シサムのレビュー・感想・評価
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パッチワークに表現されたアイヌと和人の間で揺れる気持ち
アイヌに助けてもらった恩恵からアイヌ側の気持ちもわかるし、松前の武士としての立場もあるしで揺らぐ主人公。
アイヌのお婆さんが直してくれた着物のパッチワークは、元の青い服にアイヌの刺繍が施されており、両方の間の立場となってしまう主人公の気持ちを表現していると感じた。
最初の稽古シーンで大川氏の背後にある掛け軸の習字下手くそじゃない?とか
坂東龍太さんの役、もうちょっと何か動きあってもよかったかな〜とか
リキアンノが襲われる回想シーンへの導入やカメラに血がつく演出はちょっといかにもすぎるかな〜とか
ポスターのキャッチコピーになっている「生きろ。未来のために」をセリフとして言っちゃうか〜!とか
いろいろ気になるところはあったけど、題材として勉強になったと感じる。
あと、音楽が全体的になぜか結構おそろしい雰囲気。
ただアイヌと暮らしているとこは平和な感じをもうちょっと出してくれたら、アイヌに味方する時にもっとこちらも共感できそうだなと。
「史実に基づいた物語である」から始まったなら、この後アイヌと幕府、松前藩がどうなったのか最後に文章でも良いからあって欲しかった。
実在の人物ではないから違うと思うけど、あの演出的に孝二郎はてっきり歴史小説家にでもなったのかと思いそうになった。
寄り添う気持ち
江戸時代、アイヌと松前藩の交易問題から
発展した戦い。
シサム〓隣人 アイヌ〓人間性
の意味合いが深く描かれている。
真の正義とは何かを心に頂きつつ
後世に残す為、自分の道を切り開く。
人との出会いでぬくもりを感じ、寄り添い
それを伝えようとした和人が居た。
この武士が書かなければ残らなかった
かも知れない。
一部の人間達が利益を得る為に争いと
侵略が始まった。改めて考えさせられる
作品でした。
徳川治世前期。 松前の国は、蝦夷地東にあるアイヌとの交易を進めてい...
徳川治世前期。
松前の国は、蝦夷地東にあるアイヌとの交易を進めていた。
武家の次男・孝二郎(寛一郎)は、兄・栄之助(三浦貴大)とともに交易のため東の白糠へと向かった。
が、ある夜、使用人の善助(和田正人)が荷受場で不審な行動をし、見咎めた栄之助を殺害して逃亡。
孝二郎は追跡の途中、崖から転落し、気が付いたときはアイヌのコタンで彼らに助けられていた・・・
といった物語で、監督の中尾浩之はあまり耳なじみがないが、脚本はベテランの尾崎将也。
助けられた孝二郎がアイヌの文化に染まっていくさまは『ダンス・ウィズ・ウルブス』を彷彿とさせるが、尾崎脚本らしい骨太で、かつエンタテインメント性でもって物語を進めていきます。
物語を進めるマクガフィン的仕掛けが二つ。
ひとつは、孝二郎の「仇討ち」。
武士としての矜持から、兄の仇・善助を追う。
(ただし、映画中盤は仇討ちに注力していない)
もうひとつは(ややネタバラシになってしまうが)、善助の持つ「密書」である。
通常、マクガフィンは、そのもの自体の意味に重きは置かれないが、本作では、ドラマの主題に大きくかかわってくる。
これが映画最終盤への物語へと繋がり、結果、現在へと繋がるラストへと展開する。
上手い脚本だねぇ。
映画後半は、松前を中心とした和人とアイヌとの激突、衝突のアクション。
アクションシーンはそれほど多くないが、鉄砲対弓矢の攻防にはハラハラさせられます。
なお、「アイヌ」という語は、彼らの言葉で「人間」を意味することが序盤で示され、和人との闘いの前に、非戦コタンの長がいう台詞が興味深い。
「人は人を殺さない」
本作の主題をなすものだが、古い映画ファンなら『猿は猿を殺さない』を思い出すはず。
ここいらあたりに、脚本家・尾崎将也の映画ファンらしさがにじみ出ていますね。
