好きでも嫌いなあまのじゃくのレビュー・感想・評価
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うーん・・・
所々気になって・・。お母さんて里を隠蔽する為に人柱になったんだよね?そのお役目から解放されても結局隠蔽出来てるし、ん?柊くんのお父さん、ちょっと不憫過ぎない?等と色々思ってしまいまして。うーん、もうちょっと設定を詰めてほしい。残念
天邪鬼にもなれない
『泣きたい私は猫をかぶる』『雨を告げる漂流団地』に続く、スタジオコロリド×Netflixの長編アニメ。
同スタジオの第一回作『ペンギン・ハイウェイ』はとても良かったのだが、Netflixと共同製作の2本はまあまあ…。
『ペンギン・ハイウェイ』のような快作になったか? 今回の題材は…
ひと夏、冒険、ファンタジー、ボーイ・ミーツ・ガール、そして鬼!
夏に突然雪が降る不思議な現象の山形。
人に嫌われたくない故、頼まれ事を断れない高校1年の柊。友達はおらず、家庭では我の強い父親とソリが合わず…。
そんなある日柊は、バスの運賃で困っていた少女を助ける。
ふとしたきっかけで出会ったその少女は、頭に角の生えた鬼の少女ツムギであった…。
今、鬼の出るアニメと言うと、アレ。
しかし、あんなにおっそろしい鬼ではなく、赤肌やトラ柄パンツでもなく、飛行や電撃ビリビリの特殊能力も持っていない。
頭に小さな角が生えてるくらいの、見た目は人間と同じ。
人間の世界へ母親を探しに来たというツムギ。目指している神社がある。
柊はツムギを案内。それが思わぬ冒険と成長、忘れられぬ出会いとひと夏に…。
スタジオジブリのようなボーイ・ミーツ・ガール、人間世界のすぐ隣にある異世界。
新海誠監督『すずめの戸締まり』のような実在の場所を巡るロードムービー。
道中、様々な人たちとも出会い。
画は美しく、温もりあるタッチ。
天真爛漫なツムギ。周りからの視線も気に掛けず、言動もズバズバ。
一方の柊は…。
それまで人に嫌われたくない為だけにやってきたが、ツムギと出会って初めて自分から人の為に何かをしようとする。
旅には危険も。二人を度々襲う何か。
それはツムギの住む鬼の里の鬼たちを食らう。
力になりたい。危険に晒したくない。相手の事を思う余り…。
思わぬ危機に対し試される家族との関係。そして…
優しき少年と天邪鬼少女の成長と交流と…。
ユニークな設定が多いコロリド作品の中で、最も王道。
だけど、残念ながら…。今回もまた悪くはないけど、特別良くもなく…と言った所。
今回の難点はもう分かりきっている。
題材や設定は悪くないのに、それを活かせなかったストーリーがダメダメ。
大雑把、説明不足、中途半端、深みに欠け、結局何を描きたかったのか…?
さらに悪い事に、見始めから気になる点ばかり。
出会いはいい。が、出会ったばかりの鬼少女を家に招く柊。怖い鬼じゃなくて良かったね。
柊の家族も何の抵抗もなく迎え入れる。お風呂にご飯にお泊まりまで。親切心はいいが、相手の事情や家族の事は…?
その夜突然現れた何かに襲われ、家の外に放り出される。
そのまま目的の神社に向かうツムギ。柊も案内同行。
夜遅く、少年少女がお金もスマホも持たず、親にも相談連絡せず、軽装のまま旅に。ご近所散歩じゃないんだよ。
柊の家族も夜突然居なくなった二人を(しかも柊の部屋は荒れて)心配するが、警察に連絡しない。父親が探しに行くだけ。
旅の途中で出会った人たち。ヒッチハイクで停まってくれたフリマを開く兄妹、熱出したツムギを休ませ柊に仕事までくれた旅館の女将や従業員たち、ツムギが気になった屏風が飾られている喫茶店の店主…。
旅の出会いは魅力の一つ。なのにこれらが全く魅力に欠ける。それぞれの個性やエピソードも淡白で、ただ用意配置されたに過ぎない。
『すずめの戸締まり』のようなこの人と出会えて良かった、別れが惜しいなどの感動、一緒になって旅をしているワクワクも感じられない。ここ、非常にがっかりだったなぁ…。
柊とツムギを襲う何か。その正体は、ユキノカミ。雪を降らし、鬼の里を人間世界から隠す守り神であったが、それが突然…。
ユキノカミの体内に呑み込まれた柊は、誰かの声を聞く。容易く察しが付く。
ツムギの母。里を救う為に生け贄になった過去…。
里に平和は訪れたが、何故私だけ…?
