ANORA アノーラのレビュー・感想・評価
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映画は18禁要素が終わってから始まります。
ネタバレタイトルで失礼ですが、それがこの映画の要かと。でも、その18禁要素が大事な舞台背景の説明かと思います。
クラブで働くアニーは条件次第で売春も応じるストリップダンサー、大金持ちの御曹司に気に入られ、セックスドラッグの乱痴気騒ぎ。そしてプロポーズ(と金の条件付き)で迫られ結婚。それが親に知れて大騒ぎ。で、映画はそこから。
そのプロポーズがどこまで本気か。特に明示されていないのだけど、遊び歩いて道楽三昧の道楽息子にまともな夫として家庭を築けるなんて思えない。主役のアニーも判っているのかいないのか。離婚を親の部下から迫られても、法と暴力も振るって強気の抵抗。それはどこまで本気なんだろう。お金目当てか、愛情か、ただ負けたくないだけなのか。すでに道楽息子はトンズラして、その振るまいは男としてそれでいいのか。
その対比なんでしょう。(限定的な例えで申し訳ないけど)DETROIT BECOME HUMANというゲームに登場する二人目の主人公にそっくりな腕っぷしの強い用心棒。その彼の男っぷりが実に格好いい。最初は取り押さえられて腕を縛られたアニーとは険悪な仲だったけど、だからこそ、徐々に距離を詰めていく様がとても良い。すかさず突きつけられたバットを奪う手際、他の親の部下達と比べても物に動じない紳士振り、登場する男たちのなかで唯一、鍛えられた「本物の男」だったからこそ、アニーも惹かれていったのでしょう。
距離を詰めた挙げ句、煙草に火を付けてから回す親密さ。にも関わらず、「男色」などと何の根拠もなく煽って席を立つアニーは、ほら来なさいと誘っているに決まってる。
それでも応じない。それでも紳士振りは変わらない。自分がネコババするなどと考えもせず、隠し取っておいた指輪を譲るあたり、惚れない女などいるものか。そして遂に実力行使、忘れたはずの18禁要素で上に乗るけど、ああ、それでも応じない。アニーは苛立ち、果てはすがりついてすすり泣く。その彼女の想いは何だろう。
単純になびかない彼への苛立ちか。散々、金目当てで道楽息子に振り回され、その母親との勝負にも負かされ、何も自分は「本物」、「真(まこと)」を得られない。ストリッパーとして生きてきた彼女に「これでいいのか」という想いがあったのか。やはり、芸者と同様、立派な紳士に身請けして貰うことを夢見ていたのか。それとも、負けたという想いが悔しかったのか。
映画としての絵作りや個々のドラマも非常に面白い。正直、18禁要素も手抜き無く魅力的だけど、アニーが時折見せるシリアスな顔をとらえるシーンが印象的。道楽息子の捜索中、父親の部下が店内の若者達に説教するシーンは、道楽息子を含めて遊びほうける映画そのものの舞台に対する客観視なのでしょうか。
アニーが用心棒にすがりつくシーンをぶった切るようなエンディング。そして無音の無骨なスタッフ掲示のスライドは、自分で感じた余韻を味わえという監督の配慮なのでしょう。
正直、私は上映時間の都合で選ぶしかなく、飛び込みで鑑賞した映画だったのですが、意外にも当たりを引いたと思ってしまってごめんなさい。何の情報も確認せず、18禁と聞いて、それが釣り要素だけの映画なのかという疑いがあったものですから。
笑いの奥にあるリアル
重いテーマではあるけれど、始終明るいしコメディ要素も盛り込まれているので、重くなりすぎず見れる点がすごく良かった。
万人受けはしないかもしれないが、私は好きな作品。
特に最後の終わり方がとても良かった!
