国宝のレビュー・感想・評価
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2001年歌舞伎の旅
映画は観客の想像力で完成する。
観客は敵ではない。
監督がやるべきことは、
観客を味方につけ、観客を信頼し、
映画に、戦略的に観客の想像力に委ねる余白を作ることだ。
そのためにディテールでは手を抜かない。
そして良い音楽を使う。
この映画はそれが出来ている。
唐突な展開や欠落した心理描写は、観客の脳内で補完され、それぞれの観客固有の物語を生み出す。
イケメン俳優の資質とは相反する、歌舞伎の退廃的でストレンジな美しさは、観客の想像力で創り出せる。
主人公が全てを犠牲にして求めたレベルの「景色」は、スクリーンではなく、観客の脳内でしか再生できない。
ほとんど観客に丸投げのようにも取れるが、キューブリックほどではない。
映画は、観客を味方に付ければ勝ち。
初めての歌舞伎に、この映画を
本物の歌舞伎は観たことがなく、お家制度についてもよく知らない素人ですが、ぐっと引き込まれました。
歌舞伎に関しては、最小限の歴史的背景が冒頭に文字で示される程度で、あとは役者たちの演技を通して、その世界の華やかさと厳しさが自然と伝わってきます。
物語としては、家に生まれながら芸を継ぐ者と、家の外から芸に惹かれていく者。
2人の青年が切磋琢磨しながら成長していく中で、ある出来事をきっかけに、それぞれが「自分にはないもの」の重さに苦しみます。
対照的な立場で歩む2人の姿には、それぞれに同情したくなるような厳しさがあり、世界の外にいる者には計り知れない重圧の中で、葛藤と覚悟を繰り返していることが伝わってきました。
舞台のシーンもとても美しく、目を奪われる瞬間がいくつもあります。
主演の吉沢亮さんと横浜流星さんは、見た目の美しさだけでなく、歌舞伎の所作や空気感を表現するために、相当な努力を重ねられたのだろうと感じました。
歌舞伎にまったく触れたことがなかった私でも、「生の舞台を観てみたい」と思えるほど、強く惹かれる作品でした。
フィクションではありますが、今も歌舞伎界で活躍されている方々も、多かれ少なかれこのような思い悩みを抱えているのではないか――と、つい想像してしまいます。
日本の文化の一端を知るという意味でも、とても学びの多い作品でした。
映画館で見るべき作品
ストーリー展開は承知してるものが大筋で、それに肉付けされている程度。
それを観せるーー魅せる その企みに脱帽する。
原作が吉田修一でなければ 見に行ってはなかったかもしれない。私の吉田修一に対する信頼度は大きい。
今回の作品の映画化は 彼の「悪人」を勝る出来になっているように思う。
歌舞伎の女形
これを演じる男たちの 血を吐き肉を切る生き様。
演技は圧巻。
特に 国宝に指定された後の吉沢亮の踊りは凄まじかった。
いっときも目を離せない劇場で 息をのんで 見つめるように三時間 座って観覧するのである。
早く行きたいと思っていたが 随分人気が急上昇しての今日。
朝の9時に日本橋に出向いた。
お客さんは99%が女性 男性は一人しか見なかった。
満席の劇場で隣に見知らぬ人がいるのだが、さすが女性たちだらけ、時折 控えめな良いコロンの匂いも漂い ポップコーンなど買い求めてるのも見かけたが 誰も咀嚼音も立てないし 飲み物を啜る無粋なじゅじゅーーーっというのも全くなかった。
ただ 朝からの三時間
もう 抗いようがないのが お腹のぐううううっという音。
終盤 あちらこちらから ぐう〜っ という音がする。
私のお腹も ハイチュウ程度では鳴り止まず。
吉沢亮 横浜流星 お二方の妖艶な姿を見ても 無関係に腹の虫は鳴るものよ。
カメラは悪魔の目線
