブ・ストーリーで始まり、結婚。
しかし、思った通りの現実に還る。
あれだけ虚勢を張って言い切っていた男が、両親が来るとなると途端に態度を変えて、女を守るどころか、置いて行って一人逃走。
遺されたアノーラは、彼の重り連中と共に男を探しまわる羽目になる。
ます、男連中に負けじと抵抗するアノーラの大暴れに応援したくなる。
男の方が、世間知らずからの「純愛」かと思えば、アノーラをそういう仕事の女として話すような、救いようのないバカ息子として描かれているから、全面的にアノーラに感情移入してしまう。
脱ぎっぷりもよくて、からみのシーンもあっけらかんとしていて全くいやらしく見みれてしまう。
自然と付き合わされる男連中が笑える。
その常に前向きに頑張って前へ前へと進むキャラクターが最高でした。
ついにその緊張の糸も着れて、泣けてしまうところもまた可愛らしい。
Greatest Day
祝アカデミー賞作品賞受賞という事で、R18+ですがどうにかヒットしてくれ〜と思っている今日この頃です。
ストリップダンサーのアニーが金持ちのボンボンのイヴァンと出会ってエッチしまくって結婚までしちゃって…そこまではシンデレラストーリー、そこからは怒涛の展開が巻き起こるヒューマンドラマで、パリピな雰囲気こそ苦手だなぁとは思いつつも、絶対後々効いてくるんだろうな…とじっくり構えながら観ていました。
日本でもこういうお店があるとは思うんですが、これって何が楽しいんだろう?と思っていましたが、こういう楽しみ方があるってしっかり視覚化できていたので、こういうのが好きな人もいるんだよな〜世界回ってるな〜ってなりました(すっとぼけ)。
アニーとイヴァンが幸せになっていくのか?と思ったら、結婚した情報が流れてお付きのものたちと部下たちがやってきてイヴァンを連れ帰ろうとするけれどイヴァンはそそくさと逃亡して、アニーはブチギレまくってるというスクリーンの情報量が過多していましたが、ハイテンションプリプリな神父のトロス、どこか抜けててドジしまくりなガルニク、屈強で冗談が通じないスキンヘッドのイゴールとなんだか憎めない3人組とアニーとの珍道中が始まって行ってからは面白さが加速していきます。
画面の中で罵声と怒声が溢れかえっていて、ロシア語と英語の字幕もごっちゃになってるっていうカオスな状況下なシーンが延々続くんですが、もうとにかく言い争っているのがだんだん面白くなってきて、段々優しい目で見ていられるようになる不思議な体験ができました。
この手の言い争いって基本顔を顰めたくなるくらい不毛なものだったり、ただただ気分が悪くなるものが多いのに、コメディっぽくなっているのはバランスの妙だなと思いましたし、重苦しくなく観れたのも良かったです。
イゴールが生温かい目で見守り、トロスが自論垂れ流しまくりで発狂、ガルニクが嘔吐と披露でぐったりばったりとそれぞれの役割を果たしに果たしまくっており、ボケとツッコミどっちもできるアニーが右往左往したりと、スクリーンに一切映らないイヴァンを巡っててんやわんやする流れがとても好きでした。
イヴァンがクソ野郎なのはもちろん、自分で何も判断できずに無闇に暴走しているというのは甘やかされていて、かつ親からの愛情を一心に受け取っていない感じの解像度がめちゃくちゃ高かったです。
酔っ払いまくってまともに会話をもできない状態のくせに悪態はついたりと、アニーがそそくさと突き放してくれてスッキリしました。
両親はやはり難ありで、母親は愛情を与えているように見えてどうにも自分のための保身に走っているようで、周りへの態度もキツいときたもんですからイヴァンの親だなぁって感じでしたし、父親は無関心に近い感じだったので、イヴァンもそりゃそうなるよと頷きっぱなしでした。
ラストにかけてはそれまでのハイテンションっぷりはどっしり抑えて、しっとりしたイゴールとアニーのやりとりが哀愁を感じられるものになっていてじっくり眺めることができました。
ラストシーンのゆったりと引き締まった空間からのやり取りなんかもなるほどなぁ〜と自分なりの納得をしながらエンドロールに持っていくもんですからにくい演出でした。
役者陣は最高でマイキー・マディソンの体の張りっぷりと強気な態度はとにかく見応え抜群で、ユーリー・ボリソフのニヤッとする感じの演技も良い味出しまくっていました。
若干長いかなと思うシーンはありましたが、最初から最後まで妥協なき責めっぷりに圧巻されました。
こういうテイストの作品も偏見なく評価されるのはいいなと思ったので18歳以上の方は映画館に駆け込んでいきましょう。
鑑賞日 3/2
鑑賞時間 17:45〜20:15
座席 D-10
ラスト3分は見応えあり
少し心離れてしまった
18禁は勿体無い
まさに今の世界そのもの
めちゃくちゃ面白かったです!
