「今の時代に、シャクシャインの戦いの「史実」から何を伝えたかっのか…」シサム kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
今の時代に、シャクシャインの戦いの「史実」から何を伝えたかっのか…
入場記念に平本アキラのイラスト葉書を貰ったので、漫画が原作なのかと勘違いした。
エグゼクティブプロデューサーの嘉山健一氏は元漫画編集者だとのことで、彼を応援する多数の漫画家がイラストを描いたと…。
手塚治虫の「シュマリ」の映画化が最初の案だったようだが、そっちの方が良かったのか、そっちでなくて良かったのか…。
史実に基づくなら起きた戦とその結果は変えられないから、物語はその悲劇に向かわざるを得なかった人たち、あるいは巻き込まれていく人たちの運命を描くのが常套。
この映画は、アイヌの村で暮らすことになった松前藩士・高坂孝二郎(寛一郎)の目を通して、歴史に残るアイヌと松前藩との戦争を止めようとして止められない人々、望まざるも戦になだれ込んでいく人々の様子を見せていく…のだが、なんとも焦点がボヤけているような気がした。
孝二郎は松前藩士の次男坊で、藩のお家の事情をまだよく理解していない。アイヌとの交易が生業の高坂家にあって、兄(三浦貴大)について初めて上陸したシラヌカの地で事件に巻き込まれる。
孝二郎がアイヌの生活に触れカルチャーショックを受けるとともに、アイヌの人々に心を寄せていく展開だが、松前藩側が収奪行為に至った理由はついぞ説明されない。
せっかく、高坂家で息子の帰りを待つ母(富田靖子)と孝二郎の幼馴染(古川琴音)というキャラクターを置いているのに、ただの待つ人で終わっている。
津軽藩は善助(和田正人)を隠密として派遣して松前藩のアイヌとの交易の内実を調査させていた。孝二郎は兄を善助に殺されていて仇討ちを本懐としていたが、和人を恨んでいるはずのアイヌの女(サヘル・ローズ)が善助を助けようとしていることに協力する。
ここで、善助の調査報告が津軽藩に届かないことで歴史のうねりが止められないという状況が見えないのが痛い。
(平本アキラのイラストは善助を描いたものだった)
戦争が終わって、アイヌの人々がどうなったのかも曖昧だ。
孝二郎の目線だけで語るなら、戦後の松前藩側の様子とか、戦後のアイヌの人々の暮らしとかを孝二郎に見させたほうが、彼の決断に説得力があったのではないだろうか。
白糠町が全面協力して、高いレベルでアイヌの生活を再現しようとしたのはわかるのだが、集落の単位はあんなに小さかったのか、村の規模感が今ひとつ伝わらなかった。
台詞をアイヌ語で通したのは意義ある挑戦だったと思う。
鉄砲と弓矢のVFXは迫力があった。
恐らく現地で撮影したのだろうと思われる大自然のロケーションも見応えがあった。
松前藩の部隊長を演じた緒形直人が、旧知の後輩孝二郎を慮りながらも藩命大事の立場を貫く藩士の悲哀を、短い出番で説得力をもって見せていた。