教皇選挙のレビュー・感想・評価
全218件中、41~60件目を表示
ピーター・ストローハン(脚本)と、エドワード・ベルガー(監督)の手腕を評価する
❶相性:上。
➋時代:現代。
❸舞台:バチカン宮殿、システィーナ礼拝堂。
❹主な登場人物(全員架空)
①トマス・ローレン〔イギリス出身・ローマ教皇庁〕(✹レイフ・ファインズ、61歳):主人公。ローマ教皇庁・首席枢機卿(Cardinal-Dean)。コンクラーベを主宰する。有力候補の一人。リベラル派。信仰に関する悩みを抱えており、前教皇に辞職を申し出たが慰留されていて、自身は教皇に相応しくないと考えている。
②アルド・ベリーニ〔アメリカ出身・バチカン教区〕(✹スタンリー・トゥッチ、63歳):ローマ教皇庁・次席枢機卿。ローレンスの友人。知識人でリベラル派。有力候補の一人。
③ジョセフ・トランブレ〔カナダ・モントリオール教区〕(✹ジョン・リスゴー、78歳):枢機卿。保守派。有力候補の一人。前教皇が亡くなる直前に辞任を要求したとされて裏がありそう。
④ゴッフレード・テデスコ〔イタリア・ベネチア教区〕(セルジオ・カステリット、70歳):枢機卿。保守派にして伝統主義者。有力候補の一人。スキャンダルとは無縁の存在だが、改革派の前教皇との関係は悪かった。
⑤ジョシュア・アデイエミ〔ナイジェリア教区〕(ルシアン・ムサマティ、47歳):枢機卿。有力候補の一人。史上初となるアフリカ系教皇の座を狙う。
⑥ヴィンセント・ベニテス〔メキシコ出身、アフガニスタン・カブール教区〕(カルロス・ディエス、52歳):枢機卿。紛争地域や教会の勢力が弱い地域での奉仕を行ってきた。その功績を評価されて前年に前教皇から枢機卿に任命されたが、活動経緯から秘密の任命であり、ローレンス達もその事実を知らなかった。コンクラーベ開始直前に任命状を携えて到着し参加する。
⑦サバディン〔ローマ教皇庁〕(メラーブ・ニニッゼ):枢機卿。修道会所属。リベラル派。ベリーニへの票集めに奔走する。
⑧シスター・アグネス〔ローマ教皇庁〕(✹イザベラ・ロッセリーニ、71歳):修道女。コンクラーベ中の宿泊施設の管理最高責任者。
⑨モンシニョール・レイモンド・オマリー〔ローマ教皇庁〕(ブライアン・F・オバーン):神父。ローレンスの秘書役。枢機卿団の補佐役を務める。ローレンスから依頼を受け、トランブレに関する調査を行う。
⑩ヤヌシュ・ウォズニアック〔ローマ教皇庁〕(ジャセック・コーマン):大司教。教皇公邸管理部の責任者で、前教皇の身の回りの世話を行なっていた。前教皇の遺体の第一発見者で、死の直前に前教皇とトランブレの間で行われたやりとりを目撃していた。
❺要旨(参考:Wikipedia & IMDb):
①時は明示されないが現代。ローマ教皇が心臓発作のため帰天したところから幕が開く。
②首席枢機卿のローレンスは、新教皇を選出するコンクラーベを執行することとなり、世界各地から枢機卿団を招集する。その数百数十名。
③有力候補は、アメリカ出身でリベラル派最先鋒のベリーニ、ナイジェリア出身で社会保守派のアデイエミ、カナダの保守派のトランブレ、イタリアの保守強硬派のテデスコの4人。
④教皇庁長官のウォズニアックは、ローレンスに対し、教皇が死去前にトランブレに辞任を要求していたと告げるが、ローレンスは確証がないので発表を控える。
⑤土壇場でカブールのベニテスが任命状を携えて到着する。彼は、前年に前教皇から枢機卿に任命されていたが、アフガニスタンではキリスト教徒が迫害されている状況があるため秘密にされ、ローレンス達もその事実を知らなかった。ローレンスはベニテスを正当な枢機卿として認め、枢機卿団に紹介する。
⑥1日目:
ⓐコンクラーベが開幕し、システィーナ礼拝堂にて枢機卿団による投票が始まる。
ⓑ1回目の投票では当選に必要な2/3の多数を獲得した者はいなかった。
ⓒローレンスは、補佐役のオマリー神父の調査により、ベニテスがスイスの病院で診察を受けるための費用を前教皇が支払っていたことと、ベニテスがこの診察をキャンセルしていたことを知る。
⑦2日目:
ⓐナイジェリアからローマに派遣されたばかりの修道女シャヌーミが、昔アデイエミと不倫関係にあり子を出産したことを告白する。アデイエミは事実を認め、選挙戦から脱落する。
ⓑローレンスは、シスター・アグネスと協力し、シャヌーミの転勤をトランブレが手配していたということを知る。問い詰められたトランブレは、教皇の要請でそうしたと主張する。
ⓒローレンスは教皇の帰天以来封印されている部屋に侵入し、トランブレが枢機卿たちに買収行為を行ったことを示す文書を発見する。トランブレは教皇の死期を悟り、1年前より買収行為によって来るべきコンクラーベでの票集めを行っており、それが前教皇に露見して辞職を要求されたのだった。
⑧3日目:
ⓐローレンスはアグネスの協力の下、トランブレに関する文書を枢機卿団に公表する。トランブレはローレンスが、封印されている部屋に侵入したと反撃するが、アグネスが、「私たち修道女は目に見えぬ存在ですが、神は目と耳を下さった」とトランブレの策略を暴露した結果、トランブレは教皇候補から外れる。
ⓑ次の投票時、爆弾が礼拝堂に投げ込まれ、コンクラーベは一時中断する。
ⓒこの爆発はイスラム教原理主義者による自爆テロ事件であること、ヨーロッパ各地で発生した一連の自爆テロ事件の一つであり、数百人の死傷者が出ていることが枢機卿団に伝えられた。
ⓓテデスコがイスラム教に対する宗教戦争を主張したのに対し、ベニテスは暴力に暴力で対抗することに反対する。「権力争いを止めて、教会の教えを周縁の人々にまで届けるべき」と主張する。
ⓔ投票が再開され、圧倒的多数でベニテスを選出。ベニテスは教皇名「インノケンティウス」を選んだ。
