「よくできた熊本県山鹿市のPR映画である。」骨なし灯籠 うさぎさんさんの映画レビュー(感想・評価)
よくできた熊本県山鹿市のPR映画である。
素直な心が大切である。これをこじらすと、いい映画も台無しになったしまうである。
善意と悲しみとひたむきさが背骨の映画だと思う。それをそのまま素直な気持ちで鑑賞するればいいのだが、善意と悪意、悲しみと、自己憐憫、ひたむきさとかたくなさは表裏一体であるなどと考えだすと、この映画を楽しむこができなくなるのである。
45歳で、老人の危険運転のために命を奪われた最愛の妻。この妻には、夫のほかに人間関係はなかったのか?友人、兄弟、両親などである。白い布に包まれた妻の遺骨を首にかけて、薄汚い格好で、山鹿市を彷徨う夫の姿は、悲劇の主人公というより、もはや不審者である。多額の保険もおりただろうにもうすこし、こざっぱりとできないものか?
主人公が、車に飛び込んで自殺をしようとするが、小学生に挨拶されたことで、それを踏みとどまる。美談である。でも本当にそうであろうか?最近では、不審者から自分を守る手段に挨拶があるそうである。相手の目を見て、元気に挨拶をすることで、自分の身が護れるのである。小学校でも最近はそう指導しているそうである。
山鹿の灯籠職人とその見習いが、彼を助ける。風呂に入れ、食事をあたえ、住む家まで紹介してくれる。遺骨が灯籠職人の琴線にふれたのかもしれないが、常人にはなかなか理解できないことである。しかしこの職人のうでは確かで、山鹿灯籠というものは本当に見事である。映画館に本物の山鹿灯籠がかざられていて間近でまじまじと見たが、映画を観るまで、それが和紙だけでできているとは思いもよらなかった。
山鹿灯籠のお導きか、祭りの期間だけ、主人公の前に亡き妻があらわれ、妻の導きで、夫のひたむきな愛は、かたくなさを越えて執着であることが徐々に、解消されて、大団円となるのである。
熊本県山鹿市は知らなかったし、山鹿灯籠の存在もこの映画を観るまではしらなかった。そういう意味では、本当にすぐれたPR映画で、見事にその術中にはまってしまったのである。