芸道映画という映画ジャンルがあります。刻苦勉励して芸の道を究める主人公とそれを支える周囲との人間関係を緯糸に、見事芸の頂点に達する姿を描くパターンの映画です。
日本の三大巨匠の一人・溝口健二監督が1939年に監督した『残菊物語』が、このジャンルの最高傑作といわれていますが、86年を経て漸くこれを凌駕する作品=本作が生まれました。
芸道で頂点(=人間国宝)に昇りつめた、一人の男の波乱万丈の半生記といえますが、周知のように高評価で客の入りも頗る良い作品です。最近の日本映画ではあまり類のない、175分という長尺にも関わらず、全く飽きることなく、間怠いこともなく、一気にほぼ3時間を見終えました。
しかし本作はスジを見せる映画ではなく、飽きさせない映像を巧妙に組み合わせて構成した見事な成果だと思います。
3時間、ほぼ寄せアップのフィックスでのカットで終始しています。ミドルレンジのカットも殆どなく、引きロングは、各劇場の舞台を俯瞰したシーンのみです。
最近の作品で多用される手持ちカメラは殆ど使われず、僅かに吉沢亮扮する主人公の東一郎こと喜久雄が、三代目半二郎を襲名する口上の舞台で起きた、先代半二郎吐血に伴う、ドラマにとって重要な事件の描写シーン、そして三代目半二郎が落ちぶれてドサ回りの演舞後に暴行された後の宴会場ビルの屋上で自暴自棄に陥るシーンのみです。つまり観客が酔うような揺れるカメラワークは殆どなく、どっしり落ち着いて見据えられた、換言すると凝視せざるを得ない映像ばかりで組み立ててあったといえます。
寄せアップのカットは長回しせず、短く切ってテンポ良くつないでいるので、観客はその映像に惹き付けられたままです。更にカメラアングルは殆どが、やや仰角気味で、観客は少し見上げるような映像が続き、少しずつ心理的にその人物に圧倒されていきます。
寄せアップばかりなので、観客にはその人物のその時々の感情のみが具に伝わります。引きロングは情報、即ちその前後関係やその周辺の人間関係や環境等を伝えるのですが、それが殆どないため、観客は専ら人物の感情のみを見せつけられ、客観情報がないままです。完全に感情の起伏に踊らされるがままになり、人物に自然と感情移入してしまい、スクリーンに没入させられていました。
その上、登場人物が非常に絞り込まれています。3時間の長尺にも関わらず、喜久雄、横浜流星演じる初代半二郎の息子・俊介の二人の尺が大半です。これに渡辺謙演じる初代花井半二郎が前半、寺島しのぶ演じるその妻が中盤以降に2人に絡み、少し限定的に高畑充希演じる俊介の妻、見上愛演じる祇園の芸妓・藤駒、森菜々演じる喜久雄のパートナー・彰子、三浦貴大演じる興行会社スタッフ・竹野が、エピソードによって絡むだけです。
今一人、登場シーンはごく僅かですが、物語の転機で重要なリード役を果たしたのが田中泯演じる女形役者・小野川万菊です。喜久雄の初めての舞台見学の時、楽屋での万菊の手招きには不気味なオーラが充満していました。ギリシア神話のサイレーンの如く、喜久雄を怪しく辛く苦しい歌舞伎の世界へ陥れたともいえます。
更に、ドサ回りからの復帰を促す手招きにもゾクッとする怖さが漂っていました。既に臨終間際の寝たきり状態であり、しかもどういう経緯を経たのか、簡易宿泊所の4畳半の薄汚い部屋の中の粗末な布団からであり、喜久雄を魑魅魍魎が跳梁跋扈する歌舞伎界に引き戻そうとする悪魔のような手招きでした。
万菊は、三代目半二郎襲名披露の口上のシーン、先代半二郎が吐血し舞台がパニックになるシーンにも、終始無表情でそこに立会っており、物語の重要な転機での舞台回し役、恐ろしくも無気味な役回りを果たしていました。女形らしく凛として、六代目歌右衛門を彷彿させる演技でした。