あの最後が無かったら、リアルじゃなかった。
暴言を吐きまくって、暴れまくって、物を投げ飛ばして、決して弱みを見せず立ち向かっていたアノーラが最後に見せた姿こそ、本来のアノーラだったと思う。
そうだよね。シンデレラストーリーは簡単に実現しないからシンデレラストーリーなんだよ。リアルはこうだよな、と無音のエンドロールを見ながら地面にしっかり足をつけさせられた気がした。
彼女はイヴァンを心から愛して結婚したわけではないだろうし、それはイヴァンもそうだ。お互いが今の現実から逃げたくて、即物的に楽観的に結婚しただけなんだと思う。
彼女はイヴァンとの結婚を無効にされることを拒否したのは、イヴァンへの愛というより、自分を簡単に捨てられる、娼婦としてしか見られない現実を受け入れたくないからというようにしか見えなかった。
アノーラのように、自分の価値を認めたくても、周りがそれを下げようとしてくることって多々ある。
年齢だったり、容姿だったり、職業だったり、人種だったり、性別だったり…
そういう世間のモノサシに計られて、不当な扱いや人権を蔑ろにされている人たちが、今も必ずどこかにいて、日々苦しめられている現実を突きつける、深いメッセージが込められた作品だった。
アノーラがいつか自分の名前が好きになる日が来ると良いな。
話題のアカデミー賞受賞作品、評価は人により大きく分かれる?!
第97回アカデミー賞最多受賞作品。これはやはり、観ておかなければと重い腰をあげる。
鑑賞後の感想をひと言でいうならば、「万人向けではない作品です。」そして私の好みでは全くありませんでした。主人公になんとか共通点を探そうとしても見つからない。出演者の誰かになんとか気持ちを寄せようとしても、共感ポイントがなかなか見つからない。唯一、中盤以降に登場のイゴール役のユーリー・ボリソフは救いのキャストでした。
最優秀主演女優賞を受賞した、マイキー・マディソンさんは、体当たりな演技で若くて美しかったし、それなりに見応えはありました。夢のようなシンデレラストーリー?から一転、中盤のドタバタ喜劇。そして雪と車のワイパーの音からのほぼ無音ラストは、とても映画的で素敵ではありました。しかしやはり一番大事なココロが置いてきぼりにされた気がして、共感できなかったのが大きいと思います。そもそもあんなクズは好きになれない。金目当てと割り切ってもです。なんなら、女をバカにしてるのかしら?という不快感が沸々と湧いてこなくもない後味ですが、私だけでしょうか…。
この映画は、人によりかなり評価が分かれそうな作品だと思います。もちろん男性の方が高評価で女性の評価は低いのでは?と思います。私の見方穿ってます??アカデミー賞審査員の男女比率を教えてほしいものです…🧐
この作品をおすすめな人は
話題作は必ず押さえておきたい人
映画がかなり好きな人
多分女性より男性…
それ以外の万人にオススメはしません!!もっと楽しめて後味のよい作品はたくさんあります♪
静かに心に響くエンドロール
享楽に興じるだけの映像に食傷気味になってきたところから、中盤はガラッとモードチェンジ!イヴァンを探す4人のドタバタが超楽しい!これ中盤から別物の映画やん(笑
アニーは決して大金持ちになりたかったわけではない。(と思う。たぶん。)
本当に大金が目当てなら、離婚にももっと抵抗しただろうし、イヴァンの母親に啖呵きったように裁判でも起こしたはずだが、それをせずに去った。お高そうなミンク(じゃなかったか)のコートさえも投げつけて。欲しかったのは下記のような普通の幸せだったのではないか。
・心から求婚され、愛する人の妻にになること
・家族の一員として受け入れられること
・自分の尊厳を認めてもらうこと
・線路沿いのアパートのルームシェアから抜け出すこと
娼婦のような呼び方にはしっかり抗議し、
嫌われているとは思いながらもイヴァンの母親に丁寧に挨拶して握手を求める。(なんてアサーティブな姿勢)
「結婚は無効よ」という聞く耳もたないイヴァンの母に法的な根拠と対応を毅然と突きつける。イヴァンの母は非合理な苦しい反論。。
極めつけは「イヴァンはそんな母親が嫌いなのよ。だから母親が嫌がるような私と結婚したのよ。そんなこともわからないの?」と核心を突く捨て台詞を吐いて去る。解っていたのか。。
なんて賢くてかっこいい。
でも体つきは華奢で折れそうな女の子なのだ。
