ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナーのレビュー・感想・評価
全2件を表示
一年間に32本もコレクションをやらされたら
それは、狂ってドラッグや酒に逃げてもしょうがないわなぁ?
はーい!みんなー!いつもの長い前置きがはー、じー、まー、るー、よー?!
俺は、道路ガス工事で、昼勤務の後、会社に戻って資材を積んで夜勤務、そして会社に戻って資材を積んで仮眠して昼勤務。明け休みの翌日に、その三連チャンを繰り返す仕事を二年。
葬儀屋で、20:00から9:00までの勤務で、1:00から5:00までは遺体を移送する仕事がなかったら休憩時間なのに、昼勤務者が返礼品にお礼状を入れてないので、入れて、昼勤務者がお通夜後の会場の片付けをしないので片付けをして、昼勤務者が看板を作らないから看板を作って、昼勤務者が死亡届けの書類を書かないから書いていたりしたら、休む時間など無くて給料明細を見たら、夜間の休憩時間の残業がついてなく、タダ働きやらされていて、
それだけ、疲れているのに警察案件のご遺体のお迎えがあったら、昼勤務している人間が何人もいるのに残業させられて、家に帰ったら二時間しか寝る時間がなくて寝ていないのに、そのまま出勤して、休憩時間にタダ働きの作業をやらされて...、のリフレインが叫んでいる。どうして、どうして僕はとっとと、辞めなかったんだらう🎵
あと、タクシーもそうだったなぁ?タクシーって、一日15時間勤務してから明け休みで24時間は休めるんだけど、基本は3勤2休なんだけど、
そのクソタクシー会社は15時間勤務を6連チャンやるという会社で、しかもタクシーって、売り上げの6割が貰えるんで、月に110万円売り上げた月があって、やった!50万円は貰える!
と、喜んでいたら30万円しか入金されていなくて、残り三割の売り上げはどこに行ったんだ?と問い詰めてものらりくらりかわされて有耶無耶に終わった事があったなぁ?あと、それから( 以下、略 )
そんな状況だったから、ストレスを発散する為に酒を浴びるように呑んだり、色気狂いになって散財しまくってその時のお金は全て遊びに使っていましたが、そんな状況でも人を差別したり傷つけたりする事はなかった。何故ならば、そんな事しても意味がないから。
その時、大学生のあんちゃんとつるんでいたんだけど、こいつがどうしようもない奴で貧乏大学生で金が無いのにパチンコスロットに有り金全部突っ込んで、
牛丼を食う金も電車賃も無いから、俺の住んでる町の吉野家で牛丼を奢ってください...。と、メールをしてきて、その度に牛丼を奢ってやっていた。
ある日、俺が長崎出身という事を知るや開口一番に
「 長崎に住んでいる人間って、全員放射能の障害者なんでしょ?」
と、言いやがってさ?何で、そんな酷いことを言うの?と言う気すら起きませんでした。そんな事もあってかそいつとは疎遠になるんだけど。
で、東日本大震災が起きてさ、福島が被災したけど、その大学生の出身地って、福島だったんだよねぇ。因果応報って、あるんだな。
その大学生は自分がどれだけ酷いことを言ったのかって、全く自覚が無いと思うんだ?
ガリアーノもユダヤ人に対してガス室の話しをする事が酷い事とは気づいていないし、今でも反省していないでしょう。
人との会話で、相手をディスりながら会話する癖がある人も自覚は無い。気づいていたら、ディスる事なんてできませんって。
ガリアーノは、ファッションに疎い俺が見ても素晴らしい衣装でこの才能を発揮できないってのは、とっても勿体無いと思う。最後の最後にガリアーノのショーがあるんだけど、良かったもん。このまま続けてほしいです。
惜しいのは、このドキュメンタリー映画の殆どがガリアーノの失言について追求しているシーンばかりで、何もそこまで追い込まなくてもと思ってしまうトコ。
暴言を吐く前の時間を戻す事はできない。現在、宇宙はビックバンで膨張し続けて、膨張しきってから宇宙が収縮すると時間が逆に回るとされているが、それには何億年もかかる。
令和の虎でマネー成立した年配の男性が、お金よりもアドバイスが聞けて良かったと失言( 失言か?)した時に出資した虎達が男性をなじっていたけどさ、言葉のチョイスをうっかり間違っただけじゃん?ぐちぐち責めるのは女々しくないですか?男のやる事じゃねーよ?!