ⓕローレンスは、オマリーから、ベニテスの診察予約がキャンセルされた事情の報告を受け、ベニテス本人から真相を聞く。ベニテスは、生まれつき子宮と卵巣を持っていて、盲腸の手術でそれが明らかになるまでそのことを知らなかった。その事実に悩んで前教皇に辞職を申し出るも、切除すればいいとして慰留された。予約していた診察の内容は子宮摘出手術だったが、神に創造されたままの自分であり続けるべきだ("I am as God made me.")と考えて出発前夜に手術を断念した。
ⓖローレンスは、この秘密を、自分だけの胸に納めることを決意した。外からは、新教皇の選出を祝う群衆の歓声が聞こえていた。
❻まとめ
①コンクラーベに関しては、下記❽に示した映画等で、ある程度の知識があったが、詳細なプロセスは本作が初めて。
②首席枢機卿のローレンスが、公正かつ冷静にコンクラーベを仕切っていく様子が頼もしい。
③一番納得したのは、紛争が多く危険も多い、イスラムのアフガニスタンで活動するベニテスが新教皇に選ばれたこと。
④そして、一番驚き共感したのは、ベニテスが生まれつき女性生殖器(子宮と卵巣)を持っていて、前教皇が切除を望んだのに、本人は、神に創造されたままの自分であり続けるべきだと判断したこと、そして、ローレンスがそれを認めて、他言しないようにしたこと。
★フィクションだから出来ることではあるが、画期的・革新的であると言える。
⑤これだけの内容を、2時間に仕上げたピーター・ストローハン(脚本)と、エドワード・ベルガー(監督)の手腕を大いに評価する。
❼トリビア1:実際のコンクラーベ
①本作が日本で公開中の4月21日、ローマ教皇フランシスコが88歳で死去し、5月8日にコンクラーベが行われ、4回目の投票でアメリカ出身のロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿(69)が第267代ローマ教皇に選出され、レオ14世となった。
②この投票には、日本から2名の枢機卿が参加している。
・菊地功枢機卿(東京教区大司教)
・前田萬葉枢機卿(大阪高松大司教)。
③去る6月7日、名古屋の南山大学で行われた『第4回南山大学「人間の尊厳賞」表彰式・記念講演会』に参加した。講演者は菊地功枢機卿。
④「混乱の時代に助け合う命」と題する80分の講演は、博愛に満ちた内容と巧みな話術の両面で、分かり易く深い感銘を受けた。
⑤最後に、5月8日のコンクラーベについても話があった。
ⓐ映画『教皇選挙』は往きの機内で観たが、良く出来ていて、大半が描かれた通りだった。でも違っている所もあった。
ⓑ実際に集まった枢機卿たちは、和気あいあいとした雰囲気で、お互いをけなしたりおとしめたりというような謀略的なことはなかった。
ⓒ食事は長テーブルではなく、6人単位の丸テーブル。この方が、くつろいで会話が弾む。赤の衣装は着ない。汚れると後が大変だから。
❽トリビア2:枢機卿とコンクラーベが描かれた劇映画
①『枢機卿(1962米)』:
ボストン生まれの神父がカトリック教会のなかで頭角をあらわし枢機卿にのぼりつめるまでの物語。
②『栄光の座(1968米)』:
ソ連で政治犯として20年も強制労働キャンプに送られていた元大司教が、新法王に選ばれ、世界平和に尽力する。
③『天使と悪魔(2009米)』 :
コンクラーベを前に、有力な候補である4人の枢機卿が誘拐される・・・・
④『ローマ法王の休日(2011伊・仏)』:
選出されたくないという願いもむなしく選ばれてしまった新しいローマ法王が、大観衆へ向けた就任演説直前にローマの街に逃げ出す・・・・
⑤『2人のローマ教皇()2019英・伊・アルゼンチン・米』
カトリック教会の方針に不満を抱く枢機卿が教皇に辞任を申し入れるが、スキャンダルに直面し自信を失っていた教皇は辞任を許可せずローマに呼びつける・・・・
➒トリビア3:聖職者の犯罪
①本作では、有力候補のトランブレ枢機卿が、選挙で有利になるように、陰謀や買収行為をしていたことが描かれる。これはフィクションだが、次の②は実話である。
②アカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ(2015米)』では、神父による児童への性的虐待が世界中で幾つも起きていて、カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたことが示されている。
③「聖職者」であっても「聖人」でない人がいるということだ。
④忘れてはならないことがある。それは世界には自浄作用があるということ。邪な手段で手にした権力は、長くは続かない。それは世界の歴史が証明している。
⑤それは政治の世界も同様だ。プーチン政権もトランプ政権も、いずれ終焉を迎える。そう願っている。
教皇とは?
次から次へと、まるでゴシップネタかと思う様なスキャンダルが‼︎
最高位の聖職者を選ぶ場とは言え、多様化は今始まった事でも無いし当然の事なのだろうと思う。只、難産の末に放たれた白い煙には、こんなに世俗的な内幕が隠れていたんだと思うと、「ローマ法王」から「ローマ教皇」に呼び名を変えた事とか意味があったのかと疑問に思う。
知らない世界
教皇
テレビのニュースなどでちらりと見ることがあってもキリスト教が非日常てきな
我々日本人にはちょっとムズカシイかなと
思っていました。
いや、違いました。
わかりやすいし
丁寧にものがたりは進んでいく
音響も厚みがあるし
セリフまわしもすごく響く
だからなのかな?
客席は満員
わたしは2列目でクビが痛いが
楽しまんと損だ、感情がわき、
頑張れました。
ラストはまさかの
神の造られた姿のまま
すごいよ!
家でキリスト教系学校を大学まで
通った夫に
興奮しながら
いやー!おもしろかったと感想はなしたら
オレはプロテスタントだ
だって。つまらんな。
最後まで楽しめました!