車の中でイゴールにまたがりながら、思わず泣くシーン。やっと泣けた。。
雨の中で車のワイパー音だけが聞こえてくる。そこから無音のエンドロールへ。
至極のエンディング。
アニーがイヴァンの家でガルニクとイゴールとドタバタするシーン。私の愛娘の暴れようとそっくりで笑った。(噛みつくところとか、、、。)
どこか重ね合わせて観ていたからか、幸せになって欲しいと切に願う。
※イゴールが親友に似てて笑った。優しく、格闘技が強い。そしてどこかホモッぽい(笑
※上流階級や金持ちに翻弄される悔しさ。。
※イヴァンがアニーや友人たちと遊び暮らすシーン。不思議と誰も心底楽しそうじゃない。
※ラストシーン。イゴールの上で単に行為をして終わるんじゃなくてホッ。だってそれやったらもう猿よ。笑
※大金持ちのくせに、手切れ金がたった1万ドルかよ。中井くんでもその10倍出したぞ。
※前半・中盤・後半でこうもテイストが変わるのをどう評価するか。五月雨でまとまりがない映画ともいえる。そんな小っちゃなこと気にすんな、エモーショナルに作ったらいいんだよ、ともいえる。ふむ。作品賞は評価分かれるでしょうね。(逆に主演女優賞は文句なしだ)
ただ20代なだけ
同日公開のシャラメか、R18+か。
ANORA アノーラ
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若い二人が満面の笑顔で幸せそうなポスター。そしてその横に、「ううん、現実」とある。
まあ、そういうことなのだが、なぜか、主演女優のほうのアノーラばかり肩入れ、感情移入をする傾向がある。
オレは、セックスワーカーではないから、彼女の気持ちはわからない。
だが幸せになれると有頂天になっての、掴みかけたものが奪われる悔しさはわかる。この映画の彼女のキャラクター設定については、幾多の作品群と何ら変わりはない。ただし、本作の場合は、「奪われた」ということだけではないところがちょっとしたミソだが、それでもよくある話だ。
オレは富豪の息子ではないので、彼の苦悩はわからない。
20代前半は、金を持とうが持つまいが、多くの人は人生で一番自由。彼はおそらくはいつも酔った勢いで(必要もないのに)通うアノーラの店に行ってしまうのだろうが、富豪で、女友達(そして、性欲を満たすだけの関係の相手)もいるはずの彼が、アノーラと契約し、勢いか、適当か、結婚をするのか、も分からない。
だが、貧乏学生だったオレが、そんなところに行って、勝手に恋に落ちても、契約なんかできないから、オレが20代だったら、そいつをバカだとは思いもせず、むしろ憧れたことだろう。
これは、「プリティ・ウーマン」の現代版、若者版、「ううん、現実」版、ということで片を付けてもいいのだが、オレはどうしても、カレは実は「描かれていない部分で」十分にもう一人の主人公だったと思う。
主人公の裏でカレが、20代らしく、羽目を外し、豪遊し、結婚を口にしたり、ヤバくなると、逃げ出す。
そしてまた酔って、「逃避」の場所へ行く。このことは実は別にアノーラでなくてもよかったんじゃないか、と思わせる重要なシーンであるが、面白おかしく描かれるところが素晴らしい。
悪役のように登場するカレのママ。だがこれはアノーラだけでなく、カレにとっても脅威。そしてパパはバカ息子というが、アノーラの捨て台詞に不気味に笑う、こちらも少し理解しがたいパパ。
だがカレをバカ息子と言っていいのは、父親、そして彼をクズと言っていいのは、目付で世話を焼く取り巻きだけだ。
とてもじゃないが、オレのようなおっさんは彼をバカやクズとは言えない。彼はただ20代前半なだけなのだ。
監督がショーン・ベイカーだから、これまでの作品群からして違うのかもしれないけれど、ポスターにあるあんな素敵なシーンの一人なのだから、彼はもう一人の主人公。
追記
今どきあり得ない聞き込みという形を言い訳にしているところが見えはするのだが、中盤にロシア系の生活が主人公たちが移動しながら描写される。アメリカ映画であんまり見ないなあ、と興味深い中盤だった。
追記2
ハゲの人
顔がまんまロシアな人だが、ちょっとある要人の顔も想起される顔で、こういう優しい(そして奥手)設定が、なかなか「ブルータリスト」と対になって面白いなと思った。
ショーン・ベイカー、パルム・ドールをオスカーおめでとう