あわせて観たい作品は、前出の『ダンス・ウィズ・ウルブス』以外に『セデック・バレ』『ニューワールド』『1492 コロンブス』。
けっこうよかった
アイヌと和人の交流を描く。合戦の場面が殺気に満ちていて緊張感がすごい。松前藩の奥さんがお歯黒をしている。アイヌの入れ墨も本格的だ。アイヌの男たちがひげぼうぼうで、みんな本当に伸ばしていそうだ。
主人公がアイヌの村に、みんな逃げろと言いに来たのに村長が急に「オレたちはここで不通に暮らしているだけだ」とピントのずれた演説を始める。なんだこれ?と思っていたら主人公は感涙する。こういった演説のようないい話をするのが定番なのだろうか。
アイヌものと言えば、どこかでヒグマが大暴れすると思ったら話で出てきただけだった。
和人(シサム)とアイヌとの江戸時代の交流を、アイヌへの搾取と迫害の歴史を避けずに描いた意欲作です。シサムにもそれを良しとしない人が居たことを含め歴史を語りかけてきます。
アイヌが登場する作品は基本的に観ておきたいと思って
いるので、この作品も予告を見た時から鑑賞予定でした。
一日一回しか上映枠がなく、観に行けるかギリギリのタイ
ミングで駆け込んで鑑賞です。 @_@ ; セーフ
さあ鑑賞。
話の展開にメリハリがついていて、テンポ良く話が進む印象でした。
舞台は蝦夷地の松前藩。
武士の家の次男に生まれた高坂孝二郎(寛一郎)。
孝二郎が蝦夷(アイヌ)との交易に行く兄に同行する形で、
初めて蝦夷地へと向かう。兄は優秀なサムライだ。
何をするにも ” 兄が一緒なら大丈夫だ ” と言われてきた。
何とか一人前のサムライとして認められたい。
そう願う孝二郎だが、目的地に着くなり嘔吐。船酔いだ…
一人前への道はまだまだ険しそうだ…。
海岸に建てられた小屋の中にはアイヌとの交易品が山積み。
和人(シサム)からアイヌへと渡す米俵や漆器だ。
アイヌからは鮭や熊の毛皮などが手に入る。
” 米俵が小さくないか? ”
それは孝二郎の目で見ても分かった。確かに小さい。
仕方ない。そういうものだ と兄は言うのだが…。
その日は寝泊まり用の小屋で夜を明かすことに。
夜中、兄がアイヌとの交易品を観てくると言って出て行った。
そしてその後、交易品の小屋から火が出る。
慌てて駆けつけた孝二郎の目の前には、何者かに切られた兄の姿。
” 善助にやられた ”
そう言い残して兄は命を落とす。善助とは使用人だ。
武士の子ならば、仇を討たなければ。そう決意し
船頭と二人で善助の消えた林の中へと足を踏み入れる孝二郎。
足跡をたどり、ようやく善助に追いつく。
” いざ尋常に勝負 ”
刀を抜いて善助に迫り、一刀を浴びせた。そのつもりだったが
右脇腹に感じる痛み。 手をやると赤い血が…。切られた。
痛みとショックでよろめき、藪を転げ落ちてしまう。
善助もトドメを差しには来ない。林の奥に姿を消した。
転げ落ちた孝二郎。身動きしない。死んだのか…いや
そこを通りがかった男たち。アイヌの男だ。
有り合わせの物で担架を作り、孝二郎を乗せて運び去る。
アイヌの村で、手当てを受けることとなった孝二郎。
致命傷では無かったが、すぐに動けるほどには軽くない。
図らずも、このアイヌコタンで療養することになる。
◇
と、まあ
こうしてアイヌの中に混じった孝二郎。
怪我が治るまでの夏の間を通してアイヌと暮らすことになります。
・アイヌの暮らしぶり
・和人が来てからの事
・アイヌに対する和人の差別
こういった事を理解するようになっていくのですが…
折も折、近隣のアイヌの酋長シャクシャインが松前藩に対して
反乱を起こしたとの情報がもたらされます。
動揺する孝二郎…。
松前藩のサムライとしての自覚。
兄の仇を討たなければとの想い。
アイヌの人びとに対する感謝の念
そして心に芽生え始めた仲間意識。
” 俺はいったい、どうすれば… ”
葛藤する中、孝二郎のとった行動は何か?