あっという間のラスト。
とにかくアノーラたちの言い争いが面白い。
そのテンポやバランスがまぁ見事。
こんなにたくさんの言い争いで溢れている映画ってあるんでしょうか?
私は初めての体験だったので、すごいなこの作品とそこでもう衝撃を受けました。
ただこの作品、そんな表面的な面白さだけではないのですよね。
私にはアノーラに起きた出来事=ウクライナがロシアから受けている侵略戦争にしか見えなくて。
戦争って各々の国の主張のぶつかり合いなんだと、すごい具現化を見せられたなと思いました。
なので面白いけどとても辛くも感じました。
トロスのボスの命令が何よりで、それには警察だろうが何だろうが他人の都合お構いなし、自己中心的な行動は正に軍の侵略。
そして極めつけはイヴァンの母親!
プーチンそっくりの顔だったのでここまで似せてくるか、と笑ってしまいました。
父親は中国ともアメリカとも取れるのかな。
おそらく他にもっと何層にもメッセージが隠れているのでしょうね。
他のミネート作品をまだ観てないので何とも言えませんが、私はアノーラはアカデミー作品賞を取るに十分適した作品だと思いました。
ラスト、イゴールがイヴァンに「謝ったほうがいい」と言い、アノーラに何もせずただ優しく受け止めてくれたことが救いでしたが…。
でも今の世界にこの存在がいるんだろうか。
私たちはなれるのだろうかと考えさせられます。
エンドクレジットの無音の黒画面が現実を有り有りと突きつけてくるようでした。
明るい気持ちになる映画ではありませんが、私はこういうやるせない気持ちになる作品も大好きですよ。
そこに愛はあるのかい
ストリップダンサーのアノーラがお金持ちの御曹司と出会い結婚するも、御曹司の家族から反対されてしまうというお話です。
前半の結婚に至るまでの盛り上がりにワクワク、アノーラの見事なプロポーションに私もドキドキしちゃいましたよ。
後半は洗礼を退席しちゃう口の悪い神父と、使いの係り2人とアノーラがイヴァンを探すためにニューヨークの街を転々とするのですが、これが面白い。皆んな言いたいことばっか喋るからかなりやかましい笑
掴んだ幸せを信じて喰らい付いていくアノーラがとても逞しかった。あの息子は働くよりも更生施設に入れないと…。
最後は娼婦でもエロティックダンサーでもエスコート嬢でもなく1人の女性として咽び泣くアノーラに胸を打たれました。
いつもは満点なのに
タンジェリン以来「この人が撮ったなら無条件で観る」監督なので、オスカー獲得は全くご同慶の至りではありますが、いつものベイカー節は若干不足気味と感じました。
ドラッグ、同性愛、移民など貧困層の悲哀をカラッと描くのがこの人の真骨頂で今回も定番の移民を扱ってはいるものの、室内場面が多くてスラムなどの屋外描写が殆どないので、いつもの「アメリカの現実」感が希薄な印象です。
全体的には前半がやや冗長、後半はドタバタ気味ってとこでしょうか。
尤も、アイリッシュ、イタリア、ユダヤ、ポーランドなど国籍ごとの移民に対する明確なイメージを持ち得ない他国人には直感的な理解は無理、とするのが本当のところでしょう。
とはいえ個人的には「ベイカー・メーター」は期待の水準は十分満たしています。
ただ、これがオスカー、すなわち2024年を代表するアメリカ映画なのか?という疑問も残りますし、2000年代以降のオスカーはどんどん三大映画祭に近付いていますね。
面白いから観てみなよ、ってオススメできる作品かどうかは微妙ですし、どこが面白いの?って感想を持つ人がいても不思議はありません。
前半はパリピ映画過ぎてアウェー感ビシビシだったけど 途中からアニー...