聖人も俗人
聖人だって俗人ですよね。
こういってしまうと陳腐なのですが、教皇選挙という舞台、衣装、セット、照明などなど。。。
こんなに重厚になるんですね。
黒人系初の
と思いきや、、、
やはり、映画や物語の方が、現実より斜め前に進んでますね。
「誰」と戦うのか
教皇選挙(Conclave)
世界人口の17%
14億の信徒がいるカトリック教会の
最高位聖職者・教皇を決める選挙
バチカン市国の元首も兼任するため
まさしく「選挙」
世界各国の生前教皇から任命された
枢機卿を集め外界からシャットダウンし
2/3の票を得て決まるまで延々投票が
続けられる「根比べ」である
投票を行うシスティーナ礼拝堂の
煙突から決まらなければ黒
決まれば白の煙を出すのが
有名な風習となっている
・・をテーマにした今作
さすがに観る機会を逃したかと
まだやってるかなと思って
探したらあったので観賞
どうだったか
非常に面白かった
レイフ・ファインズの怪演は折り紙付き
とはいえ公開期間中にまさかの
リアル教皇の逝去でリアルコンクラーベが
始まってしまったのは驚きだったが
(なんでも本職の枢機卿もこの映画を
予習で観たとか)
世相と絡め閉鎖空間で起こる策謀の嵐
映画の題材に十分なものでした
心臓発作で急逝した教皇
死に目に会えなかった主席枢機卿
ローレンスは悲しみに暮れるも
教皇選挙を取り仕切ることになる
ローレンスは重責のプレッシャー
のほか日々洗練した教えを説くはずの
教会への疑念が晴れずこの役を終えたら
全ての任を降りるつもりでいた
次期教皇候補には様々な思想の者
①テデスコ(イタリア)
イタリア出身でローマ法王は
地元民が相応しいと主張
イスラムらとも戦うべきというタカ派
(庵野秀明にしか見えない)
②トランブレ(カナダ)
教皇の最期の言葉を聞き
自分が教皇にふさわしいと言われた
と主張するが別からは
選挙の買収工作疑惑の
報告書をもみ消したとの噂も
③アデイエミ(ナイジェリア)
アフリカ系教皇を目指すが
かつて自身の子を身ごもった
シスターが現れスキャンダルに
④ベリーニ(アメリカ)
ローレンスとも親しい
アメリカの今っぽい
コテコテのリベラル派で
当然庵野は大嫌いだが
人気はイマイチでやる気もない
⑤ベニテス(カブール)
戦地で人道支援の場に立ち
実は教皇から枢機卿の任命を
受けていたメキシコ系の人物
滑りこみで選挙に立候補
といった候補が挙がる
ローレンスは策謀渦巻く
選挙開始の冒頭にアドリブで
「あらかじめ"決まっている事"などない」
というニュアンスの演説で
公平な投票が行うよう
釘を刺しに行くがこれが
ローレンスも教皇の座を狙っている
と受け取られてしまう・・
面白いのは間髪入れず
毎日毎日決まるまで選挙をすること
その間にスキャンダルの暴露
裏情報の錯綜
外界ではイスラム系の爆弾テロ
真実か捏造かはわからないが
全ては淡々と繰り返される
投票の票数で流動的に変わっていく
とこの「こういうものだ」という
画面の説得力
混迷する世の中をどう導くのか
そんな教会のあるべき役割を
わきまえず枢機卿達は言いたい放題
この映画は枢機卿といえど人間
タバコもやるし酒も飲む
という部分を描写します
葉巻吸う庵野はなんか笑ってしまいます
(誇張はだいぶあるでしょうけどね映画だし)
ただまあなんだかんだ密室内の
淡々とした展開で終わっていくのかと
思っていたので
終盤のまさかの展開は( ゚д゚)
となってしまいました
映画的で実にうまい
やりすぎるくらいがいい
印象的だったのはベニテスの演説
「イスラムと戦うって誰と戦うんですか?」
世の中の争いごと大体そうじゃないですか
リベラルとタカ派
キリスト教とイスラム
きのこの山とたけのこの里
思想に駆られて人間が争う
思想ったってその人間の根源的なもんじゃなく
だいたいがただのバイアスをあたかも
今自分は目覚めたかのように錯覚し
必死に争いをさせられている
だけではないでしょうか
だから他人の誹謗中傷とか平気でやる
非難されると皆やってることだと開き直る
信教以前の問題ですね
カリカルチュア化はされているが問題点は挙げられている
いつも、宗教問題では一神教は排他的、多神教は寛容という主張がある。しかし、インドにおけるヒンドゥー原理派による他宗教排斥、日本の国家神道による他の神道系団体、仏教をによる弾圧で多数の殉教者を出した事実を知らないのか、知らないふりをしているのか疑問に思う。
この映画のテーマは世界最大宗教であるカトリックの指導者、教皇を選ぶドラマである。一か所で外に出ない閉鎖的な空間での劇となっている。日本ではくじ引きが神意を占うものとされたが、欧米では選挙が神意を表すとされていることが良く分かる。
ドラマは教皇の死から始まる。教皇が死の直前にトランプレ枢機卿を馘首にして、新たに戦時下のコンゴ、イラク、アフガンで困難な仕事をしていたベニテスを枢機卿に選任していたことが分かる。