と、話は続いていきます。・_・
◇
この作品、史実を踏まえたフィクションとの事です。
歴史上の事件(シャクシャインの乱 1669年)を踏まえています
が、この作品が孝二郎とコタンの人たちとの交流を通して描きた
かったのは
” 江戸時代初期から幕末に至るまでの200年以上に及ぶ
和人とアイヌとの間に起きた人間関係のダイジェスト”
そういうことなのではないかなぁ と思っています。・_・
アイヌとシサムとの間には、江戸時代を通じてこのような歴史が
あったのだという事を、忘れずに覚えていて欲しい。--
そのような意図で。
◇
シャクシャインの乱は、結局は鎮圧されます。
アイヌに対する不公平かつ差別的な扱いはその後も続きます。
江戸幕府による蝦夷地調査が入り、管理が改められたりと
変化が見られるようになるのですが、それはまだ先の話。…うー。
最上徳内や松浦武四郎の時代を経て、アイヌに対するシサムの
取ってきた行いが明らかになっていくのですが、それはこの作品
の時代から100年も200年も後の話。うーん
ですが、蝦夷地を歩き回ってアイヌの実体を見聞きし調べて回った
上述の人たちの遺した記録のおかげで、アイヌの待遇が改善したり
もしたそうです。(少しですが ほっ)
反乱鎮圧の後、各地を歩き回って色々な見聞を書き遺したという
孝二郎の行動は、こういった事実に基づいて練り上げられたお話
なのではないかな と、そんな気がします。
※アイヌに対する不当な扱いを書き記そうとした者が実際にこの時代
にいたのであれば、それがせめてもの救いになる気がしています。
アイヌにとっての救いになっていないのが何とも悔しいですが…
ともあれ、観て良かった。
アイヌの事を知りたい方、ぜひ劇場で。
◇あれこれ
■アイヌの風俗・風習
ここ数年に観たアイヌの関連する映画は、かなりアイヌの文化に
ついて正確に表現しようとしているように思いました。
アイヌ女性の口の周りの刺青も、最近のアイヌが登場する作品では
ごく自然に表現されるようになったようにも思います。
(「ゴールデンカムイ」「カムイのうた」とか)
■砂金堀り
こうして生み出された砂金がいずれ、アイヌの隠し金塊となり
それを巡って血で血を洗う抗争が始まる。…のかもしれません。
そうなんですか? アシリパさん。
…知らんぞ 杉本 。
■鉄砲 vs 弓矢
森の中での鉄砲と弓矢での戦いの描写は、想像以上に迫力を感じて
怖さを感じるものでした。 ひぇー
森の中などで機動力を駆使して戦うゲリラ戦法においては、弓は鉄砲
に劣らない武器なのだだという印象です。
そうなんですか? アシリパさん。
…毒も塗るからな 杉本 。
◇最後に
「我等が何故、この土地を離れなければいけないのか?」
アイヌの長のセリフは、重くて哀しいものです。
後からアイヌの土地に入り込んで「俺の土地だ」という和人。
自分たちが暮らす土地は「カムイからの借り物」というアイヌ。
豊かな精神の持ち主はどちらなのだろうか と考えてしまいました。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
観るべき名作
ベテランの役者さんにも囲まれ
寛一郎さんはどんどん成長していく。
成長していく役柄というのもわかりやすい魅力だった。
彼の演技は弱さや頼りなさもうまく表現されており
かなり没入感の高い良い時間を過ごせた。
野暮ったい長髪姿にもなるが
プロミストランドで魅せた色気を消し
頼りない男の成長を見事に演じていたと思う。
アイヌのことは深く学んだことはないが、
この映画で興味を持ち学ぶきっかけになると思う。
戦闘シーンも迫力があり、自分も戦闘のただなかにいるような感覚だった。
