「「自責志向か他責志向か」で、 作品の見方や感想が分かれそうな作品」港に灯がともる ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
「自責志向か他責志向か」で、 作品の見方や感想が分かれそうな作品
人生の生きづらさ、人間関係の煩わしさに、
苦しみ、葛藤する、在日コリアン女性のお話。
個人的に関心強めな話だったので、注目度は高いまま鑑賞したが、
テーマが、重いのは承知しつつも、複数あり過ぎて、
終盤にかけて、だいぶ見づらくなった印象。
在日の出自や、震災の経験が、親世代の「それ」への思いとは、
違った重さと感覚で主人公が思っている故、共有できず、
ジェネレーションギャップに苦しむのは、理解できた。
これは、私の世代の親の話でたとえれば、
「戦争や戦後直後の貧しさの体験や実感」になる。
なにか親子喧嘩があれば、すぐに団塊の世代な私の親世代は、
「アンタねぇ。私たちの子供のころは、食うもんにも困って・・・」
と始まる、一連のアレである。
「うるせえよ」と思い、常套手段のように聞き流してたもんだが、
主人公は、それを上手く聞き流せず、
まともに食らってしまい、心を病んでしまう。
その部分については「メンタルの弱さ」を感じてしまい、
なんだかなぁという感想になってしまった。
主人公の、親に反発する部分は理解共感できても、
抵抗の部分で免疫の弱さを感じ、
主人公の女性は、親に反発しながらも、
同時に親に「も」依存もしているのか、と気づく。
凄く幼稚な精神年齢で、子供じみて見える。
親と理解しえないなら、家から出ていけばいいし、経済的に自立すればいい。
父親とただ接触しなければ解決しそうなのに、主人公はそうはならない。
なぜなんだろうかと思ってしまった。
そんな私は、弱者に寄り添えない、非情な人間なのだろうか。
充分弱者側だと自覚していたのだが、、、
私も、父親とは確執があり、絶縁している。
主人公のように、相互理解や和解を試みた時期もあったが、
バカや努力しない貧乏人と長く付き合っても、何もいいことはないから、
40歳手前で、完全に見切りをつけてしまった。遅すぎる位だとも思う。
ただ、疎遠になると、だいぶ精神的には楽になる。
家も買ったし、お金持ちとはほど遠いが、
経済的にはなんとかなるまではきた。
となると、これは男女の違いなんだろうか?
そんなことはないだろう。男といっても、
今では「おじさん」として、様々な迫害を受けている。
「おばさん」と呼ぶのはダメでも、おじさんと呼ばれるのは、
なぜか社会からは、OKという理不尽な太鼓判を押されている。
精神が弱くとも体は健康なのだから、体が壊れてないなら、
この主人公はいくらでも自立する機会はある。
ということは、昭和生まれと平成生まれの違いなんだろうか。
結局この作品は、普段から物事を、
「自責で捉えるかor他責で捉えるか」で、
作品の見方が分かれそうな作品だと思った。
そして、主人公は、他責傾向強めの人間なんだと思われる。
ただし、実は私も、他責傾向強めの人間だから、物事は単純じゃない。
他責であるがゆえに、父親を恨んで、恨んで、コンニャローの精神で生きてきた。
恨みをバネにしたから、自責で潰されることもなかった。
恨みをエネルギーにしながら生きていくのは、スマートな生き方ではない。
かなり歪んだ性格にもなる。性格が悪くもなる。
でも、自責で潰されたり、自滅したり、心の具合が悪くなるよりはマシ。
ふむふむ。平成生まれってやっぱザコでヤワだな、
と、性格の悪い昭和おじさんは、歪んだ感想で片づけてしまうのだった。
良かった演者
富田望生
山中崇