教皇選挙のレビュー・感想・評価
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主人公に野心はあったのか
食事を摂るときに各国の司祭が自身の言語で分かれる点や、組織票やスキャンダルを駆使して対立候補を脱落させようと画策する点など、カトリック教会の最高機関であっても人間の行動はさほど変わらないことを描いている。
慎み深いものの自身の意見を曲げず、ろうそくを吹き消して会話を終わらせるヒスパニック系司教、規律を過剰気味に守りつつも良心が抑えきれないシスター長など、登場人物の表現手法が凝っている。
カトリック教のルールやコンクラーベのシステムなどの予備知識はほとんどなかったが、それでも充分に楽しめる作品だった。
タイムリーな映画鑑賞になりました。
教皇が亡くなれて、コンクラーベが行われるとニュースで流れていました。評判になっていたので映画館へ。
システィーナ礼拝堂、昔イタリア旅行で行ったので懐かしかったです。
最後の審判の絵が効果的に使われていました。閉鎖空間でで行われる選挙の様子が実にミステリアスで最後まで飽きずに鑑賞できました。キリスト教のことはよくわかりませんが、この映画では、寛容、多様性といった現代社会の問題を提起してキリスト教も進化しなければならいということかなと、それが彼が選ばれた理由かと思いました。それにしてもレイフ・ファインズのローレンス枢機卿の苦悩する演技が素晴らしい。
いろいろな意味で現代的なストーリーに、一流の脚本
たいへんミーハーな動機で視聴。
権謀渦巻く難解な物語を想像していたが、存外わかりやすく、西洋史や宗教の知識に欠ける私でも素直に楽しめる、エンタメとして優れた作品だと感じた。
ストーリーは表題の通り。ローレンスが冒頭の説教で述べた、確信を恐れる、疑念を抱く法皇を求めているという言葉には少なからず感銘を覚えたものの、それが最終的に、ある意味で輪郭がとてもはっきりしたエンディング収束したところは、私の思う限り実に欧米的で現代的だと感じた。カトリックの事情には明るくないのであの結末の善悪を議論する気はないが、個人的には、故法皇を慕い、迷い惑いながら「良い」結末を求めようと奔走するローレンスが、渋い顔で法皇になるところが見たかった感もある。
この作品の一番優れた点は、脚本だと思う。
権威を極めた(という表現が正しいかはわからないが)枢機卿たちが、ときに綺麗事を言いながら、ときに野心を覗かせながら、思惑通りにいかないと情けなく狼狽するさまは、コメディのような面白さを提供してくれる。場面転換のテンポも非常に良く、最後までは退屈せずに楽しむことができた。
現実のコンクラーベがどうかは知らないが、時間を作って見に来たかいのある作品だった。
疑念の音
不気味な音響
ホラー映画なのかなと思ってしまうほど
これは疑念の音なのかと思いました
信仰するが故にラストは皮肉なようで
進化する時が来たと希望にも取れる
至極真っ当で。
ぐうの音もでないというか。
戦争を目の当たりにしてきた彼の説教は
若くても重みもあり年長者まで納得させる
器と聡明さ、あの濁りのない瞳
本来のあり方を説く構図までもが美しく
選挙は、この集団、教会に希望の持てる人選結果
映画こその奥行きも感じられる作品
おもしろかったなー。とても。
コンクラーベ
久々に見応えのある洋画だった。
学生時代に聞いたことがあったコンクラーベと言う言葉。
そうかローマ教皇を決める選挙だったなと思い出した。
ついでに意味を調べてみたらラテン語で “cum clavi”(鍵がかかった)の意だそうだ。
まさに密室で行われる選挙なんだと納得した。
選挙の様子については口外が禁止されてるそうなので想像で書かれたミステリーではあるががおそらくこういうことが行われてるんだろなということは納得できる。
選挙の票集めの裏工作などまるでどこぞの国の政治と変わらないことを聖職者がせっせとやってるのは失望するが。
ローレンス枢機卿役のレイフ・ファインズが好演。
彼の小さな息遣いだけで彼の苦悩が伝わってくる。これはおそらく製作側が意図的に音を拾ってるんだと思うが。
とにかく先が読めないので最後まで息を呑んで集中して観れた。
知識を必要とされるが、そこを乗り越えれば名作