悲しき母の声に、娘が応える。
母の悲しみが消え、家族が再会。
柊やツムギの父や里の鬼たちも里を救おうとするが、何だか蚊帳の外。
柊とツムギが共に懸命に奔走するような展開もナシで、カタルシスや躍動感もナシ。
何か、気付いたら危機が去ってめでたしめでたしになってたような…。
別れも名残惜しさを感じない。
冒険を経て家族や学校とも円滑になった柊。
後日、ツムギが会いに。
あの旅の中で柊はツムギに思いを伝えた。今度は私の番。
この終幕は爽快で良かったが、全体的には…。
面白味も感動も無いまま…。本当にもっと話何とかならなかったかね…?
ビミョーであっても好きな所も言いたいが、これじゃあ天邪鬼にもなれない。
個人的にスタジオコロリドの不完全燃焼続く。
同社とNetflixの共同製作アニメは次回作も待機中らしいが…
次こそ『ペンギン・ハイウェイ』に続く快作を! 期待していいのかな…?
ツインエンジン、ニ馬力
雪国から電車、 学校から祭り、 場面の切替わりも気持ちいい、 何気ないが背景の彩色、 というか、配色? 同じ系統の色でも豊富に使ってる気がした。 キャラの目線、表情、 カメラの構図、伏仰、動かし方、 それに伴う不要な情報の省略等々、 まだまだある100点満点。 考え抜かれている技術の高さ。 最大限のリスペクトと、 期待を込めて、 小言を言えば、 鬼関連、隠の郷、ユキノカミで、圧倒してほしかった。 破綻を恐れない120点、 またはK点超えのマジックを、 捻り出せれば、 ツインエンジンも、 ニ馬力超えか、、、 っていうか、 すでに、 マーケット的には、 ニ馬力を超えているのか。 確かに、 ウマ娘も、 ニ馬力を、 ハナの差でかわしていた。 【蛇足】 講師で行っていた学科で、 うちのゼミの隣りのゼミで、 Kさんの作品を卒業制作まで拝見してました。 アニメーション、人物の動かし方等、すごい! デデデデも素晴らしかった。
英題『My Oni Girl』て…
子供向けかもという不安はありつつ、コロリドは応援したいのと、山根綺が出ているので鑑賞。
HPにデカ目に出てる割に、ちょい役じゃねーか…
ご都合主義とか善人だらけとかはまだいいのだけど、脚本がかなり雑だった。
日枝神社って全国に沢山(調べたら山形だけでも5つ)あるぞ。
突発的にベランダから飛び出したのにサンダル履いてるし、財布すら取りに帰らずそのまま向かう理由がない。
柊は何故か日枝神社への徒歩ルートを暗記してるし。
旅館でのあの別れの感じって、ツムギ何日寝てたんだよ。病院行け。
里の根幹に関わるツムギの行動に、御前様は口先で止めるだけ、他の鬼は協力的なのは何故?
(追いかけたとうこは何かしたっけ)
飛ばされてきて現在地すら分かってないハズの柊が一人で帰ろうとし、それを笑顔で見送るツムギ。
食われた里の鬼たちがどうなったかは不明。
というかあんなんで鬼になったら、日本はそれこそ鬼ヶ島ですわ。
何より、「隠の里には鬼しか入れない」なら、そもそも雪で隠す必要がまったく無いのでは…
小野賢章は叫びがのっぺりしてたけど、子供向けを意識し過ぎた?
