国宝のレビュー・感想・評価
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今期最も素晴らしい映画かもしれない。
とにかく面白かった。
陳腐な感想になってしまうのだけれど、とにかくすごかった。夢中になって画面に食い入り、見つめていた。
「ぴんとこな」という漫画を読んでいたので、
歌舞伎界は特に血筋が大事、と知っていましたが、
ここまでとは思っていませんでした。
本番前、半二郎が喜久雄にかける言葉は、稽古を休まずやってきたから、忘れても身体が反射で踊ってくれる、に対し、俊介には、花井家の血がお前を守ってくれる、と声をかけていることにはやはり息子と部屋子の違いを明らかにつけていることがわかる。実子より部屋子のほうが芸が上手いと認めていても、やはり可愛いのは実子。
喜久雄の芸への異常なまでの執着心にはゾッとするものを感じたが、同時に喜久雄の好きなようにさせてあげて、と思わせるまでの説得力を与えてすらいた。
だからこそ、高畑充希や見上愛、森七菜(役名ではないが)のたくさんの女性が喜久雄を支え、芸の道へ押し戻したんだと思う。
俊介はフラフラしているように見せかけているが、本当は本気で稽古をしても喜久雄に敵わない、とどこか思っている節があったから、御曹司であることを盾に遊び歩いていたんだと思う。
それと高畑充希演じる春江のしたたかさには舌を巻いた。
墨を入れるぐらいには喜久雄に入れ上げていたはずなのに、喜久雄の芸を見て落ち込む俊介を見るとすぐに乗り換える。その前にも片鱗はあって、役をとられてやけくそになった俊介が春江にいたずらしてやろうと家に上がろうとした時も、思惑を読み取って家にあげようとした。
俊介にそこまでの覚悟はなかったので大事にはならなかったが結局この二人が結ばれてしまうんだもの。
その後に家を追われることになった喜久雄が挨拶に来ても一瞥もせず息子に話しかける姿には恐れ入った。
こういう心意気がないから彰子(森七菜)は本命になれなかったんだろうな、と思った。
どこまでもお嬢様な気持ちで、本家を継ぐ気なんかさらさらないから、喜久雄に手を出された時にも出ていく!と啖呵を切ってしまったのだろう。
喜久雄が墨を入れるところから悪手を選んでいく様には胸が痛んだ。絶対こっちは選んではいけない、という選択肢ばかり選んでしまう。これも世間知らずであるが故なのだろう。
人間関係にばかりフォーカスを当てて感想を述べていたが、演者の気迫や演技も本当に素晴らしいものだった。
特に私が泣いてしまいそうになったのは、喜久雄が半二郎の代役を務める前に緊張で震えてしまいメイクができなくなってしまったシーン。
俊介の血をガブガブ飲みたい、と述べる喜久雄には
切実な歌舞伎の血筋への想いと、自身には頼れる身寄りがいないことへの恐怖があったのだろう。
俊介がもし代役で出演し失敗しても彼には血筋があり、親である半二郎が助けてくれる。でも自分には芸しか頼るものがないのだ。一度でも失敗すると居場所がなくなってしまう恐怖もあったのだと思う。
自分も一端の演者(歌舞伎でも役者でもないが)なので、本番前の緊張する気持ちは痛いほどわかるが、小さな子供が一人ぼっちで震えるように静かに涙を流す姿には心を痛めた。この時、喜久雄には俊介がいてくれてよかった、と心底思った。同い年で親友でありライバルであり、それでいてお互いに欠けてはならない存在であり。
歌舞伎を続けて、喜久雄が人間国宝まで上り詰めたのは、芸への異常な執着心もあるが、俊介の意志を継いでいきたいという思いもあったのだろう。
2人の子供時代を演じていた役者さんたちも素晴らしかった。無邪気で2人切磋琢磨している姿が素敵だった。
とにかく良い映画でした。
ただ、何度も観るにはパワーがありすぎて疲れてしまう。
すごかった
鷹の眼の中に背番号17が見えた。
映画「国宝」を昨日見た。朝イチでもその他情報番組でもここ最近、よく取り上げられていた。脳が疲れたのか昨夜はよく眠れた。
私が興味を持ったのは「なぜこの映画がこれ程、観客を惹きつけ興行収益を上げてきたのか?」だ。