保守派デテスコは100年くらい前の教会制度を理想としている。映画ではテデスコはいかにも傲慢、尊大、俗悪な人物として描いている。
主人公ローレンスはテデスコに反発して、リベラル派のベリーニを推すが票は集まらない。ベリーニ自身は「野心はない」と言いながら、ローレンスに票が入ったのを知ると、「お前が野心家だったとは思わなかった」と詰る。
進むに連れ、第二候補のトランプレ枢機卿が教会財産を流用して他の枢機卿を買収。有力候補であるアフリカ出身のアディエミを過去の醜聞を暴いて失脚させる陰謀をしていたことを突き止める。
自分が立ち上がるしかないと決意して自身の名前を書いて投票した途端に自爆テロが起こり教会のシャッターが壊れる。まるで、天罰の様に。
テロに対して憤るテデスコ。イスラム教徒を野放しにしていたからだと革新派を非難。これは宗教戦争だ。戦わなければならないと主張。これに同意する枢機卿と反発する枢機卿たち。
そこに立ち上がるベニテス。私は初めて参加した。これを最後にしたい。あなたは戦争を知っているのか、私は数多くの死を見てきた。キリスト教徒もイスラム教徒も。戦うとは何と戦うのか。妄信者と戦うのか。違う、戦う相手はここにいる。胸を指していう。自身の信仰の揺らぎと戦うべきだと主張。ここは神の家たる教会ではない。皆、自分のことしか考えていないという。
最後の投票でシャッターが壊れた窓から入る日差し。これが象徴的だった。私はベニテスは女性なのかもと思っていた。コンゴでは性暴力を受けた女性を救うために病院を作ったという報告からの推測だった。
カトリックでは保守派と革新派の対立がある。前教皇フランチェスコは保守派だった。しかし、ミサをラテン語にしろとか主張したことはない。その前のヨハネ・パウロ二世は革新派だった。二人は対立する派の代表だが、カトリック教会の方針は大きくは変わっていない。また、欧州では退潮でアフリカでは上げ潮に乗っている。また、排斥されている女性への役割を増やそうとする試みもある。教会が抱えている問題は挙げてあるが、全て誇大に描かれいる。この映画は、あくまでも虚構の物語である。
最初から全て前教皇の思惑通りにことが進んだと最後に理解した主人公の晴れやかな顔が良かった。
映像的にも素晴らしい。全世界から枢機卿が集まるが、その一方で修道女たちも集まる。カージナルレッドと言われる赤い枢機卿に対して真っ青な服の修道女。雨の日に白い傘をさして移動する枢機卿たち。映像芸術たる映画の本領発揮といえる。これはテレビで見ても面白くない作品だと思う。
ボスへの道。。
政治、会社、病院、
おじさんが集まると、どこも、構図は権力闘争
当然
聖職者も
男だ
だからこそ
結末は皮肉
男には弱点があって
それは女
結局
実際には
男への影響を通じて
女のほうが物事を動かしているのではないか?
シスターアグネスの事も
ラストが修道女たちが歩いていくシーンだったのも
それを暗示していると思う
そして人間には弱点があって
それは情愛
ローレンツも前教皇を愛していた
「我々は理想に仕える存在であり
理想そのものではない」
このような展開となった真相の
核心部分は言葉で語られず
前教皇の愛したチェスボードと亀の表象で静かに暗示されている
この映画では
大事なことは「説明」されずに
演出で暗示される
現実的な話になるが
根本的に、男性には、「仲裁」というものが出来ないと思っている
自分が肩入れしなかった側を攻撃して叩き潰すのみ
両者の言い分をバランスよく聞き、公正な配慮ができやすいのは
女性のほうだと思う
だからある組織のボスに
男の弱点(沽券、プライド、権力欲、支配欲、縄張りとその巡回欲、子分を引き連れたい欲、格下を言いくるめたい欲、強い者には弱く弱い者には強い)が一つもなければ
その人は
女
なのだ
そんなことが
現実にもあったので
興味深く見た
見応えしかない、レッツコンクラーベ!
あまりに評判がいいので、遅ればせながら劇場へ。
いやびっくり、噂に違わぬ面白さでした。見逃さなくてほんとによかった。
地味に淡々と進むけど、まさかの屋台崩し(?)もあり、大どんでん返しもあり…
エンドクレジット出てから音立てないように拍手しちゃいました。
地方のシネコンの平日昼間にしてはけっこうな客入りで、なるほどヒットしてるんだなと。
全世界的にはどうなんでしょう?評価は高かろうけど、宗教的な理由で客入りには違いがありそう(宗教には緩い日本人が一番楽しめるかもしれない)。
主人公トマスは、面倒な会合の幹事(頑張れ)というか、ヤヤコシイ葬式の喪主(頑張れ。いや葬儀屋の責任者かな)というか…
通夜の日にじいさんの隠し子が現れてどうしよう、みたいな展開もあり、登場人物たちはあんま笑ってないけどブラックな喜劇だなーと。
脚本が「裏切りのサーカス」の人だそうで、主人公のタイプは、裏切り〜のゲイリーの役柄と似てるっちゃ似てる、とも思いました。
キャストも見応えある人ばかり、ハズレなしの男スタンリートウィッチ、まさかのイザベラロッセリーニとジョンリスゴー!