それ以外の演技はよかったが、最終的にツムギよりお父さんがかわいく見えてしまったよ。笑
親子問題は解決したけど、学校での交友関係に触れずに締めるのか。
作画や雰囲気が良かっただけに、非常に勿体ない。
主役ふたりのやりとりは微笑ましかったし、さすまたで取り押さえられる雪の神には笑いました。
子供の目から見ると、大人って勝手だよね。
子供の時って、もっと素直だったよな…とたまに子供と触れ合って思う。 時たまびっくりするような発言したり、思っているより子供じゃないかも、と感じることは多々あるものの、それでも「一番大切なものを、大切にする」その気持ちと行動力は、今大人になった自分よりも圧倒的にあったと思う。 大人になると、一番大切なものを後回しにして、 「〜しなければならないこと」「〜すべきこと」優先しがちなのです。おかしいよね。 感覚がバグってくるのかしらん? でも、それが子供達や、ひいては世界を守ることだと思っているので、タチが悪いです。 大人って!!(自分も含め) なので、柊とツムギのストレートさは、なんか眩しかったし、緩やかに時が流れているように感じる世界観は、ただただ優しかったです。 〜ここから、ちょっと厳しめ感想〜 作品の全体的な感想としては、色々ちょっと残念…? 対象年齢はどこなんだろ? 観たいと思ったシーンがなくて次に行ってたり、 ちょっとした行動に「それは大人としてどうなのか」と疑問をもってしまったり。 「隠の郷」の業の深さをもっと見たかったなと思うものの、そうしたら子供向けではなくなっちゃうし、 柊とツムギの「ボーイミーツガール」が薄れちゃうのかなぁ。 オリジナル作品は難しい…
山形には飛び出し坊やは設置してないと思うけど
2024年映画館鑑賞42作品目 5/29(水)イオンシネマ名取 6ミタポイント0円 監督と脚本は『泣きたい私は猫をかぶる』の柴山智隆 脚本は他に『トラペジウム』の柿原優子 母を探しに隠の郷から人間の世界にやって来た鬼の少女ツムギ 路線バスを降りる際に運賃を払えず運転手を困らせていたところ父の命令に不満で夜道を歩いていた少年柊はお金肩代わりしてやった それがきっかけで親しくなった2人に謎の怪物雪の神が襲いかかってきた ツムギと柊はツムギの母を探す旅に出た 母がいなくなった理由 雪の神とはなんなのか ぽんぽん飛び出る小鬼ってそもそもなに 隠の郷のなりたち なんとなくわかるけど 世界観が全てにおいてモヤっとしてる キャラクターデザインは好き 旅館の旦那は雰囲気的に竹中直人っぽかった ヤフコメ老害の皆さんと違い子供の頃からずっと模範的な人間ではない自分としては家出して何日も家を空ける子供に特に教育的指導をする気にはなれないのでそこは全く気にならなかった 声の配役 山形県に住む頼まれたら断れない小学生の八ッ瀬柊に小野賢章 鬼の里から母を探しに人間の世界にやってきた鬼の少女のツムギに富田美憂 柊の父の八ッ瀬幹雄に田中美央 柊の母の八ッ瀬みくりにゆきのさつき 柊の妹の八ッ瀬楓に神戸光歩 ツムギを探しに人間の世界にやってきたツムギの父のいずるに三上哲 ツムギが3歳の時に行方不明になったツムギの母のしおんに日高のり子 フリーマーケットで商売をしている高橋竜二に浅沼晋太郎 兄の竜二と行動を共にする高橋澪に山根綺 旅館「宝珠の湯」の女将の山下志麻子に塩田朋子 旅館「宝珠の湯」の旦那の山下直也に斎藤志郎 カフェ店主の谷本耀一に佐々木省三 隠の郷の長の御前に京田尚子
設定を呑み込んでしまえば、楽しめる
現代なのに、鬼の里とか、鬼ヶ島とか疑問を持ったらキリがない、どファンタジー設定。 なのに、設定を自然と受け入れてしまい、物語に没入してしまう不思議な魅力がある。 旅館の主人や女将さんは、『千と千尋の神隠し』の登場人物を彷彿とさせるし、雪の神に至っては、カオナシが空を飛んでいるようにしか見えない。 堂々としたオマージュぶりに、芸を伝承する狩野派のようなものかとも思う。 隠れ里はなぜか、電気も使えて、スノーモービルまである。説明することなく、ストーリーが先に進むから納得するしかないんだけど、美しい映像が次から次へと出てくるから考えない方がいいかもね。 設定を呑み込んでしまえば、とても楽しめる作品でございます。
スタジオコロリド名誉挽回の一作!
