ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワーのレビュー・感想・評価
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「名作」を名作として観られなくなりそう
メジャーなハリウッド映画で映し出される、過剰なまでの性的な(もちろん「女性」に対する)視線に違和感を感じつつも、それが遠い異国の地では「普通」のことなのだろうと思っていた。
しかし、それはやはり現実とはかけ離れていて、多くの女優を傷つけ、業界の中での性的搾取を当然のことかのようにしてきたばかりが、社会に対して多大なる悪影響を与えてきたという「事実」に、愕然とする。
アメリカは自由な国で、日本よりもジェンダーギャップ指数もはるかに上位(西欧に比べると低いですが)なのに。
日本の映画やドラマでも、それなりにステレオタイプ的な映像はあるものの、ハリウッド英語ほどではないような気がしますが。(私がメジャーな映画をあまり観ないから、気付いていないだけかもしれません)
間違いなく、今後の映画の見方が変わる、大切な視点をいただきました。
今後、かつての「名作」を観た時、性的な視点の“アラ”が目立って、うんざりしそうなのが怖いです。
一方、この作品自体の評価は、特に優れているとか劣っているということはないので、中位の「3」で。
ねじふせられる快感
これは参った。圧倒的な論理性にねじふせられる快感を満喫できるドキュメンタリーでした。
映画が如何に長い間「男性のまなざし」によって語られ続け、それが男女の雇用格差、性暴力の容認に繋がって来たのかを多くの名作映画を例示しながら徹底的に分析します。その筆致の見事な事。カメラの視点・動き・照明の当て方・スローモーションまで男女でこんなに違うのかと驚きが続きます。これまで何となく感じていた事が映像と共に言語化されて行く過程にドキドキします。
ヒッチコック、ゴダール、デパルマ、PTアンダーソン、スパイク・リー、タランティーノらの有名作にも鋭い矛先が向けられます。また、女性監督である、キャサリン・ビグロー(女性初のアカデミー監督賞受賞)、パティ・ジェンキンス(女性ヒーロー『ワンダーウーマン』監督)、ソフィア・コッポラ(多くの女性主人公映画を制作)らの作品にも潜む「男性のまなざし」をも指摘します。それは、ブラックジャックの様なメス捌きです。
映画作りに関わる人は勿論、映画を学ぼうとする人、そして我等映画ファンは必見の一作ですが、本作で描かれた事を丸呑みするだけでなく、自分の頭で消化する事が求められるでしょう。また、本作で批判された監督らの意見・反論も聞きたいな。
映画は男性目線で出来ている。
映画は男性目線で出来ていて女性を性的な目線で捉え作られてきた、と指摘するドキュメンタリーで、
この映画の、このシーンって具合に、白黒時代から現在まで、大量の映画が使われてます。
分かりやすいトコで『キャリー』の冒頭とか、意外なトコで『アイアンマン2』や『アベンジャーズ』まで(笑)
レア・セドゥが『アデル、ブルーは熱い色』の撮影で、娼婦みたいでイヤだったと思ってたらしく、これも意外でした。
よく裸で演技してるから、女優魂で好んで演じてると思ってたんだけど、この考えがダメなんでしょうね。
この男性目線ってのは、女性監督にも浸透してるらしく、ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』にも男性の性的目線があると指摘。
ロザンナ・アークエットもインタビューに答えていますが、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ行為を語っています。
大量の映画が使われていて、観た事ある映画より観た事ない映画の方が多かった(笑)
映画カタログ的な価値もある作品だと思います。
配信してほしい(笑)
「Male Gaze=男性のまなざし」の存在の立証
"Male Gaze"
映画ファンは本当に見た方がいいと思います
「女性の客体化」というとピンときませんが「演者である女性が性的なモノとして見られ、扱われる場面」と言えば、ああ、よくあることでは? と思い当たるでしょう。
物語には直接関係のない、女性の胸やお尻のアップ、裸や着替えを盗み見るシーンなど、おもに男性の満足度を上げるために入っていると思われるカットです。
何度も、何パターンも見るうちに、こちらが女性であっても男性目線と同一化していきます。
洗脳的であり、怖いインプットだと思いました。
たしかに、女性を客体化したシーンを私自身「そういうものだ」という目で見ていることが多かったように思います。
・足の先までスローモーションで舐めるように撮る
・陰影をつけずに平面的に撮る
・パーツをアップで撮る
名作と呼ばれる作品の中で、いかにこれらが多用されてきたかを、ニナ・メンケスが解説していきます。
例として、ヒッチコックやタランティーノなど、超有名監督の作品を具体的にバンバン出してきて、タブーも忖度まるでなし!