で、これでもかと陰謀術数のまま終わるかと思いきや、なんか爽やかな後味…そのへんもヒットの理由かもしれません。
(不在の前教皇のお人柄がジワジワとしみてくる演出も素晴らしい)
あと、シスターアグネスの尋常でない有能さと聡明さに痺れました。完全なる男社会の中で地味ながらすごい存在感、と思ったらそのへんもラストへの伏線といや伏線になってて、うまいリード。感服。
こないだ本物のコンクラーベもありましたが、ちゃんと現実を上回るフィクションになっている。そうこなくちゃ、映画だもの。
こんなどんでん返しらしいどんでん返しを見たのは久々、という意味では紛れもないミステリ映画(それもかなり上等の)でもありました。
余談
・邦題を漢字四文字にしたのはすごく良かったと思う。
・コンクラーベの部屋閉鎖前に「閉所恐怖症の枢機卿は…」とか言ってるのみて「そうか、面堂終太郎は枢機卿になれないな」と思った。
・閉じられた教皇ルーム前の、ロウソクだらけ の眺めがキャリーの家みたいだった。
・あと、トランプは観てないんだろうな、みても理解しないだろうなーなんて考えてました。
映画『教皇選挙』に映る信仰の輪郭
映画『教皇選挙』に映る信仰の輪郭
――確信と疑念、腐敗と名の行方
映画『教皇選挙』は、一見すると静謐な宗教ドラマに見える。だがその奥には、現代の宗教組織にとって避けては通れない、いくつもの問いが伏流している。
物語は、教皇の死去に伴って開かれるコンクラーベ――すなわち教皇選挙の五日間を描いている。枢機卿たちが繰り広げる駆け引きと葛藤、そして最終的に予想外の人物が新教皇に選出されるという展開は、観る者の関心を引く。しかし、この映画の最も核心にあるのは、冒頭に登場する首席枢機卿ローレンスの説教に込められたテーマである。
「確信は信仰の敵である」
「疑念を捨ててはならない。信仰とは疑念と共にあるものだ」
ローレンスのこの言葉は、確かに深遠な意味を含んでいるように聞こえる。だが、観る者にその真意が届いただろうか。問題は、ここで語られる「確信」や「疑念」の定義が曖昧なまま提示されていることにある。
キリスト教神学において、「信仰(fides)」は確信を含む概念である。神の啓示に対する理性的な同意と、神に対する信頼が一体となって信仰は成り立つ。疑念は信仰の深化を促す契機にはなり得るが、それが本質とされることはない。「疑念の肯定」が行き過ぎれば、それはやがて信仰の相対化となり、無化にもつながる。
仏法においても「無疑曰信」と説いている。「疑い無きを信と曰う」と読む。これは「疑い」を否定しているのではなく、疑念を積み重ねた先に、全く「疑い無き信」に到達するという意味であると拝する。
ローレンスの言葉もまた、信仰における内省と謙虚さを説こうとしたのだろう。だが、説明なき断言は、確信そのものを否定し、信仰対象への疑念すら肯定するような誤解を与えかねない。これは、信仰を持つ者にとっては本末転倒であり、カトリックの教義とも乖離している。
一方で、映画はもうひとつの大きなテーマを静かに語る――腐敗の必然である。
教会とはそもそも、神の理想を地上に体現しようとした存在である。しかし、カトリック教会はその誕生とほぼ同時に、国家権力との結びつきによって制度化され、政治的権威としての顔を持つようになった。コンスタンティヌス帝による公認以降、教会は「信仰の共同体」から「地上の制度」へと変貌を遂げる。その中で生まれたものが、十字軍であり、異端審問であり、免罪符の乱用である。
この映画が描くコンクラーベもまた、祈りよりも計算が支配する舞台だ。枢機卿たちの多くは、神の声よりも人の意向に耳を傾ける。そこに見えるのは、理想を失い、形式だけを守る宗教組織の姿である。
だが、すべてが絶望ではない。映画の終盤、誰もが予想しなかった新任枢機卿が教皇に選出される。そして、彼が選んだ教皇名は「インノケンティウス(Innocentius)」。この名は、「潔白」「純粋」を意味するラテン語に由来する。
これは、二重の意味を持つ名前である。
ひとつには、教会がもう一度、純粋な信仰の原点に立ち返るべきだという願い。
もうひとつには、歴代「インノケンティウス」と名乗った教皇たちの中に、専制的で物議を醸した人物もいたことへの皮肉――「潔白」という名の裏に潜む、制度の宿命的な堕落の予兆。
映画は最後までこの名の真意を明かさない。だが、それがむしろよい。
なぜなら、問いを残すことこそが、信仰と組織のこれからに対する沈黙のメッセージになるからだ。
『教皇選挙』は、単なる宗教映画ではない。
それは、信仰と制度、理想と権力のはざまで、私たちが何を守り、何を問うべきかを突きつける鏡である。
さすが全員、枢機卿
欲に飲まれて不正行為をしたとしても、地位や影響力には飲まれずにどんな人の話でも聞く耳を持っていることがそのへんの一般人とは違う、さすが枢機卿の立場まで上り詰めた人たちだと感じた。
だって急に1名増えたって時、どうせ毒にも薬にもならないから入れとこうという感じだったし、みんなの前での祈りも「君が本当に枢機卿なら出来るよね?」という感じで、それくらい同じ立場とは見てなかったくせに祈りの定型文プラスで祈りを続けた時には全員がハッとするような空気感があった。
そして女を対等と見ないというスタンスのくせにシスターの話もちゃんと聞いた。
まさかのタイミングで窓が割れたり、その割れた窓から風が吹き込んで鳥の囀りまで聞こえて、映画だと感じなかったけど、きっと枢機卿としてあの場にいたら何かの気配を感じたと思う。
字幕で見たけどイノセンティウスはカッコで和訳を入れても良いと思った。イノセントならいらないけど、大事なシーンかと思うから。
噛めば噛むほど的な感じで面白かった!
流れがわかり、人間模様が面白い
レイフ・ファインズ見なきゃ!と思ったらまさに時勢に合ってしまった今作。
題材に対して思いの外人がいてびっくりしました。
コンクラーベって何という人からしたら流れがよくわかり、
アピールと自分の思想をいかに自己開示できるかがポイントなのはまさに選挙。
煙の色にも意味がある、などとても面白かったです。
候補者たちにも様々な過去がありタバコ吸ってたり携帯イジったりと人間臭いところが安心しました。
冒頭からのレイフ・ファインズの荒い息遣いが緊張感を感じ、途中も葛藤と息遣いがリンクしている感じがしましたが、最後はおだやかになって明るい未来を感じさせてくれるラストが良かったです
映画は現実を描く
昨秋の全米公開時から気になっていた。
時期ローマ教皇を選ぶ選挙“コンクラーベ”。
『天使と悪魔』などでも描かれた事あるが、ここまでがっつりメイン題材になる事はそうそう無い。
そこに、陰謀や思惑交錯するサスペンス・ミステリーとしてエンタメ性もプラス。
同じく宗教題材のダン・ブラウンの一連のシリーズを彷彿。まああちらは映画の出来映えは…だったけど。
アカデミー賞にもノミネートされ(脚色賞受賞)、品質は保証付き。
しかしこういう作品って、なかなかにヒットに結び付き難い。殊に宗教に馴染み薄い日本に於いては。
“コンクラーベ”を“根比べ”と大喜利みたいな語呂合わせでしか覚えて貰えず、どういうものか関心持たれぬまま、一部の映画ファンや通好みの間だけの話題で終わり、興行収入も数億程度だった事だろう。
現実世界でタイムリーな事が起きた。事態に対して不謹慎な言い方かもしれないが、奇跡的な事が起きた。
俄然、話題と注目の的に。映画は時に現実を描く。
じわじわロングランヒット。興行収入もこの手のジャンルにしては大健闘の10億円を間もなく越え。
公開前、本作がまさか実写版『白雪姫』よりヒットするなんて誰が思っただろう…?