一番感じたのは緊迫感、隙のなさ、張り詰めた空気感。上演時間が3時間弱にも関わらず私には1時間半くらいの体感だった。
・まず脚本が良い。
糖尿病、歌舞伎の演目、娘との会話、人間国宝の継承等、伏線が幾層にも散りばめられそれが見事に回収されていく。一回見ただけでもそれが分かりやすい。
喜久雄、俊介、春江、半二郎らが織りなす人間ドラマの大ドンデン返しの中に、もしかしたら自分も辛抱すればチャンスが巡ってくるのではないか、と希望を抱かせてくれる。
・物語の中核に分かりやすい対立軸がある。葛藤は人を惹きつける。例えば
「友情vsライバル」喜久雄と俊介は表と裏を繰り返す。一方が表舞台の時、片方は地方でドサ回り、それを陰で女が支える。
成功する要素は「家柄、血統vs 才能、努力」
一途に道を極めた方が良いのか、それとも家族と過ごす普通の暮らしの方が幸せなのか。
・普遍的なテーマがある。
「生きていくとはどういう事か」
「自分は何者なのか」
「幸せとは何か」
「美しさとは何か」→それを歌舞伎の中に見出そうとする時、ここにも「伝統vs 革新」の対立軸が描かれていたと思う。
映画の冒頭で喜久雄の父親はヤクザの抗争で弾丸に倒れる。正月の祝いの席で上方歌舞伎の大スター、花井半二郎は親分と盃を交わしていた。反社勢力との付き合いはホワイト化した今なら一発アウトだ。でもこのシーンが緊迫感の基底となった。一瞬に生きる美学を作り出した。
そもそも日本の芸能と差別の歴史は深く関わり、能の祖である観阿弥・世阿弥の先祖も被差別身分であったとされる。だから「普通」からはみ出たアウトサイダー同士も相性がいい。芸能界の中居問題もこの文脈の中にある。本来ならブラックボックスの中で処理され表には出てこなかったはずだ。そういう一般社会の外側に芸能、芸の道はあり、ファナティックなものは芸の本質だ。一般人なら気が狂う、そういう世界だ。
映画のラストで人間国宝になった喜久雄を取材するカメラマンは自分の娘だ。彼女はこういう。
私はあなたを一度たりとも父親とは思わなかった。でもあなたの舞台は浮世を忘れさせ夢の国に連れて行ってくれる。「お父ちゃん、日本一の役者になりはったな。」と。
桜吹雪が天井から舞い落ちるシーンは喜久雄が求めた美のメタファーだと思う。伝統と形式の美に対して、「揺らぎ」や「不確実さ」「刹那性」は根無し草だから表現できる。その妖艶さが見てる人を底無し沼に引きずり込む。
私には鷹の眼の中に背番号17が見えた。
喜久雄の観たかった景色は……。
8月下旬に鑑賞しました。6月6日の公開から2か月以上が経過した8月下旬でも、この映画の人気は衰えを知りません。平日昼過ぎの回で、4割程度の座席が埋まるくらいには観客がいました。私の住む秋田県では、平日昼間の映画館は観客が自分一人という貸し切り状態になることも少なくありません。公開から2か月以上経ってるのに、この盛況ぶりには正直驚きました。
色んな映画レビュアーさんが大絶賛して、レビューサイトではとんでもない高評価を獲得している本作。ハードルがこれ以上ないくらい上がり切った状態での鑑賞です
結論ですが、観に行って良かった。3時間近い上映時間があっという間に感じられました。映像の美しさ、役者陣の演技の素晴らしさ、長尺のストーリーを見事にまとめた脚本と構成の巧みさ、目を奪われる美しい映像の数々。どれをとっても最上級の作品でした。話題になるのも納得のクオリティで、年間ベスト級の作品でした。
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ヤクザの組長の息子だった喜久雄(吉沢亮)は、15歳の時にヤクザ同士の抗争によって父親を喪った。その後は歌舞伎役者・二代目花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、半二郎の息子であり同い年の俊介(横浜流星)とともに、歌舞伎の稽古に励む。そこで喜久雄は女形の才能をめきめきと開花させていくのだった。
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この映画、何より歌舞伎のシーンがめちゃくちゃ良かったです。