賞を取れても日本で理解するのはかなり難しいか(補足入れてます)
今年74本目(合計1,616本目/今月(2025年3月度)8本目)。
賞を取ったという事情もあり、大阪市は小雨も降る中8割埋まりが印象的でした。
ストーリーとしては、ロシア系にルーツを持つアメリカ人のカップルが成り行きで結婚したらそれを許さない家族が介入して結婚するのしないの、離婚するのしないのといったお話。もちろん多くの方か書かれている通りR18なのでエッチなシーンは結構多めです(違法薬物を勧めるようなシーンはなかったかな?あってそちらはPG12程度か)。
結果的に賞を取ったことは客観的に評価できるし、ただ日本でいうR18相当でいう「エッチな映画」という点はあるものの賞を取っただけのことはあり、それ以上の深みのある内容になっています(まぁ、前半からそのシーンが多すぎてアレなんですが…)。ただ、最終的に大賞を取るほどか?というと微妙かなぁ(特に去年と比較として)という感想を持つ方が少なくはないと思うところ、アメリカ映画であり、日本で見る場合、相当な知識が要求される点がそうそうきついかなという印象です。
個人的には、ロシアが今リアルで置かれている現状等も勘案しても、政治とエンターテインメントを区別して作成されていた点も良かったところです。
個々気になった点を触れつつ採点いきましょう。
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(減点0.4/日本で見るにあたり特殊な知識が必要な点が2点存在する)
このことは後述します。
(減点0.2/分離不定詞について)
「あなたにやっと会えてうれしいわ」というシーンが
> It’s so wonderful to finally meet you.
…となっていますが、不定詞(ここでは to meet )の中に他の語句(通常は副詞。ここでは、finally )を入れるのは文法的には分離不定詞といって(日本語では「ら抜き表現」にあたるような立ち位置)、非文法的とされます。もっともこれ以外の解釈はそもそもできないし、許容するネイティブもいますが(ここは個人差が出る)、少し配慮が欲しかったです。
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(減点なし(上記の0.4に相当)/深い知識が必要なシーン)
・ ネバダ州で結婚したのからそこでないと離婚できない
日本では離婚などを扱う家庭裁判所に相当するシーンですが、アメリカではある州で結婚すると、その州でしか裁判上離婚ができません。このことを指しているのですが、このことは日本人には常識扱いではないので少し工夫が欲しかったです。
・ 「「トッシュ」して」について
ここは「フランス語じゃなくて英語で話してよ」のようにフランス語です。フランス語の toucher (英語:touch)は英語のそれと同様に「触る」の意味がありますが、フェンシング用語で「(剣などで)突く」の意味があり、その過去分詞形です。そこから転じて「(相手のいきなりの言動から)一本取った・取られた」の意味があります。
※ この点は先行上映された海外などで「トッシュって何?」の質問に関して回答があり、この回答で正しい模様(フランス語を話すカナダからのレビューアもこの点触れている)。
ただ、英語の touch から類推は可能だとしても発音は全然違うし、ここはある程度誘導が欲しかったです(ロシア系映画ともいえるこの映画ではロシア語ネタも出るし、かなりの言語ネタが登場するので、ここでフランス語ネタが出ると尽きる人が続出しそう)
カムダウン❤ナチズムももうすぐ100年!
暫くぶりの亀有。
やっぱり、ホームグラウンドだね。
かなり以前から言われている2029年問題。つまり、アメリカ資本主義の最初のつまづきから
100年。それは第二次世界大戦後を引き起こすきっかけとなる。さて、そうなるまではこの映画のスラップスティックな出来事がアメリカに蔓延していただ。つまり、この映画は、これから起こるかもしれないアメリカ資本主義の終焉を匂わせている様に感じる。
そして、現在の壊滅寸前(かもしれない)のアメリカ資本主義は、ロシ○や他国に追い撃ちをかけられる。(かけられている)
そこで、満身創痍のアメリカはこれ以上悪い状況を払拭するため、仮想敵国をあえて受け入れて行かねばならない。
映画は「まざーふぁっかー」にこてんこてんにやられ、同じく「サナダびっち」の息子は、空気の読めない愚行を繰り返す。
映画は、全てデフォルメしている。勿論、鑑賞者はその状況に「カムダウン」と言い、ヘキヘキするだろう。
しかし
この映画の様に、突然切れて、その後、切れまくるキャラクターが多いのは日本の「ジジィ」くらいで、○シアにもアメリカにもいない。勿論、変な奴は沢山いるが、勝手にクレ○ジーな存在でいる場合が多い。
トラ○プ大統領の思惑もそう言った所にあるんじゃないかなぁ。相手がクレイジ○でも、どこかで身をひかない限り争いは終わらない。
アカデミー賞と言うよりも、ノーベル平和賞向きの映画だ。
ストリッパ○はあくまで男性社会を象徴する職業で、本来はあってはいけないものである。アメリカのストリップと日本のストリップは多分違うものと思われる。つまり、春を売る物理的女性の昔からの仕事なのだろうと思う。
ロシアは違法だがドイツ、オランダ、ベルギー等等の資本主義先進諸国は合法である。勿論、日本は形の上で1955年に違法となり、それは持続している。(?)