カメラワークも素晴らしかったと思います。
一朝一夕には作れないし、語れない物語を語った。
名作だと思います。
アイヌを知るのは良い映画だけど、現代日本への思想的な影響を知るには物足りないかも
2024.9.18 一部字幕 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(114分。PG12)
アイヌに助けられた武士が幕府の命令との間で板挟みになる様子を描いたヒューマンドラマ
監督は中尾浩之
脚本は尾崎将也
タイトルのシサㇺはアイヌ語で「アイヌ以外の日本人」、今では「好意的な意味での隣人」という意味
物語の舞台は、江戸時代の北海道
そこに住むアイヌと交易をして生計を立てていた松前藩は、不作の影響もあって、コメの出荷を少なくし、それをごまかすために米俵を小さくするなどの小細工をしていた
また、現地で勝手に鮭漁をしたり、砂金掘りなどをしていて、その行動はアイヌの人たちの怒りに繋がっていた
松前藩の高坂孝二郎(寛一郎)は、優秀な兄・栄之助(三浦貴大)と比べ続けられていたが、ようやく北海道に向かうことが許され、一人前になれると思っていた
北海道南部の東海岸に着いた彼らは、一晩をそこで過ごして、翌日から交易を始める算段をしていた
だが、夜中に胸騒ぎがして荷物小屋を見に行った栄之助は、そこで使用人の善助(和田正人)の不審な動きを目撃してしまう
善助は栄之助を刺して逃げ、小屋は火の手が回って全焼してしまった
兄の遺言を受けた孝二郎は、善助を追って森へと向かう
そして、ようやく見つけることに成功するものの、不意打ちを喰らって負傷し、そのまま川へと転落してしまったのである
映画は、そんな孝二郎をマカヨコタンに住むアイヌの人々が見つけて介抱するというもので、その恩義を受けて、見識を変える様子が描かれていく
マカヨコタンには日本語が話せる村長アㇰノ(平野貴大)がいて、彼の母アイシナ(佐藤直子)が孝二郎の看病をしてくれていた
だが、マカヨコタンの住人であるリキアンノ(サヘル・ローズ)の夫(菊池賢太)は和人に殺されていて、それを根に持つ者も多かった
物語は江戸時代の前期で、松前藩とアイヌとの間で起こった「シャクシャインの戦い」があった頃の「別の地域」が舞台になっている
アイヌに助けられた恩義を感じた孝二郎は、攻め込んでくる松前藩たちとの間に入ることになり、劇中で知らされる命令とはシャクシャインの号砲ということになる
そんな中で、アイヌの人を守ることができない孝二郎は、善助の意思を継いで、蝦夷で起こっていることを記録していくことを決めた
いささか地味な展開であるものの、そう言ったものが残ったことによって、現在のアイヌとの関係がある、というテイストになっていた
アイヌに関しては、基礎学習でもあまり積極的には取り扱われず、私の時代では「存在は知っているけど」ぐらいの知識しか育たなかった
どちらかと言うと禁忌的な部分があったのだが、それは日本人にとって都合の悪い歴史は教えないと言う方針があったからなのかもしれない
大陸への悪しき行動を誇張する某団体のダブスタっぽさを感じるところはあるが、今の時代にはそれも通用しまい
アイヌの映画は、どれだけその土地に敬意を持って、忠実に再現できるかと言うところに着目されがちなのだが、思想的な部分が現代の日本人の価値観に影響を与えている、と言うことももっと広がれば良いのにと思う
映画は、その伝承を目的としてはいないので、そのあたりは浅めになっているが、当時のアイヌがどのような場所で、どのような文化を持っていたのかはよくわかる内容になっていたのではないだろうか
いずれにせよ、アイヌ初心者向けの内容で、主人公が無知というところも狙っているのだろう