万菊の辿った履歴は一切出て来ませんが、これは彼に限ったことではなく、他の人物の私生活や周辺情報は全く触れられず、のみならず喜久雄の私生活も最低限のエピソードを間接的に描くのみです。
全シーンには4W1Hの情報は皆無で、唯一Whatのみ、つまりそこでその時に起きていることのみ伝えられ、あとは観客の想像力に委ねられます。スジの根幹以外は、観客から完全にシャットアウトされていて、あくまで主役2人の言動のみにフォーカスしていましたので、自ずと感情移入し没入していかざるを得ません。
カメラの目線はどこにあったのか、てっきり主人公・喜久雄目線だと思って観ていました。しかし寄せアップばかりで映すにも関わらず、喜久雄の本音の思惑は、実は見えてきません。殆ど喜怒哀楽が表情に出て来ない、又は敢えて出してきません。これは俊介とは好対照で、俊介は都度都度感情を剥き出しにしています。喜久雄目線ゆえに自分以外を客観視して映し出しているせいか、と思っていました。
喜久雄が願掛けして祈るのは神仏ではなく“悪魔”に対してであり、ひょっとするとカメラは、歌舞伎の神様ならぬ歌舞伎の悪魔の目線なのかと思い直しています。将に本作では田中泯扮する万菊の目線だったのではないかという気もしています。
アクションなし、ラブロマンスなし、美しい自然描写なし、そもそも映像の9割方が屋内であり、さらに舞台の演技シーンがその内の半分くらいは占めていました。そんな退屈な構成のはずが、3時間を飽きさせずに惹きつけ続けたのは、一つには脚本の力であり、二つ目は巧みな映像の組み立て、そして何より大きいのは、寄せアップで映され続けた主役2人の、指先まで神経が研ぎ澄まされた技量、更に演技がスクリーンいっぱいに滾るように溢れかえった熱量です。
1972年上演の「曽根崎心中」で喜久雄が演じたお初には、スクリーンに食い入って見入ってしまい、その真に迫った劇中劇の演技には、思わず感極まって全身に震えがきてしまいました。
二人の舞台共演シーン、二人藤娘、二人娘道成寺は、華麗で優美で妖艶で、しなやかな風でいてはんなりと、たおやかで、寄せアップの細かいカット割りで見せられるので、つい前のめりにスクリーンに見入ってしまいました。
また劇場舞台の映し方が秀逸でした。殆どが舞踊、つまり台詞がなくて演者がひたすら舞台上を激しく動き回る演目です。通常公演での舞踊は、狂言と異なり、単に見ているだけではなかなか意味が理解できず、やや退屈することが多いのですが、本作では舞い踊る様の寄せアップを短いカットで切り替えて、その上、演者を360度回転して映し、更に観客席からのアングルに加えて舞台後方からも映し、その熱く激しい動きと表情がリアルにビビッドに観客に伝わってきました。この迫力をスクリーン上で増幅するために、撮影に使用された劇場は、京都・南座と京都・先斗町歌舞練場という、それほど舞台上が広くない劇場です。東京・歌舞伎座は舞台上が広すぎて、映像にすると間延びしてしまったと思います。それゆえに歌舞伎座はファサードのみ使い、劇場内部は南座であり、先斗町歌舞練場のやや狭苦しいロビーや楽屋でした。築98年の先斗町歌舞練場のレトロで重厚な時代感が巧く使われていました。
今の歌舞伎は松竹が興行元であり、歌舞伎座、南座は松竹の劇場です。またスタジオ撮影はほぼ東映京都撮影所で行われ、従い殆どの仕出しは東映京都の俳優です。
にも関わらず配給は東宝という、奇妙な組み合わせの作品でもあります。
若き喜久雄(黒川想矢)にMVPを
公開3週目だし、既に語り尽くされ気味な話題作なので、気になった細かい雑感だけ列挙します。
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1. 魂を売る前から悪魔に魅入られていた天才
