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不快で難しくて眠かった(笑)
情報を入れずに観たため、最初は普通の恋愛モノだと思ったら、ラブシーン撮影の現場が出てくる… 終わってから知ったんだけど、ロミー・シュナイダーはポルノに出演する女優を演じていたらしい。 エロチックなシーンがある映画に出てる普通の女優だと思ってた。 なんか話が分かりずらくて、難しくて、眠くなって、ウトウトして、よけい理解しずらくなるという(笑) 観た方、混乱せず、すぐ理解できました? 終わってから調べて話の内容を理解できたので、もう1回観れば楽しめるかなとも思ったけど、たぶん観ない(笑) 不快な気持ちになるので(笑) これから観る方に伝えさせて頂きますが、たぶん冒頭から不快な気持ちになると思います(笑) 露骨なポルノシーンも出てきます(笑) 不快な醜い人間模様でした(笑) 終わり方は、えっ?って感じ(笑) なぜか、壁に能面が飾ってあるシーンや甲冑を身に付けた白人のサムライ達の舞台のシーンがあります。
ロミーのアナザーサイドの代表作
ナゴヤキネマ・ノイの「ロミー・シュナイダー傑作選2024」で拾った日本劇場未公開作品。これは貴重だった。 アンジェイ・ズラウスキー監督 ×ロミー・シュナイダー ロミーが演じたのはポルノまがいの映画に出演し日銭を稼ぐ落ちぶれた女優ナディーヌ。 彼女に恋したゴシップ誌のカメラマンと夫の間で揺れるナディーヌ。その危うい表情と美しいフォルムに翻弄される逸品。 第1回セザール賞で主演女優賞に輝いたというのも納得。ロミーのアナザーサイドの代表作だろう。
女優ナディーヌ・シュヴァリエ(ロミー・シュナイダー)の撮影現場に、...
女優ナディーヌ・シュヴァリエ(ロミー・シュナイダー)の撮影現場に、ひとりのカメラマン(ファビオ・テスティ)が紛れ込んだ。
彼の名前はセルヴェ。
ゴシップ誌向けの写真を撮っているのだ。
ナディーヌは、一時期、名が売れたことがあるのだが、夫のジャック(ジャック・デュトロン)と結婚してからは、安っぽいエロチック映画に出演して日銭を稼いでいるのだ。
現場でナディーヌにひと目惚れしたセルヴェは、彼女を窮地から救い、輝きを取り戻してほしいと高利貸しから大金を借りて、彼女のための舞台を制作することにした・・・
といった物語で、アンジェイ・ズラウスキー監督作品ということで、怒声・嬌声が飛び交っての混乱・錯乱劇を予想しました。
たしかに冒頭の映画撮影現場では女性監督の怒声が飛んで混乱した様子が描かれるが、以降は意外とおとなしい。
それゆえにシーンごとのつなぎの粗さや演出の平板さが気になってしまう。
物語としては、下卑た稼業のセルヴェの純真さを描くことが主に描かれている(ように感じた)が、演じるファビオ・テスティが凡庸で魅力に乏しく、あまり興が乗らない。
一方、自分に魅力を感じていながら、手を出してこない(あまつさえ、初対面の際に、露骨に誘惑したが、乗ってこない)セルヴェに対して、逆に興味を持ったナディーヌの心情も、中盤、それほど描かれておらず、どうにももどかしい。
中盤、映画をさらうのは、ナディーヌのために用意した舞台『リチャード三世』の主役カール・ハインツを演じるクラウス・キンスキー。
お馴染みの特異な風貌で、貴族出身の役者という役どころで、妖しい魅力を放っている。
キンスキーが立ちすぎたのも、本作では欠点かもしれず。
最終的には、借金を返せず痛めつけられ瀕死のセルヴェに対して、ナディーヌが愛を叫ぶところで終わるが、これは冒頭のエロチック映画での撮影を受けてのもの。
映画現場では、「そんな演技はできない」と拒んだナディーヌが、実際の恋愛(かどうか判別すら難しいが)において、愛を見つけるという皮肉な純愛。
途中、キンスキーに食われていた映画が、終盤ではナディーヌ=ロミー・シュナイダーの映画に帰する。
後半は、「なぜか」目が離せなくなってくる。
このあたりが、ズラウスキー監督作品の魅力でしょうなぁ。
とはいえ、一般にはお薦めできない映画ですが。
日本初公開のボヨヨーン
ズラウスキー1975年の作品。
『ポゼッション』撮影の数年前である。
bunkamuraで観たが、タイトルから純愛映画と勘違いしたマダムたちが、上映後にザワザワしていた。
「ポルノがあってアソコが丸見えになるとは思わなかったわ…」
ズラウスキーの洗礼を受けたようだ。大丈夫、クリーチャーも出てこなければ、海辺の宗教ダンスもなかったので、まだ軽傷で済んでいますよ。
本作品にはズラウスキー永遠のテーマである「人間の身体は魂の入れ物である」という問いが常に流れる。
特に女性の描かれ方は、心と体がちぐはぐになっていく過程にフォーカスされることが多い。
表面上は単なるメロドラマなのだが、ズラウスキーはとにかく難解にストーリーを紡ぐ。難解なメロドラマ。そして愛は常に歪んでいる。
本作品はポゼッションの前段階として、非常に似ている部分がある。
螺旋階段、カフェでの男女、犬、血まみれになった男と女が床で仰向けになる…そしてトイレで自殺する男。
表層的なイメージだけでもこれだけ似た要素が多い=作家性の現れがいたるところに。
ただ、ズラウスキー特有の「神」との対話は今回あまり登場しなかった。
もしかしたら、この作品の8割のメロドラマ要素は建前で、本当に作りたいのはラスト5分間なのでは?と感じてしまった。
キンスキーの存在感もGOOD。
でもジョルジュ・ドルリューの音楽はどうなんだい?ボヨヨーンって。ズラウスキー作品には合わない気がした。監督はこれで納得したんだろうか??
ボヨヨーン。
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