ジョン・レノン 失われた週末のレビュー・感想・評価
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有力資料だが非常に恣意的/ジョンに対する侮辱
遅ばせながらのレビューになってしまうが、見た感想の一言めは正直後味がクソほど悪い。この映画はジョン・レノンという人生の極一部を知る上での証言としてはとても有力で面白い作品だとは思う。しかし映像演出や切り抜きなど構成が、ヨーコを悪とするような、むしろヨーコが悪という前提があることを感じられてしまい非常に恣意的でプロパガンダ的だと感じた。メイの発言がいかにも「ヨーコが悪」「自分とジョンは被害者」「ジョンはヨーコよりも私を求めていた」と言いたげであったり、メイにとってヨーコは永遠の恋敵であるのだろう。ヨーコにヘイトを向けさせるような構成とメイの"負け惜しみ"と思えてしまうような発言を見るとメイは"ジョン・レノン"という人間が好きというよりもジョン・レノンとの"情熱的で刺激的なラブ・ロマンス"と"自分を見てくれる"ジョンが好きなんだろうなという印象。本当にジョン・レノンという人間が好きなのなら、過去にばかり縋るのではなくジョン自身の選択を受け入れ、それでもジョンを愛するべきなのではないか?ヨーコが操っているというのは私には眉唾としか思えないのでそれに関しては後述。冒頭の「これは私自身の物語だ」という前書き、失われた週末に関わったのがあなただけなら構わないがこの18ヶ月とはメイ以外にもジョンやヨーコなど他人を取り扱い、それによりビューアーは他人とその人生についての評価をつけるのだから一応"ドキュメンタリー"である本作品で、前書きを免罪符に好き勝手発言するのはいかがなものか。いかにも「死人に口なし」というようなジョンに対しても冷酷であり自分本位で本当に「ジョン・レノン」という人間自身を愛しているのかを疑ってしまう。過去の栄光と、「自分の恋人ジョン・レノン」とその恋愛に恋しているだけのように感じられた。この映画の情報をすべて鵜呑みにしてしまうのはダチョウと同じ。ジョンにもヨーコにもメイにも非があり、しかしこの関係において悪役などいないのである。(強いて言うなら2人の女性を自分都合で振り回したジョンが悪いのだが)
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実際、ジョンが何年何月何日何のインタビューで誰に対して何をどう語ったのかを知った人間からしたらメイの主張とジョン自身の発言には矛盾があり、しかし私はどちらも嘘ではないと根拠つきでわかっているがそこは語ると死ぬほど長くなるため割愛。そこからもメイの意見には「ジョン・レノンの恋人/ヨーコに"奪われた"」というフィルターがかかっているんだろうなとしか思えない。(誤解されそうだが私はメイ・パンが好き!ジョンとジュリアンの再会を手伝ったのは非常に大きな功績であり、メイとの失われた週末はジョンの人生において必要だったであろうから)
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ジョンがヨーコのもとへ戻ったのはジョン自身の選択であり、長期的な洗脳・マインドコントロールは不可能と言われているし、ジョンによると「(ヨーコに会いたいと)何度も電話してたんだけどね、いつもダメ、ダメ、ダメ。」(1960年12月6日ジョンレノンラストインタビューより/聞き手アンディー・ピープルズ)、つまりこの映画が誘導する「ヨーコによる洗脳」と「ヨーコは悪」というのは濡れ衣でしかない。ジョン自身の選択を「洗脳されていた」で片付けてしまうのは果たしてジョンのことを想った発言なのだろうか。ジョンはヨーコとの関係批判に本気で胸を痛めていた。ジョンは「僕の人生のうち、自分で選んだのはポールとヨーコの二人だけ」(忘れがたき日々 ジョン・レノンオノ・ヨーコと過ごして/ジョナサンコット著より)という発言に見えるように、ヨーコを自分の意思で選択した。にも関わらず、それらをヨーコの洗脳であるとヨーコが悪と断定してしまうのはジョンがそれを聞いたときにどう思うのかなどジョンのことを全く考えられておらず、ジョンの選択とジョンが心から愛した人を否定するのはジョンに対する最大の侮辱のうちの一つではないか。ヨーコ曰く「(ジョンは)とても複雑でとても単純な人間でした」、この通りジョンは矛盾を多く抱えた複雑さと、子どものように無垢な心を持つ単純さと純粋さが同居している人間である。