アディクトを待ちながらのレビュー・感想・評価
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「アディクト」という言葉を知らなかった
私にとっては、ポスターを見るなり内容を理解していく(劇中の)人たちがピンときませんでした。
そんな私にとっては、演技が過剰で、なかなか感情移入しにくい作品でした。
ただ、最後の高知さんの場面には、実際の事件と重なって見えて、感情を揺さぶられました。
アディクトを知る、考えるキッカケとなればいいかなと
普段、障害者支援の仕事をしていることもあって、たまたま劇場の入り口でビラを配っていてこの作品を知り見てみることにしました。
依存症に関する今現在の世間一般の認識が表現されていたと思います。また、依存症は病気であること、そしてそこに手を出してしまったことの根底には本人の背景や環境、人のつながりが大きく関わっていること、そしてリカバリーにはそのことがとても必要となってくることもうまく表現されており、アディクトについて知ってもらうための啓発的な作品にはなっているかなと思いました。
ただ、制作費の都合なのか上映時間が短く、もう少し上映時間を長くして、もう少し丁寧に登場人物に関しての説明が必要な部分があるかと思いました。
特にアディクトのゴスペルメンバーが多くて、彼ら一人一人の背景や回想などは描かれてなく、主要メンバーにおいても断片的な回想や会話の中から読み取るしかないため、なぜにアディクトに関わってくるのかということはある程度見る側の考察や想像が求められる作りになってます。
はっきり言ってしまうとあらすじというか演出的には非常に中途半端です。
美容師の女の子がなぜにコンサートに足を運ぶことになったのか、父親の自殺と何が関係あるのか、その辺は説明もなくよくわかりませんでしたし。
先生と息子の再会に関しても背景がわからないためいまいち感情移入はできなかったです。
あとはヒゲの芸能記者の人も実は私生活において何らかのアディクトに関わることがつながってくるのかと思いきやそんなこともなく、ラストの橋爪さんも何なのかよくわからず。
そのあたりを突き詰めると映画作品としてはとても雑な作りになってます。
しかしこの作品は当事者たちが実際に演じていることに大きな意味があるのかと思いますのでその辺はあんまとやかく言っても仕方ない部分ではあるのかもですが、とりあえず見た感想としては上記のようなことを思いました。
私自身も大学の精神保健福祉士の資格取得の際に実習等でアディクトについて勉強した経験がありますがまだまだ勉強不足な分野であります。
今回のこの作品を見たことで再度この分野についての支援のあり方などを自分なりに調べてみたいとは思いました。
それだけでもこの作品を見た価値はあるとは思いました。
全ての観るものに勇気を与えてくれる人生讃歌!!
台風接近の中、初日舞台挨拶を楽しみにした訳でも無く、それ程映画に期待していた訳でも無く、ましてや高知東生さんの親衛隊(?笑)と思しき人達に面喰い、はっきり言えば何の期待も無しに見に行った映画ではあったが、これがびっくり!! とんだ拾い物の1作であった↗
アディクト=依存症者を扱った作品ではあるが、どんなドキュメンタリー作品よりも真実味に溢れ、役者達面々のセリフも説得力があり、まさに感動!!
高知さんはもちろん、ナカムラサヤカ監督、田中紀子プロデューサー、そして出演者の面々もその多くがアディクト若しくはその家族という事で、嘘偽りのない演出が心に響くことは必至!!
ネタバレにはなってしまうが(興ざめしない程度に書きますが)、ラス前のシーンの高知さんが登場してからの即興演技のシーン、そしてラストの高知さんがマスコミのインタビューに対してコメントするシーン、特に「もう自分は謝ることはやめます、ありがとうの・・・・・・・・・・・・」は本当にストレートに心にささります。
この作品を観れば、人生の失敗で悩み苦しむことがいかに些細な事か、本当に人生を謳歌しなければ損だという事を気づかせてくれる”人生讃歌”です!!
P.S.映画鑑賞後の高知さん、監督をはじめとしたサイン会でも、本当に素晴らしい人達である事を実感させてくれる素敵なひと時でした!!