よく作られた美術と映像、緻密に練られたストーリーが素晴らしい。
特にストーリーはラスト30分で状況が二転三転して意外な結末に終わる。この結末にはここ4,5年で見た映画の中で一番驚かされてたかもしれない。
また各登場人物の設定も面白く、自由主義派、リベラル派といったものは普遍的ストーリーでは善玉の要素を持つ登場人物の多くが罪を抱えている。
それに対し、旧守派、伝統主義者、排他思想の有力者はその主義故に宗教者としては何の落
ち度もない。また枢機卿ですらラテン語で話さないことを嘆いてる様子は、まるで同じ言語で固まるの分断じゃないのか問いかけるようでした。
言ってることは結構無茶苦茶でが一本筋通ってるので、この映画で一番好きなキャラです。
女子高生かよ
映画を見る日の朝、ちょうど卒業アルバムを読んでいたせいか、閉ざされたバチカンの静謐な環境でグループを作ってヒソヒソぐだぐだと話をする枢機卿たちが女子高生に見えてしまった(笑)。厳格なカトリックの最高峰、神秘的なバチカン、崇高な使命を背負った宗教者たち、といったイメージと対照的な下世話な物語がスクリーンに展開する。そんな枢機卿たちを一方的に突き放して見下せるほど自分は偉くないというか、同じ卑しさを共有してるのだと思うとみんなかわいく見える(笑)。コピー機も使えないのに陰謀を企てて、しらばっくれようとするローレンスの可笑しいこと!昼ドラ並みの人間らしさを美しいバチカンと印象的な構図で見せてくれる楽しい娯楽作だと思う。大満足。
確信は寛容の敵
サラリーマンの株主総会前の社内政治に似たような交渉劇。
実際のコングラーヴェがどんなのか知る由もない所を見事映画にしました。
レイフ・ファインズは正直好きではないのですが、俺はもぅいいやと言いつつちゃっかりやさんな所が俗っぽくて似合ってました。
なんだかんだ彼の行動で他の候補者がどんどん脱落してて、もしや?と思わせておいてあのラスト。してやられたね。
タバコをばかすか吸ってたりスマホいじってたり現代を生きる聖職者という職業。
当たり前だけど彼らも現実に生きてる人なんだなぁと思いました。
面白かった。
所々、名言があって考えさせられました。
【追記】
レビューを書いた2日後にフランシスコ法王が召されました。
少し真面目な話をすると、私は以前に猊下を描いた作品『ローマ法王になる日まで』を観てからアルゼンチンの歴史について興味を持ちました。
まだ理解が及ばないので引き続き学習を進めたいと思います。
価値観
静かに進む教皇選挙の裏で野心だったり秘密が次々に明らかになる問題作。
終始漂う陰鬱な雰囲気と見え隠れするジェンダーの考え方が印象的でした。
実現したらもう一歩、世界が進むと思います。
原作と比べて
ロバート・ハリスによるConclaveを読んだ結果、映画は、
主人公の名前・出身地とベニテスの出身地を除けば、かなり原作に忠実だと分かった。
(原作では、主人公はイタリア人、ベニテスはフィリピン人。役者にあわせて設定を変更したと思われるーーストーリーに影響はない)
もちろん、時間短縮のため削ってるところはある。
でも、本筋にほとんど影響なく、台詞もほぼそのまんま。
削られてる主な点は、
過去、5回目の投票までには決まっていたけど、今回は無理――結局8回かかった――
というのが、映画では、強調されてなかった、ってか、何回目だっけ、5回目か6回目で決まってた気がする。
あと、
マスコミが注目してるとか、
広場に25万人集まってるとか
という情報も、映画にはなかったよね、たぶん。
逆に、
原作に亀は出てこない。
それから重要なフリとして、原作では前半で、
教皇として決断すべき「女性の問題」が出てくる。
中でも物議を醸す大問題は、
男女平等とか堕胎とかいう話よりむしろ、
「女性が聖職につく(つまり司祭になる)」ということ。
カトリックでは禁忌。
で、これがラストにつながってくる。
この辺、映画では分かりにくい気がする。
あと、
最後に、両性具有あるいはインターセックスが判明したとき、
「匿名だったから、このことを知るのは3人だけ」
という台詞が原作にはあって、
ああそれなら、映画のローレンス(原作のロメリ)が納得するか、
といったんは思ったけど、
その情報源の人物もまた知ってるんじゃないか?