主人公の台詞にあるし、最終盤に娘からも投げ付けられるので、本作は悪魔に魂を売った喜久雄(吉沢亮)の物語にも見える。しかし、少年時代に趣味で演じた女形で、プロの歌舞伎役者(渡辺謙)を惹きつけてしまう程、ほどばしっていた才能こそが全ての始まり。部屋子になった後も、厳しい鍛錬が楽しくて仕方ないと嬉しげ。天賦の才を持つ者に、惜しまず努力されてしまったら、最強すぎて太刀打ちできない。少年・喜久雄の才と歌舞伎愛に説得力を与えたのは、間違いなく黒川想矢の眼差しと立ち振舞。「怪物」(2023)でも爪跡だらけだった黒川君の今後に、期待しかない。
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2. 天才は何処でも輝く、ただ輝きの意義が解る観客は必須
最も印象的だったのは、彰子に手を出して歌舞伎界を追放された喜久雄が、ドサ回り先でボコられる件。彼がどこまで本気で演じていたか、多少は手を抜いていたか、定かではないが、あんな環境でも喜久雄は、観客の一人の目を惹きつけ恋心さえ抱かせる。歌舞伎に関心がなくても、女形の意味を理解していない観客でも惹きつけてしまう、喜久雄の才は本物だろう。
加えて、ボコられてボロボロになって屋上に佇んでいても、自然と体が舞始める。公演の予定などなくても、日々の鍛錬を止められない。「歌舞伎嫌いでしょ」と万菊(田中泯)に指摘された俊ボンとは真逆に、喜久雄には歌舞伎しか居場所がない。役者を極める道しか、目の前に延びていない。
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3. 順風満帆っっって!?
最終盤、最年少で人間国宝になった人生を、順風満帆と称される。苦しい場面中心に観させられた観客としてはツッコミ処。ただ、同じ様な雑なまとめ方は、我々も普段からやっていそう。成功した結果だけみると、億万長者の実業家も、売れている芸能人も、「順風満帆」な人生を羨ましく思えるが、人には言えない苦難を経験して来た者もいるだろう。他人の人生の一断面を聞き知っただけで、その人の人生を総括できると思い込むのは、愚かなのだろう。
本作でも、万菊は人間国宝になってからの姿しか描かれない。引退後の狭い借家が、万菊も歌舞伎の上達につながる事以外は切り捨ててきた役者バカだった事を彷彿とさせる。とは言え、万菊に人生も喜久雄以上に波乱万丈だったのかもしれない。質素な老後だけから、淋しい人生だったと決めつけるべきではないんだろう。少なくとも、狂気を秘めた田中泯の演技は、何らかの賞で報われて欲しい。
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4. ほぼ満点な前半(青春篇)、徐々にテンションが落ちる後半(花道篇)
語るべきテーマが後半に詰まっている事は分かる。それでも、自分は喜久雄と俊介の絆が深まっていく前半が楽しくて仕方なかった。師匠の交通事故で代役を勤め上げるまでか、名跡を襲名するぐらいの処で映画が終了していたら、満点評価だったかもしれない。後半も、義兄弟の絆を感じるシーンは堪らなかった。
しかし後半に入って、「昭和元禄落語心中」と重なる展開(a-c)が相次ぎ、名人の最期まで似ていた事で少し冷めた。
a. 切磋琢磨する幼馴染Aが、幼馴染Bの恋人と疾走し、子を儲ける
b. 人気が出てきた若手が背中の入れ墨(元任侠)報道で失速
c. 年を重ね名人に成長した主人公が、公演中に倒れて絶命
※八雲は漫画では主要人物だが、ドラマでは主人公
パクリだなんだと責めるつもりはないが、ありガチな定番展開を面白くは感じなかった。
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5. 血筋に拘るなら...
