「煌びやかでセクシュアリティーなガワの裏にある、確かな寓話性。」ANORA アノーラ 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
煌びやかでセクシュアリティーなガワの裏にある、確かな寓話性。
【イントロダクション】
ストリップダンサーとして働く1人の女性、“アノーラ(アニー)”が、客として訪れたロシア人の御曹司に見初められた事をキッカケに、豪華で煌びやかな世界へ足を踏み入れるシンデレラ・ストーリー…の先にある“現実”を描いたR-18指定作品。主人公アノーラを演じたマギー・マディソンの体当たり演技が炸裂する。監督・脚本に『フロリダ・プロジェクト/真夏の魔法』(2017)のショーン・ベイカー。
第77回カンヌ国際映画祭〈最高賞〉パルムドール受賞。第97回アカデミー賞、作品賞、脚本賞、主演女優賞、監督賞、編集賞の5部門受賞。
【ストーリー】
ニューヨークのストリップ劇場でダンサーとして働くアノーラ。ある日、店を訪れたロシア人男性客のイヴァンは、アノーラの事を気に入り、プライベートで自宅に招く。召使いやエレベーター付きの豪華な邸宅に住むイヴァンは、財閥の御曹司だった。彼との契約で、1万5,000ドルで1週間をイヴァンや彼の仲間達と共に過ごす。突然の思い付きで訪れたベガスで、イヴァンはアノーラに求婚。彼女もそれに応え、2人はベガスの簡易結婚式場で夫婦となる。
ストリップ劇場を辞め、豪華な邸宅での煌びやかな生活を手にし、順風満帆かに見えたその矢先、結婚に猛反対したイヴァンの両親が、部下のトロス、ガルニク、イゴールを遣わせ、自分達もニューヨークに向かってくる。
両親の来訪に慄いたイヴァンは、アノーラを残して何処かに姿を消してしまう。残されたアノーラとトロス達は、消えたイヴァンの行方を追って捜索を開始する。
【感想】
破天荒なアノーラと、典型的なドラ息子のイヴァン。それに振り回されるトロス達とのやり取りの面白さ。しかし、バカバカしく騒々しい物語の裏には、確かな寓話性が満ちている。日本のキャッチコピーにある、《おとぎ話?ううん、現実(リアル)》という言葉が指し示す本当の意味が、鑑賞後には何とも皮肉めいて突き刺さる。
マイキー・マディソンの体当たり演技は圧巻。冒頭からとにかく脱ぐし、濡れ場も果敢に挑み演じ切る。オスカー受賞も文句なしだ。
しかし、本作の陰の功労者ユーリー・ボリゾフに、私は堪らなく魅了されてしまった。この先の彼の活躍を願わずにはいられない。
また、イヴァン役のマーク・エイデルシュテインのドラ息子演技も忘れてはならないだろう。特に、セックスの際の痩せ細ったガリガリの身体にトランクスとハイソックス姿というスタイルには、抜群の嫌悪感を抱く(笑)彼もまた、主演のマイキー・マディソンに負けず劣らずの体当たり演技なのだ。
意外だったのは、豪華で煌びやかな見た目に反して、製作費は僅か600万ドルというから驚きだ。但し、思い返せば豪華な印象を与えつつ、予算を掛けないで画作り出来るように工夫されているのが分かる。ショーン・ベイカー監督がアカデミー賞のスピーチで語った「お金の無さ」という部分に、本作のアノーラの姿まで重なって見えてくる。しかし、少ない予算で効果的な物語を構築してみせたからこそ、パルムドールやオスカーに輝いたとも言えるのだ。「予算があれば素晴らしい作品が撮れる?」という問いと、それに対する「NO」という答えは、そのまま本作の示す「お金があれば幸せ?」という問い対する「NO」という答えにも重なるのだ。
煌びやかなストリップシーンやベガス旅行を彩るダンスミュージックの数々も個人的にヒット。また、イヴァンがアノーラの元居たストリップ劇場を訪れた際に掛かっていたT.A.T.u.の『All The Things She Said』には、思わず懐かしさを感じた。この曲のイントロ、本当に素晴らしいな。
【考察】
