「監督は味方なの?嗤うだけ?」ANORA アノーラ なかじwithみゆさんの映画レビュー(感想・評価)
監督は味方なの?嗤うだけ?
セックスワーカーの映画公開をこんなに心待ちしたのは『プリティ・ウーマン』以来である。
(娼婦のシンデレラストーリーで王子様がリチャード・ギア。
いくら映画だからってブッ壊れてんじゃん、と憤っていたが、それをファンタジーにもするのもハリウッド。
その御伽話にひれ伏した。)
でも「ANORA アノーラ」にリチャード・ギアはいない。
脚本監督は底辺の味方・ショーン・ベイカーである。
とことんブチ壊して勝利の愛に変えて欲しい。
その一心で花粉で痒く涙を流す目を庇いながら劇場へ。
そうだね、ショーン・ベイカー。
貴方はいつも味方のふりをしてハッピーエンディングでは結ばない。
人は変わらない、変われない。それを描きたいだけ。
愛という言葉の意味も人それぞれ。
男は女にハメるのが愛。
男は女に金くれるのが愛。
それが愛じゃないなら、愛ってなんなの〜
ってアノーラちゃんは叫ぶのでしょうね。
ね?言っても駄目でしょ、ってショーン・ベイカーさんは苦笑いしているようですね。
アノーラちゃん、Fuckの言葉ぱかり。
いっそのことFuckちゃんに改名すればいいのに。
とすら思うほど頭が空っぽで同情した。
日本でも『超〜』『マジ?マジマジマジマジ?』『ヤバ』しか語彙能力ない空っぽチャンが多いが、こうやって映画で観ても危機感を通り越して救いようがないことを知る。
新宿の夜の街でもアノーラFuckちゃんレベルの女性と何人もすれ違う。
よくいるセックスワーカー。
幸せになって欲しい、と思うが彼女たちの幸せ(エッチ・スケベ・金)と僕のいう幸せは意味が違うのだ。
そう、何を言ってもムダなのである。
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