だったらいつかはバレるんじゃないか?
とも思い、
でもまあ、それでもいいやと、腹をくくったのかな。
* * *
ちなみに映画にだけ登場する亀は、
卵でいるあいだは性別がないらしい。
雌になるか雄になるかは、
温度やらなんやら、いろんな要素で後から決まるらしい。
亀が暗示しているのは、
そういうことだと思われるのであります。
いずれにせよ、結論は、
面白かった♪
教皇選挙の興味深い舞台裏
これまで教皇選挙(コンクラーベ)については、新しい教皇が決まるまでバチカンで煙が上ることぐらいしか知りませんでした(無知〜汗)。
ドナルドトランプとか、ローマカトリック教会とか、現在も世界の中心的シーンに存在する組織や人物について描く映画が、まさに同じ時代に世に出てくることはすごいことだと思いますが、この作品も時々ニュースになる教皇選挙の裏側の駆け引きを描いています(実際の舞台裏はどうなのでしょうね、、、)
権力闘争に終始するかと思われた選挙の最後のどんでん返しは、LGBTQの現代ならでは。信仰って、本来権力闘争とは無縁であって欲しいよね、そうでなければいけないよね、という感想です。
すごく気になったのは、主人公のローレンス枢機卿(レイフ•ファインズ)が、「(自分は)祈ることの意味が分からなくなった」(今後はバチカンでの職を辞して田舎暮らしをするつもり)というセリフ。
聖職者が祈る意味が分からなくなったらおしまいなのでは⁈(少なくとも、どうやってもその心境では教皇にはなれないのでは?)、と感じました。
ローレンス枢機卿が祈りの意味が分からなくなった理由をすごく知りたいと思いました(これだけで一つスピンオフ作品が出来るかも)。
本作で驚いたのは、これまで見慣れた俳優さんたちが自然に聖職者の役に馴染んでいること!
特にペリーニ枢機卿を演じたスタンリー・トゥッチさん!
「プラダを着た悪魔」で演じたファッション誌のアートディレクターはまさにハマり役でしたが、神父様役が似合い過ぎました!
これが文化というものなのかな、と思いました。どんなに現代的な役を演じていても、歴史ある聖職者の役にも簡単に変われてしまう。
もしかしたら自分も、江戸時代の農家だとか、武家の妻とか衣装を着れば馴染んでしまえるのかもしれません(その時代に自分と同じような顔をしていた人もいたでしょうし)。
西欧文化圏の俳優さんが何の違和感もなく、すっと神父様になれてしまうことに驚きました!