現実世界でも全く同じ事が起きたので、あらすじは割愛。
あらすじをいちいち説明しなくてもいい事が現実でタイムリーに起きるなんて、本当に驚きとしか言いようがない。
『天使と悪魔』などを見て少しは知っていた事も。
コンクラーベが始まると、集まった司教たちや新教皇候補者たちはバチカンの礼拝堂の地下に籠る。
外部とのコンタクトは一切遮断。新教皇が選出されるまで、選挙は繰り返し行われる。
遂に新教皇が決まった時、礼拝堂の煙突から投票用紙を燃やした煙が…。
それが合図で、世界14億人以上と言われるカトリック教徒歓喜の瞬間。
今回ニュースでも速報され、TVなどを通じて、映画の公開と話題もあって、リアルと感慨深さを感じた人も少なからずいただろう。
現実世界では厳かに、格調高く。
映画ではリアルさを追求しつつも、映画ならではの面白味も。
首席枢機卿のローレンスはコンクラーベの仕切りを任される。
自分は教皇の器じゃない。仕切り役に徹し、旧知のベリーニ枢機卿を推す。
集まった新教皇候補者たち。神に全てを捧ぐ人格者たち…と思いきや、一人また一人に黒い噂や欲が発覚する。
前教皇の死が免れぬと知るや、方々に賄賂を渡して根回し。
ある者は性的スキャンダル。聖職者ともあろう者が…!
リストに名前が無い飛び入り参加の者。
波乱の選挙が始まる…。
派手なシーンは一切無い。唯一、静寂を突き破るようなある爆破シーンはびっくりしたが…。
重厚な映像、厳かな美術や衣装、編集も音楽も緊迫感を終始孕む。
映画は全編ほぼ“コンクラーベ”。見る我々も一緒になって礼拝堂に籠ったかのようで、息詰まるシークエンスは先日見た『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の原潜内シーンとは桁違い。
『西部戦線異常なし』とは全く異なるジャンルながら、エドワード・ベルガー監督が連続ホームランの名手腕。2作連続でアカデミー作品賞ノミネートなのに、自身は連続で監督賞ノミネート落選なんて嘘でしょ!?
ハリウッドではVFXを多用した大作が、日本では若者向けのアニメーションやTVドラマ映画化やコミック実写化が人気の昨今。これぞ大人の鑑賞に耐えうる“映画”。
それには名優たちの名演が必須。
レイフ・ファインズの醸し出すオーラ、歳を重ねた渋さ、枢機卿姿もばっちり、風格に存在感に演技力と、何もかも申し分ナシ!
スタンリー・トゥッチの巧助演、ジョン・リスゴーのクセ者感。出演時間は僅かながらイザベラ・ロッセリーニのインパクト。
これぞ“映画”であり、名アンサンブル。
新教皇はなかなか決まらず。
各候補者たちの裏の顔やスキャンダル。
教皇に相応しい者は…?
こうなってくると、“野心”というものが芽生えてくる。
あくまで表面には出さず。変わらず仕切り役に徹して。
が、虎視眈々と。何度目かの選挙で、投票用紙に書いた名前は…。
厳粛なコンクラーベ。その腹の底で、各々がこんな思惑や野心を秘めているかと思うと…。
途端にどんよりしてくる。
が、遂に選出された新教皇は意外な人物であった…。
それまでほとんど目立たず。
唯一と言えば、飛び入り参加のイレギュラー。
しかしちゃんと、前教皇から認められて。
終盤、皆が激しい口論。お互いを責め合い、罵り合い、野心や欲が飛び交う。
司教も人間。人の子とは言え、これが崇高たる司教の姿か…。
そんな中、司教という職、在り方を真摯に問う。
それは皆を動かした。
異論も少なからず出たが、選ばれた新教皇。最も相応しいとローレンスも認める。
ところが…。選ばれた直後に発覚。
驚きの秘密。前例は無い。前代未聞。
日本の天皇がそうであるように、神聖にして不可侵な伝統に反する。
いやそれは、変わるべき事なのかもしれない。新しく受け入れるべき事なのかもしれない。
新教皇は、心は男でも、身体は…。
静かながらも熾烈なコンクラーベの末に、選ばれるのは主演レイフ・ファインズだろうと思っていた。
意外性を付いた。
脚本の妙。映画ならではの展開。
本当にただそれだけか…?
遠い未来か、近い将来か。絶対に起きないフィクションとは言い難い。
今回の映画そのものがそうであったように、映画は現実を描く。
より人間的
教会とは?信仰とは?