(※ノベライズを読んで2回目を観てだいぶ解像度が上がったので、近いうちにアップデートしたいです。) 本作を制作したスタジオコロリドの前作『雨を告げる漂流団地』は実にひどかった。そんな一抹の不安を抱えつつも、予告編に魅了され、観に行ってきた。 まず、前作でも感じたことだが、美術が素晴らしい。架空の世界はもとより現実の世界だって写真で見るよりも彩り鮮やかだ。この点では、昨年は『屋根裏のラジャー』、今年は本作を一番に推す。コロリドは『ラジャー』のポノック共々ジブリの流れを汲むらしいが、それで納得がいった。この技術はぜひとも未来へ継承していってほしい。 次に、山形という舞台設定が良い。趣味で日本全国を旅してきたが、東北を巡るときが最も心落ち着くように感じる。日本の歴史を振り返れば、西から発展し、東北を飛ばして北海道が開拓された。そのため、他と比べて観光地化されてなく、ノスタルジーを呼び起こさせるのだろう。澄んだ空、赤と黒が交差する薄暮、闇夜に浮かぶ花火といった夏の風景が儚くも美しい。山形はまだじっくり巡ったことがないので、この夏に聖地巡礼をしてみたい。 そして、ヒロイン・ツムギのキャラデザインが非常に魅力的である。これが前作のわだかまりを覆させて映画館に足を運ばせた一番の動機となった。銀とピンクの二色ヘアーにアクセントのツノと実に好みのツボを突いてくる。 たしかに脚本に粗は見受けられるものの、根底に流れる「本心に従う」というテーマが物語を支えている。子供も大人も、このテーマに従って生きている人がどれほどいるだろうか。多くないからこそ、難しいからこそ、この物語に強く惹かれるのではないか。 最後に、本作の白眉な特集記事(リンクを貼れないので、↑の「特集」タブから飛んでください)を紹介しつつ引用して締めとしたい。(微バレあり) > 刺さる1人にとっては何度も観たくなるほど、きっと大切な1本になるはず。 そう。たとえどれだけ酷評されようとも、なぜか心に刺さってしまった。記事にあるように100回はオーバーにしても、少なくとももう何回かは観たい。 > この作品はあえて“説明セリフが少なく”作られているみたいなんです。 雑とか説明不足とか受け取られる理由もここにあるのかもしれない。ノベライズで補完してから、もう一度観に行って答えを見つけたい。 > 柊とツムギが旅の道中で出会う人たちが、全員優しいんです。 未成年が真っ昼間からほっつき歩いていたら通報するのが普通だろうが、織り込んだ上であえてそうしない人がいても良い。100人が100人とも同じように動くなら、そのほうがよほど怖ろしい。
映画館で見たあとでネットフリックスで復習?
今年198本目(合計1,290本目/今月(2024年5月度)32本目)。 (前の作品 「バティモン5 望まれざる者」→この作品「好きでも嫌いなあまのじゃく」→次の作品「」) ときどき見られる、映画館とネットフリックス等の配信サービスとが同時にというタイプのものですね(映画館版はエンディングロールが多少違うが、映画の筋自体はいっしょ)。 いわゆるボーイミーツガール系のストーリーで、「鬼とは何か」といった背景を抱えている点はあり、この配給会社さんの過去の作品のアニメの品質はそのままなので、そこは安心といったところです。ただ、やはり多くの方がわかりにくいとされている、何を述べたかったのか(映画の主義主張が何なのか)は一見して読み取りづらく(展開が後半、ちょっとわかりにくい展開に飛ぶため)、ネットフリックス契約者など平行配信型のこの手の映画(この映画なら、ネットフリックス契約者)が再度復習して「なるほど、そういうことをいいたかったのね」ということを想定しているんだろうと思います(実際、よほど思い入れがあるのでない限り、一つの作品に2回以上見ることは(特典目当てでもない限り)少ないので)。 こうした点があるので、誰にでもおすすめできるわけではないですが、配信系サービスに加入されている方(この映画ではネットフリックス契約者に限られるので注意)にはおすすめできますが、それ以外だと、公式サイトなどで絵のタッチなどは確認できるので、予告編をみてあうあわないかな…といったところです。 採点に関しては、やや法律的にみてどうなのかと思われるところはあるものの、先取特権の話なんてしても仕方がないですし(しかもかなりマニアなお話)、そういう趣旨の映画でもなかろうということで指摘なしのフルスコアにしています(もちろん、法律系アニメということでうたっていればガシガシ指摘はしましょうが)。
「出会いがいい」
今年97本目。 冒頭の出会いがお気に入り。 こう言う場面が恋愛に発展するのは嬉しい。 オニと人間の物語。 後半になってそう言えば大好きな富田美憂さんと小野賢章さんだったなあと最後がいい。
タイトルの意味はよく分からんが、唐突な恋愛要素はかなり微妙
2024.5.29 T・JOY京都
