「見る者の思考力、知性教養が試される→ワタシはムリでした(泣)」ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー たちつてとんさんの映画レビュー(感想・評価)
見る者の思考力、知性教養が試される→ワタシはムリでした(泣)
当方、多分今でもロックスター的にジョン・。ガリアーノを信奉しているフシがある。ロックスターというのは宗教ではないのでジミー・ペイジの信奉者が「(既存曲なのに)新曲かと思うくらいギターがたどたどしかった」とかへっちゃらで言う。そういう類の信奉である。
ジョンは差別暴言の事件において加害者であり、「すっごい仕事が忙しかったからしょうがない」とか「天才だから許そう」というものではない。
最大の被害者はパリのカフェで暴言の被害にあったアジア系の男性である。アジア系、すなわち我々の人種があからさまにヘイトを喰らった。そして人生を狂わされた。男性だって普通にフランス語を話す市民だったから警察に取り合ってもらえただけかもしれない。
しかしあろうことかジョンはカフェでの暴言は動画を撮られた1回だけだとこの映画の取材時点で考えていた、というか、暴言を何度も繰り返していたと認識はしておらず、つまり結局なんにも考えていなかった。
自分はなんて言うことをしてしまったんだと口では言いながら何をしたのか認識していない。
男性は未だに謝罪を受けていないと困惑している様子なのにジョンは「謝ったかって?謝りました、法廷で目があった」。
「ホロコーストについて勉強しました」と言いながらニューヨークに古典的ユダヤ教徒の出で立ちで現れたりもした。「単なるファッションです」だと。
なんかもういちいち酷いんである。それに対してこのドキュメンタリーの監督の批評は無しで、取材した様々な意見が並べられていく映画。こちらの思考力が試されているような。
欧州のファッショ業界もとっくに酷い。超大手伝統的メゾンだって、東京の地下道の柱一本一本のモニターに映し出される韓国アイドルが身に纏う韓国ファッション風の商品、東アジアの子どもたちの財布を直撃するプライドの無さ。動物の群れに餌を投げ飛んでワッと群がるさまを指差して笑うような悪趣味がアジアで展開してるなんぞ、西欧の市民は知る由もない。
ジョンというスター奴隷を死なない程度に飼いながら、今日も回っているのだろう。先日のパリオリンピックを見るまでもなく、ローマのコロッセオはまだまだ続いている。
このジョンの件は喉元を過ぎ75日も過ぎ社会的執行猶予のままなんとなく進んで行くのだろう。
私はジョンを許せない。だが芸術活動をやめろとは思わない。芸術は、ある意味とんでもなく酷い人たちの美意識に対するエゴの歴史でもある。ジョン・ガリアーノはその列伝に名を連ねたに過ぎないと思う。
これ以上考えるのはムリです。