アディクトを解きながら
タイトルは『ゴドーを待ちながら』からだろうか。
その割に大和は現れてしまうが、中心人物不在のままで進む会話劇という構成は舞台的で面白い。
登場人物は既にかなり安定している。
過程や事情には多少触れられるが、一番苦しい時の描写は無く、依存症の実態を描く作品ではない。
描かれるのはアディクトたちの揺らぎと支え合い、それに対する世間の風当たりなど。
回復へ向かう話ですらないので、知見を得られる構成ではないが、ドラマとしては悪くない。
にわかに対するファン、雑誌記者に対する新聞記者、大衆に対する美容師ちゃんの主張には共感できた。
ただ、些か台詞で全てを語りすぎにも感じる。
大和が遅れた理由自体は良いが、連絡しなかったことや妻にも黙っていたことの理由付けは皆無。
コスモの息子に関しても、落ち着け方は自然なのにその前の罵倒からの繋がりが不自然。
中でも外でも、最後にはみんなで拍手するという流れにも違和感がある。
配信者が内部を盗撮するなど、不要な描写も散見された。
このあたりがもう少し上手く描けていれば佳作になりえたかも。
最後の大和の言葉は、ともすれば「開き直りだ」と叩かれるだろう。
しかし、悔いて謝罪を続けるだけでは誰も救われない。
贖罪のためにも、スリップを避けるためにも、何より生きていくために、ある種の前向きさは大切だと思う。
松村ひらりちゃんがとても可愛かった(最後それか
頼むから連絡してください
依存症からの回復を目指す方々の姿や実態の断片を、一般の方にもある程度の範囲で伝わりやすく映画化した。
という事実に対して高評可をつけさせていただきます。
依存症もそうですが、世間には認知が低かったり誤解の多い病状や状態についての作品がもっと増えてほしいですね現状では。
わたし自身は吾妻ひでおさんの失踪日記を含め、(多分)当事者ではないもののある程度の知識はありましたので特段に驚くような要素はありませんでした。依存症等、精神や心に絡む病に対しての世間の認知度の低さは日本はまだまだだなと常々感じております。ナイチンゲールの看護覚え書き「おせっかいな励ましと忠告」を読んでほしい。あとこの映画のパンフにもコメントを寄せている三森みささんの依存症やトラウマ回復の漫画もおすすめです。
よく人は、「心の弱さ」あるいは強さについて軽率に言葉にして決め付ける事があるようですが、実態としての人の心に強い弱いは無いと思います。それは他者や当事者の評価にしか過ぎません。誰にでも弱く見える一面もあれば、強く見える一面もあり、多様で複雑なはずです。 少なくとも要素を限定せずに雑に一個人に対して心が強い人だとか弱い人だとか、判断したりレッテル付けする必要自体がそもそも無いと私は考えます。
一度の失敗や犯罪で全人格を否定するのはよろしくないというのは当然です。この作品も完璧ではありませんし一映画作品としての完成度はそれほど高くは無いですが、表現しようとする意志とそれを具体化し続ける能動性や志向性こそが大事だと思います。生きようという意志についても同様。
自身を好きになる。肯定することが大切だ、というのは全くその通りだとおもいます。罪は罪として償いもまた必要なのは人間社会で生きる上ではもちろんだという前提で、ですけども。※もちろん冤罪でなければ・・・少し前に飯塚事件についてのドキュメンタリ『正義の行方』を観たばかりなもので
終盤のアドリブシーンらしきパートで言われていた、自己嫌悪のドツボに嵌り余計に悪化するというのは、依存症では無い私にも非常によくわかります。基本的には刑法上の手続きを踏まえたなら世間的には積極的にサポートし受け容れて然るべきだとは思いますが、多勢が弱い者いじめから抜け出せなかったり頑なに安全地帯に固執しているようでは難しいですよね。犯罪を犯した人というのはある種の病人と同様な側面があり、それをどのように治療したり対処を一緒に考えたりするかが肝要であって、罰を与える事そのものに意義を見出すのは倒錯しています。ある種の思考停止ですよね。そのあたりについては『プリズンサークル』や新書の「ケーキの切れない非行少年たち」などを是非おすすめします。
まず知識や他の物語を得ることは大事で、誰にとっても決して100%他人事では無いという事を実感したほうがいい。うつ病でもそうだし、がんや重度の糖尿病もそうだし、発達障害グレーゾーンもそうだし、降ってわいたような貧困困窮もそうだし、数多くある難病でもそう。
