「歴史と伝統は無意味なのか」教皇選挙 Immanuelさんの映画レビュー(感想・評価)
歴史と伝統は無意味なのか
教皇とは、266代・故フランシスコ教皇に至るまで約2,000年続いてきた、世界でも稀なThe宗教指導者です。
歴史が長いと往々にして色々な問題や腐敗に見舞われるのが、『組織』というものです。
ご多分にもれず、特に中世においてはローマ・カトリックも様々な闇がありました。
ガリレオ裁判や十字軍や贖宥状など、無知のゆえか特権階級の私欲の故か、様々な闇に飲み込まれそうになってきました。
しかし、2,000年の長きに渡って消滅せずに連綿と歴史を刻んで来たということは、やはり何らかの霊的な役割が、人知を超えた偉大な存在から与えられている明かしではないかと、認めざるをえません。
皮肉屋からすれば、それは裏で国家権力と手を結んでお互いの利益を融通し合ってきたからでしょ?と、言うかもしれませんが、組織の上層部はそうかもしれませんが、末端では信仰と赤貧と無私に、朴訥に生きた聖職者がいたからこそ、でありましょう。
この映画は、恐らくそういったカトリックの良心のような市井の聖職者をよく知らない人達が作っているのではないかなあと、思いました。
教皇に推されるような枢機卿という人々の中には、もしかしたら映画で描かれている様な権力欲旺盛な方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的に聖職者である時点で既に無私の祈りの人なのであります。
聖職者は、自分の人間的な成功や私欲を捨て神さまや信徒の為に働く、基本的にはそう言う人でなければ、早々にボロがでてドロップアウトするしかないのであります。
確かにドロドロした権力闘争のようなものは、ある程度あるでしょうが、あんまりそこを面白おかしくスポットライトを当てるのは、真面目で朴訥な聖職者の方々に失礼かなと思います。
また映画では、新教皇にある秘密を持った枢機卿が選ばれます。確かに新しく教皇になったら、改革してくれそうな予感を感じさせます。
しかし。ん~どうなんでしょうか。
その秘密を明かして堂々と選挙で選ばれたら良かったと思いますが、秘密のままで選ばれ・受託してしまいます。
本人としては何も悪いことではなく、やましい所は無い、ということなのでしょうが、周りの人はそれを知っていたなら選ばなかったでしょう。
新しい事を始めるとか、改革するというのはとても大事な事ですが、そう言う時こそ関わる人達のコンセンサスを得る事が重要になるのです。
もしかしたら、20から50年後あるいはもっと先に、秘密にしなくても問題にならない時が来るかもしれませんが、今回選ばれたあの時は秘密を明らかにして、それでも良いですか?と聞くべきであったろうと思う。
それならダメです。と、いう事であれば、それこそ秘密は秘密にしておいて、教皇の側近になって働いてもらう、と言うことでも十分力と存在意義を発揮できることでしょう。どうしても教皇でなければ改革出来ない訳では無いでしょう。
最後に枢機卿長が、礼拝堂で亀に遭遇します。亀は恐らく男性の隠喩なのでしょうが、亀をそっと池に戻します。
歴史と伝統は、破壊しなければ改革できないかもしれません。しかし、簡単・安易に破壊してはいけない物もあるのです。一旦破壊したら簡単に元には戻せず、多くの場合二度と元には戻りません。
遅遅として進まないように見える改革も、性急過ぎては事を仕損じるのではないでしょうか。
亀は優雅に池を泳ぐでしょう。それが吉と出るか凶と出るか、それはこれからの歴史が証明する事になるのでは無いでしょうか。
映画ではなく現実世界のコンクラーベは、つつがなくしっかりとした地に足の着いた結果になる事を願って止みません。
Thank's, all Cast and Staff ! :‑D
政教一致のバチカンは教皇=国王で世俗と没交渉というわけにはいきません。(FBIばりの独自の調査機関を持っている)
亀は孵化環境でオス・メスが変わってしまう生き物、ベニテスともども亡き教皇のお気に入りでした。
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