神託
迷える子羊共が右往左往する。
ヴァチカンの教皇が逝去し、次なる教皇を決める為の選挙が行われる。主人公はその選挙を執り仕切る人物だ。かなり独特な選出方法で、候補者を決めず一斉に投票する。自らが相応しいと思える人物の名を書く。その票数が一定数を越えれば教皇として選出される。つまりは、一定数を超えなければ延々と投票が続くのだ。
神の存在を信じる者達としては、至極真っ当な方法のようにも思う。何の小細工もしなければ、決まりようがないようなシステムだ。
神のご意志が作用しそうな選挙方法に、人間が介入してくるからややこしくなるのは当たり前だ。
選挙を通して、欲深き人の業とヴァチカンの腐敗が描かれていく。
ある枢機卿が「我々は理想に仕える者で理想ではない。ただの人間だ。」とか何とか宣う。
何の言い訳なんだろうと思う。
そんな事も含め、聖職者と言えど、欲に塗れて当たり前で強欲だし、権力は欲しいし、女だって抱きたいしと…何なら聖職者って仮面を被ってる分、タチが悪い。神の御許の営業マン達はかなり優秀だけど、大多数が悪徳営業マンなのではなかろうか。
なので、有力候補者の醜聞が次から次へと出てくる。この辺の件は、罪のない人間などいないって断言してるようだ。
スキャンダルもそうだし、陰謀だって画策する。買収して票を集めるなんて普通だし、なんなら政府と繋がってる輩もいるっぽい。
欲望が蔓延してるとんだブラック企業なのだ!
でも、それでも神は見捨てない。
選挙期間中、教会は外界から遮断されるらしい。窓の振動から会話を読み取られる事もあると、異次元の用心深さを発揮する。
自分達しかいない閉ざされ独立した空間の中で、事は進むのだけど、物語が進むにつれこのありえないくらいの厳重さは、自分達の穢れを外に漏らさない為なんじゃないだろうかと思えてくる。
そんな閉塞的な空間がある事件によって壊される。無差別テロなのかな。外からの力で障壁は破壊される。偶然に奇跡を感じる人もいると思う。
全ては必然だも言う人も。
そんなタイミングで穴が空く。
コレを機に、外部の圧力に抵抗し宗教戦争の起こる寸前だと喚き散らす最有力な候補者。
…もはやキリストの教義からかけ離れてんじゃないかと思うんだけど、地位と金を得た人間は須く悪魔と同調してくんしゃないかと思う程だ。
そんな中、声が響く。
「戦争を知ってますか?誰と戦うつもりですか?」
とても澄んだ声だった。
「戦うべきは、我が身の内にあるものではないですか?」コレが言いたかったのかと術中に嵌められた。
この人はまた謎多き人物で…生前の教皇だけが知っている枢機卿である。
登場からずっと怪しい。
が、思わせぶりな発言も多く、ここまでリアリズムに徹してる作品で、まさかの神の化身なんて事はないだろうと、そんな疑惑をもつ眼差しをしてる。
そして投票が再開されるんだけど、その時、外から風が戦ぐ。閉鎖された空間に空いた風穴から穏やかな光た共に風が入ってきてるのだ。
見上げる一同が感じた事は同じだったのだろう。
腐敗し澱んだヴァチカンには新しい風が必要だ。
次の教皇に決まったのは、謎多き枢機卿その人だった。
教皇は名を改める習慣があるようで、その名は発音しにくい名前だったのだけど「ケツアルクァトル」に似た名前だった。なんか意味があんだろなあー。
主人公が教皇になった時は「ヨハネ」と名乗るつもりだったらしい。たぶん真逆の意味を持つのだろう。
漸く落ち着いた選挙だったが、また一悶着起きる。
主人公の補佐官がやたらに有能で、この彼のポジションも何か含むものがありそうで興味深い。
次の教皇にも問題視される要素がある、との事だった。
もうここに至ってちょっと笑えてくる。
「またか…w」と。
聖人君子なんて人は存在せんのだ。
彼の秘密は両性具有って代物だった。
そうきたか、と、寧ろ感心した。
コレ以上、神に仕える身の長として相応しい物などないんじゃないかと思われる。
彼は自身の体を神からの授かりものだと言い、外的手術によって作り替えて良いようなものではないとの結論に至ったようだ。