そこから少しずつ「孝二郎のアイヌがリアルになっていく」のだが、出発前の孝二郎のアイヌに対する考え方がほとんどわからないので、その成長はわかりづらいように思えた
単なる無知で「蝦夷」と呼んでいたぐらいのことはわかるものの、どのような印象を持っていたのかとか、どこまでの知識を有していたのかは不明で、そのあたりがもう少し明確ならば、当時の和人の感覚を理解できたのかな、と感じた
神威に誓って戦う事が全てでは無い!相互理解が無ければ互いに滅んでしまう。
ムサシ、いや シサム。 シャザムとも違う。
アイヌ語で和人(アイヌ人以外の者)の事である。(勉強になるね)
アイヌとは 人(人間)て事でもある。
偶然にも北海道の神威岬(カムイミサキ)にも行った事あります。
かつて165年も女人禁制でもあった 積丹ブルーに囲まれた所ですネ。
今日はそんな 「シサム」を観に行きました。
昨今、ゴールデンカムイの影響なのかアイヌに脚光が。
その流れで今作が有るのだろうと言う事は安易に思いつきます。
よって、ゴールデンカムイの様なアイヌ語初心者講座的な所は全くなく
ガチで言葉が入ってきます。
内容的には、映画アバタ-的な感じの流れに捉えられる所もあり、
異なる民族同士がいかに相容れるかでしょうか。
つまり和人がアイヌ民族と過去どの様に接してきたかを訴えてますね。
(良かった所、思った所)
・何と言っても森の中の撮影。山の中をリアルに旅してる感じに成ります。
川土手にフキがいっぱい生えてて、全部取ったら良い山菜料理出来そうって思いました。実際の山中撮影なのが良く分かります。
採光の関係もあり撮影は大変であっただろうと感じました。
・規模は小さいですが山中での戦い場面ですかね。弾丸や矢が観ているこっちの方向に飛んでくる描写が多く有りとっても迫力がありました。矢が飛んできて刺さっているのが結構リアルに出来てて 邦画も中々遣るじゃん~て思いましたね。
・序盤の松前藩が船積で用意したコメ等を浜辺に下ろして一旦保管してる場所。そこが火災消失する場面。絶対燃えるだろうと思ってた。燃えやすい建屋作りに 浜辺であれでは寒すぎる。なんか作りが自体が変に感じました。
・孝二郎がアイヌに助けられて、彼等の生き方や自然界との調和を大切にしている点を学んで行くところは良かった。しかし浜辺で松前藩の3人に見つかり善助とリキアンノが殺されてしまう所を何も出来ずにいるのは ちょっとなと感じた。
一番肝心な所だったのに、何も起こらなくてあっけなくて残念な場面だった。
・シカヌサシが命からがら村に戻ってきて、そこへ孝二郎が松前藩の連中がやって来るから 皆逃げろと警告しに来たところ。
村のアイヌの者達が何処に逃げろと? 今まで平穏無事にここで暮らしてきて何故逃げて行かねばならないと、毅然とした態度を示す所は感動した。
そこへ 松前藩のリーダ-部隊が遣ってきて、村人達と藩の戦闘部隊とが硬直状態に陥るが、孝二郎がアイヌ側に立って ”同じ人間”で誰も藩と戦うものは居ないと諭すところ。 一触即発だったが 鉄砲を下ろした事で戦いは起こらなかった。
しかし、その後 松前藩はどうしたのかが 描かれていない。とっても気になる所。
・松前藩のアイヌ領域を許可なく汚したり、約束のコメの量が勝手に減っているのを突き止めた手帳。折角、砦の者に渡そうとしたが 時が既に遅いとか言って何の役にも立たなかったところ。あれでは善助、兄の栄之助も浮かばれないのでは無いか。結局 自分が色々なアイヌ地域を旅して藩の不正行為を記して行くのだが。
もう一つ意味ある様には感じられないかな。
何時か役に立つって・・・それは今でも残ってたのかな?