2024年の日本映画(112分、G)
母を探す女の子の鬼と出会った少年を描く青春アドベンチャー映画
監督は柴山智隆
脚本は柿原優子&柴山智隆
物語の舞台は、山形県米沢市
高校生の柊(小野賢章)は人に嫌われるのを恐れて、頼み事を断れない性格をしていた
クラスメイトから色々と押し付けられて耐えていき、抑圧的な父(田中美央)から色々と勝手に決められても、言い返さず終いだった
ある日、バス停にてお金が困って乗れなくなっていた少女・ツムギ(富田美憂)を見つけた柊は、彼女を助けようと声をかけた
そのことがきっかけで、ツムギと交流を持つことになったが、彼女は母親を探す旅に出ているという
一旦、自宅に彼女を招き、母探しの計画を立てようということになったが、その日も父親は高圧的で、柊は心の中にわだかまりを抱えてしまう
すると、彼の体から泡のようなものが大量に出て、それを察知した白い竜のようなものが柊の前に現れた
ツムギはその竜が「小鬼と呼ばれる人の負の感情を食べる生き物」だと知っていて、それに取り込まれたら鬼になってしまうというのである
物語は、ツムギは郷から来た鬼であることが分かり、彼女の母親探しに付き合うことになる柊を描いていくが、それは家出同様のものだった
一夜明けても戻らず、父は柊が行きそうなところを探しに出かける
一方その頃、柊とツムギはヒッチハイクなどを利用して、母がいるとされる日枝神社へと向かっていた
映画は、いわゆるロードムービーとして、色んな人と出会い助けてもらう過程を描き、その中でツムギを探していた彼女の父いずる(三上哲)とも出会う過程を描いていく
鬼の郷で何かが起こっていて、その為に母しおん(日高のり子)が犠牲になっていた
ツムギはそれを知らされていなかったが、事の真相を知ったツムギが母に再会する、という流れになっていた
パンフレットが制作されておらず、詳細な設定などはわからない
声優の情報は色んなサイトに載っているが、誰が誰だかわからないキャラも多い
劇中で名前を呼ばれないキャラが多く、人間界の柊の友人関連、鬼の郷の御前(京田尚子)以外のキャラも誰が誰だかわからない
加えて、ロードムービーで出会う人々は公式HPに載っているが、カフェ店長(佐々木省三)の娘も名前が分からなかったりする
ググっても公式HP以上の情報はないので、声で声優を識別できる絶対聴力のあるマニアのブログをググるしかないだろう
いずれにせよ、最後に唐突に恋愛要素が入ってくる内容で、この要素を最初から入れるなら、旅の起点として「ツムギが柊のタイプ」とかの方が良かったと思う
頼み事を断れないと言っても、その後に続く関係の不和を恐れているので、ツムギの願い事に関わるのとは質が違う
ツンデレタイプのヒロインに引き摺り回される主人公像としては、物語の導入が弱いので、この辺りをスムーズにして、旅先ごとにツムギへの想いが膨らんでいくという構成にした方がラストが活きたのではないだろうか
気持ちを隠してしまう人だからできることがある
抽象的な、おとぎ話のようなお話。
ちょっと分かりにくい作品だとは思う。
それにしても評価低すぎでは。
私もわからないことだらけだったけど、
「色々考えさせられるいい作品」だと思う。
ツムギ可愛いし。
的外れかもしれないけれど、私が感じたことを書いておく。
つい自分の気持ちを隠してしまう癖のある少年ヒイラギ。
気持ちを隠すと体から雪のような「小鬼」が出る。
そして自分たちの存在を雪で隠して住む鬼。
その鬼の村は危機を迎えている。
村のために自分の気持ちを隠していたツムギの母の後悔が原因だ。
ヒイラギはツムギの母の気持ちにシンクロする。
そしてツムギを助け、村を救う。
気持ちを隠す達人のヒイラギだからできたこと、なのだろう。
気持ちを隠すことは、あまりよくないことだ。
隠してばかりだと後悔をすることになる。
でも、ついつい気持ちを隠す人は、悪い人じゃない。
そんな鬼たちが住む村は雪に覆われた寒い世界。
でもそこにもちゃんと「まともな世界」がある。
気持ちを隠しているからこそ、誰かと繋がれる可能性がある。
それでも気持ちは伝えないといけない。
ツムギは、ヒイラギに対する気持ちを言葉にする。
それはもう通じている気持ちだけれど、言葉にするのだ。
鬼のようには察しが良くない人達と、ちゃんと繋がるために。
ジブリ風味のボーイミーツガール
ジブリでボーイミーツガールと言えばラピュタが代表格(「君たちはどう生きるか」はちょっと違う)だが、宮﨑アニメが「アニメーションであること」に主題をおいているのに対してこちらは「テーマ」「ストーリー」に重きをおいているようだ。が、だ。 それなのに肝心の脚本が雑なのが残念。サクサク進むと言えば聞こえは良いが、ストーリー展開があまりに丁寧さに欠けている。 映像や音楽は良いと思うし、設定やキャラだってもっと活かしようがあったと思う。
