「女性のための女性の作品」ANORA アノーラ 60代の男ですさんの映画レビュー(感想・評価)
女性のための女性の作品
[60代男です]
前半は、若い二人がひたすらセックスしては贅沢な暮らしを満喫しているのを見せられるだけ。そのセックスも、愛し合う恋人同士のものではなく、娼婦がお金をもらったお返しとして男を喜ばせるためにやるセックスだ。
この前半は退屈。
中盤、バカ息子が勝手に結婚したことを知った親が激怒し、別れさせようと手先を送り込んでくる。その手先3人が現れたとたん、なんと男は妻を放り出して一人で逃げる。
そこから主人公が手先3人と一緒に、ひたすら男を探しまわるだけなのが後半。
この後半も退屈。
そして終盤、男を見つけ出し、男の両親もやってきてから急に引き込まれて観れた。ここから結末までは面白かった。
この終盤がなければ、正直、僕にはまったく楽しめなかった。
観終わって、一番に感じたのは、これは一貫して女性にストレスを感じさせないという姿勢で作られた作品だということ。
それは女性のための女性の作品だからだ。
気性の荒い主人公の感情だけを追って物語が進み、それに対する敵対者の正体も女性だ。
結婚相手の男すら後半になると姿を消し、その男も、一族の手先たちも、主人公の周囲で主人公を振り回す脇役たちみんな、結局は最後に出てくる母親の意志で動かされている駒にすぎない。
自分の感情で、自分の意思で、自分のために主体性を持って行動しているのは、主人公とこの母親。あとは主人公をイビる同僚もだが、なんにしても全員女性だ。
劇中では男の一族が主人公をこばんでいるかのような印象を与えているが、もし母親が主人公に好意的であったなら、普通にハッピーエンドになる話なのだ。
父親のほうは主人公の言動に気持ち良ささえ感じているふうなシーンさえあった。
そして幼稚な精神で主人公を苦しめるバカ息子も、この母親が生み出した存在なのだ。
つまり本作は、主人公の女性が、別の女性が支配する世界の中で翻弄され、あがき、対決する物語なのだ。
男たちはみな、その敵対している女性が支配する世界の一部でしかない。
考えてみれば、前半でしつこいほど繰り返される二人のセックスも、通常の男主導のラブシーンとは違い、受け取ったお金の対価として受け身の男を喜ばせるために能動的に行う、女性が支配するセックスだった。
うんざりするほど具体的なセックス描写をするのに、レイプはもちろん、女性がいやいや行うセックスは出てこない。
お金のための場合でも、不快さを耐えたりするような演出はカケラもなく、女性たちは楽しんでやっている。
暴力的なお客どころか、女性に屈辱的なこと、不快なことを強要する男も出てこない。
日本で風俗店を舞台にした映画を作ればそういう描写が中心になるのとは正反対だ。
僕は男なので断言はできないが、現実世界だと、いくら男女平等と言っても腕力で勝てない女性は、二人きりの空間で目の前に迫られたりすれば確実に心理的なストレスがあると思う。
本作はそういうものが一切、排除されている。
男の女性への暴力が出てこない。
それが一番表れているのが、中盤の、押しかけてきた手先たちを相手に繰り広げる主人公の乱闘シーンだ。主人公は殴る蹴る噛みつくとやり放題に暴れるが、男の側は押さえつけようとするだけ。ひたすら痛い目をみるのは男のほうだけだ。
いくら傷つけるなと言われていたからと言っても、顔面を足の裏で蹴られて鼻の骨を折られたなら、男はカッとなって相手の顔面を殴り返すだろう。しかし本作では、痛がって情けない顔をするだけだ。
この現実とは違う描写も、女性にはストレスなく映画を楽しめ、現実では味わえない解放感すら感じる部分ではないだろうか。あくまで男の僕の想像だけどね。
主人公は常に、まったく我慢などすることはなく、言いたいことを言い、やりたいことをやり、自由に思うままに行動する。これほど伸び伸びとした女性主人公の作品ってちょっとないかもしれない。
ここがアカデミー会員たちの心に響いたのではないかと思う。
一族の3人の手先の中の一人が主人公を見るまなざしに、観客の目を誘導していく終盤が良かった。
離婚が成立し、主人公が相手親子と最後の別れのとき、その手先の一人が脇から初めて雇い主に意見する。息子は謝るべきじゃないかと。ここが一番の見せ場。僕にとってはね。女性から見れば違うのだろうが。
それに対して息子が反応する前に、母親が絶対に謝らせないと宣言する。バカ息子は母親の所有物にすぎない幼児なのだ。とても一人の男として、自分の選んだ女性と結婚できるような人間ではないという、主人公にとって絶望的な現実を再確認させる。
ラスト、主人公が、自分に好意をよせてくれる男を相手にしない態度だったのもリアルで良かった。たった1日で気分を切り替えられるほど裏切られた主人公の心の傷は小さくないのだ。
二人の間にこの先、進展があるのかどうかは分からない。安易にくっつけて終わらせていたら、主人公の感情にリアルさがなくなっていたところだった。
本作の主人公は、作者の都合で気持ちが操作されているような作り物っぽさがない。
感情がリアルで、本当に生きている生身の人間に見えるのがいい。
役者が演技しているということが意識から消えて本当のことを見ているかのように楽しめた。
追記)
ラストシーンの意味が分からない方のために解説
主人公は心の中はまだ愛した男のことでいっぱいで、他の男など相手にする気持ちになれないが、目の前の男から、金銭的にも重大な恩をもらったので、それまでやってきたように、対価を体で返しはじめる。
行為の最中に男からキスをされそうになる。
結婚前までなら当然、キスなどお金を払ってくれる相手とならいくらでもしていたが、結婚したときから相手は愛する男ひとりだけという気持ちになって過ごしていたため、キスはしたくなかった。
キスを拒んでいるうちに、自分が唯一、愛情を込めたキスをする相手、その愛する男はもういないこと、その男の方には愛などなかったことが頭の中によみがえってきて、たまらずに泣き出した。
おしまい。