大切なのは、失言した自分がどれだけ変わったのかを見せるコトだよ。
映画の大半がガリアーノの失言の映像ばかりで、ファッションや芸術に興味が無い人には到底お勧めできない映画でした。配信で見てもあんまり面白くはないよ?
どうだ!長いだろ?これが俺という人間だ!
← しつこい
ヘイト発言の真の理由。。。
クリスチャン・ディオールのデザイナーに抜てきされ、「ファッション界の革命児」の名声を得ていたジョン・ガリアーノ。そんな彼のコレクションが実はあまり売れず、収益性は良くなかった内幕等が前半であかされます。そんな彼の、収益面をカバーしてきたパートナーが過労により自殺したことで、彼はそうした仕事にも直接携わるようになり、やがてヘイト発言へ。その真意が気になるところです。
映画を観る限り、彼がユダヤ人に対して固有の感情を抱く理由は明かされず、発言の相手はアジア人だったりしているので、ユダヤ人に対する恨みというよりは、その言葉に象徴される何かに強いストレスを感じていたのでしないかと思います。作中からはディオールが属する世界一のファッションコングロマリットLVMHの経営トップもユダヤ人であったことがわかりますが、経営者からデザイナーに直接強い圧力がかかっていたとも思えません。私としては、ユダヤ系の優良企業に幅広く観られる超合理主義(徹底した効率・収益の追及)とガリアーノが直接対峙する中で、彼の(まつ毛にまで細かくこだわる)アーティストとしての気質が蝕まれていったのではないかと思いました。
それならば「合理主義の馬鹿野郎」とか「ビジネスなんかクソ喰らえ」とでもいっていれば、何でもない戯言だったわけですが、これを少数者へのヘイト発言にすり替えたものは何なのか。ここは、ショーの中でもマタドールに扮してポーズを決めるような、ガリアーノの強い自意識が、自らの弱さを認める事を拒んだためかと認識しています。
私の見方が正しいのかはともかくとしても、発言の過激さからストレスもそれを押し込めようとする力も半端でなく強かったことがうかがえます。
さらに、興味深かったのはオスカー・デ・ラ・レンタのデザイナー時代にニューヨークでオーソドックス(厳格派ユダヤ教徒)の恰好をして外出するあたりでしょうか。ガリアーノにしてみれば「和服を着た親日家」くらいの軽いラブコールだったのかもしれませんが、オーソドックスの人たちにしてみればファッションは宗教的生活(禁欲)の一環。例え天才デザイナーがあの服装にユダヤ教全体を総括したインスピレーションを感じたとしても、相手からは「ユダヤ教を勉強した」ことが、変幻自在の「ファッション」の1つとして揶揄された、と受け取られても仕方がないかと思います。
今回の映画を観た限り、ヘイト発言の真の動機(ストレスの原因やそれを封じ込めようとするもの)にガリアーノ自身が向きあって、問題を克服している印象は、あまり感じられませんでした。確かに、ジャポニズム、近世フランスから古代エジプトまで、各ストーリーを独自の感性で創造する彼の素晴らしいショーを観れば、客観性・論理性など無用にも思えますし、そのあたりはアナ・ウィンターのような敏腕のプロがついているわけですからなんの心配もないのかもしれません。ただ、1人の人間として彼を観た場合、特異な感性の優位性にスポットが当たりすぎ、その他の自分とバランスをとる機会が失われていたことが彼の人生を無用に生きずらくしていたようにも感じます。これからデザイナーとしても集大成の時期に入るガリアーノがどんな活躍を見せてくれるのか、今後を見守っていきたいと思います。
全2件を表示