とてもとても説得力があった。
ラストカットは窓から外を見下ろす主人公だ。
その目には扉から出てくる3人少女が見える。
混乱に混乱を極めた選挙であり、世界の趨勢をも左右するような時間であったが、変わらず日常は和やかに育まれているって事なのだろうか。
その対比で、視野が狭くなっている自分達の滑稽さが際立つって感じなのかなぁ。
全然間接的なんだけど、神の存在の表現としてはドンピシャで、なんか教典のようにも思えた作品だった。
終始流れている重いBGMも良かったなぁ。
キリスト様って寛大だなぁー
『私たちは目に見えない存在ですが、』
どこまで現実に即しているのかはわかりませんが、正直ローマ教皇庁内やコンクラーベの仕組みについて詳細に描写されているのを見ているだけでも面白い。けれどアカデミー脚本賞を受賞しただけあって、ストーリーもすごく面白かったです。
個人的な話になるのですが、私はかつてミッション系の女子校に通っており、ミッション系女子校というものは基本的にシスターたちが主導権を持ち、彼女たちによって運営されるものでした。
なのにあの宗教の総本山ではシスターはメイド程度の扱いでしかなく、何の決定権も持たないんだということにちょっとショックを受けながら見ていたんですが、そこにあのオチが来たので、あえてそういう描き方にしていたんだなと。
昨今の世界情勢的に、教会内でリベラル派と位置付けられる人たちがもがきながらも必死に理想を貫こうとする姿には心動かされました。
キリスト教福音派と呼ばれる勢力が米国政治をポピュリズムに導き、世界中が排外主義に動いている時代に、カトリックの総本山まで寛容さを失ったらまさに地獄がやってくるでしょうし。
世界が最後の一線を踏みとどまるためには、『確信』を持たないがための不安定さや不安の中を生きることを受け入れる勇気が必要なのかもしれないと感じました。
争論点は回避する次第
観客は年輩者多い。
舞台は法王庁であの枢機卿の赤い帽子が可愛らしい。法衣、衛兵、天地創造の天井と豪華で見応えある。しかし法王をはじめ住居空間はアパート並に陳腐で対照的。
鑑賞後に思った事は逝った法皇の器の大きさ、感銘を受けた。誰も信じず、野心家を排除、管理官を手放さず、秘密裏に枢機卿を置き、死期に備え手を尽くす。
信仰心と知性と政治性の同居した法皇は偉大だっただろうな、と。
何度も投票する中で候補者の資質が顕になっていく。そんな閉鎖空間を破るように、まるで天啓の様なタイミングで爆弾が弾け、次期法皇が形を表す見事さ。
管理官レナードは前法皇の「爆弾」を胸に収めながら亀を抱き、修道女は軽やかに歩く。
man propose god dispose.天の配剤と落着
性に纏わる論点は論争の中でも回避、最後まで修道女の存在は添物的で。興行的には之が限界だからね。。。
LGBTQのカトリック信徒の視点から
私自身、LGBTQのカトリック信徒なのですが、その視点から見てとても面白かったです。こういう舞台設定なので当たり前なのですが、作品中盤まで、主な登場人物がほぼ高齢男性(枢機卿)のみで描かれます。その対比として、枢機卿の食事を作る人、そのための食器を確認する人は、女性のみ。聖職者は男性しかなれないという厳格なカトリックの教えは頭では理解しているものの、やはり「なぜ教皇や司祭は男性しかなれないんだろう」とスクリーンを見ながらぼんやり考えていました。でもまさか、その疑問が最後に回収されるとは予想していなかったです。
現実的には、史上最もリベラルなフランシスコ教皇でさえ、(おそらく保守派への配慮ゆえ)同性愛を公式には認めることはありませんでした。そのバチカンのトップにセクシュアルマイノリティの人物が就く──はるか未来の話かもしれませんが、映画というエンターテイメント作品ならではのストーリーとして、当事者である自分はとても勇気づけられました。
バチカン、こんな風に変わってほしい!