タイトルであり、主人公の名前でもある〈Anora〉という単語には、“ザクロ”、“光”や“明るい”といった意味があるのだそう。しかし、当のアノーラ自身は、本名で呼ばれる事を嫌い、周囲にもトロス達にも「アニー」という愛称で呼ぶよう促す。それは、彼女が自らの人生や現状に不満や負い目を感じているからではないだろうか。セックスワーカーとして、日々心と身体を切り売りしている彼女にとって、“光”や“明るさ”を示すこの名前は苦痛でしかないのだ。
思うに、アノーラは根は真面目で他人に気遣いの出来る性分なのではないだろうか。店の人気嬢として君臨出来ていたのは、単に彼女が性的魅力に溢れていたからだけではなく、お客に対するサービスを徹底していたからだろう。
イヴァンの自宅に呼ばれた際にも、目の前には幾らでも大金を引き出せる金持ちの御曹司が居るのにも拘らず、「お正月は仕事だから。割増賃金なの」と仕事に向かおうとする。
イヴァンを捜索する際の破天荒な振る舞いは、彼女にとって「ようやく手に入れた幸せ(と彼女は思っている)」を手放さない為の、孤独な戦いなのだ。
しかし、そんな彼女とは正反対に、イヴァンはどこまでもドラ息子でクズのままだ。やり方もロクに知らないであろう、女性を気遣えない身勝手なセックス。ひたすら腰を打ち付けるだけの高速のピストン運動姿はあまりにも滑稽だ。堪らずアノーラは、自らの腰を動かしてスローセックスでイヴァンを満たしてみせる。だが、別日には再び彼は高速ピストンでアノーラと交わっている。彼は、女性を満足させるセックスをするにはどうすれば良いのかという事を学習していないのだ。
そして、セックスが終わればピロートークも無しにFPSゲームに夢中になる。逃亡の仕舞いには、泥酔してアノーラの元居たストリップ劇場を訪れ、彼女のライバルだったクリスタルからサービスを受ける始末だ。
どうせなら、クライマックスでイヴァンの両親の前で彼を糾弾するのなら、「アンタとのセックス、ちっとも気持ち良くなかったわよクソ野郎!」くらい言ってほしかったような気もする。
しかし、そんな間違った相手をアノーラは愛してしまったのだ。正確には、あれが愛だとは思わないが、彼女は本気だったのだ。何故なら、彼女にとってイヴァンとの結婚は、またとない“地獄からの脱出”のチャンス、まさに“蜘蛛の糸”だったのだから。
安アパートで姉(とその彼氏)との共同生活。外で風に吹かれては、タバコを吸いスマートフォンを弄る典型的、現代的な孤独。雇い主に「労災も年金も出ない」と語るも、相手はヘラヘラとして相手にしない。あの店で働いている限り、アノーラはどこまで行っても搾取される側なのだ。だからこそ、彼女はイヴァンとの結婚に誤った「幸せ」を見出し、縋ってしまった。「ここから抜け出せる」と、玉の輿に乗れた彼女は、浮かれ気分で店を辞める。同僚のクリスタルの嫉妬も何のそのだ。
ここで忘れてはならないのは、クリスタルの嫉妬心。昨日まで同じ立場に居たはずの人間が、運良く遥か高みに登り詰めてしまった事に対する強烈な嫉妬心は最もだ。だからこそ、私は彼女を悪者だとは思っていない。その「弱さ」は、実に人間的で共感出来るから。
【観る者の心を抉るラスト10分】
イヴァンとの婚姻関係を破棄したアノーラは、せめてもの情けと言わんばかりに、トロスから「今夜まではあの家に居ていい」と言われ、イゴールと共に過ごす。
互いにタバコを吸いながら、何気なくニュースを観ている。交わされる会話の内容は、互いの名前の話題から性分まで、実に他愛ない。
しかし、「アンタ、クレイジーね」「お互い様さ」と言い合えるようなこの関係性にこそ、本当の安らぎや信頼があるはずなのだ。しかし、アノーラは失ったものの大きさから、それに気付けない、又は目を背けようとしている。イゴールに「他の連中が居なけりゃ、アンタあの時間違いなく私をレイプしてたね」と語るが、イゴールは「そんな事しない」と否定する。この台詞に込められたアノーラの過去に思いを巡らせると、胸が痛む。