個人的にミスリードだったのが、序盤のド派手な父の死が、喜久雄の人生に殆ど影響しなかった事。任侠の家に生まれなければ、彫り物を背負わなかった可能性は高いが、それ位しか彼の後半生に活かされないのは肩透かしだった。
血統を重んじる歌舞伎界で、血統の拠り所がない不安を語るシーンは印象的だが、血統をテーマにするなら、任侠エリートの息子に生まれた血が、喜久雄の人生に与える影響も描いてほしかった。無論、殺人犯の子も殺人を犯すだとか、反社の子も必ず反社になるみたいな偏見は好きじゃない。ただ、性格や行動傾向にある程度遺伝的基盤があるのも事実なので、任侠の親分に上り詰めた父の精神的特徴が喜久雄にも現れ、彼の人生を後押ししたり、邪魔したり、みたいな描写が欲しかった。
「踊りの凄さ」
衣擦れと足踏みの音がとても良い
運命に抗う男の生きざま
吉田修一の壮大な新聞連載小説を李相日監督が映画化。かつて日本映画では溝口健二に代表される「芸道物」のジャンルがあったが、近年なかなかお目にかからない中で、本作は、世襲制、女形など独特な伝統を持つ歌舞伎界に正面から向き合い、風格のある大作に仕上がっている。
出自によって規定されてしまう運命というものに、才能と努力で抗おうとする男の、50年にわたる波瀾万丈としか言いようのない生きざまが描かれる。最後に人間国宝になるという超ハードルの高い難役に挑んだ吉沢亮が素晴らしい。横浜流星ともども、相当鍛錬に励んだようで、舞台シーンでの演技や舞踊、発声など、素人目から見て十分美しく、それだけで感動する。
ただ、襲名口上での吐血や、舞台上での涙、義足の演技といったあたりは、歌舞伎ファンにはどう見えるのか、ちょっと気になるところ。文字で読むのと、実写で見るのではずいぶん違うだろう。
李相日監督の持ち味とも言える役者のパッションを引き出す演出力は、舞台シーンで十分発揮されている。その分、ドラマパートはかなり端折っていて、粘りが足りない感じもしたが、そこは尺の問題から致し方ないところか。
脇役では、田中泯が異様な凄みを放って、強烈。タイトルと重ね合わせて、陰の主役にも見えた。女性陣は、寺島しのぶ以外、影が薄かった。
それにしても、3時間という長尺にかかわらず、ほぼ満席で、しかも館内が明るくなるまで席を立つ観客がほとんどいなかったことが、素晴らしいし、嬉しかった。
3時間目が離せない静かな緊迫感と映像美
A300 本当によくできた物語
2025年公開
3時間弱全く退屈しませんでした。
普段歌舞伎は縁遠いのですが
見入ってしまいました。
監督の演出も隙がないし
美術は当然、光の当て方すら数ミリのくるいもない。
ともかく主演二人の演技に圧倒されました。
本物の方から見れば、ん-?だったかもしれませんが
ワタシのような素人からすれば
こんだけ歌舞伎の世界の技を
よく身につけたなあ、と感心する。
吉沢亮と横浜流星の距離感
ケンワタナベと寺島しのぶの葛藤
突如現れた映画史に残る作品。
そんな感じがします。
(流れが出来すぎなのでちょっとマイナス点)
人間国宝が坊やあんたちょっとこっち来なさい
と誘われたとき善からぬ予想をしてしまった。
ケンワタナベに誘われているのに紋々入れるのは
どやねん?
襲名披露に血吐いたら周りはどう収集つけるねん?
