「間違いなく力作だが、もっと揺さぶりが欲しい」国宝 alfredさんの映画レビュー(感想・評価)
間違いなく力作だが、もっと揺さぶりが欲しい
間違いなく力作である。私が映画館で観た時、3時間近い上映時間の間、誰一人席を離れる者はいなかった。スクリーンに映し出された映像を一瞬間でも逃すまいという熱気で映画館内はあふれていた。近ごろこういう機会は少ない。
予告編を観たときに私の脳裏に浮かんだのは「中村仲蔵」であった。歌舞伎役者の血筋ではなかったが、努力と才能で人気となり、江戸時代の一太歌舞伎役者となった人である。落語や講談の演目になっており、講談師・神田伯山さんの得意演目で、神田伯山さんのyoutubeチャンネルで聴くことが出来る。50分を超える大作だが、長さを全く感じさせない。古典芸能の凄みを感じるはずだ。
ちなみに伯山さんのお師匠・神田松鯉さんは人間国宝です。
実際の歌舞伎役者の方がネットに映画の感想を出されており読んでみると、足の所作がちょっと違うといった感じでかかれていた(全体的には肯定的な表現になっている)。当然であろう。子どもの頃から日々の鍛錬を経たひとからすれば、映画で1年半以上の準備期間を設けたとはいえ、細かいところが気になるのは当然だ。ハリウッド映画が日本を舞台にすると、日本人からすれば何とも奇妙に思える場合が多いのと同じだろう。こちとら日本人を何十年もやっているのだ。細かい所が気になってしまう。
映画の歌舞伎は、あくまで映画の中の歌舞伎として演出されていると思うべきであって、実際の歌舞伎は歌舞伎座などの劇場に行って観るべきだ(松竹系映画館であれば劇場中継もある)。
隠し子のエピソードなど、私たちが歌舞伎役者に持っているイメージにやや寄せ過ぎではないか。
女性陣の描き方が有り体でかつ平板で総じて女性の影が薄い。取ってつけたような役割はどうにかならないのか。
脚本は女性の方のようだが、この辺りに葛藤はなかったのか?
また映画全体を俯瞰させるような狂言回しの役割がいてもよかったと思う。三浦貴大さん演じる竹野が狂言回しとして最適かと思うが、制作陣は意識しなかったのだろうか。
とはいえ、最初に書いたように本作は力作である。そこは認めたいと思う。
冒頭の長崎のシーン、長崎では珍しいであろう深々と降る雪の中、入れ墨が浮き上がり赤い血が白い雪へと染みていく様は、往年の東映任侠映画のいち場面のようだ(本作は東宝配給)。
このあと、少年ら2人は敵討ちを試みるが、これはあとで登場する演目「曾我兄弟」(歌舞伎の仇討ちモノの定番)へと意識付けられている。
歌舞伎が江戸時代に大いに人気を得たのは、なによりも情念を描くことに専念したからだと思う。人のもつ、恨みや嫉みや恋しさ、憎しみといったものに焦点を当てて、観るものの心を揺さぶり続けたからこそ、観客は「よっ、成田屋‼」などと歓声をあげるのだ。
本作での血筋に生まれた者と、才能に恵まれた者との相克がそれほど強い感慨をわたしには与えなかった。
本作は、やや情念がかっらと乾いている節がある。主役二人の情念の絡みがもっと欲しい気がする。
私としては、もっともっと揺さぶってくれ‼と願う。李相日監督はそれが出来る人だからだ。
歌舞伎の主要な演目が紹介され、さながら「教養 歌舞伎入門」という趣きもあり、多くの観客のスノビズムを刺激するだろう。
映画に刺激を受けた人は、歌舞伎だけではなく、落語、講談など古典芸能へと踏み入れてはどうか(これは私自身への鼓舞でもある)。映画を観て、面白かった、よかっただけで済ませずに、まだまだ自分の知らない世界が手招きしていると思ったら、なんとも興奮するではないか。
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