清く正しきボーイミーツガールの大活劇……大好物だけど、脚本の精度にひっかかりが……。
最初に言っておくと、
僕はこの手のボーイミーツガールものが、大好きだ。
三度の飯より大好物だといってもいい。
『天空の城ラピュタ』や『未来少年コナン』のような、男の子が女の子を拾って、彼女の想いを助けるために奔走する筋書の話は、何度観ても、何回読んでも、全く飽きることがない。なんなら、主役の名前と設定だけ変えて、永遠に作り続けてほしいくらいだ。
その意味では、本作のヒロインの鬼っ娘は十分に可愛かったし、
ヒーローたる少年は好感のもてる良い子だったし、
ふたりのロードムーヴィーとして空気感は悪くなかったし、
淡泊だった相手への想いが次第に熱を帯びていく様子もよく描けていた。
とくにヒロイン。
どきっとするくらいの貧乳属性推しが、尊い。
監督の性癖が良く出ていて、そこは本当にすばらしい。
アクション要素も背景美術も、ふつうにハイ・クオリティだった。
いかにも「元ジブリ」といった感じで、テイストが懐かしいし、こなれている。
前半の日常に入り込む怪異の描写から、どんどんエスカレートしていって、雪の隠の郷(なばりのさと)での大スペクタクルになる流れも楽しい。
というわけで、「表面的には」ふつうに面白かったというのが前提である。
ボーイミーツガールものとしては、個人的に十分楽しめた。それは本当だ。
だけど……いろいろこれ、ちょっと話がひどすぎないか???(笑)
スクリプトチェックがまるで機能していないと言っていい。
ここまで出だしから終わりまで、描かれていることに万事ツッコミが入れたくなるアニメを観たのは、いつ以来だろうか(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』以来か)。
映画はたくさんの人が関わって、たくさんの人が自分の全力を投下して、たくさんの人が自分の運命を懸けて作られるものだ。なので、もう少し監督なりプロデューサーは、周りの人の話をちゃんと聞いて、「それおかしくないか?」と指摘されるような脚本のアラはある程度つぶしていかないとダメだと思う。そんなことで観客からそっぽを向かれては勿体ない。
まあ、プロデューサーが『フラクタル』で山本寛と岡田磨里と東浩紀の暴走を止められなかった山本幸治だから、こうなっても仕方ないのかなあ。
まず、出だしからして、なんで柊が親に連絡を取ろうとしないのか、まったく意味がわからない。父親に反抗している部分はあるんだろうけど、母親だって妹だって心配してて、関係性は悪くないんだから、初日のどこかで連絡を入れるのが当たり前だと思うんだが。
これが、柊とツムギが何か仕でかして出奔したのならまだわかるが、怪異に追われてやむにやまれず飛び出した完全に責任のない事態なのに、家に連絡を入れられない理由が思いつかない。まして、部屋の中身はめちゃくちゃになっているのだ。残された家族が猛烈に心配するのは、誰だってわかることだろうに。
もちろん誰だってそう思うわけで、温泉旅館の女将もまた柊を問い詰める。しかし、彼はかたくなに理由を言わないし、話を必死でそらそうとする。なんで??? もしかして監督も理由が思いつかないから、思わせぶりな演出で誤魔化してるだけなんじゃないの?(笑) しかも諭されたら普通に電話入れてるし。お母さん怒鳴りもせずにしれっと受け入れてるけど、夜半に息子が部屋荒らしたまま、初めて会った女の子と出奔したんだよ? 簡単に息子の謝罪を受け入れちゃダメなんじゃないのか?
そもそも、あの流れでなぜ「いったん帰宅して親に事情を説明して、車で日枝神社まで連れて行ってもらう」という展開にならないのか、まったく理解に苦しむ。
なんでお金もスマホも持たない状態で飛び出したまま、徒歩で向かうの?? バカなの??
いや、日枝神社が禁足地とかだったらわかるよ。でもただの神社だし、米沢の市街地まではかなり距離があるみたいだし、ツムギは柊の友だちとして家族にちゃんと認知されてるようだし、「神社まで送ってあげて」と親に頼んで断られる可能性が思いつかない。結局、ふたりはヒッチハイクも含めて「何日もかけて」神社までたどり着いている。あのあと家に帰って「なんか変なものに襲われてヤバいことになってるんだけど、どうしてもツムギが明日、神社まで行きたいっていうんだ。車まわしてもらえるかな」と頼んで、母親に車出してもらったら、翌日の午前中には余裕で着いていたはずだ。そして、現地ではお父さんとも会えずに、ふつうに里に戻っておしまい、と(笑)。
だいたい、あの流れでふたりがつっかけとスリッパはいて逃げてるの、なんでだっけ??
ベランダにあった? 道すがらパクったの? 後半になると、結構立派な靴二人とも履いてるけど、古着屋って服くれただけじゃなかったっけ? あそこで靴までペチッたのか? それとも旅館で靴はくれたんだっけ? 俺なにか大事なシーンを見逃してたのかな?