さて
日本人がストリップと思っている踊りは
「ポールダンス」と言うはずだ。、
タンジェリン、フロリダプロジェクト
「タンジェリン」で高評価を得、
ウィレム・デフォーを招いた「フロリダプロジェクト」は、
力が入り過ぎたか、
メッセージが先行して、
シナリオ、演出ともにキャストに頼り過ぎている感は否めなかった。
本作も期待薄だった。
しかし驚いた。
メッセージをストーリーに、
キャラに馴染ませて、笑わせて、グルーブして、
言葉と行為でF〇〇Kの連打、
レニングラードカウボーイズがゴーアメリカするような、
間の抜けたタンジェリン風広角レンズも良かった。
「T-34」のバキバキのイゴール(ロシア語で兵士)も、
おばあちゃん子の一面を強調し、
キャラに柔らかさを加えることで物語に奥行きを持たせている。
ソ連崩壊後のロシアの闇社会とアメリカンドリームの対比を、
オリガルヒ風の息子イヴァンとダンサーアニーの結婚を通して、
描き出す本作は、
ショーン・ベイカー得意の、
社会風刺と人間ドラマを融合させている。
EDロール中に流れるおばあちゃんの車のディーゼルエンジン音も、
この映画のエコーチェンバーのように作品全体を締めくくっているのも印象的だ。
ディーゼルエンジンという、
東西の文化的背景が織り込まれた音響の選び方が巧妙で、
この音に物語の全てが詰まっているような気さえする。
東側と西側の対立や対比というテーマを強調する一方で、
それが全体のメッセージに、
あるいは二人のストーリーに、
どう繋がるのか、
観る者に考えさせる余地を残している。
西側では避けられがちなディーゼルエンジンが東側では主流であるという設定を、
物語の本筋と巧妙に絡めることで、作品のテーマ性が自然と深まっていく。
このように、本作は、
シナリオや演出、キャラクターの深みが融合した作品であり、
力が入り過ぎた前作とは多少は異なり、
ショーン・ベイカーの今後に少しは期待を持たせる作品となっている。
【蛇足】
アニーとイヴァンがゲームをしているシーン。
ホームヘルパーのクララが掃除機をかける、
脚を上げるアニー、
ドラッグをクララにすすめるイヴァン。
このシーンは、一見何気ない日常の一コマのように見えるが、
監督はその背後に潜む微妙な感情の機微を描こうとしていた気がする。
非常に無邪気でありながら、同時にその無邪気さが持つ危うさ、
一見すると軽い冗談のようにも見えるが、
その無邪気さには何とも言えない緊張感が漂う。
無邪気さと無責任さと邪気が、
ギリギリと交錯する空気そのものであり、
安易に共感し合う事もできない、
そこを描ききれない、伝えきれない、
撮影はしたが編集でオミットしたのかもしれない、
はっきりとした答えは映画の中で提示されることはない、
これをやりたいんじゃないの?監督。
こういう細かい繊細な積み上げも
シナリオと演出で描写していければショーン・ベイカーも、
名実共にオスカー監督としてリスペクトされるだろう。
何を観させられたんだろう
アカデミー賞ホイホイで(自分もそのうちの1人ですが)平日朝イチの回なのに、半分ほどの入りの劇場で鑑賞。
…ごめんなさい。
2時間20分、苦痛の時間でした。
主人公2人がクズすぎます。
ドラ息子はもう仕方ないとして、アノーラが最後までビッチ…(心はどうあれ、やっていることは…)だったのが、女性の自分には受け付けられませんでした。
ショーン・ベイカー監督のこれまでの作品を見たことがありませんが、移民やマイノリティ、セックスワーカーに寄り添った作品で定評があると。
セックスワーカーの汚名をそそぎたい、って、これは逆効果なのでは?とすら思ってしまいました。
ビッチなのも含めて肯定しなきゃいけないのだとしたら…少なくとも、ロシア系アメリカ人に何の思い入れのない自分には無理だー。
最初の50分はただただ、主役の二人が素っ裸でセックスしまくり(たぶん10回ぐらい)、酒やら薬やらをキメるシーンが出てくるので、そういうのが苦手な方は回れ右です。
次のドタバタコメディパート、劇場では笑いが起こっていましたが、私はクスりとも笑えませんでした。ただfuc○ing、を言わせればいいってもんじゃないよね。
本筋と関係ないパートで脇役たちに小話をさせて笑いを取るって、かなり高等テクニックなんだなと。(タランティーノはやっぱりすごいですね)
以下、あまりに退屈だったのでスクリーンを観ながら考えていたこと。
・アニー役のマイキー・マディソンって、まぶたが奥二重で蒙古襞もあって、日本人ぽい目だな。西洋人にしては珍しい。
・ロシア人にも罵られるアルメニア人て、あちらではどんな位置付けなんだろう?
