憐れみの3章 : 特集
「哀れなるものたち」の監督が直後に放つのは、
集大成かつ到達点! 1度の鑑賞で3本の映画を
駆け巡り、魂が圧倒される稀有な衝撃作――
何度も観たくなる唯一無二の“新衝撃体験”!
エンドロールが終わり、映画館が明るくなる。周囲の観客がぞろぞろと退出していくなか、自分はショックと余韻に浸り、席から立ち上がれない――。
そんな体験をしたことがないだろうか? 筆者はある。まさに「憐れみの3章」(9月27日から公開)を観たときだった。
監督を務めたのは、アカデミー賞4冠に輝いた衝撃作「哀れなるものたち」(エマ・ストーン主演)の“異才”ヨルゴス・ランティモス。
1度の鑑賞で3本(いや、それ以上)の映画を駆け巡ったかのような濃密な映像体験。演技フェチにはたまらない“世界最高峰の芝居”の数々。気が遠くなるほどの快感と混沌と衝動と歓喜に飲み込まれた……。
そして筆者が席から立ち上がれなかったのは、何も「ショックを受けたから」だけではない。今すぐに、もう一度「憐れみの3章」を観たいと渇望したからだ。
作品のビジュアルからも瞬時に“何か”を感じ取れるだろう。あなたはこれから、唯一無二の“新衝撃体験”を味わうことになる。
【衝撃作「哀れなるものたち」に連なる新たな衝撃】
脳をかき乱し、圧巻の爽快感と快感を与える超斬新作!
本特集前半では、これを読むあなたに何としても観てもらいたいので、本作の類稀な魅力を解説していこう。
●新たな衝撃①:最も新作を待望する監督
アカデミー賞4冠「哀れなるものたち」を経て、ヨルゴス・ランティモス監督への期待度が跳ね上がっている
この世に絶望した女性が、新生児の脳と大人の身体で再び生を得る物語「哀れなるものたち」に衝撃を受けた人は世界中に星の数ほどいる。
同作は第80回ベネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)、第81回ゴールデングローブ賞で作品賞と主演女優賞、第96回アカデミー賞では11部門ノミネート・4部門受賞を果たしただけに、監督したヨルゴス・ランティモスは一躍、「最も新作を待望する監督」になった。
そしてランティモス監督といえば(記事後半のレビューでも詳述するが)極めて独創的かつ刺激的かつスタイリッシュな作品を放つ“異才”として世界的な名声を得ている……。
期待が跳ね上がりに跳ね上がっているなか、前作「哀れなるものたち」(2024年1月26日公開)から約8カ月で新作「憐れみの3章」(24年9月27日公開)を鑑賞できる事態に、筆者の喜びは瞬間湯沸かし器のように沸騰したものだ。
●新たな衝撃②:キャスト全員、化け物級の演技力
アカデミー賞俳優エマ・ストーンら再結集 一挙手一投足に、抵抗しがたい悩ましき引力がある
「憐れみの3章」には、ランティモス監督をはじめ「哀れなるものたち」の面々が再結集している。
2度目のアカデミー賞主演女優賞を戴冠したエマ・ストーンを筆頭に、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー……。さらには「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」などのジェシー・プレモンス、「ザ・ホエール」のホン・チャウら、近年の“傑作”で得も言われぬ輝きを放った俳優たちも参戦。
この目を瞠るほど豪華な“化け物級俳優陣”が、世界最高峰の“クセになる演技”を見せに魅せる。一挙手一投足の“抵抗しがたい引力”を観るだけでも、「映画館へ行く価値がある」と断言できる。
●新たな衝撃③:“3つ”の世にも奇妙な物語
唯一無二の映像センスで、支配と欲望、愛と服従、信仰と盲信を3つの章で描破する
驚くべきは、あれだけの成功を収めた「哀れなるものたち」の直後に放たれたのが、ほかでもない“この物語”ということだ。
描かれる物語は1つではなく、3つの独立した奇想天外な物語。
1.選択肢を取り上げられた中、自分の人生を取り戻そうと格闘する男
2.海難事故から帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官
3.奇跡的な能力を持つ特別な人物を懸命に探す女
日本の観客には「世にも奇妙な物語」と例えると想像しやすいかもしれないが、それを世界最高峰のスタッフとキャストが、己のクリエイティビティと情熱を120%発揮して製作するとこうなるのか、とひたすら圧倒される。
海外メディアからは「脳をかき乱す傑作」「心底、痛快」などと激賞を受けたストーリー、特に映画ファンのあなたにオススメしたい。チェックしておいて損はないはず。
●新たな衝撃④:つまり、あなたは3本の映画を一度に体験する
すべての物語で出演者は同じ。1人の俳優につき3つ以上の役、2000円で6000円分の価値…心の底から圧倒される映画体験
普通のオムニバス映画ならば「3つの物語、それぞれに個別のキャスト」になるが、本作は違う。3つの物語で出演者はすべて同じ。しかもそれぞれの物語で役が異なり、1人につき3役、人によっては4役を演じているのだ。
このことが、ほかの作品とは異なる“本作固有の面白さ”の源泉となっており、没入感を削ぐことなく完走させる原動力にもなっている。1本で3本分の映画を観たお得感があり、同時期公開作と比較しても優れたコストパフォーマンスが感じられる、画期的な手法でもあるため非常に見事だ。
また、それぞれの物語に明確な関連はないが、それでもどこか関連を感じたり、閉鎖的ではない心地よい風を感じる開放的な作風は、村上春樹の短編を思わせるからたまらない。
●新たな衝撃⑤:鑑賞直後、なぜかまた観たくなる
マスコミ試写でもリピーター続出、一様に大満足で帰っていく“不思議な爽快感”が最大の特徴
最後にして最大の特徴は、「鑑賞直後にまた観たくなる」こと。混沌としているが嫌な気分では終わらず、説明不能の爽快感があり、足掻けば足掻くほど何度も観たくなってくるのだ。
本作関係者によると、マスコミ試写でも“2回目の鑑賞”が本当に多く、そしてみな満足して帰っていくのだそう。「3回目も全然余裕」との証言もあり、筆者もそれには全面的に同意だ。
ダークかつスタイリッシュかつユーモラスな“いまだかつてない映像体験”が約束されている本作。劇場公開されたらまた観に行くつもりだが、あなたは何回観に行くだろうか?