親を心配させながら逃避行のように飛び出して、ヒッチハイクをして神社の近くまでたどり着いたのに、古着屋の蚤の市を手伝っていこうとする柊の思考回路もまったく理解できない。急がないといけないから、そのまま出て来たんじゃなかったのか(笑) あの兄妹の和解エピソード、ほとんど物語に必要だとは思えないし。
雪の神に襲われたあと、助けに行くのはいいけど、ボロボロになって意識を喪った少女を、病院にも連れて行かずに、救急箱で処置しただけで部屋で寝かせ切りにしている旅館もたいがい頭がおかしい。まだ多少元気だったのならわかるけど、一日近く意識がなかったんだよ? 鬼だから連れて行けないわけでもないでしょ、鬼だとは気づいていないんだから。
そのあとも、柊がかたくなに家に連絡出来ない理由を言わないで「働かせてください」と主張するのを、おばちゃん受け入れちゃダメだろ。警察にすぐ連絡しろよ、怪我人もいるんだから事件性だって有り得るケースなのに。
どうせ数日の滞在なのに、柊に一から仕事仕込んでいるように見える演出もどうかと思うし、二人が目的地を告げずに徒歩で旅立っているらしいのも解せないし(車で送ってもらえよPART2)、心配して駆けつけた父親をババアが恫喝してるのも信じられないし、神社に着く前に現地で発生すべきイベント(屏風の発見)が始まってしまうつくりも意図がわからないし、なんであの屏風があそこにあったのかもよくわからないし(母親が滞在時に描いたとか? それにしては古い絵だが)、そのあと二人の少年少女に傘を一本しか渡さない喫茶店主もどうかと思うし、結局神社で起きるイベントが追いかけて来たツムギパパとの遭遇だけというのも演出としてあり得ない。
父親に示唆されて向かった目的地である日枝神社に、お母さんはいないどころか単なるガセネタで、何も特別なイベントは起きずに、そこにガセネタの張本人が「里に帰るな」と伝えるためにやって来て、その流れでなぜか「ふたりで里に戻る」ことになるって、作劇としてちょっとひどすぎないか??
大前提として、柊が鬼に変化するロジックがよくわからない。
鬼の里があって、そこから鬼っ娘が下界に下りて来るというのはわかる。
でも、それを助けた少年が「鬼化」する体質だというのなら、それはまるで別の話であって、いっしょくたにするのなら、ちゃんと世界観を用意する必要がある。
他にも鬼化する要件を備えた「後から鬼になる人間」(小鬼を身体から放出する体質)がたくさんいるということは、あちこちで「鬼化している人達」がたくさんいるはずで、もっと社会現象化していておかしくないし、生まれつきの鬼と後発的な鬼の棲み分けとか関係性もちゃんと描かないと、このボーイミーツガール自体が成立しない。
だいたい、言いたいことが言えないくらいで鬼化してたら、『鬼滅の刃』どころじゃない大量の鬼が世間に紛れ込んでることになるし、その大半が陰キャかチー牛か魔法使いオジサンという阿鼻叫喚の地獄絵図になってしまう(コミケの40万人がみんな鬼だと考えよ)んだが、どうなのよそれ?
もともとツムギを追ってきた雪の神が、柊も鬼化したから襲ったという話にしたかったんだろうけど、さんざん「お母さんを探す」ことで引っ張ってきた話で、ツムギ以外の里の人間全員がじつはツムギ母は人身御供でオヤシロの依り代になっているのを知ってるっていうのもたいがいにひどいと思うし(『ひぐらし』の雛見沢村並みに胡散臭い)、柊を食べた雪の神が隠の郷の上空で弾けて落ちて柊が助かる流れは「完全に偶然」でガチで死んでいておかしくなかったし、「日枝神社」に向かう話が隠の郷の「鬼が島」を目指す話に切り替わる展開があまりにズサンすぎる。
結局、雪の神の叛乱が何故起きたのかも、なんで鬼たちを雪の神が襲って食べていたのかも、作中でははっきりした描写が出て来ない。喰われた鬼が結局どうなったかも。これが「娘と会えなくて寂しい依り代の妄念があふれ出て雪の神が狂った」ということなら、お母さんのしおん(名前ww 転スラパロなの??)は何人もの鬼をほふった咎を背負うことになるし、そうでないなら何かしらの雪の神変調の理由がほしい。
しかも、お母さんのせいで雪の神が暴走したのに、娘が会いに来てくれたからお役目を放り出して一般人に戻るという理由で、何千年と続いてきた雪の神による街の防空結界システムも完全終了となって、おばばが「里も変わっていく必要があるかのう」とか言ってハッピーエンドって、展開があまりに勝手すぎる。だいたい、面の依り代って、そんなに簡単に放棄できちゃうようなお仕事なの? 村の上層部の部隊も、ツムギがお母さんに会いに行く手助けとかして本当に構わないの? あと、ツムギは勝手に聖域に侵入して、勝手にお母さんと会うことに成功してたけど柊少年の役割って?