ショーン・ベイカー監督は好きなので、オスカー受賞は素直に嬉しい。彼のベストの作品とは思わないのだけれど。
「セックスワーク イズ ワーク」であり、性産業に従事する人々は生身の人間だ。そこに金持ちのボンボンが聖なる娼婦的な幻想を持って接触し、金の魅力で結婚することになるが、セックスワーカーをさげすむ富豪の両親に引き離されることになる。親も親なら、息子も息子なのだが、それに振り回される主人公アノーラの等身大の魅力が痛々しくも光っている。結婚を解消させられそうになり失踪したボンボン息子を呉越同舟的なメンバーで探し回る後半のシークエンスは、人の滑稽さが詰まっていて面白い。労働者階級の男性イゴールと、最初は反発しつつも連帯を感じ始めるアノーラには、労働者同士の連帯みたいなものが感じられる。資本家とそれに振り回される労働者の構図が後半は、滑稽さを帯びて描かれている。ベイカー監督は性産業をいいとも悪いともジャッジしないのが美点。ただ、それはこの世界にあり、そこで働いている人がいるという端的な事実をリアルに映し出している。簡単なようで難しいことだと思う。
A GTA Mission for the Screen
Sean Baker delivers his finest take yet on the sex worker class chasing the American dream. Its real-time, day-in-the-life plot plays like a comedy Martin Scorsese might direct. It’s a sexy adventure film—perhaps not as deep as its multiple Oscar wins might suggest—but it excels in being unpredictable. Of course, the charming Mikey Madison steals the show, much like Ariana Grande did in Wicked.
中盤のスラップスティックな転調に驚き、爆笑
今年のアカデミー賞の有力候補「ANORA アノーラ」はノミネート6部門、「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」は同8部門でともに2月28日日本公開。あちらはティモシー・シャラメ主演、こちらの御曹司イヴァン役マーク・エイデルシュテインは「ロシアのティモシー・シャラメ」と呼ばれているそうで、ちょっとした奇縁も感じさせる。
「マイ・フェア・レディ」から「プリティ・ウーマン」へ受け継がれてきたハリウッド好みの“プアガール・ミーツ・リッチマン”の鉄板プロットをなぞるかと思わせる前半。ただし恋に落ちるのがロシア系アメリカ人ストリップダンサーのアノーラとロシアの超大物の放蕩息子で、出会ってほどなくエッチしまくり、早々に結婚してしまうのが今どきなインスタント・ラブというか、タイパ時代の視聴者向けというか。あけすけな性的描写は「そんなに必要?」と思わせるほど多く、わざと品格を下げているように感じられるのは自分が歳を取ったからか。
2人がエッチ三昧の日々を満喫するイヴァンの家に、親の命を受けたお目付け役たちが到着してから、突然スラップスティックな喜劇に転調する。これには大いに驚き、また爆笑してしまった。この意表を突くシフトチェンジが実にうまい。お目付け役2人のうち若いほうのイゴール(ユーリー・ボリソフ)がはじめ少し不気味で、だんだん情けなくなり、いつのまにかすっかり彼に同情していた。登場人物の中で一番好きなキャラクターだ。
昨年のカンヌでのパルムドール受賞作でもある。同賞は過去にも「アデル、ブルーは熱い色」や「TITANE チタン」など、既存のモラルに挑戦するような過激な映画が数年おきに受賞しており、傾向としてわからなくもない。さてアカデミー賞ではどんな結果になるか。
どうしようもない現実の重みが心の奥深くに突き刺さる
ニューヨークでストリップダンサーをしているアノーラはくだくだな生活にうんざりしている。暮らしに希望は持てないし、仕事はキツいし。それでも日々明るく、気丈に振る舞うアノーラの前に、客としてロシアの新興財閥、オリガルヒの御曹司、イヴァンが現れ、アノーラはいつものようにお決まりのサービスで対応していた。でも、屈託のないイヴァンを側で眺めながら、彼女の顔が一瞬真剣になる瞬間を見逃さないで欲しい。アノーラは迂闊にも、そこにイヴァンとの未来を見てしまうのだ。
