「アイヌを知るのは良い映画だけど、現代日本への思想的な影響を知るには物足りないかも」シサム Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
アイヌを知るのは良い映画だけど、現代日本への思想的な影響を知るには物足りないかも
2024.9.18 一部字幕 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(114分。PG12)
アイヌに助けられた武士が幕府の命令との間で板挟みになる様子を描いたヒューマンドラマ
監督は中尾浩之
脚本は尾崎将也
タイトルのシサㇺはアイヌ語で「アイヌ以外の日本人」、今では「好意的な意味での隣人」という意味
物語の舞台は、江戸時代の北海道
そこに住むアイヌと交易をして生計を立てていた松前藩は、不作の影響もあって、コメの出荷を少なくし、それをごまかすために米俵を小さくするなどの小細工をしていた
また、現地で勝手に鮭漁をしたり、砂金掘りなどをしていて、その行動はアイヌの人たちの怒りに繋がっていた
松前藩の高坂孝二郎(寛一郎)は、優秀な兄・栄之助(三浦貴大)と比べ続けられていたが、ようやく北海道に向かうことが許され、一人前になれると思っていた
北海道南部の東海岸に着いた彼らは、一晩をそこで過ごして、翌日から交易を始める算段をしていた
だが、夜中に胸騒ぎがして荷物小屋を見に行った栄之助は、そこで使用人の善助(和田正人)の不審な動きを目撃してしまう
善助は栄之助を刺して逃げ、小屋は火の手が回って全焼してしまった
兄の遺言を受けた孝二郎は、善助を追って森へと向かう
そして、ようやく見つけることに成功するものの、不意打ちを喰らって負傷し、そのまま川へと転落してしまったのである
映画は、そんな孝二郎をマカヨコタンに住むアイヌの人々が見つけて介抱するというもので、その恩義を受けて、見識を変える様子が描かれていく
マカヨコタンには日本語が話せる村長アㇰノ(平野貴大)がいて、彼の母アイシナ(佐藤直子)が孝二郎の看病をしてくれていた
だが、マカヨコタンの住人であるリキアンノ(サヘル・ローズ)の夫(菊池賢太)は和人に殺されていて、それを根に持つ者も多かった
物語は江戸時代の前期で、松前藩とアイヌとの間で起こった「シャクシャインの戦い」があった頃の「別の地域」が舞台になっている
アイヌに助けられた恩義を感じた孝二郎は、攻め込んでくる松前藩たちとの間に入ることになり、劇中で知らされる命令とはシャクシャインの号砲ということになる
そんな中で、アイヌの人を守ることができない孝二郎は、善助の意思を継いで、蝦夷で起こっていることを記録していくことを決めた
いささか地味な展開であるものの、そう言ったものが残ったことによって、現在のアイヌとの関係がある、というテイストになっていた
アイヌに関しては、基礎学習でもあまり積極的には取り扱われず、私の時代では「存在は知っているけど」ぐらいの知識しか育たなかった
どちらかと言うと禁忌的な部分があったのだが、それは日本人にとって都合の悪い歴史は教えないと言う方針があったからなのかもしれない
大陸への悪しき行動を誇張する某団体のダブスタっぽさを感じるところはあるが、今の時代にはそれも通用しまい
アイヌの映画は、どれだけその土地に敬意を持って、忠実に再現できるかと言うところに着目されがちなのだが、思想的な部分が現代の日本人の価値観に影響を与えている、と言うことももっと広がれば良いのにと思う
映画は、その伝承を目的としてはいないので、そのあたりは浅めになっているが、当時のアイヌがどのような場所で、どのような文化を持っていたのかはよくわかる内容になっていたのではないだろうか
いずれにせよ、アイヌ初心者向けの内容で、主人公が無知というところも狙っているのだろう
そこから少しずつ「孝二郎のアイヌがリアルになっていく」のだが、出発前の孝二郎のアイヌに対する考え方がほとんどわからないので、その成長はわかりづらいように思えた
単なる無知で「蝦夷」と呼んでいたぐらいのことはわかるものの、どのような印象を持っていたのかとか、どこまでの知識を有していたのかは不明で、そのあたりがもう少し明確ならば、当時の和人の感覚を理解できたのかな、と感じた