そんな彼を、彼の人生を、彼の愛した人を、たった1本のしかも語り手による一方的で恣意的な資料だけで決めつけてしまうのには違和感を覚える。先述の通りジョンは複雑で単純、彼を知るには多方面での資料を照らし合わせてさらにそれを批判的思考で読み解いていかなければジョンレノンという人間は見えてこないのに、この映画だけで断定するのはあまりにも短絡的すぎるのではないか。ジョンを本当に好きなのなら、彼の選択も矛盾も知ったうえでそれでも彼を愛すべきなのではないか。なぜこの映画1本でヨーコを批判できてしまうのか?たった一つの資料で他人とその人生を評価してしまうことに違和感を覚えないのか?メイ視点からだけではなくヨーコ視点、ジョン視点、そして第三者視点で見たらどうなのかなど考えることがなぜできない?ジョンを愛しているのにも関わらずなぜ一方的に断定してしまう?「ヨーコの思い通りにされてしまうジョンがかわいそう」というレビューがあるが、恣意的意見により愛する人が否定されてしまうことのほうがジョンにとってはかわいそうではないか?それがこの映画の制作陣と語り手であるメイ、この映画1本で断定してしまうビューアーへ言いたいことであり、この映画すべてを鵜呑みにしてほしくない。それはジョンに対する最大の侮辱のうちの一つであり、ジョンを傷つけた人間と同じことをしていることになるから。何度も言うがこの関係において悪役などはいない。それぞれの利害と個人的感情が絡み合った複雑な18カ月なのである。そしてジョンレノンという人間とその人生は、たった1本の映画では、なんならジョンと関わったことのないわたしたちには完全にとらえることが決してできないものなのである。
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以下、一応矛盾点の指摘
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メイの主張では「失われた週末終焉後も会って関係を持っていたし、彼は『そっちに戻るからね』と言っていた」「ヨーコの話題になるとヨーコを突き放すような発言・態度」。しかしジョンは「(ヨーコと)別々になっちまったら、ぼくにできることはバーに行って飲む以外に何一つないんだよ」(1960年12月6日ジョンレノンラストインタビューより/聞き手アンディー・ピープルズ)「(ヨーコに会いたいと)何度も電話してたんだけどね、いつもダメ、ダメ、ダメ。」(ニューズウィーク誌インタビューより/聞き手バーバラ・グロウスターク)。メイの主張ではジョンはメイ>ヨーコということになるが、実際ジョンは最終的にヨーコを選び子供まで授かり、グロウオールドウィズミーなどの曲を描いたのだからメイには申し訳ないがジョンの本命はヨーコであろう。ジョンはリバプール美術学校時代も、シンシアという本命がいながら他に多数の女性と関係を持っていた(レイコールマン著ジョンレノン上より)ためジョンは同時に別の女性を愛する性質があるのではないか。だからメイを本気で愛していたこともヨーコを本気で愛していたことも本当。しかしその愛の形が違うのではないか。ヨーコに関してはジョンの「(ヨーコについて)セックスできる友達」(忘れがたき日々 ジョン・レノンオノ・ヨーコと過ごして/ジョナサンコット著)発言よりつまりヨーコへは男女関係だけに縛られず、恋人として/友人として/音楽的パートナーとして/親として(ジョンはヨーコをよく母と表していた、青木冨貴子著 ジョンレノン運命をたどるより)/家族としての多方面での愛を注げるパートナーであり生涯の伴侶。しかしメイとの関係は身体の関係が中心であり、メイに捧げたとされる「サプライズ・サプライズ」はセックス賛歌である。(ジョンレノン いちご畑よ永遠により)つまり言っちゃ悪いがジョンにとってメイは"遊び""キープ"だったのだろう。ヨーコとは切ってもきり離せない関係だと分かっていたが、失われた週末終焉後、メイとは身体の関係・別居状態のためいつ切れるのかわからない関係、しかしこれは邪推であるがジョンは関係を終わらせたくなかったためメイに「戻るから」と思わせぶりな発言をしたのではないか。ジョンはメイとヨーコという2人の女性を同時に愛していたがその重さとかたちは違う。簡単に言うとアガペーかエロスかなのではないか。
ずっと誤解していた
ジョンの浮気相手として有名なメイ。
さぞ自由奔放な女性なのだろうと思っていたのだが、
実像は異なっていたようで先入観が覆された。