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』や『レッド・ロケット』でアメリカ社会の最下層で生きる人々にカメラを向けてきた監督のショーン・ベイカーのタッチは、今回も鋭く、時に優しいが、過去作と異なるのは、途中からアノーラとイヴァンの暴走を食い止めるための刺客が現れて、ガイ・リッチーの群像コメディに似たカオスに突入する点。そこでの速いテンポと間を外さない笑いは、映画の観客層を広げる役目を果たしている。
やがて訪れる痛ましいエンディングは、ベイカーならではの複雑な味わいだ。根強い人種差別、職業差別、性差別と懸命に格闘しても、どうしようもない現実の重みが、アノーラを介して心の奥深くに突き刺さるのだ。
⭐︎3.6 / 5.0
そんなにいいかなー
その力強さは煌びやかな店と同様に虚構的で軽く脆い
NYでストリップダンサーをしながら暮らす“アニー”ことアノーラは、職場のクラブでロシア人の御曹司、イヴァンと出会う。彼がロシアに帰るまでの7日間、1万5千ドルで“契約彼女”になったアニー。パーティーにショッピング、贅沢三昧の日々を過ごした二人は休暇の締めくくりにラスベガスの教会で衝動的に結婚!幸せ絶頂の二人だったが、息子が娼婦と結婚したと噂を聞いたロシアの両親は猛反対。結婚を阻止すべく、屈強な男たちを息子の邸宅へと送り込む。ほどなくして、イヴァンの両親がロシアから到着。空から舞い降りてきた厳しい現実を前に、アニーの物語の第二章が幕を開ける(公式サイトより)。
この作品の最大の魅力はアノーラの揺らぎにある。
ハリウッド映画ではおなじみコンビニエントなラスベガス婚が大富豪の親にバレ、バカ息子が単独で逃亡した後、アノーラはイヴァンとの対話を求める。そこに客とセックスワーカーという関係性を超えた恋愛感情が芽生えたかというとそうでもなさそうだし、かといって、金銭的な利得の最大化のための行動、例えば、彼女自身も隙を見て逃亡し、別れてやる代わりに10憶用意しろさもなければマスコミに、といった方向に走るわけでもない。彼女を監視する大富豪の取り巻きたちが、それを許さないくらい、屈強で冷徹かというと、そんなこともない(というか、割と無能である)。
エスコート嬢として働くアノーラはフロアでは愛想を振りまき、男性客に媚と疑似恋愛を売る一方で、楽屋では客を腐し、本番を提供しない、あるいはその主導権は自分にあるという一線を保つことで、自分の人生をかなり力強く生きている。が、その力強さは煌びやかな店と同様に虚構的で軽く脆い。
そうした軽い力強さの背景にあるであろう、彼女が片言のロシア語が分かることや、アノーラという名は「明るい」という意味で、その愛称は本人が好んで使うアメリカ的な「アニー」ではなく、ロシア語のおける象徴的な女性名である「アーニャ」であることなどは、意図的に描かれておらず、それゆえ、彼女の行動原理の揺らぎに説得力を持たせている。
イヴァンの口から「アノーラと生涯を共にする」と言わせることは、贅沢三昧の一生よりも彼女にとって価値のある、軽い強さではない、確固たる強さのアイデンティティとなることに漠然と気づいたからこそ、イヴァンとの対話に強硬にこだわった。
だが、聖書にある「量った秤で量られる」ということばさながら、彼女自身が無自覚に採用してきた「軽さ」「虚構」「享楽」という生存戦略を逆に振りかざされ、アノーラ自身が追い込まれていく。ワンショットで撮られたラストでアノーラは、不器用ながら、愛に目覚めたものの、行為としては裏切られたイヴァンや下衆な男性客に提供して、対価を得てきた性サービスと同じであることに気づき、絶句する。エロティシズムと脆さが共存する、もの悲しい名場面である。
シンデレラストーリーではない
リアル「プリティ・ウーマン」現実はそれほど甘くない!
アカデミー作品賞にノミネートされたって事で注目していた本作品。まぁ9割がたエロ目当てなんだけど・・・
残念ながら公開中は予定が合わず、大画面で観ることができなかったので、今回WOWOWを録画して鑑賞したんですが、う〜んどうでしょう。何で、これがノミネートされたんだろう?