私は歌舞伎を観たことはありませんが、吉沢亮さんと横浜流星さんの歌舞伎の演技は、直感的に「めちゃくちゃ上手い」と感じられるものがありました。準備に時間をかけ、そして相当な情熱を持って演じられているのだということが分かります。この映画を鑑賞した歌舞伎役者の市川團十郎さんは、ご自身のYouTubeチャンネルで本作の感想動画をアップしており、劇中の歌舞伎の演技について「違和感なく観ることができる」「すごく練習されたんだと思う」と言及されていました。プロの歌舞伎役者から見ても「違和感ない」というのは本当にすごいことです。
個人的な話になりますが、私は小学低学年から高校卒業まで剣道部に所属していました。そのため、映画やドラマで剣道をするシーンが出てくると、その所作を見て「上手いな」「下手だな」とかを感じてしまうんですよね。上手ければ問題ないんですが、下手な剣道をしているのを見ると、どうしても気になってしまって、作品を楽しむノイズになってしまうんです。そのため、本作の歌舞伎の演技がプロの歌舞伎役者である團十郎さんから見ても違和感のないものだったというのが、いかに凄いことかというのが良く分かります。
本作の歌舞伎の演技は撮影の1年半前から練習が開始されていたらしいです。横浜流星さんは吉沢さんよりも3か月ほど遅く稽古を開始したのに、あっという間に吉沢さんに追いついてしまったと、吉沢さんがおっしゃっていました。「そのまま歌舞伎役者になってしまうんじゃないか」と思うくらい歌舞伎にのめり込んでみるみるうちに上達していく横浜さんを見て、「負けてられない」と奮起した吉沢さん。二人が切磋琢磨したおかげで、この圧巻の歌舞伎シーンが生まれたのだと思います。
そして、主演の二人以外にも、本作の制作陣には一流のスタッフが揃っています。監督の李相日さん、脚本の奥寺佐渡子さん、撮影のソフィアン・エル・ファニさん。作品制作を主導した監督は言わずもがな、3時間という長尺の映画で、最初から最後まで全く飽きることなく退屈なシーンなどなく集中して鑑賞することができたのは、間違いなく奥寺さんの引き込まれる脚本と、ソフィアンさん撮影するの美麗な映像によるものだったと思います。
語りたいことはまだまだありますが、長くなるのでこの辺で。
本作は今後何年も語り継がれる大傑作映画だと思います。今年はまだ4ヶ月残っていますが、おそらく私の今年の年間ベスト映画になると現時点では確信しています。素晴らしい映画でした!オススメです!
長かったけど日本文化⁉️
役者の方々の演技は素晴らしいものでした。
特に主役お二人の演技が後半心情を吐露する場面で、
役になりきっての言葉に感じました。
俳優誰々ではなく、半ニ郎と半弥が話していました。
歌舞伎のシーンですがお二人とも撮影までに
一年半特訓されたようです。
歌舞伎のことは分かりませんので、
場面に違和感なくしておられたぐらいしか。
特訓であっても一年半という短期間ですので、
評価するなんて本業の方々に対して失礼かな、
というかできないです。
半二郎が半弥の息子に稽古をつけ
終わりに挨拶する時、
吉沢亮さんが正座して手をつきお辞儀する姿が
とても美しく印象に残りました。
半二郎と半弥という役柄はさておき、
横浜流星さん、なんか大変な役柄というか、
あまり幸せになりにくい役柄が多いようにお見受けします。力量がある故にできることだとは思いますが。
吉沢亮さんは最近、コーダ役のを観ました。
(ちょうど今見ていて手話で母と会話しています。
手話、難しいです。これも練習の成果かと)
演技力のある方とは思っていましたが、
本作で遺憾なく発揮されていたように見えました。
子役時代の俳優さんもお二人にどことなく似ている方を
よく見つけて来られたな、と思っていました。
やはり男の友情を絡ませつつ、
一つの物事を追究し極めていくことの艱難辛苦を
描いたのでしょうか。
どんな世界であっても
二人いると比較されてしまいます。
半弥(俊介)の場合同じ部屋子であっても、