・圧倒的に武力が違い過ぎてて、鉄砲と獣狙う弓矢では勝負着いている様なもの。
アイヌ民族資料館にも行ったけど、彼らは至って質素倹約の民族だと感じた。
日本国内においても イスラエルとパレスチナみたいな事が有ったって事、忘れちゃイケないなと感じる。
・素直に感想を言うと、心の奥底に熱いものが湧き起ったのは確かであるが涙流すほどの感動には至らなかった。
きっと自分がその場所を征服した側の和人であるからであろうと、そう思う。
だからこの映画には、アイヌの方にしか伝わらない深い思いが有るのでしょう。
きっとそう感じます。
皆さんがこの映画を観て、互いが理解し助け合いながら生きて行ければと
そう願います。
ご興味ある方は
是非劇場へ!!
彼らも同じ「人」
アイヌとの交易で藩を運営している松前藩のことは何も知らずにいました。
主人公の心の変遷は良く分かるし、最後、
「藩の運命を左右する普通なら隠していたい資料」
を、
「アイヌの人々の苦しみが書かれた資料」
だと想い、守り抜こうとしたことや、更に別の地域についても自分で調べるようになったことは凄く良かったです。。!
最後に助けることにした2人が(1人は兄の仇ではあるけれど)
侍(和人)に襲われる時、すぐ前に歩いてたはずなのに何で止められなかったのか、間に合わなかったのかがちょっと疑問でした。残念なのはそこだけです。(明らかに今一緒に居たのにな。。)
でもあまり今まで見たことの無い切り口の映画だったので、見て良かったです。
主人公の着物の一部がアイヌの模様になって縫われていたことが、主人公の気持ちを表しているみたいで良かったです。
自分が侍であることは変わらないし忘れないけど、ただその土地で静かに暮らしているだけの隣人のことも大切にしたいって、大事なことだと思いました。。
本当にさ、太平洋沿岸は映画のように茫洋としていて、波が絶え間なく打ち寄せて…いるんだよなぁ
『憎しみの連鎖が続く今の時代に見てほしい』という宣伝Copyが,この映画のTheme・存在意義を端的に表わしていると思う。
考えてみれば…、こんなことばっかり繰り返してきたよな.ジンルイ.
ほっっんとに、変わらない.今も昔も変わらないワタシタチ.
富や利権を必要以上に欲しがって...
必ず,ローカルな幸せが壊されて,女子供達が先頭に沢山の犠牲者がでる.悲しみと憎しみが生まれる.
憎しみから悲しみが生まれると,その逆反応経路としてまるで酸化還元反応のように,怒りのあとの迷いや虚無感が生まれ,寛容になるべきなのか.‥と葛藤する気持ちが生まれる.エネルギー保存の法則のように,感情の帳尻を合わせるかのように.
ダークサイドとライトサイドは紙一重.
もうひとつのThemeは、再現されたチセや衣装や料理や習俗.美しく荘厳でどこか神(カムイの存在)を感じさせるカットの挿入.アイヌの人達の描写.
この2つのThemeが、ゆったりとしたペースで始まり進行してゆく(このアイヌの時間,北海道の時間に慣れるかどうかが,この物語を受けいられることが出来るかどうかの一つだと思った.序盤は馴染めなかったけど…).
ラストがすごく良かった.
全世界・全時代,現代にも未来にも通じるような姿勢だと思った.
「嵐が来るぞ」.「望むところです」.
そして,エンドロール.中島みゆきさんの「一期一会」♪
この曲の迫力!
デビューから聴いていたけど,今日気がついた.
「そうか、みゆきさんの歌声はアイヌの歌謡みたいで,とても親和性があるんだな」と…初めて気がついた。
みゆきさんの歌の魅力は、北海道に染み込んだアイヌの人達の音も含んでいるんだと。
あと,(大好きなので)タイムスクープハンターは全部観ました.
要潤さん出てきて嬉しかった(笑)
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