「1938年の夏に、果たして奇跡は起きたのだろうか」美しい夏 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
1938年の夏に、果たして奇跡は起きたのだろうか
2025.8.7 字幕 アップリンク京都
2023年のイタリア映画(110分、R18+)
原作はチェーザレ・パペーゼの小説『La bella estate』
大人の世界に憧れる16歳の少女を描いた青春映画
監督はラウラ・ルケッティ
脚本はラウラ・ルケッティ&グレタ・シチターノ&マリオ・イアンヌッツィエッロ
原題は『La bella estate』、英題は『The Beautiful Summer』で「美しい夏」という意味
物語の舞台は、1938年のイタリアのトリノ
お針子として洋裁店で働いているジーニア(イーレ・ヤラ・ビアネッロ)は、兄セヴェリーノ(ニコラ・マウパ)と一緒に親元を離れて暮らしていた
兄は大学を休学して働いていたが、生活は困窮し、勉学への意欲は失われつつあった
ジーニアには親友のローザ(コシマ・チェントゥリオーニ)と仲が良く、彼女の恋人ピーノ(マッテオ・アカルディ)たちと一緒に遊んだりもしていた
ある日のこと、セヴェリーノの友人フェルチェコ(フェデリコ・カリストり)たちと遊んでいると、そこに彼の友人のアメーリア(ディーヴァ・カッセル)がやってきた
湖を半裸で泳いでくる奔放さに惹かれたジーニアだったが、その日は会話を交わすこともなかった
物語は、街角のカフェにて再会する二人を描き、アメーリアの生活に近づいていくジーニアを追っていく
アメーリアは絵画のモデルをしていて、その仕事ぶりを見たいと思うものの怖くて見ることができない
だが、彼女の住む世界に憧れを抱くジーニアは、徐々に大人の世界へと足を踏み入れてしまうのである
映画は、情緒不安定なジーニアが描かれ、仕事で認められる中で道を外してしまう様子が描かれていく
快楽に酔っているとか、男を知りたいという単純なものではなく、自分の価値がどのようなものか知りたい、という欲求があった
彼女が仕事をおざなりにしてしまうのは、ある意味洋装店で中途半端に認められてしまったからであり、それがアイデンティティを揺るがしているとも言える
原作にはないエピソードらしいのだが、この洋装店の仮初の成功を描くことで、ジーニアの承認欲求の質が見えてくるようになっていた
物語はさほど起伏がなく、アメーリアが梅毒に罹ってしまうエピソードがあるくらいで、そこでアメーリアが女性の相手をしてきたことがわかる
これがレズビアンだからなのか、単にお金のために女性を相手にしてきたのかはわからない
だが、その行為を後悔しているように思えるので、アメーリアとしては心から望んだものではないのだと思う
彼女は、そう言った行為を恥じている部分があり、その世界にジーニアを連れ出してしまうことに抵抗もあったのだろう
結局のところ、ジーニアはアメーリアの知る大人の世界に憧れを抱き、アメーリアは自分が捨ててしまった無垢な世界への後悔の念を持っていた
その感情は相容れないものだったが、アメーリアが梅毒に罹ったことでジーニアの本気が伝わり、それがラストシーンの抱擁へと繋がったのではないだろうか
いずれにせよ、憧れの種類が違う二人の邂逅が描かれ、それぞれが相手が欲しいものを持っているという状況になっていた
いわゆる「得たいジーニア」と「取り戻したいアメーリア」がせめぎ合う流れになっていて、アメーリアはジーニアにそのままでいてほしいと考えていた
そのために一線を越えることを拒んでいたのだが、それを凌駕するほどにジーニアの愛は強かった
だが、その愛に打ち負けそうな時に梅毒が見つかり、アメーリアの揺れる心は掻き乱されてしまう
病気は二人を隔てるものの、運命は彼女たちに味方をしてくれたように見える
美しい夏は変わらぬまま続き、二人はどこかへ行ってしまうのだが、見方によってはジーニアの妄想のように思えてしまう
さすがにそこまで穿った構成にはしていないと思うものの、1938年はまだペニシリンによる梅毒の治療が確立されていなかった時代だった
なので、優先的に医師にかかれたとしても治療できたかはわからないので、愛の強さが見せた幻という説は否定できないのかな、と思った