だれでも産まれたてから当面は他人に迷惑をかけまくり世話になるし、老いればまたそうなるし、その間であっても病気であればまた同様なので。
どう受け止めればよいのか、自分自身で試行錯誤し続けるしかなく単純な正答なんて多分無いんですよね。いずれ医学的にある程度のフィジカルへの関与はできるようにはなるのかもしれませんが。TMS等の保険適用もまだまだですしね日本は。
以下、一般の普通の映画として観た感想です。
全般的に舞台演劇的に作られているせいか、やけに台詞頼りな点は気に掛かりました。作中であと30分・・・と言いながら明らか登場人物が時間そっちのけに30分以上悶着してるよね?とか、終盤も難なくフイッと現れたとおもったら普通に考えて今ここでそういう紹介や引き合わせをするか!?事後でいいじゃんお客さんを雨の中更に待たせてるんだからさ、というような展開だったり
そういう具体的な時間経過について重視しない点は如何にも演劇的だな~と思いながら観てしまいました。
また、本音っぽい台詞を出した直後に「な~んてね!」ってひっくり返すシーンが2,3回ほど別の人物がやっているのが気に掛かりました。ああいうのって私、虐待に相当すると思ってるんですよね、その内容にもよりますけど。からかう・虐待の2ワードで検索してみてください。1作品で1人のキャラクターが「そういうキャラですよ」というのならともかく、1作品内で複数回にわたってやられると う~~ん・・・ってなってしまいます。
同様に告白しようとしている仲間を、当事者おいてけぼりでやたらと囃し立てるあの振舞は好きになれません。
終盤でわたしもわたしもと謝罪担当についての名乗り出が続出しましたけど、複数人でぞろぞろ謝りに出ても責任の所在をボヤかされているように謝られているほうは感じかねませんし、なにより威圧的になりがちなので、どうかな~?と思ってしまいました。揃って謝るシーン自体は描写はされていませんでしたけども。
群像劇的に複数のパターンを盛り込んでいる為、1人1人についての状態や経緯についての掘り下げがとても浅いのは残念でした。また別の作品に期待したいと思います。
実際の依存症患者の方への配慮もあるのだと思われますが、本当に依存状態に苦しんでいる状況描写についてはあまり無かったので、その点については少し肩すかしでした。あっても軽く触りくらいでしたね、お母さんの買い物依存とか。
マスコミ人については、理解のないゴシップ系と理解のあるちゃんとした側との両方を配置したのは良いと思いました。
タクシーの中でのびみょーなやりとりとか、待ち列の悶着中に決めつけが加速するところとか、実際にありそうな感じもよかったです。
いずれにせよ、
遅れるなら早めに連絡いれましょうね。
これに尽きる。
そしたら話が盛り上がらない?
ではなぜ連絡を入れられない状況だったのかまでについての説明なり描写ドラマを挿入すべきでは。好意的に解釈すれば、息子さんの心理状態の不安定さから来るような問題に大和遼さんが振り回されていたのかもしれない、とか想像はできなくもないのですけども。
シネマロサのBFで鑑賞。
平日木曜日、座席の埋まり具合は7~8割といった印象。
冷房はそこそこ効いていましたが、湿度がだいぶ高い感触で快適とは言い難かった。
すざまじくすばらしかったです。
クローズアップ現代でオンラインカジノの話を見てからこれは他人事ではない。依存症は自分にとって危ない病気だときがついて、依存症の自助グループがあったり、そこで活動されている人がいることを知り、その人たちが関わった映画があることを知りました。依存症の当事者も出演されているせいか。監督さんが才能のある方であったのかわかりませんが言葉に重みとリアリティがあり良質の演劇を見ているような気分になりました。
特に後半になって1発1発重いボディブローをくらっているような感じでもあり、演技ではなく依存症当事者の言葉そのものを聞いているような気持ちになり、同時に人間の尊厳を感じました。すさまじく、すばらしい映画でした。京都で上映中のミニシアター(UPLINK京都)の人によれば毎日1回の上映は73席がいつも完売になっているそうです。なるほどなと納得しました。この映画に関わってくださったみなさまありがとうございました。
パンフレットを読んで大和遼(高知東生)さんのすばらしい台詞がアドリブで演じられたことを知りました。ナカムラサヤカ監督、高知さんに拍手!
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