映像使用の許可って必要ないのかしらと余計な心配をしました。
一方で、具体的な映像を見せられ「なるほどそう言われてみれば奇妙なカットだなぁ」と気づくことも多く、興味深いながらも、なかなか気の滅入る体験でした。
このような手法が取られる時は、たいてい女性の内面の表現ではなく、モノとして捉えられていることが多いのです。
(この後、ニナ・メンケスの二作品を鑑賞し、実際に女性の内面をこれでもかと強烈に表現しているさまを目の当たりにしました)
これまでのことを考えた時、私は単純に、いち女性として「女性の身体が美しい」と感じる一方で、男性の性的目線が強いカットでは、違和感を覚えることもあったように思います。
日本の映像作品でも、昔は今よりも露骨な、いわゆるお色気シーン、サービスカット(ショット)と呼ばれるものがありました。
ドラマですが『水戸黄門』における、由美かおるの入浴シーンや、『時間ですよ』における女湯の演出…子供心に不快感がありました。
入浴や裸をみんなに見られたい女性はいないだろうと潜在的に分かっていたからです。
それと似た違和感が邦画洋画問わず、たくさんあったとあらためて気がつきました。
男性目線の洗脳が、現実世界の男性による搾取や抑圧に繋がっているという考え方は、全てではないでしょうが、あるだろうと思います。
今回、このドキュメンタリーによって新たな気づきがあり、今後の映画の見方にも影響がありそうです。
そして、ニナ・メンケスの一作目として観たため、この後の二作品がどのような映画なのか、がぜん興味が湧いてきました。
まだまだ知らない映画監督がいるのだなぁと、自分の知っている世界の狭さを感じた今作でした。
素晴らしかった
今まで"male gaze"で括られてきたことが、
なぜ悪くて、社会にどういう影響をもたらすのかを
多くの映像と、的確な言葉たちで表した一作。
上映中、じっと画面を見入ってしまった。
傷つけられた他者を見て、
私自身も傷つけられていたことを知り、
さらに、自分も無意識に加害者目線を持っていたかもしれない、
という何重にも重なった傷が痛い。
まさに、ブレインウォッシュだ。
斉藤綾子氏のトーク、聞けて本当に良かった。
ローラ・マルヴィの歴史から、
アケルマンがなぜ現代受け入れられているのか、
アニエス・ヴァルダ、エマ・ストーンのアカデミー賞の話まで、ずっと真剣に聞き入ってしまい感銘を受けた。
ご本人が話していたが、「めまい」で映画の概念を変えられたと。そしてそれは同時に本人の思想と拮抗する。
私も同じ経験があった。
私の場合は、「タクシー・ドライバー」だった。
葛藤しながらも、後に「ジャンヌ・ディエルマン」と出会う。
「タクシー・ドライバー」に出会った当時はそれしか観る機会がなかったから仕方なかったのかもしれない。
しかし、このドキュメンタリーが"male gaze"を暴いた今、観るもの、作り出すものは真摯に未来のことを考えていくべきである。
何故ならばそれは、話す当人の物語でもあり
話を聞く私たちの物語でもあるのだから。
あとで論文も読もう。
女優の客体化について
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