「ヘイト発言の真の理由。。。」ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー GTOさんの映画レビュー(感想・評価)
ヘイト発言の真の理由。。。
クリスチャン・ディオールのデザイナーに抜てきされ、「ファッション界の革命児」の名声を得ていたジョン・ガリアーノ。そんな彼のコレクションが実はあまり売れず、収益性は良くなかった内幕等が前半であかされます。そんな彼の、収益面をカバーしてきたパートナーが過労により自殺したことで、彼はそうした仕事にも直接携わるようになり、やがてヘイト発言へ。その真意が気になるところです。
映画を観る限り、彼がユダヤ人に対して固有の感情を抱く理由は明かされず、発言の相手はアジア人だったりしているので、ユダヤ人に対する恨みというよりは、その言葉に象徴される何かに強いストレスを感じていたのでしないかと思います。作中からはディオールが属する世界一のファッションコングロマリットLVMHの経営トップもユダヤ人であったことがわかりますが、経営者からデザイナーに直接強い圧力がかかっていたとも思えません。私としては、ユダヤ系の優良企業に幅広く観られる超合理主義(徹底した効率・収益の追及)とガリアーノが直接対峙する中で、彼の(まつ毛にまで細かくこだわる)アーティストとしての気質が蝕まれていったのではないかと思いました。
それならば「合理主義の馬鹿野郎」とか「ビジネスなんかクソ喰らえ」とでもいっていれば、何でもない戯言だったわけですが、これを少数者へのヘイト発言にすり替えたものは何なのか。ここは、ショーの中でもマタドールに扮してポーズを決めるような、ガリアーノの強い自意識が、自らの弱さを認める事を拒んだためかと認識しています。
私の見方が正しいのかはともかくとしても、発言の過激さからストレスもそれを押し込めようとする力も半端でなく強かったことがうかがえます。
さらに、興味深かったのはオスカー・デ・ラ・レンタのデザイナー時代にニューヨークでオーソドックス(厳格派ユダヤ教徒)の恰好をして外出するあたりでしょうか。ガリアーノにしてみれば「和服を着た親日家」くらいの軽いラブコールだったのかもしれませんが、オーソドックスの人たちにしてみればファッションは宗教的生活(禁欲)の一環。例え天才デザイナーがあの服装にユダヤ教全体を総括したインスピレーションを感じたとしても、相手からは「ユダヤ教を勉強した」ことが、変幻自在の「ファッション」の1つとして揶揄された、と受け取られても仕方がないかと思います。
今回の映画を観た限り、ヘイト発言の真の動機(ストレスの原因やそれを封じ込めようとするもの)にガリアーノ自身が向きあって、問題を克服している印象は、あまり感じられませんでした。確かに、ジャポニズム、近世フランスから古代エジプトまで、各ストーリーを独自の感性で創造する彼の素晴らしいショーを観れば、客観性・論理性など無用にも思えますし、そのあたりはアナ・ウィンターのような敏腕のプロがついているわけですからなんの心配もないのかもしれません。ただ、1人の人間として彼を観た場合、特異な感性の優位性にスポットが当たりすぎ、その他の自分とバランスをとる機会が失われていたことが彼の人生を無用に生きずらくしていたようにも感じます。これからデザイナーとしても集大成の時期に入るガリアーノがどんな活躍を見せてくれるのか、今後を見守っていきたいと思います。