「与えられたカードで変わるのは、自分自身のアイデンティティなんだと思った」ドマーニ! 愛のことづて Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
与えられたカードで変わるのは、自分自身のアイデンティティなんだと思った
2025.3.24 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のイタリア映画(118分、G)
戦後イタリアの女性投票運動を描いたヒューマンドラマ
監督はパオラ・コルッテレージ
脚本はパオラ・コルッテレージ&フリオ・アンドレオッティ&ジュリア・カレンダ
原題は『C'è ancora domani』、英題は『There’s Still Tomorrow』で「明日はまだとある」という意味
邦題の副題は劇中で引用される「Anna Garofalo(イタリアのジャーナリスト、アンナ・ガラファロー)」の言葉「Stringiamo Le Schede come biglietti d'amore」の邦訳「投票用紙は、私たちの愛の言づて」からきていると思われる
物語の舞台は、1946年のイタリア・ローマ
戦後まもないこの街には在留米軍が駐留し、人々は普通の暮らしに戻っていた
サントゥッチ家の母デリア(パオラ・コルテッレージ)は、献身的に夫イヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)を支えていたが、彼は戦争体験がトラウマとなっていて、短気で粗暴な性格も相まって、何かあるごとにデリアに暴力を振るっていた
デリアの娘マルチェッラ(ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ)は、そんな母を心配しながらも、父に服従する姿に嫌気を差していた
家にはセルジオ(Mattia Baldo)とフランチーノ(Gianmarco Dilippini)という幼い二人の息子がいたが、二人は父の真似をして悪態をついていた
さらに、イヴァーノの父オットリーノ(ジョルジュ・コランジェリ)は不随で動けず、デリアと近隣の世話人アルヴァーロ(Raffaele Vannoli)が交代で面倒を見ていた
また、デリアには30年前に相思相愛関係だったニーノ(ヴィニーチオ・マルキオーニ)がいたが、デリアはイヴァーノの求婚を受けて結婚していて、ニーノは毎朝彼女を見かけるたびに後悔していると告げていた
映画は、マルチェッラとジュリオ(フランチェスコ・チェントラーメ)との結婚が決まり、両家がデリアたちの家に来るところから動き出す
マルチェッラは家族のことを恥じていて、それが原因で破談になるのではと恐れていた
ジュリオの父マリオ(Federico Tocchi)は戦時に飲食店を経営して成功した人物で、妻のオリエッタ(Alessia Barela)はマルチェッラの家柄を気にしていた
だが、マリオは当人同士の意思を尊重し、結婚後に息子がちゃんと躾けるだろうと考えていた
ジュリオも結婚したら彼女が専業主婦になることを望んでいて、しかも自分以外の男に綺麗な姿を見せないようにと、人前での化粧も禁じ始めていた
デリアはジュリオが結婚相手として相応しいのかを心配していたが、マルチェッラは聞く耳を持っていなかった
物語は、イタリアの女性参政権前日を舞台にしていて、デリアが姉のアーダ(Barbara Cheisa)から「ある手紙」を受け取る様子が描かれている
それは6月2日、3日に行われる選挙の投票権で、デリアは当初はそれに参加する気はなかった
だが、ニーノが去り、義父も他界して状況が変わってくると、デリアは「娘のために」と投票に行く事を考え始める
友人のマリーザ(エマヌエラ・ファネリ)とも口裏を合わせるように仕向け、ようやくイヴァーノからの解放を考え始めるのである
ラストでは、投票に行く行かないでハプニングが起きて、そこである人物がデリアの落とし物に気づくという流れがある
それを手渡すシーンはとても感動的で、投票行動そのものが女性に勇気を与える様子が描かれていく
これによって時代の変化が生まれ、ほとんどの女性が参加した投票によって、時代は大きく移ろいゆくことが示されて映画は終幕となっていた
いずれにせよ、1946年6月にイタリアで何が起きたかを知っているとグッとくる内容になっていて、ラストのアンナ・ガラファローの引用も小気味の良いアクセントになっている
彼女はイタリアのジャーナリストで、女性参政権の運動家だった人物で、最後の言葉は彼女の言葉の引用となっている
「投票用紙(カード)をラブレターだと思っている」という趣旨の言葉で、映画では「愛の言づて」という風に翻訳されていた
それがマッチするのかは何とも言えないのだが、原題の一部を切り取って「ドマーニ」だけを抽出するのもナンセンスだと思うので、そこは「私たちの明日は手のひらの中に」みたいなニュアンスの方が映画の内容がわかりやすく伝わったと思う
邦題の印象だと戦後イタリアのメロドラマみたいに思われてしまうので、その趣旨がないとは言わないが、明日を勝ち取ることになった女性の勇気を示すには足りない部分があったのではないかと感じた