さすがヨーコが認めた敏腕秘書なだけあって
コミュニケーション能力に長けていたのだろう。
シャイで頑固で人と衝突しがちなジョン・レノンが
元ビートルズメンバーやエルトン・ジョン等のミュージシャン仲間、
疎遠になっていた元妻のシンシアや息子ジュリアンと交流できたのも
彼女の力が大きいのだろう。
図らずも40年で一生を終えてしまったジョンにとって
彼女との18か月は単なる年月以上にかなり大きな意味があったのでは。
シンシア、ジュリアンとはその後も真心に満ちた交流を続けていたようで
映画の最後に見られたジュリアンとの絆には思わず涙してしまった。
「真実を描いてくれた」と最後にメイの言葉が出ていたが、
今まで余程色々言われていたのだろう。
誤解していてごめんなさい、メイ、という気持ちになった。
ジョン・レノンの音楽と生と性と死
1980.12.9私は新宿武蔵野館(焼肉の叙々苑になった方、現在の新宿武蔵野館とは違う)で「ローズ」の最終回を観た。終映後、劇場のロビーに出て来ると、公衆電話で女性が「ジョンが撃たれたのよ。ジョン・レノンよ!」と叫んでいた。まだ、スマホの無い時代、映画館に入る前に知ったニュースを友人にでも伝えていたのだろう。私もその声を聞いてジョンが撃たれたのを知ったのだ。「ローズ」のラストシーンの電球が眼に浮かぶ。
6月10日(月)
新宿シネマカリテで「ジョン・レノン 失われた週末」を。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「失われた週末」と言われた二人が別居していた18ケ月間を、その間ジョンの愛人だった(それもヨーコの希望で!)中国系アメリカ人のマネージャー、メイ・パンの視点から描いたドキュメンタリーである。
ヨーコから離れた「失われた週末」の時期に、ミック・ジャガー、デビット・ボウイ、ニルソン、リンゴ・スターらと交流していた事が数々の写真で描かれる。エルトン・ジョンとはコラボでライブも行なわれた。ポール・マッカートニーとリンダとも会っている。
この時期はヨーコの呪縛から解き放たれたようにジョンの音楽活動は盛んだった。
印象的だったのは、オノ・ヨーコの笑った写真は皆無だったが、メイ・パンがジョンと写っている写真は殆どが笑顔だった事。
ジョンもヨーコと笑顔で写っているものは無いがメイ・パンとは笑顔の写真がある。
ジョンの前妻シンシアとの息子ジュリアン・レノンとメイ・パンの交流も描かれる。ジュリアンがジョンに電話をしてもヨーコは繋がなかった。「失われた週末」の後、ヨーコのもとにジョンが帰った後でメイ・パンがジョンに電話しても、ヨーコが出て繋いでもらえなかった時にジュリアンの電話をヨーコが繋がなかった事を知っているメイ・パンは同じ事をされていたと思っただろう。メイ・パンは、その後結婚して子供を二人設けたとの事。
ラストに現在のメイ・パンとジュリアンが肩を組んでカメラの前から去って行く。少なくともジュリアンには、自分の母親とも仲良くして、父親ジョンとの間を取り持ってくれたメイ・パンに心を許していた。
もし、ジョン・レノンが生きていたら、この映画をどう見たのだろうか。
げに恐ろしき
小野洋子。
メイさんのことは全く知りませんでした。
片方の立場からの話なので、どこまでが事実かはわかりませんが、今まで苦手だった小野さんが今まで以上に苦手になってしまいました。彼女、もう91歳なんですね。
ソロになってからの曲はほぼ知りませんが、「真夜中を突っ走れ」はとても好きな曲なので、通して聞きたかったです。
メイパンとジョンのラブストーリー
失われた週末については知っていたが、メイパンについて、ジョンとの関係性について、こんなに深く濃いもう一つのストーリーがあったとは知らなかった。ヨーコの指示ではじまった事や、それが本気に発展していく流れはロマンス小説ではなくリアルな話であるところに改めて強く感情を揺さぶられた。彼女が自分の視点で自分の話を正直に話していると感じたが、それによってジョンの固定された平和の伝道師的な聖人イメージから少し解放されて、茶目っけのあるやさしさや罪作りなところなど本来の人間らしい魅力にあふれていて、良かったと思う。ポールとの関係の修復や他のミュージシャンとの交流など本当に充実した時間だったのだなと...。
最後の別れやジュリアンどのシーンは涙止まらなくて、こまりました。とにかく興味ある人はぜひ見るべきだと思います。
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