半ニ郎(喜久雄)には負けたくない気持ちがある上に
純粋なる血を引く立場にいながら
父のお眼鏡にかなわなかったことは何重にも半弥の
心を打ち砕いただろうと想像できます。
父は、仕事では秀でつつ
息子の気持ちを顧みる気持ちは無かったのでしょうか⁉️
しかし、お披露目会で倒れた時に俊坊俊坊と呼んで‥‥。
厳しい世界故に可愛い息子ながら世襲よりも、
実力を重んじざるを得なかったのでしょうか。
心砕かれつつ苦節を乗り越え再起した俊介、半弥。
力ある後ろ盾を亡くした半ニ郎と立場が逆転します。
追い討ちをかけるように、
刺青やら隠し子やら乗っ取りした、とか、
メディアの格好の獲物にされて役も貰えぬ有様。
以前の俊介と同じような生活をしていきます。
興行の舞台で客に絡まれて心底嫌になる喜久雄。
そんな時、以前見知っていた人間国宝の万菊さんからの
連絡。
驚いたことは、人間国宝であるのに、
あのアパートにしか住めないのでしょうか。
歌舞伎の方かな、と思ってましたら田中泯さんでした。
復帰して半弥と共に
以前のように舞台に立つことができたのも束の間、
半弥が糖尿病で倒れてしまいます。
足を切断しても舞台に立つことしか考えない半弥。
最後の力を振り絞って二人道明寺を演じますが。
糖尿病の怖さをまた知りました。
時が過ぎて60代ぐらいになった半二郎、
人間国宝になりいろいろと取材を受けます。
写真を撮っていた女性カメラマンから、
あの昔、道端の社に拝んでいた時のことを指摘されます。
隠し子のアヤナ?だったようです。
瀧内久美さんでした。この方、イヤな役柄多いな、
このセリフ、ちょっと余計、と思ってたら、
日本一の歌舞伎役者、と言っていたので、
そう来たか、と思いました。
ラスト圧巻の鷺娘、美しかったですね。
❓❓❓
🔴吉沢亮さん横浜流星さんお顔が綺麗で女形ピッタリでしたが、少し身体がゴツくなかったですか。
吉沢亮さんの喜久雄、なぜ刺青入れたのでしょう?
🇯🇵ではマイナスイメージしかつかないし、後に週刊誌に
書かれるし、春江も刺青入れていて半弥の妻、梨園の奥様だけど、大丈夫でしょうか。
🔴寺島しのぶさんちょっと意地悪な女将さん役、
ピッタリ。半二郎が歌舞伎界から追い出されそうで
挨拶に来た時、半二郎の言葉の後、戸を開け出て行くので
何か品物でも渡すかと思ってたら孫に話しかけて💦
地で行っておられるような気がします。
🔴永瀬正敏さん、本作カッコよかったので、もう少し、
出番があれば良かったと思いました。
🔴渡辺謙さん、糖尿病だったのですか。怖い😨
連獅子の練習もされたのでしょうね。
🔴歌舞伎の共演者や箏曲とか黒子とか上下の方とかは歌舞伎の方々でしようか。
考察:
なるほど〜、
春江の刺青は若気の至り、不用だと思ってましたが、
春江が俊介のところに向かったのは、
喜久雄が歌舞伎のことしか考えず、側に居ては足手纏いになるし、とまでは気づいていましたが、
他レビューも参考にして、
ライバルの俊介を見張る必要もあったのかと。
裸にはならないので俊介さえ喋らなければ、
秘密は守れます。
喜久雄と一緒に彫った大切な刺青を背負って
喜久雄をひたすら思い続ける、ということでしょうか。
半二郎の鷺娘を観に来ていましたね。
俊介、かわいそう💦💦💦
補足:
どうしても、ラスト直前の瀧内久美さんの
登場に違和感を感じます。
『ディアファミリー』のラストの有森佳純さん登場とよく似たもので、
あまり顔の知られていない新人を起用した方がスンナリ行くように感じました。
興行でもありいろいろ事情はあるかと
思いますが。
面白いというより、凄い(レビューが難しいなぁ。)
本当に100年に一度?
普段全く邦画をみない人間です、あまりにもオススメされて見に行きましたが全く良さがわからず、いつ終わるんだろうと思いながら見ていました。
登場人物全員に嫌悪感。昭和の価値観の作品になるのだと思うので仕方ないのかもですが…
才能のある主人公に歌舞伎の血が流れていないこと、育ての親が最期に自分の名前を呼ばないことには同情しましたが、悪魔と取引して人生を捧げた結果酷い目に合っているのは女性だけですよね?