ドサまわりも大変やな―
あんまり悪魔と取引した感はなかったんですがね。
ジジイになった吉沢亮が一番キレイだった気がするし
それに絡むカメラマン瀧内公美ちゃん
出演は少ないものの存在感あるー
と雑感。
80点
鑑賞日 2025年6月22日 イオンシネマ草津
配給 東宝
圧巻の内容、ただ長い
吉沢亮くんは勿論…
私は横浜流星くんの可愛い女形に撃ち抜かれました!吉沢亮くんの神々しい姿に相対してにっこり微笑む横浜流星くんが可愛く見えて仕方なくて。あの肉体派の流星くんがまさかこうきたか!っていう意外性。そして甘いところがある坊ちゃん故の優しさとか。
それぞれの役者さん達が素晴らしかったです。田中泯さんがあの激渋ボイスを封印してはんなり喋ってるとことか吃驚。
話しは、いやあ、芸事に生きる人の厳しさ非道さがありありなんですけど、ほんと舞台の美しさが圧巻で、この為なら何もかも許される訳ではないけれど、でも美しいのだなと。
何とも言えない感動でした。
でも歌舞伎の家に生まれなくて良かったーと
庶民としては変な安堵をしてしまいましたがね。
賞を総嘗めにして欲しい
ここ最近の横浜流星の作品は映画館で観てきたので、これも観に行くか。
そんな気持ちで観に行ったら、圧倒された。
横浜流星と吉沢亮に。
上映時間は175分。予告も入れたら3時間。でも長さは感じなかった。
歌舞伎は東銀座で観たことはあるけど、外国人ゲストの付き添いで行ったから、質問に答えるのに手一杯で、芸術を楽しむ余裕はなかった。でもあの空気感は覚えてる。
いやいや、ど素人の自分にしてみたら横浜流星も吉沢亮も歌舞伎役者にしか見えない。
いつ撮影したの?いつからいつまで練習してたの?2人ともここ数年ずっといろんな作品に出てたのに…
すっごい映像美がある訳ではないけど、映画館で観て欲しい映画。
あ、でも2人が同時に舞台に上がるシーンは、袖のうちに帯でどっちがどっちか意識しておいたほうがいいかも…2人とも美形だから女形のお化粧すると、とても似てる気がする。
あと30分は欲しい、心に残る何かが欲しい。
好きな歌舞伎を題材にした物語
映画開始早々から力が入った。
3時間という長尺の映画
だけど、後30分伸ばして
バタバタと過ぎた数十年の
終盤を埋めて欲しい。
執念の映画
現実でも、非現実でも
芸事には終わりはない。
良い世界を観た。
※
【赤と白の映像美】
雪、紙吹雪、血、襦袢、マニュキュア、口紅、紅隅、白塗りなど様々な赤と白色が出てくる。それぞれが印象的で意味を持つ。雪とクロスする紙吹雪も良いが、個人的には入れ墨をなぞる赤いマニュキュアの妖艶さには強い印象を持った。
【舞台】
舞台から見える風景は恐ろしくも美しい。
田中民 演じる人間国宝役の踊りはハッとするが、個人的にはもっと、もっと強く繊細に美しく映し出す事は出来たはず、特にその後の少年の感想に繋げるのには、あっという間で少々弱い印象を受けてしまった。だからこそ少年の目に映った、手の届かないほど異次元の踊りを見たかった。それでも若手二人の舞台は、ある意味見事としか言えない。よくぞここまで…そして稽古したと、感心する。最後の「鷺娘」は必見。
【演技】
演技なのか、その者になっていたか、見ていた。
冒頭の永瀬正敏の強烈な演技はトラウマの様に最後まで残り。場を踏まえた渡辺謙の師匠として親としての苦渋感溢れる演技。田中民の次元の違う世界に住む者の存在感。吉沢亮・横浜流星の敵視しあうも互いに強い絆を感じる関係。家・血筋、特に息子への愛を大切にする寺島しのぶの存在に徹する演技、主にこの辺が気になった。特に寺島・田中の目の演技は怖いほどで、台詞は無くても一瞬で心の中を表すほど他を圧倒していた。
監督がその演技で良しとしたのか、
役者が、その者になる事を選んだのか、
観る人が薄っぺらさを感じなければ
どちらも正解だと思う。
3時間30分、有ってもいいかも。
※
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