「落下すること」に対する安易さも、終盤観ていてかなりひっかかった。
高いところが怖いのは、落下したら死ぬから怖いのである。
だが、ツムギは(身体能力が違うんだろうけど)平気で飛び降りるし、何度落ちかけてもあまり動じていない。で、本当に落下してどうなるかというと、さして理由もなく二回も「ただふわっと」地面に着地するのだ。なんだよそれ、ピーターパンか? 鬼の能力なのか?
高所でのアクションと落下のスリル、空中浮揚の高揚感というのは、まさにジブリの十八番なわけだが、宮崎駿という人は結構いろいろ考えてやってたと思う。無防備かつあまり考え無しに「落下と浮揚」のアクションをやられると、いかに違和感があるかを今回改めて確認させられた。
他にも、日ごろから住み慣れたホームを舞台にアクションが展開されるしみったれた感じとか、仲間を傷つけて平気らしいツムギパパの脱出アクションの非道さとか、大団円の後その場から一人送り出されて、長い戻り路を帰っていく柊のようすとか、ずっと外で待たされていたらしい柊のお父さんの扱いとか、およそすべてについてまるで得心がいかない。
まあこんなところで脚本への不満をグジグジと書き立てても感じが悪いだけだし、こういう「王道のボーイミーツものの冒険活劇」を作ろうと一念発起した監督やスタッフについてはむしろ応援したいくらいだから、もうこの辺で辞めておく。
だが、いずれにせよ、ここまで主人公の行動原理に共感できず、各種の設定に納得がいかないと、さすがにもう少しなんとかならなかったのかな、と率直に思う。
きっと監督は、ジブリや新海みたいな少年少女の活劇をやりたかったんだろうなあ。
で、『すずめの戸締まり』みたいなロードムーヴィーっぽい部分もやって、「父と息子」「父と娘」という関係性について、もっと掘り下げたかったんだろうなあ。
でも、今回そのへんは正直、あまりうまくいっていなかった気がする。
もっとシンプルな設定で、要らないギミックなんかなしに、男の子が女の子をひたすら助けて戦う『コナン』や『ラピュタ』や『今、そこにいる僕』の現代版を、てらいなく作ってくれると嬉しいんだけど。
とにかく、次回作に期待します。
追記:ふと思い出した。俺、この小野川温泉の「宝珠の湯」って立ち寄ったことあるわw 西吾妻山登山と即身仏見物のついでに。
伝えたい事がシンプル
大筋は分かりやすくて見やすい。
ただ、1つ1つに深みはあまりなく勿体無い感はあった。
鬼と言っているが普通の人間と変わらず共感は得やすいかも。
メジャー作品に寄せた部分は多々あったかな。
映像良し、音楽良し、ストーリー...。
映像は綺麗でヌルヌル動いてて良かったです。音楽も好みです。ただ、はっきり言ってストーリーがダメでした。
期待していただけに残念です。設定の基礎の必要な説明はしないのにプラスアルファの要素だけどんどんと詰め込まれてこられたので、なかなか世界観に入り込めませんでした。世界観に入り込めなかったので、感動もありませんでした。そもそも「鬼」の定義とか、会って一日のつむぎに対する柊の重すぎる気持ちとか、全然説明がなくて終盤まで頭に?が浮かんでいました。あまりにも説明不足で違和感だらけでした。筋が通っていないし、キャラクターの情緒も不安定です。
テーマについては一貫していて「本当の気持ち」についてだったんですが、ずっと「本当の気持ちを伝えるのは大切」ということが最後まで続いて困惑しました。重要なテーマだということは分かるのですが、あまりにしつこく単純でした。その単純なメッセージが2時間に薄められていたので、全体として浅い映画という感想を抱かれても仕方がないと思います。
挿入歌も変なタイミングで流れました。楽しみにしていたんですが、ラップ調の歌詞の部分とキャラクターのセリフが重なってごちゃごちゃしていました。スタジオコロリドの以前の作品「雨を告げる漂流団地」の挿入歌のタイミングは抜群に良かったのに、今作はなんでここにしてしまったんだろう、と不思議で残念な気持ちです。
また、ストーリーの展開中に、とにかく「こういうのを描きたかったんだろうな」という感じのものが多かったです。その気持ちが先走ってしまっているのか、観ていて違和感がある場面が多々ありました。素敵な音楽と綺麗な映像でも誤魔化し切れないほど、脈絡のない展開がありました。とにかく、ストーリーがめちゃくちゃでした。もっと流れを整理してから世に出して欲しかったです。
本当に勿体無いです。映像と音楽がいくら良くても、ストーリーがダメだと台無しです。私は「映画」を観にきたんです。ただ映像と音楽を鑑賞しに来た訳ではなく、それらがストーリーと相互的に作用して感動を呼び起こすような作品が観たかったんです。次回作には期待しています。
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