カトリック教会の内部を覗き見てる様な緊迫感を感じられる。
そこで行われる教皇を選ぶ選挙(コンクラーベ)。
今後も続くであろう閉ざされた空間で決めるコンクラーベの独特とも言える実態。
そこで行われる(教会を訪れ人々を説く)人たちの人間模様はより人間的で、刺激的な感覚を与えてくれた。
また結果の選択に関しても彼の信念を感じとれ、心地よい気持ちにさせてくれた。
8手先を読む教皇とその継承者たちにより仕組まれた静かな変革
2024年製作/120分/G/アメリカ・イギリス合作、原題または英題:Conclave、配給:キノフィルムズ、劇場公開日:2025年3月20日。
実際にバチカンで長年にわたり、リベラル vs 保守派の争いがあるらしく、虚構と現実との交差をとても興味深く感じた。そして現実においても映画と同じく、先日教皇がリベラル派からリベラル派に継承された。原作者の想いが成就したということなのだろうか。
映画で印象的だったのは、亡くなった先代教皇(8手先を読むチェスの名手と言われていた)が全てを見越していたという設定。選挙の展開すら事前に読んで手を打っていた。主人公ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)の選挙遂行上の生真面目さ、自分への投票、不正者の糾弾も全て読みの範囲だったというストーリー展開は、実に凝っていて面白かった。
年配男性ばかりの中、全教皇の意思を貫徹するためシスター(イングリッド・バーグマンの娘イザベラ・ロッセリーニ)が大きな仕事をするのも、意外性が有って面白かった。加えて、新教皇(カルロス・ディエス)は前任者の指示に反し子宮摘出手術を受けないことに決めるというのも、現代的で“とてもいけてる”と感じた。
一方で全体的に、ローマ教皇の神格性や権威性を下げてるようなところがあり、プロテスタント国の米英がこうした映画を作ることは随分チャレンジングとは感じた。実際カトリック界から批判もあると聞くが、カトリック信者たちは実際にこの映画をどう感じているのだろうか?、しっかりと知りたいところだ。
終盤、ローレンス枢機卿による礼拝堂内にいた亀を水場へ運ぶシーンは、最初意味不明であった。ただ前教皇がとても可愛がっていた亀ということなので、「前教皇、貴方のほぼ思う様になりましたよ。ご活躍、お疲れ様でしたと」の趣旨なのであろう。
そして最後、シスター3人のカットで終わるのは、映画館外に出た時「アレは謎だった」との声も聞こえてきたが、これからのカトリック教会を動かすのは、彼女たち女性というメッセージに感じた。声高に言わない、未来への予感と。
監督エドワード・ベルガー、製作テッサ・ロス 、ジュリエット・ハウエル 、マイケル・A・ジャックマン 、アリス・ドーソン 、ロバート・ハリス、製作総指揮スティーブン・レイルズ グレン・バスナー 、アリソン・コーエン 、ミラン・ポペルカ 、ベン・ブラウニング、 レン・ブラバトニック 、ダニー・コーエン 、マリオ・ジャナーニ 、ロレンツォ・ガンガロッサ 、エドワード・ベルガー 、レイフ・ファインズ 、ロビン・スロボ 、ピーター・ストローハン 、トーマス・アルフレッドソン、原作ロバート・ハリス、脚本ピーター・ストローハン、撮影ステファーヌ・フォンテーヌ、美術スージー・デイビス、衣装リジー・クリストル、編集ニック・エマーソン、音楽フォルカー・ベルテルマン、キャスティングニーナ・ゴードン マーティン・ウエア。
出演
ローレンス枢機卿レイフ・ファインズ、ベリーニ枢機卿スタンリー・トゥッチ、トランブレ枢機卿ジョン・リスゴー、ベニテス枢機卿カルロス・ディエス、アデイエミ枢機卿ルシアン・ムサマティ、オマリーブライアン・F・オバーン、サバディンメラーブ・ニニッゼ、テデスコ枢機卿セルジオ・カステリット、シスター・アグネスイザベラ・ロッセリーニ。
ジョン・リスゴー健在!
地味に面白い、ミステリー色強めかと思ったらちょっと味付けが違う。なんとも人間臭くて「このままじゃ決まらねーよ」「なんやかんや欲あるやん」選挙、派閥の駆引き人間ドラマが面白かった。個人的には、いつぶりのジョン・リスゴーだろう?!何が最後だったかなぁ…つーか、お変わりなくキャラも健在で嬉しかったなぁ。まだまだ活躍して欲しい。
ヨハネ◯世
「イングリッシュ・ペイシェント」のレイフ・ファインズが、こんなおじいちゃんな役かぁ。ちょっとばかり物悲しい。しかし、衣装はとっても似合ってる〜。赤い帽子がかわいい(実用的じゃないけど)。ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は、コンクラーベを仕切るのにすごく忙しいはずなのに、決して走らないし、動作もゆったり。話し方も丁寧で落ちついていて、トラブルには平静に対処する。全方位に配慮できる人格者。
カトリックの教皇を志す人は、まさに人格者というイメージだが、コンクラーベに集まった枢機卿達は、一癖も二癖もある。そして、野心家や策略家などが、バチバチである。それが、選挙中にいろいろバレて、一人落ち、二人落ち、本命が目まぐるしく入れ替わっていく。一度は選挙で勝つことも考えたローレンス枢機卿は、教皇として名乗る名前をジョンにすると言った。英語ならその発音だが、これすなわちヨハネだね? ヨハネまたはヨハネスを名乗った教皇は、何人いるのか、つい調べてしまった。20世紀に23代めがいらしたそうである。ローレンス枢機卿、24代めになれず、残念。
そして、誰からも候補とされてない、まったく無名の新人が、まさかの新教皇となる。この方の秘密は、公開されることはないのだろうか。それとも、神の作り給うたままに、境界を超えた存在として発表するのだろうか。フィクションとわかっていても、こんなにボーダーレスな教皇がいたら、世の中が柔らかくなりそうで期待してしまう。
選挙用紙が厚みがあるいい紙で、燃やしちゃうのにもったいないと思った。権威があるから、こんなところにもお金かけるのかもしれないけど…。あと、画面いっぱいの枢機卿の群れは、豪華だった。衣装も素晴らしい。セット作ったんだろうが、システィーナ礼拝堂の再現も力が入っていた。現実ではないにせよ、礼拝堂に爆弾とは! 許せん!!
予習
最近コンクラーベ関連を2作品観て「予習」してた。
大体の流れは知っていたが、飽きずに観られた。
最初に指輪をハンマーで叩く?のが開始の合図?
厳かな儀式だが、何となくコミカルな面も。
さすがにバレーボールはやらなかったが。笑
今時スマホも当たり前なんだろうけど、あの衣装だと違和感あり。笑
音の強弱がすごい。
あの爆音にはびっくりさせられた。
そしてラストも…2度びっくり。
実際どうなんだろう。
あり得るの?
