「令和の今にも改めての反省材料」シサム talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
令和の今にも改めての反省材料
支配者が被支配者に自分の価値観を押し付けることは、古今東西の歴史に珍しいことでは、決してないのですけれども。
本作の場合は、採取・狩猟生活を営んでいたアイヌの人たちは(例え遥かに豊かな精神生活を営んでいたとしても)、すでに交換経済という文明を確立していた松前藩の人たち(和人=シャモ)の目から見れば「遅れた生活」「原始的な生活」をしている人々と映ったことでしょう。
あるいは、自分たちが支配してやることで、彼らも文明の恩恵に浴することができるのだという、ある意味で尊大な考えがあったのかも知れません(ちょうど、太平洋戦争中に、「五族協和による大東亜共栄圏の建設」を錦の御旗に掲げ、東南アジア諸国に対して軍事的支配に基づく同化政策を採ったのと、根本的な考え方は同じなのだろうとも、評論子は思います。)
そう考えることができて、初めて、アイヌの方々を「北海道旧土人」(かつてアイヌの方々を指した法律用語)などと呼べたのだろうとも思います。
孝二郎という一人(和人=シャモ)の人物を基軸として、令和の今にも共通する反省点を浮き彫りにした
という本作は、その点において、充分な佳作だったと思います。
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トミーさんのコメント
2024年10月7日
共感ありがとうございます。
土着民族によそ者が惹かれていくお話は珍しくないですが、この映画のシナリオは所々エンタメになりきれてないと感じます。サヘルさんと仇は男女の仲と想像出来ますが、そこには男のルーツも大きく影響していたはず。奇異に見える娘の顔の刺青、これが段々気にならなくなる描写も欲しい。最後自分のコミュニティに帰っていった主人公はリアルと言えばそうなんでしょうが。