翌朝、粉雪が降る中、アノーラはイゴールの車で自宅にまで送られる。結婚指輪をこっそり持ち出していたイゴールは、「トロスには内緒だぞ」と、自分達と同じようにイヴァン一家に振り回され、傷付いたアノーラに、せめて手切れ金の足しにしろと言わんばかりに手渡す。それを静かに受け取り、助手席に座ったままのアノーラ。
「君があの一族の一員にならなくて良かった」と、イゴールは彼女を励ます。傲慢で他人の迷惑も顧みない、“金だけしか持っていない”人間達のコミュニティに属さずに済んだ事を心から良く思っているのだろう。
トランクから荷物を運び出し、車に戻ってきたイゴールは、「どうだこの車?」と問う。すかさずアノーラは、「アンタらしい車ね」と皮肉で返すが、彼は「ばあちゃんの車だ」と語る。聞いた話によると、車の扱い方は女性の扱い方に似ているという。祖母の車を大事に乗るイゴールは、その台詞一つで祖母から愛されていた事も、彼もまた祖母を大事に思っている事も理解出来る。
そんなイゴールに対して、アノーラは彼に跨り、性的なサービスをする。彼女はこれまで、対価と引き換えに自身の身体と心を切り売りして生活してきた。だからこそ、ラストでイゴールの損得を超えた純粋な“優しさ”に対しても、返せるものが性的なサービスしかないのだ。
しかし、イゴールは決して恍惚とした表情は浮かべない。イヴァンならば間違いなく「あぁ…良い…。最高だよ…!」と返したであろうアノーラのサービスも、彼はアノーラが無理をしている事を見抜いており、やるせない表情を浮かべている。
堪らずイゴールはアノーラにキスをしようとするが、彼女はこれを猛烈に拒否する。このアノーラの拒絶は、イゴールを異性として見れないだとか、そういう類のものではないように思う。愛の意味を履き違えて、間違った相手や地位を守ろうと奔走したアノーラにとって、イゴールという存在はあまりにも眩しかったのではないだろうか。彼ならば間違いなく、自分が求めていた「本当の愛」を与えてくれるだろうし、その証があの瞬間のキスだったのではないだろうか?だからこそ、彼女はそれを受け取る事は出来なかったのだ。自分の本名に対して負い目を感じているように。
しかし、それまで気丈に振る舞っていた彼女の心のダムは遂に欠壊し、イゴールの腕の中で泣き崩れる。粉雪が静かにウィンドウに降り積もって白さを増し、ワイパーの音と外の風音が静かに響くエンディングが切ない。
この涙には、どれほどの悔しさが滲んでいた事だろうか。言葉だけの見せかけの愛に縋った馬鹿な自分に対してだろうか?「ここから抜け出せる」という淡い夢に縋った事に対してだろうか?あるいは、イゴールの損得や男女間の性的な関係を超えた本当の「優しさ」に対して返せるものがない事に対してだろうか?
この涙の意味については、観る人それぞれが様々な解釈をする事だろう。私は恐らく、そのどれもこれもが正解なのではないかと思う。
【総括】
現代的な搾取構造やそこに身を置く、置かざるを得ない人々の姿を描いてみせた本作は、最初こそ煌びやか(というか下品)な描写やイヴァン達の馬鹿らしさに「本当にこれがカンヌでパルムドール?アカデミー賞で作品賞や脚本賞?」となったが、ラスト10分で強烈に胸を抉られ、鑑賞後には本編では描かれていない登場人物の背景に思いを巡らせずにはいられなかった。数々の賞に輝くのも納得の一作。
惜しむらくは、アノーラとトロス達の格闘シーンや、中盤の捜索パートが少々冗長に感じられた事。特に、ガルニクのトロスの車中での嘔吐や、レストランのウェイトレスやストリップ嬢を口説く姿は、それ自体はコメディとして面白いが、必要性はあまり感じられなかった。無駄を省き、120分の上映時間に収めてくれていれば、更に評価出来たのに残念だ。
願わくば、アノーラとイゴールが、あの先の未来で笑っていられますように。