「ランティモス愛のアンソロジー マット・デイモンじゃないよ。」憐れみの3章 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
ランティモス愛のアンソロジー マット・デイモンじゃないよ。
ランティモスのデビュー作「籠の中の乙女」では父親を絶対的支配者として描いていた。「聖なる鹿殺し」も父親の犯した過ちが家族を不幸に陥れるという話だった。前作の「哀れなるものたち」も男性社会による支配への女性の反発とも見てとれる。
確か何かの解説で監督は自分の父親に対してわだかまりのある人物だと聞いた気がする。
彼の作品の共通点として父親あるいはそれに象徴される支配への反発というものがテーマにあるんだろう。
父親とは子供にとっては絶対的な存在。生まれて最初に頼るべき存在であり、愛されたい存在、尊敬すべき存在、そして反抗すべき存在、社会に出る前に最初に戦うべき存在。そんな父親を象徴とする支配者への思いが彼の作品には込められている気がする。そういう観点から本作を見るとなるほど三つの物語の共通点も見えてくる。
どんなに理不尽な要求をされても雇い主に逆らえない男、モラルハラスメントの夫に逆らえない妻、カルト教団に心酔してる女と、現代社会で見られる様々な支配の関係が見て取れる。
それは傍から見れば滑稽であったり、残酷であったり、悲劇的であったり、でも本人たちにしてみればどれも切実。自分の置かれた立場でそれぞれの登場人物は選択の余地のない選択を強いられる。こうするしか道はないのだと。そんな人々を見下すのではなく、温かく憐れみのまなざしで見つめるように描かれた作品。
この世に生きる人々は程度の差こそあれ、みんな何かに縛られ、何かに支配されて生きている。それぞれの人生において皆がその置かれた状況で悶えながらも生きていくしかない。そんな誰の人生にも通じる普遍的なテーマを扱った作品だった。
長丁場だけど、三つの物語はどれも興味深くて映像も刺激的で(というか刺激的過ぎて、いや、痛すぎだろ)一切だれることなく楽しんで見れた。
それにしてもエマ・ストーンはもはや怖いもの知らずだな。次はどんな過激な映像を見せてくれるのやら。
ちなみに車にひかれて死んだR.M.F.、せっかく生き返ったのにシャツにケチャップとはついてないね。