多様性
映画は自分が知り得ない世界を見せてくれますが、教皇選挙はまさにそれでした。
決して見ることが出来ない世界を目撃し、厳かな雰囲気を味わうことが出来ました。
最近はよく、多様性という言葉を耳にしますが、この映画でも多様性について考えさせられました。
伝統やしきたりの中でも多様性を受け入れる時代になったのか、結局最後に選ばれる人は心の美しさが大切なのでしょう。
ええええ
ラストで思った感想がコレです。
話の流れで、ローレンスが教皇になるかと思ったのに、自分で自分の名前を書いた時に、空から爆発物が降ってきて、天からの啓示を感じさせました。
あの演説で、皆の意見が1つになり、選ばれた人が女性器を有する人とは思いもしませんでした。
枢機卿とは言えど人間、誰しも清廉潔白ではないですが、聖母マリアも信仰の対象ならば、これもアリかもと思ってしまったほどです。
教皇選挙を当事者目線で体感できる高質で重厚なサスペンス作品
全世界14億人の信徒を持つカトリック教会の頂点を決める教皇選挙の舞台裏を描いた作品。
ロバート・ハリスの小説『CONCLAVE』を原作とし、小説はベネディクト16世の選挙にも参加したラッツィンガー枢機卿の日記をもとにしている。
現実世界ではベールに包まれ、内部の人間しか知りえない教皇選挙の内情がリアルに描かれ、当事者目線で選挙を疑似体験できる作品となっている。
前教皇の死去によりバチカンのシスティーナ礼拝堂には世界各地から枢機卿が集められ、次期教皇を選出する教皇選挙が行われる。
教皇選挙を表す『コンクラーヴェ(Conclave)』はラテン語で『鍵のかかった(部屋)』を意味するが、文字通り選挙人である枢機卿団は次期教皇決定までバチカンのシスティーナ礼拝堂に閉じ込められ、外部との通信も完全に遮断される。
これは1268年に教皇選挙が紛糾し、3年近く空位が続いたことに怒った民衆が、教皇決定まで選挙人を会場に閉じ込めたことに端を発し、以来このシステムが確立され現在に至っている。
この映画には次期教皇を目指す6名の枢機卿が登場する。
ひとりはこの映画の主人公であり、前教皇から主席枢機卿を任され、野心もなく規律に厳格で清廉潔白だが、自信の信仰に疑念を持つローレンス。
前教皇と政治的な方向性が近く、多様性を尊重するリベラル派だが、人望に欠けるベリーニ。
同じく教皇に近い思想を持つリベラル派だが、汚職に手を染めるなど腹黒く野心家のトランブレ。
前教皇の方針を真っ向から否定する強硬保守でタカ派のテデスコ。
唯一の黒人で次期教皇の最有力候補だが、過去の不貞行為という爆弾を抱えており、排外主義的で保守派のアデイエミ。
出自に謎が多いものの、ぶれない信念を持ち、清廉潔白で信仰心が厚く、前教皇の計らいで秘密裡に枢機卿に任命されたベニテス。
選挙は世俗の政治さながら、教会の伝統を守ろうとする保守派と多様性に寛大なリベラル派という対立軸で進行していく。
『聖職者も生身の人間であり、理想の姿を追い求める者であって、理想の姿そのものではない』
聖職者とはいえ、そこはやはり人の子。候補者それぞれの思惑や陰謀が複雑に絡み合い、選挙戦が進むにつれ、候補者の汚職や過去の不貞問題が次々に明るみとなり、そのたびに選挙戦の勢力図は刻一刻と変化していく。
どちらに転ぶか分からない混乱の行方を固唾を飲んで見守るスリリングな展開が続き、選挙は次第に泥沼化していく。
『選挙は戦争じゃない!』『いや、戦争だ!』もはや聖職者の選挙とは思えないこんなやり取りがなされ、混乱は頂点を極める。そうして枢機卿団のイライラが頂点に達した時、ベニテス枢機卿がこう問いかける。
『みなさん何と戦っているのです?』
そこでハッと我に返る枢機卿たち。人は価値観が対立したとき、つい戦闘態勢を取ってしまいがち。我々世俗の世界でも保守と革新、多様性と排他主義などあちこちで世論の分断が見られるようになった。
しかし、対立や分断からはなにも生まれない。『自分は何と戦っているのか?』そう自問し、戦いではなく、相手の主張と向き合うことでしか解決策は生まれない。映画は我々にそんなことを問いかけている気がした。
少し話が脱線したが、最終的に次期教皇に選ばれたのは、権力闘争とは終始距離を置き、信仰に忠実で高潔な魂を持つベニテス枢機卿だった。
彼は『インノケンティウス』という教皇名を名乗るが、この名は歴史上13名の教皇が名乗った教皇名であり、その語源は『純粋、無実、無害』を意味する『innocent』である。
厳しい環境のなかで人々を導き、信仰に忠実なベニテスに相応しい教皇名であり、紆余曲折ありながらも、混迷する現代の羊飼いに相応しい教皇が選ばれたといえる。
また、家父長制的な価値観を持つ(枢機卿は男性しかなれない)カトリック教において、ベニテスが男性にも女性にも分類されない身体的特徴を持つインターセックス(性分化疾患)という点も興味深い。
カトリック教会の役割とはイエスキリストの教えを守り、それを後世に受け継ぐことだが、そんな使命を帯びた組織の中にも様々な価値観があり、伝統をどこまで守り、どこまで変化を許すか、その両者のせめぎあいがカトリックの抱える葛藤でもあり、それが垣間見えた興味深い作品だった。
そして、この映画最大のミステリーは、この結末が前教皇に導かれたものではないかという謎である。
前教皇のチェス仲間だったベリーニ枢機卿は、前教皇を『常に8手先を読んでいる』と評し、その先見性や戦略性を評価している。
前教皇は生前から次の教皇選挙を見越し、枢機卿たちをチェスの駒のように動かして、ひとつの結論へと至るようさまざまな仕掛けを行っていたのではないか。
トランブレの汚職の証拠をベッド裏に残し、そのトランブレにはアディエミと不貞関係にあったシスターを召喚させ、ルールに厳格で疑い深いローレンスを主席枢機卿に任じ教皇選挙を仕切らせた。
ローレンスは前教皇の思惑通り、汚職や不貞行為の真相を次々と突き止め、知らず知らずのうちに対立候補を追い落としていく。
そして、前教皇が密かにキングの駒に定めていたのがベニテスであり、ローレンスは『8手先を読む』前教皇に導かれるようにしてベニテス勝利へのレールを敷いていた。
果たしてどこまでが前教皇の計画だったのか?そして、インターセックスであるベニテスは今後も秘密を隠したまま教皇であり続けられるのか?前教皇の亀はなにを暗喩しているのか?など、鑑賞後も残された謎にあれこれ思案を巡らし、余韻に浸れる素晴らしい作品だった。
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