複数の女性や子供の人生壊しているのに、自分だけがすべてを捧げて、過酷な状況になっているような表現で引きました。
お父さんと呼ばれて無視しておいて、成長した娘に才能で免罪されるのもありえない。
歌舞伎の血が流れている側は、飲み歩いたりして真剣に向き合ってないのに選ばれずに逃走。戻ってきても結局血が居場所を作ってくれるし、跡継ぎの息子も産まれて人生イージーモード。
いれたかっただけな濡れ場が邪魔でした。なくても何かあったであろう演出はできますよね。濡れ場がなければもう少し良かったかもしれません。
こちらが100年に一度レベルの作品なのであれば、今後邦画をお金出して見ることはないと思います。
二人の女形に万雷の拍手、万感の思い
映画を観たら本物の歌舞伎を観に行くまでが『国宝』です
あまりに絶賛されているので、メインキャストの方達が好みではないけど
歌舞伎好きとしては一応見ておこうかと行ってみた。
はじめの30分ぐらいは良かった。
喜久雄の若い頃を演じた子は演技が素晴らしく
心に響くものがあった。
いいぞいいぞと期待に胸が膨らんだ。
でも、歌舞伎役者になってからは…
3時間は長すぎた。脚本も面白くない。
そうだろうなと思ってはいたけど
伝統芸能をやっている方特有の凛とした色気が感じられない。
演じた役者さんが悪いのではない。彼らは精一杯演じられていた。
でも、子供の頃から毎日日本舞踊などあらゆるお稽古をつづけている
歌舞伎役者を演じるには準備が足りなすぎた。
それも将来『人間国宝』になる人物を描くのであれば
最低でも5年は日本舞踊を習うとか、元々日本舞踊の経験がある俳優にするとか。
若い歌舞伎俳優で10年以上かけて撮るぐらいのことをしても良いテーマ。
でも本物の歌舞伎役者なら畏れ多くて演じられないでしょう。
吉沢亮さんが何かのインタビューで、子供時代を演じた俳優さんについて
その感性の凄さに敵わない、嫉妬してしまうようなことを語ってらして
その感覚が正解だと思う。
国宝級イケメンが見たいのではなく、もっと内から溢れる本物が見たかった。
この映画の価値は、感動したら本当の歌舞伎も観に行ってみること。
本物の歌舞伎を、本物の人間国宝をぜひliveで観て感じてほしい。
そのキッカケを与えてくれた映画ではある。
三谷幸喜さんがTVで「国宝」について話題にし、小説が凄く面白いと仰っていたので
やっと小説を買ってみた。なるほど、面白い。
小説を読むにあたって、先に映画を観ていたのでイメージしやすいのは助かる。
それにしてもこれは凄く勿体無いことしたかもしれない。
小説はこんなに面白くてぐんぐん惹きつけられるのに。
三谷幸喜さんかどなたか、Netflixか何かでドラマ化して欲しい。
もしくは、宝塚で舞台化も良いかも。
宝ジェンヌは皆日本舞踊も身についているので。
価値があると思う
とにかく観て良かったと思った。
どこがそんなに良かったのかと聞かれたけど、吉沢亮さんのお芝居でも、渡辺謙さんのお芝居でも、歌舞伎のえがき方でも、お金のかけ方でもなく、とにかく全体を通して作り手側が楽しかっただろうなと(勝手に)感じたところが個人的に一番良かった。
もちろんテレビなどでも吉沢亮さんも横浜流星さんもとにかく歌舞伎の動きを常に練習していたという情報も見ていて演者もスタッフも大変だったことは容易に想像がつくし、費用を考えても東宝のスタッフのプレッシャーもすごかったとは思うけれど、それ以上に映画が好きで業界に入った人たちならこの作品を作るのは本当に楽しくてやりがいを感じたんじゃないかと観ていて思った。
大変でも作る価値のあった作品だと思う。
映画を観ながら、その作品のストーリー、世界、役者の芝居、美術・音楽などではなく作品ができあがるまでの過程を想像して良い映画だと思ったのは初めてだった。
喜久雄は報われたのか…
予告編を観た時から観に行きたいと思っていたのだが、満を持してというかタイミングが合ったのでやっと観ることができた。皆さん演技が上手くて作品世界に没入できた。特に歌舞伎の演目を演ってるときの吉沢亮、鬼気迫るものがあってウルッとしてしまった。こりゃあリピートしたくなるのもわかる。
しかしながら吉沢亮の老けメイク何とかならんかったんか、70代だと思うけどシワがなさすぎる、リアリティがない。その辺こだわってりゃあ映像も説得力がでてくると思う。高齢の俳優使っても良かったんじゃない?