娼婦が富豪と恋仲になるっていうと「プリティ・ウーマン」が真っ先に頭に浮かぶんですが、世の中そんなに甘くない?シンデレラストーリーがファンタジーな夢物語だってのをマジマジと実感させてもらった感じです。
【ネタバレ】
最近の映画で、これほど女性のセクシーカットが拝めるってことで、スケベオヤジは大満足です。
冒頭からヤリ放題。若いっていいな〜の連続です。主役の女性、ヌードが綺麗でしたよね。
さて、ストーリーですが、この御曹司が娼婦相手にのめり込んていくところは、結構好きでした。金の使い方が半端ないな〜とは思いながらも、アノーラに対する優しさみたいなものも感じられて、ホンっと「プリティ・ウーマン」のシンデレラストーリーみたいでワクワクしちゃいました。
バックに流れる音楽も良かったです。
ところが、勢いで結婚したあたりから、ほんとに大丈夫か?って不安が押し寄せてきました。そもそも結婚に至った理由が不純でしたよね。
極めつけは、富豪の親から命令された息子のお目付役が出てきたところでガラッと雰囲気が変わります。
逃げた息子を探すところからは、まさにコメディですね。登場人物みんなが普通じゃない。話し方から何から、常軌を逸している。
富豪の息子の印象も一気に変わった気がします。やっぱりただのぼんくら息子だったのかと。
泥酔した息子が見つかって、両親が現れたところで、また何か変わったような・・・
娼婦が富豪と結婚するなんて、夢物語だというリアルを突きつけられます。ハッキリ言って腹立たしさしかなかったです。
両親の見下した態度といい、息子の無責任な言動といい、何だこいつら!って感じ。アノーラが可哀想で、可哀想で・・・
最後まで、何かしっくりきませんでしたね。夢物語なんてありえないってことを突き付けられたようで。
色んな意味で若い2人
ラストシーンが深い
すごく切ない映画でした。前半、アニーとイヴァンが享楽的な日々を送るシーンの連続には、「いったい何の映画を見せられてるんだろう?」と辟易し始めた頃、突然映画は別方向に走り出します。その切り替えが小気味よく、ここでまず「してやられた」と、思ってしまいます。
やはり秀逸なのはラストシーンでしょう。ズシンときます。あの長ったらしいピンク映画もどきの描写も、ここに持ってくるためのもので、絶対必用なものだったと気づかされます。本当にこのショーン・ベイカーという監督はただ者ではありません。
印象的なのは、ラストシーンに行く前、アニーとイゴールがイヴァンの家で一夜を過ごすところです。アニーに手を焼きながら、だんだん彼女に対して同情的になり、惹かれていくイゴールの無骨な心情がよく描かれています。しかしアニーは、そうしたイゴールの好意を徹底的に拒否します。頑として寄せ付けない、強い意志を感じさせます。この二人のやりとりは、すれ違う人間心理を見事に表現しています。この描写がラストへと繋がっていくのですね。
心に鎧を被ったままのアニーに対し、イゴールは去り際に奪い返した結婚指輪を差し出します。面白いですね、たとえ他人の指輪であっても、男が女に指輪を渡す行為は求愛に他なりません。それに対してアニーの取った行動が泣かせます。彼女は指輪の対価を、かつて男たちにサービスとして行った行為、売り物としてのセックスで支払おうとします。戸惑いながらもアニーのペースに身を委ねてしまうイゴール。当然愛おしさが込み上げてきたイゴールはアニーにキスしようとします。そんなイゴールを拳で撲って拒絶するアニー。ここで観客はアニーが何に対して頑なに拒絶していたのかに、気づかされます。
もしここで彼女がイゴールに心を許せば彼女の半生を、彼女の生き様を、彼女の描く未来さえも、全て否定することになると彼女は恐れたのだと思います。イゴールと繋がりながら、号泣する彼女の心は最後まで孤独でした。
あれほど賑やかだった画面が静寂に包まれ、唐突にエンドロールが流れます。アニーとイゴールがこのあとどうなったか、それは観客一人一人の想像に任されます。絶妙なエンディングです。しばらく立てないほど、余韻の残る映画でした。
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