申し訳ないが、日本人からみたら目糞鼻…
・t.A.T.u. を30年ぶりに映画館で聴くなんて!
・お母さん役の人、メラニア夫人に似てるなー。ロシア系だし、たぶん整形してるだろうし、同じ顔になるんだね。
・もしかして、監督は最初主人公を女性ではなく、ゲイの男性ストリッパーを主役にして脚本を書いてた、って可能性はないか?不自然に、同性婚とか、ホモ野郎、みたいな台詞が出てきたので。いや、そっちならあの救いのない結末もまだ納得がいくというか。
…すみません、完全に戯言です。
改めて言いますが、かなり観る人を選ぶ作品かと思われますので、アカデミー賞受賞、につられて観に行くのは厳禁です。
これが、天下のアカデミー賞5冠作品!?ってのが正直な感想^^;
auマンデー『アノーラ』
アカデミー賞2025作品賞は #名もなき者 だと思ってけど・・・
R18指定のアノーラが、作品賞と主演女優賞含む5冠!!って事で、名もなき者から予定変更して観て来ました🎬
ストリップダンサーが、ロシア超金持ちのバカ息子の道楽に翻弄され・・・
相手家族巻き込み大騒動になるエロチックコメディ
R18なんで、それ相応のシーンが、ジャブのように組み込まれてますが、会話が面白いので飽きずに観れます
ラスト、ずっと損な役目だったお目付け役のイゴールの至福に思わず頷いた^_−☆
ただ監督は、大勢の人に劇場で観てって語ってましたが、R18やし単独行動の映画好きオジサン向き(๑˃̵ᴗ˂̵)
私的にこれが、天下のアカデミー賞5冠作品なの!?ってのが正直な感想^^;
祝!アカデミー賞5冠! とびきり魅力的な女優の演じる、最高のタフ・ヒロインに乾杯!
祝! アカデミー作品賞&主演女優賞(他)受賞!!
というわけで、さっそく行ってきました。
いや、マジで普通に面白かったは面白かったけど……
よくコレで獲れたな、アカデミー賞!!!
ファ●クって叫ぶか、
ファ●クしてるかだけで
ほぼ出来てるような映画で(笑)。
でも、まあ一周回って、
これがポリティカリー・コレクトの
最前線なのかもしれないと思ったりもして。
「ど真ん中の女性映画」って意味では、
きちんと近年の流れを汲んでる気もするし。
とにかく、アノーラによる、
アノーラのための映画。
あるいは、
マイキー・マディソンによる、
マイキー・マディソンのための映画。
このとびきり魅力的な女優による、とびきり魅力的なキャラクターを堪能するためだけに供される140分。いろいろ面白いこともあれば、意外なことも起きるけど、一本「アノーラを見せる/アノーラで魅せる」という部分では、しっかり筋が通っている。
生命力にあふれ、逆境に負けない、不屈のヒロイン。
彼女はたしかにストリッパーだし、エスコート・ガールではあるけれど、間違いなく、グロリアや、ウォシャウスキーや、サラ・コナーや、リプリーや、フュリオサにも負けない「タフなヒロイン」だった。
アノーラは、タフだけど、思いっきり女としてふるまう。
(男のように強い一世代前のタフ・ヒロインとは毛色が異なる)
アノーラは、セックスを一切タブー視することなく、
コミュニケーションの手段として用いる。
(男性を寄せ付けないようなタフ・ヒロインとは対極の存在)
アノーラは、刹那を愉しみ、ピンチにひるまず、状況の変化に即応する。
これこそはある意味、「強い女」の「最新形」なのかもしれない。
― ― ― ―
お話としては、『プリティー・ウーマン』かと思って観に行ったら、途中でタランティーノみたいになったでござる、といった感じで、一見かなりの「変化球」にも見える。
だが、考えてみると、
ロシアのバカ息子も、アノーラも、
大富豪の子分たちも、アノーラの同僚たちも、
出てきたときからキャラクターには嘘偽りがない。
ずっと、そのままのキャラクターだ。
お話の都合でキャラ変したり、隠されていた秘密が明かされたりはしない。
契約恋人としてのバカ息子も、
結婚相手としてのバカ息子も、
ビビッて逐電するバカ息子も、
親の前でしおしおのバカ息子も、
ちゃんと一続きのキャラ付けになっている。
どのキャラも、それぞれのシチュエーションで、そのキャラが取るであろう行動を必ず取る。事前にインプットされた性格と個性に反した行動を決してとらない。そのせいで、最初に期待されたラブ・ストーリーは、オフビートな捜索劇へとおのずからツイストしてゆかざるをえない。