旅館で寝てる田中泯見てたら土方巽思い出した(手のひねり方が恐怖奇形人間でクネクネ踊ってる場面となぜかシンクロ)、余談ながら。
俳優の演技力に圧倒されたひとときでした。
長すぎるのがもったいない
同名小説を映画化した『国宝』。
主演の吉沢亮演じる喜久雄と、横浜流星演じる俊介のライバル関係は、血筋と才能という如何ともし難いテーマを軸に、対立と共感が複雑に絡み合う。
脇を固める俳優陣も秀逸。田中泯の妖艶さ(本物の人間国宝っぽい)、寺島しのぶの静かなるも強烈な存在感(本物のおかみさんっぽい)、そして渡辺謙の熟練の演技(本物の歌舞伎役者っぽい)など、それぞれが物語に厚みを持たせている。
一方で、上映時間175分という長さはマイナスポイント。間延びしたシーンも多々あり、冗長で後半は集中できなかった。もっとコンパクトにすれば素晴らしかったと思う。
せっかくのダイナミックな視点の映像や演技なのに、途中で席を立つ人もいてなんだかもったいなかった。
映画としての構成に課題を感じる。
勧められて鑑賞👍自身では絶対に行かないジャンルですが面白いよ〜とか...
芸を極めるということ
3時間飽きさせないテンポ感でもっと描いて欲しい部分もあるくらいで、切り詰めて切り詰めての3時間なんだと思う。歌舞伎の世界に復帰できた理由に関わる部分や人気絶頂の演目も見てみたかった
人間国宝の芸を見たことがあるわけでもないので何とも言えないが、芸に魂を売ることの意味。あらゆることが芸の肥やしになると言われる世界で、血筋の理不尽さに葛藤することや、芸のために他者を利用すること、婚外子を作ること、義兄弟の将来を奪ってしまうこと、仲直りをすること、義母の心無い言葉、義父の執着、自分の才能に溺れること、挫折、あらゆる経験が芸に反映されて、老人といわれる年齢の男性が若い娘を演じる際にこれまでの自身の経験や自分が傷つけた女性のことを思い出すように演じることで細部に神が宿る。そうゆう歌舞伎の世界があることを描いた作品なんだと思った。だからこそ国宝になれたのは全ての人をおかげなんだと本気で思っている、婚外子のことも最初からわかっていたけど芸のために必要な過去であった。ここで謝ったりするのは自分の芸の到達を否定することになるので、謝ったりはしないけど人のおかげで到達できたことを理解しているし感謝している。そうゆうことと解釈した。
別世界すぎて共感とかはできないけど、綺麗事じゃない世界の美しさ、儚さを感じて納得させられた。
病室での曽根崎心中の練習シーンと結婚式場の屋上のシーンが個人的にはベストアクトだった。
どうしても覇王別姫がよぎる
役者陣は本当に素晴らしい。映像も美しく見応えがあり、鬼滅の刃よりも長さを感じさせなかった。
ただ、ストーリーは日本人が大好きな「おしん」フォーマット。不幸な生い立ちの主人公が、困難に立ち向かい成長し大人物になっていく。
どうしても比較になってしまうが、社会体制に翻弄され続けた覇王別姫に対して非常に作品が内向きだ。歌舞伎の内側だけの話。血縁主義に翻弄されて続けてもそれを変革する方へは進まない。おそらく原作者が歌舞伎の内側に入りすぎたんだろう。外からの目が欠けているように思う。結局カタルシスは喜久雄の中だけでしか起こらない。
この作品は海外での公開を見越したビッグバジェットだそうだが、海外でヒットするかは疑問が残る。
全2065件中、1441~1460件目を表示
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