【“初期作”から見つめるプロのライターはこう観た】
「人間って面白ぇ…奇跡的なバランスのキャリアハイ」
特集後半戦は、日本でここまで話題になる前からランティモス監督に注目していたSYO(ものかき/映画ライター)による「憐れみの3章」レビューを掲載。
圧巻の映画体験をシズル感たっぷりにレポートしてくれた。
●筆者紹介
●ランティモス監督作は「とにかく企画のパンチ力が強い」 観る者に“人間の面白さの全部”をたたきつけ狂喜させる
ただでさえ一生かかっても見切れない作品数が日夜更新され続ける過剰供給の現代。「何を観るか」シビアな選択に晒され続ける我々を常に振り向かせる男――それがヨルゴス・ランティモスだ。
彼の作品は、とかく企画のパンチ力が強い。「絶対に子どもたちを外出させない両親」=「籠の中の乙女」、「パートナーを見つけないと動物にされる世界」=「ロブスター」、「ヤバい少年のせいで家族が崩壊」=「聖なる鹿殺し」、「仁義なき宮廷下剋上」=「女王陛下のお気に入り」、「身体は大人、頭脳は幼児の主人公が家父長制をぶっ壊す」=「哀れなるものたち」……たった一文で「うわそれ見たい」と魅了する魔術師なのだ。
しかも彼の作品は、1本に「快」も「不快」も全部乗せ。暴力も性愛も日常も異常も悲劇も喜劇も全部を等価値に並べ、モラル/インモラルがない交ぜになった「人間の全部」をたたきつけてくる。映画好きが陥りがちな「こんな話だろうな」が通用しないどころか「そこまでやりますか…」と驚かされ、気づけば没頭して魅了され、最後には「人間って面白ぇ…映画最高!」と狂喜している。
●最新作「憐れみの3章」は奇跡的なバランスの“キャリアハイ” エッジー×不思議な爽快感×わかりやすさ×人間讃歌=祝杯を上げたくなる“段違いの完成度“
混沌のち開放――このカタルシスは正直、ランティモス以外からは摂取できない。その彼の新作3種盛りが「憐れみの3章」(しかも久々の現代劇!)。
流石の彼も、物語×3ともなれば観客のことを考慮して食べ合わせのトータルバランスを整え…ない! 全部「正気か!」とツッコみたくなるほど濃く、エマ・ストーンほか俳優が3役を演じ分ける異常な設定をはじめ、全てが笑ってしまうくらいにやりたい放題。
一応「愛と支配」という真面目な全体テーマはあるのだが、それぞれのエピソードが「自分…狂った富豪の言いなりになってます」「海難事故から生還した妻は何かがおかしい件」「カルトな宗教団体信者の“神の子”捜しに密着!」と常軌を逸しており、各ポスターのデザインももれなくぶっ飛んでいる。
しかし悔しいかな、我々の観賞意欲をどうしようもなく刺激してくる圧倒的なオーラたるや……。物語を愛し、映画鑑賞に人生の時間を割いている人々にとって抗いがたい魔力が備わっており、現に3本とも完成度がダンチ。
オールドファンからすると「聖なる鹿殺しのカメラワーク!」「ロブスターと重なる身体張ったモテテク!」「この粘着質な本題の入り方こそヨルゴス流!」と歓喜する“らしさ”は踏襲しつつ、初期作に漂っていたハイソな難解さ&アート映画感がより開けた“わかりやすさ”へと昇華され、内容やルックこそエッジーながら観客を振り落とすことがない。
持ち味を損なわずに観客層を広げる――奇跡的なバランスをものにし、キャリアハイといっても差し支えない密度に仕上げているのだ。
その象徴が、人間描写に備わった温かみ。従来はどこか登場人物を標本的に観察する距離感だったが、「憐れみの3章」では滑稽で痛々しい人々の愚行を嘲笑することなく享受し、なんなら抱擁するような歩み寄りが感じられる。
故に我々も、劇中に生きる人々が倫理的にアウトな行動をしでかしていても、引きつつも心のどこかで許せてしまう。拒絶ではなく共生という到達点――いわば、異才によるクセツヨの人間賛歌なのだ。
もちろん目を逸らしたくなる描写もいくつかあるが、最終的には不思議な爽快さが残るのではないか。いちヨルゴスファンとしては「ほんっとアンタって人は…ひどいな!」と言いながらも祝杯を上げてしまった。(SYO)