要するに、本作のキャラクターは脚本の傀儡ではない。
ドラマツルギーの奴隷ではない。
むしろ、キャラクターに合わせて、
物語が脱線し、妙な方向に地滑りを起こし、
先読みの出来ない方向へと突き進んでゆく。
そんな感じだ。
この映画では、ストーリーがキャラを動かすのではない。
キャラクターがストーリーを動かすのだ。
― ― ― ―
昔から「聖娼婦」「無垢なる娼婦」が出てくる文学や映画は結構あった。
それこそ、大昔の小デュマの『椿姫』やモーパッサンの『脂肪の塊』だってそうだし、僕の大好きな映画でいえば、『カリビアの夜』のジュリエッタ・マシーナとか、『ケーブル・ホーグのバラード』のステラ・スティーブンスとかだってそうだ。
だいたい、レオーネやペキンパーの映画に出てくる女は娼婦で、ただ男を包み込み癒してくれる、都合の良い母性的な存在として描かれる。
本作のアノーラは、さくっと仕事としてセックスするし、追いつめられるとヤマネコのように暴れて抵抗するし、いざ「イヴァンを捜索する」となったら先頭に立って探して回る、痛快でパワフルな女性である。
しかしその一方で、彼女は最後までイヴァンのプロポーズと誓約を信じようと努力するし、結婚という手に入れた紙切れ一枚の幸せを必死で守ろうとする。
彼女は一見すると、世慣れていて、計算高く、打算的な女性に見えるかもしれないが、同時に、純で、夢見がちで、ピュアなところが色濃く存在している。
彼女のまっすぐさと、まつろわない独立心と、恋を信じる乙女のような純情さは、彼女もまた「聖娼婦」の系譜に連なる存在であることを示唆している。
― ― ― ―
この映画の特徴を一言でいうと、
前半はとても70年代的。そして、後半はとても80年代的だ。
とにかく、この作品の登場人物は、のべつタバコを喫う。
浴びるように酒を飲む。罪の意識もなくドラッグをやる。
やって、やって、やりまくる。
刹那主義。快楽主義。反道徳。乱痴気騒ぎ。
思いつきでの行動。その日暮らしの逸楽。
このはちゃめちゃなノリは、僕たちに60~70年代のロックスターや、グルーピーや、ラス・メイヤーに代表される幾多のエクスプロイテーション・ムーヴィーや、ヒッピー・ムーヴメントの時代を容易に想起させる。
アノーラとイヴァンが過ごす蜜月を描く、アッパーで、カラフルで、夢のようなシーケンスは、『ゾンビ』で主人公たちが、無人のスーパーマーケットを満喫するシーンを彷彿させる。
自由と、快楽と、解放の正当性を信じた時代の香りがする。
一見すると、最近の息苦しいポリコレへの痛烈な皮肉を思わせる部分があるが(考えてみると、『ブルータリスト』の主人公も、異常なチェーン・スモーカーで、飲んだくれで、ドラッグ中毒だった)、ああ見えて酒もタバコも一切やらない、ドナルド・トランプへのシニカルな当てつけの部分もあるような気がする。
セックスワーカーを主人公に据える大胆さや、しきりに「避妊」を強調するところ、「結婚」という制度自体を徹底的に軽んじるような作りなども、共和党的な宗教保守の道徳観・結婚観をひたすらおちょくっている気配がある。
ここでショーン・ベイカーがやりたかったことは、きっと70年代的な理想主義の復権と、宗教保守の立場から切り捨てられるような人々の復権なのだ。
ただ、この夢のような時間は前半であえなく終わり、中盤にさしかかると、アノーラとイヴァンのもとに切実な現実がふりかかってくる。
ただし、その現実は必ずしも重々しくはなく、むしろ滑稽で、テンポ感があって、それはそれで賑やかである。
徹底した軽口の応酬。ドタバタのスラップスティック。
コワモテ連中のぶっとんだ、ずっこけ演技。
このノリは、まさにタランティーノやコーエン兄弟、あるいはその先達としてのスコセッシのテイストに近しいものだ。
すなわち、70年代の「子供じみた夢」が醒めて、
80年代の「ひねくれた笑いと暴力」の波が押し寄せてくる(笑)。
― ― ― ―
中盤戦の、三バカコンビとアノーラが繰り広げる渾身のコントは、最高に笑える。
個人的にこういうバカな映画は大好物なので、あのあたりは本当に面白かった。
