「巧妙な脚本。最後そこに行き着くかと驚く。」ドマーニ! 愛のことづて あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
巧妙な脚本。最後そこに行き着くかと驚く。
第二次世界大戦終了後の1946年のローマが舞台。モノクロでもカラーでもそんなのはどちらでも良いと思うが古い時代の話であることには変わりはない。
クズでDV野郎の夫、それに輪をかけてクズな舅、結婚間近で舞い上がっている長女、ケダモノ並みにけたたましいオスガキ2人の家族で、パート仕事に家事にと追い回されるデリアの日常が割と淡々と描かれる。長女の婚約者の両親を昼食会に招くエピソードがあり、アメリカ軍MPウィリアムとの交流があり、そして昔、ワケアリだった自動車修理工ニーノの姿がちらほら見え隠れする進展で、いやそこそこ面白いのだが、なんで今になってこれが映画になるのと思っていたら終盤、一気に話の流れが変わります。
一応、伏線があって。日本語タイトルに入っている「愛のことづて」って何のことですかということや、初めの方でデリアが注射を打つために訪問しているお屋敷で夫と子供が政治談義をする、そこでその家の奥様が意見を言うと「女は黙っていろ」と言われてしまう、これも伏線だったのですね。
「人間は政治的動物である」といったのはアリストテレスですが、人は一人では生きられない。社会と関わり、社会に参画することを認められることによって初めて人は人足り得ますよっていうようなことを言っていると思うのです。つまりイタリアでいえば1946年の共和国第一回普通選挙で選挙権を得ることによって、イタリアの女性は初めて、人格権を得た。
そんなの関係ないじゃん、個々の家族の問題を描いていたストーリーが、どうしていきなり公の政治史の話に移ってしまうのさ?って言っているそこの貴方。束縛から放たれて自由になる解放感。多分、デリアにとって自分の家庭で人として扱われること、娘も人としてこれから生きていけること、それと選挙権を得ることはイコールだったと思うのです。そこって民主主義の根っこにある感覚で、こんな時代だからこそ、そこを思い出す意味合いは強いと思うのですがね。
コメントありがとうございます。
参政権である「選挙『権』」ですからね、権利です。
確かに公の政治史の話ではありますが、私には、庶民女性のレベルでの選挙権、それが渇望されようやく手に入れられたものだったという原点が描かれていたように見えました。生活と政治はかけ離れたものではなく、繋がっているんだと、見た人が実感できるつくりにしたかったんじゃないでしょうか。
そういう意図は十分伝わってきましたよ。