「この映画は「生きることを疑わない強さでできている」鑑賞5時間後に気づく」ある一生 あすか りたさんの映画レビュー(感想・評価)
この映画は「生きることを疑わない強さでできている」鑑賞5時間後に気づく
(以前も書きましたが、映画の設定・ストーリーには全く言及しませんので、公式サイトをご覧頂きたくお願い致します。)
「ある一生」のエンドロールを見ながら、「自分には受け止めきれなかったな…」とぼんやり感じていました。そして、無性にコーヒーを飲みたくなりました。多分、この映画をアタマとカラダで再認識・再確認したかったのだと思います。
帰宅途中、帰宅後も潜在的にこの映画のことを考えている自分に気付いていました。
鑑賞後いくつか「ある一生」についてのインタビューやコメント…などを読んだのですが、「そうなのかな…」としっくりこない自分がいました。
ある有力なコメントは、現代人との対比で書かれており、「その着眼点であれば、私は現代人に該当しない。だから何か明確なメッセージを感じられない、目に見える気づきを得られなかったのか…」と…。(30歳代以下の方向けの映画なの?)
鑑賞後5時間が経過し、自分の潜在意識という鍋で煮込み続けたシチューが完成を見たと感じました。「ある一生」は「生きることを疑わない強さでできている」と…思い至りました。
この映画を安っぽく捉えると「人生思うままにいかないが、くさらず生きる」「不遇なことに遭遇しても、くじけず前向きに生きなおす」となってしまうと思います。
しかし、この映画はそうじゃない、そんなことを言いたいのではない。
たしかに、主人公は生まれからにして不遇だし、大きな流れに飲み込まれて不幸が舞い込み、血のにじむような努力で獲得した果実はあっけなく手のひらから零れ落ちる…。
宗教的な考え方を除外すると、人間は、自分の意志で生まれてきたわけではないのだから、死が到来するまで生き続けるのは疑うべくもなく、あまりにも自明である。(慣性の法則として生き続ける)それは人間という生物に組み込まれた本能であるかの如く。
この素朴な、内発的・自然発生的な強さは、主人公が持つものですが、本当は(本来は?)私たち皆が持ち合わせているのではないでしょうか。
この「問いかけ」を感じることが、この映画の価値だと思います。
後半で、生き続けることに苦悩する登場人物が現われますが、まさに主人公との対比として描かれているのだと捉えると、腑に落ちます。
生きることに目的やゴールを設定するから、そのギャップに苦しむのではないでしょうか。
ただ、ひたすらに生きる、その強さ、そして美しさが描かれた映画だと思います。