他のお客さんも、結構楽しんでいた気がする。僕の観た調布の映画館は、ふだんからあまり反応の良い映画館ではないが、それでもそこかしこで、くすくすと笑いが起きていた。
基本は、おバカなスラップスティックなのだが、意外によく考えられているとも思う。
今のアメリカから見た、ロシアの立ち位置とか、オリガルヒの立ち位置とか、ロシアン・マフィアの立ち位置とか、ロシア正教の愚かしさとか、そういったものが結構生々しく反映されているし、そういった有象無象をニューヨークの街がどう受け入れていて、ラスベガスの街がどう受け入れているかという社会批評にもなっている。
女性映画の観点でいえば、ロシアン・チームは3人ともアノーラの反撃に遭ってボコボコにされながらも、専守防衛に徹して、決して怒りに任せて殴ったりはしない。最後のラインで彼らがコミックリリーフとして「観てほしいタイプの観客のヘイトを集めない」よう、ぎりぎりの一線を保っている。
(僕が普段好んで観ているようなクズ映画では、反撃した瞬間に殺されるかレイプされるのが落ちである(笑)。)
かわりに「ヒロインもボコボコにされる」という結果を引き出すために、「男に手を出させるわけにはいかないから」あのストリップ・バーでのダイヤモンドちゃんとのキャットファイトが挿入されるというわけだ。ね、考えられてるでしょう?
トロスのキャラクターも絶妙だ。コミュニティで尊敬される名士でありながら、ボスのロシア人富豪ザハロフには絶対服従。自分の管轄下でイヴァンがバカをしでかしたことに本気でビビりまくっている。ああ、なんかこういうの観たよなあと思ったら、たぶんこれ日本の任侠映画に出てくるNo.2とか意識してるんだろうなあ。
あと、相手につっかかるように同じセリフを何回も繰り返す演技プランは、スコセッシ映画におけるロバート・デ・ニーロや、タランティーノ映画におけるハーヴェイ・カイテルのそれを想起させる。
ちなみに僕はアカデミー賞助演男優賞にノミネートするなら、イヴァン役のマーク・エイデルシュテインやイゴール役のユーリ・ボリソフより、トロス様役のカレン・カラグリアンに一票を投じたいと思う(笑)。
― ― ― ―
後半戦について何が起きるかについては、ここでは敢えて触れない。
なんとなく「浮かれ立った70年代」が、本当は幼稚で子供じみた夢に過ぎなかったという現実が明らかになり、代わりに、暴力を笑いに転化する80年代的なシニズムが台頭する、といったところか。とあるキャラクターの「不在」と、再び現れたときの幻滅するような「オーラの陰り」は、そのまま70年代の栄光と失墜のメタファーのようにも思える。
そのなかで、ヒロインは翻弄され、抗い、叩きのめされる。
現実はシビアで、残酷だ。
だが、救いもないではない。
一生懸命に生きている人間には、
それなりに、見ていてくれる人もいたりするものだ。
あのラストシーンについては、フェミニスト寄りの論客のなかで、意見が分かれるかもしれない。男性性へのすり寄りだとか。最後に男にああされて、ああなっていいわけ? みたいな。
でも、僕は、あれはあれでとても良い終わり方だったと思う。
アノーラは、とにかく頑張った。
頑張って、頑張って、頑張って、最後はああなった。
でも、あれは「負け」ではないし、
「すがった」わけでもない。
彼女は、ああいうコミュニケーションしか取れない。
だから、身体を使う。相手は、それを最初、拒まない。
でも、途中で辞めさせる。
彼は、彼女を「使った」わけでもないし、
「なぐさめた」わけでもない。
だけど、なにかがふっと腑に落ちて、アノーラは●●のだ。
ちゃんと見てくれていた人がいて。
名前の由来まで気にしてくれていて。
なにより、ヤマネコのような彼女が、
相応に傷つき、ボロボロになっていることをわかってくれていて。
そんな彼を、「アノーラのほうが」使った。
そういうシーンだ。
僕は必ずしもあれが、二人に新しい物語が始まるエンディングだとも思っていない。
むしろ、あのあと、車のドアを開けて「じゃあね」――それでいいような。
傷ついた自分を自認して、ひとしきり胸を借りて、すっきりして、またひとりで歩いていく。それでいいのではないか。
そのほうが、アノーラらしい終わり方のような気がする。