もし
もしあそこでテデスコが弁舌を振るわなかったら教皇はテデスコになっていたのだろうか、そう考えるとこの映画の最大の教訓は「口は災いの元」ということかもしれない。
あと、思想的にリベラルな人間が最後は勝つという筋書きにややモヤッとした。
最後の秘密の暴露はそんなアホなと思ったが面白かったしエッと驚いたのでアリってことで。リベラルな前教皇やローレンスにも無自覚な固定観念があったことを暴いたのかも。
【考察】ベニテス=現代版キリスト?
非常に質の高い映画と感じた。
絵も奇麗だし、首席枢機卿の法衣やシスティーナ礼拝堂のセットも重厚感があり威厳と権威を感じさせるに十分だった。
教皇選挙に集められた次期教皇候補の枢機卿たちは、不正を働き私腹を肥やすもの、欲におぼれて女性と不倫関係に陥るもの、あからさまな人種差別的発言をするもの・・・最有力候補になったかと思えばそれらの致命的な失策が露わになり、威厳も権威もあったものではない。
しかし、最終的に教皇に選出されたアフガニスタンのカブール教区のベニテス枢機卿は清廉潔白を絵に描いたような人物。前教皇は彼の人格を見込んで亡くなる前に様々な仕掛けをして最終的に彼が教皇に選ばれるように手を打った。そしてその通りに事が運ぶようにローレンスが表に裏に疾駆するのである。
私はベニテス枢機卿とは、まさに現代に生きるキリストではないかと感じた。
彼の属するカブール教区のあるアフガニスタンは国民の99%がイスラム教という、キリスト教布教には困難極まる地域であり、そこで布教活動に心血を注ぐ彼はまさに困難な中でも最後まで神の御意思に従い伝道を続けたキリストと言えると思う。
また彼の告げた教皇名はインノケンティウスであり、イノセンス=無垢・純真につながる名を選んだのも深い意味を感じる。
そして、これはどなたかの感想にありその慧眼に感服したのだが、ローレンスがひそかに選んだ教皇名はヨハネであり、これはローレンスの役割をキリストに洗礼を施した洗礼者ヨハネになぞらえたのではないかという意見である。私はこれに全面的に賛成だ。
洗礼者ヨハネはキリストが洗礼を受ける前に神託により布教活動を行い、キリストが布教活動を行うための布石を敷いた人物である。ローレンス(ヨハネ)が前教皇(神)の意思に従いベニテス(キリスト)の教皇就任をするという構図が見事に成立しているのではないだろうか。
爆発事件の後、いきり立って好戦的になるテデスコに対し、戦うべきは自分自身であると諭す姿は、ゲッセマネの園でキリストを捕縛するために来た大祭司の奴隷の耳を切り落としたペテロに「戦いでは人々は救えない」と諭すキリストに重なるものを感じた。
となると教皇になったベニテスを待つ未来はどんなものになるのか・・・。その先について考えるのも面白い。
見どころは狼狽するレイフ・ファインズ
狼狽するレイフ・ファインズと、コンクラーベの混乱を楽しむ作品。
世界最古の家父長制と言われるように、甲斐甲斐しく働くシスターアグネスなどシスターたちはカトリック教会のヒエラルキーから除外されているようにみえる。宗教×慣習という二つの重しを取り払うことは難しいのだろうがそれにしても外野からみれば歪な構図にしかみえない。
コンクラーベは遅々として決着がつかず困惑するローレンス枢機卿を嘲笑うかのように次々とトラブルが彼を襲う。結末というかローレンスが最後に知ることになる事実はなかなかの衝撃だったけど、全て教皇の狙い通りとするには、あの胸を打つスピーチは自然な流れだからこそ心を掴んだような気もする。それも含めて、材料は与えたからどうなるかと一番楽しんでいたのは前教皇なのかもしれない。
最後のエンディングが納得できない
コンクラーベは「天使と悪魔」の原作と映画 (トムハンクス主演)で基礎知識はあったものの、最後の結末、エンディングが納得いかないかな。最近の映画はいつもこれ。エンディングを除けばとても面白かったのに、残念。
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