ちょっと驚くようなエンドロールの演出も含めて(あと短いのが良い!)、くっだらないおバカな映画のわりに、とてもちゃんとしたものを観たように錯覚させる、ずるがしこいエンディングだったようにも思う(笑)。
― ― ― ―
この映画の本当に良いところは、人を責めないところだ。
セックスワーカーを責めない。
オリガルヒを責めない。
適当な奴、逃げる奴、イエスマン、バカな奴を断罪しない。
自分と違う人間を貶めない。
なんでも断罪する。右にせよ、左にせよ。
これこそが、いまの世の中が息苦しくなっている最大の要因だ。
そんなあり方から逃れているからこそ、『アノーラ』は最終的に賞を獲れたのだと僕は思っている。
予想以上にエッチでエロかった💕(もちろん褒め言葉)
ただ、アカデミー賞作品賞に相応しいかというとビミョーだなぁ。
マイフェアレディ→プリティウーマンと似たような流れの作品といってしまえばそれまでだが、今回はかなりの直接的な描写、有り体に言えばセックスシーンがこれでもかというほど描かれており、一歩間違えればAVビデオとしても使える…じゃなかった(笑)AVビデオと錯覚してしまうほどに。
そして旦那の大金持ちのロシアの両親に、そういう商売の女と結婚したと知られてしまい、新婦を置いて逃げ出したボンボンの旦那を探しに行くのだが、そのあたりから4人連れの凸凹コントが始まり、メンツはMrビーンもどき、ヒゲヅラおじさん、気弱なプーチン、そしてヒロインの我らがアノーラ!
…なんだこれww
ラストで鬼のような形相で強硬に離婚手続きを進める母親に対して、アノーラの捨てゼリフに何故か大笑いする父親が印象的で、ここで何かあるのかと思ったのは私だけではないよね。
ラストはレイプ魔ことサイコパスのニセプーチンとイイ感じで…と思ったら最後までエロで締めやがった!
いやぁ〜なかなか面白かったです。
アノーラさんは最後まで可愛いくてセクシー。
私もあんなお店に行ったらぜひ指名したい🩷
ドタバタ劇と罵詈雑言の嵐に涙が出るほど笑った…けど
アカデミー賞五冠に輝いた日にちょうど
アノーラの弾ける笑顔のポスターに惹かれて鑑賞。
シンデレラストーリーからのドタバタ劇と罵詈雑言の嵐には久しぶりに映画館で涙が出るほど笑った。
理不尽なことにあっても負けずに言い返すアノーラは美しい。
力強くアノーラを演じた、マイキー•マディソンのオスカー獲得は納得。
唯一1人だけ最初から最後までアノーラに寄り添ってくれたイゴール。
プライベートジェットでもさりげなくアノーラに水を渡したり優しい。
少し逸れるがイゴールが2本煙草を咥えて一本アノーラに渡すシーン、
「名もなき者」でののシーンがとても印象に残っていたので1人で興奮してしまった。
「名もなき者」の中では「情熱の航路」のシーンを模していて
両者ともとても素敵な表現だと思った。
アノーラの強さとイゴールがこの作品で出てくる人物の中での救いだった。
ワイパーの音からの無音、
エンドロール中に色々考えさせられる作品ではあったが
一生涯心に残る作品かと言われると個人的にはそこまでかな、、、
期待しすぎた?
受賞記念に急いで見に行ったところ、個人的には刺さらず期待を下回りました。
賞を取ったと思って観ると高く評価出来なくもないのですが、その情報なしだと星3.5でいいかなと思いました。(おそらく自分が見逃しているだけで、光る部分がたくさんあるのでしょうが…)
エロティックで華やか、コメディもあり、シリアスさや感動もあると良い要素は詰まっているのですが、そのせいでちょっと長い気もします。
ストーリーも想像通りの展開で、アカデミー賞受賞作品でなければ深い考察をしようとも思わなかったです。
傑作とはいえないと思うだけで、つまらないわけではないです。
アカデミー賞受賞作が気になる人、シンデレラストーリーが嫌いな人にはおすすめ出来ます。
個人的には必見ではないので、別部門の受賞作や別のノミネート作品を観たり、アカデミー賞に価値を感じない人は、全く関係ない気になる作品を観てもいいと思います。
R-18でこんな笑える映画がアカデミー賞取ったんだ
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